第9回記事

オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」(教来石小織)

カンボジアをはじめとする途上国で移動映画館を展開する、World Theater Project代表の教来石さん。活動から離れた日常のなかでも、彼女のまわりにはいつも「映画」の存在が。
今回は、いつもと違うオフモードの日記テイスト。そのなかにも顔を出す映画の匂いと、教来石さんの感性を存分にお楽しみください。日記のなかには、教来石さんの次なる行動の影も…

3月某日 雨

英治出版オンラインの記事がご縁で知り合ったTさんが、Kさんとの新しいご縁をつないでくださった。

里親になろうとしない限り、里親制度を詳しく知る機会は少ない。Kさんは里親や児童養護施設の子どもたちのことを知ってもらうための映像コンペを主催していらっしゃる方だ。Tさんが予約してくださった銀座のポルトガル料理店でお会いした。Tさんも面白い方だけれど、Kさんも、大阪弁が似合う、柔らかくて面白い方だった。普段は広告の仕事をしていらっしゃるそうだ。

乾杯の後に、アトピーが原因で里親が見つからない子どもの話を聞いた。何かあったらどうしようと、日本では命を預かることに皆躊躇するそうだ。その子はアメリカ人の里親にもらわれていったという。これまで初対面の人とのお酒の席で泣いたことはなかったけれど、なぜか泣いていた。

ご飯の後はカフェに移動して、3人でOLのようにケーキを選んで食べた。共通点が映画である3人のこれからの話は、夢とロマンに溢れていた。

World Theater Projectのミッション「生まれ育った環境に関係なく、子どもたちが夢を持ち人生を切り拓ける世界をつくる」、その一助になりたいとあらためて強く思った。


3月某日 曇り

英治出版オンラインのイベントに来てくれた25歳の女の子と、おやつの時間に会うことに。イベントでお会いした方に、その後目的なくお会いすることはほぼないのだけれど、この子とお茶でもしながら他愛ない話をしてみたいなと思った。

くるくる変わる明るい表情の底に、品格とタフさが同居している女の子。相手に心地良さを感じさせる距離感を取れるのは頭が良い証拠だ。中学のときからチェロを弾いていて、チェロでアメリカに留学したところにも一本通った芯の強さを感じた。いまは仕事に一区切りついて、進むべき道に悩んでいるときのよう。イベントでの別れ際に「今度お茶でも」と言ってみた。

彼女が見つけてくれた銀座のお店は、「凛」という名の炭火焙煎珈琲のカフェだった。Googleマップ片手にたどりつくと、好きなミニシアター「シネスイッチ銀座」の隣にあった。映画館が近いカフェを選んでくれたのかなと思った。

シネスイッチ銀座の存在を彼女は知らないことが判明したが、それぞれケーキセットを頼んで、未来に悩む彼女の話を楽しく聞いた。5歳のときにお父様の仕事の関係でインドネシアに暮らしていたとき、ジャカルタの暴動に巻き込まれた原体験の話も興味深かった。車窓から、線路に寝転がる妊婦が見えた。妊婦には拳銃が向けられていた。そんな記憶があるという。当時の体験がきっと、社会に貢献したいと強く思う彼女の志につながっている。

ケーキがなくなり紅茶も冷めてしばらく経って、そろそろという時分になった。「時間があったら、シネスイッチ銀座の売店でも寄ってく?」と聞いてみた。「ぜひ。売店とかだけ寄れる雰囲気なんですか?」と聞かれたので、いや、別段そういう雰囲気じゃなかったかもなと思う。

コートを羽織り彼女と二人、数歩歩いてシネスイッチ銀座の前へ。映画館の前にかけてある『バハールの涙』のポスターを見た彼女が「あっ」と声をあげた。「観たかった映画だ」とつぶやく彼女。ポスターに「本日限り」と貼ってある。開始時間は16時35分。時計を見ると16時44分。予告が10分はあるだろうから、いま入ればまだ間に合う。私も観たいが、観たら次の予定に間に合わない。

おろおろしている彼女。「どうしよう、観ようかな。あ、でも帰らなきゃ。あー、どうしよう、どうしよう」そして何かを決意したように「観ます」と言って、チケット売り場に。受付の方に「本日レディースデーなので950円です」と言われて「うそ、安い!」と喜んでいた。

「あの、今日はほんとにありがとうございました! 映画と引き合わせてくださって」

ペコリと頭を下げて急ぎ足で階段を下りていく彼女を見送りながら、あぁ、彼女はきっと、この映画に呼ばれたのだろうなと思った。

夜、「映画どうだった?」とメッセージを送ってみたら、超長文で感想を送ってくれたので、お風呂上りにニヤニヤしながら読んでしまった。

いつか彼女が進むべき道を見つけたときに、この日の映画のことを思い出したりするのだろうか。そんなことがあるといいなと、勝手なことを思った。


3月某日 雨

高層ビルが立ち並び、最新の機器が簡単に買えてしまう東京だけど、ふわっと昭和の時代に迷い込んだような場所もある。そういう路地裏やお店が無条件に好きだ。

だから予定が空いてひとり、神保町の岩波ホールで映画を観て、パンフレット片手に喫茶店「さぼうる」に行った今日という日は最高だった。

訳もなくひとりになりたいときがある。現代社会において映画館という場所は、堂々とスマホから切り離されていい場所だ。映画の余韻に浸りたくて、スマホの電源を切ったままさぼうるに入った。

バニラアイスが浮き沈みする、ほどよく甘いミルクセーキを飲んでみる。店に充満する煙草の臭いでミルクの香りにたどりつけない。近ごろ煙草の煙に出合うことは珍しい 。本来煙草の臭いは得意じゃないけれど、さぼうるの煙草は昭和に浸れる一要素を担っているから愛おしい。

昔々、結婚するなら、さぼうるに一緒に来られる人がいいなと思ったことを思い出した。本を読む人が好きなので、好きな街が渋谷じゃなくて神保町の人がいいなと思った。さぼうるで、お互いにお互いの好きな本を読める人がいいなと思った。いまの夫と2回目に会ったとき、神保町とさぼうるが好きだと言っていて、嬉しくなったことを思い出した。

そうだ。こんな風にひとりの時間を楽しめるほど心と生活が安定したのは、夫のおかげなんだなとふと思う。30歳過ぎてテレビと洗濯機と足の踏み場がない湿気が充満したアパートの一階で、疲れ切って帰ったらとにかく寝るだけの生活を送っていた私を夫は救ってくれたのだ。

昨晩神妙な面持ちで、「今月の後半にネパールに行こうと思うんだけど」と夫に告げた。「いいじゃん。行ってきたら」とパソコンを見ながらすぐに承諾してくれた。その後に顔をあげて、「ほんと旦那が俺で良かったな」とドヤ顔された。

ほんとそう思います。


3月某日 晴れ

いつだったか「目を閉じて、自分が落ち着く景色を思い出してみて」と言われて思い出したのは、カンボジアではなく、実家の最寄り駅の出口から見下ろす景色だった。

地元の銀行と、寂れたジャスコだけが見える景色。現在の名前はイオンだけれど、みんなジャスコと呼んでいる。ジャスコでずっと働いているおばちゃんも、ジャスコも、街自体も、もう隠せないくらいに年を取っている。

この街にあった木造二階建ての大きなおもちゃ屋さんはとっくに潰れて、美味しかったパン屋さんもなくなって、中古車センターや新興宗教の建物ばかりの町になっている。

夫が出張でいないので、久々に実家に帰ってきた。ネパール渡航に必要なものを揃えるためだ(蚊除けなど)。昨年退職した父が車で駅まで迎えにきてくれた。「ギックリ腰もう大丈夫なの?」など話しながら家に着く。実家の車もワゴン車から軽自動車に変わっている。

普段は質素にご飯を食べている両親だけれど、たまに帰る子どもたちには腕をふるってくれる。しかも滞在二日まではゲスト扱いされるので、父母がご飯の準備をしている間、テレビの前でゴロゴロしていても怒られない。

最後の晩餐があるとしたら、最後に食べたいものはなんだろう。

母のカレイの唐揚げ。特別な日に父がつくるラム肉のグリル。義母がつくる野菜のお味噌汁と、義父が揚げる天ぷらもいい。デザートは友人Nさんがつくる焼き菓子がいいな。それからもう食べられることはない祖母のコロッケを食べてみたい。怠け者の私は「うまい、うまい」と食べるばかりで祖母から絶品コロッケのつくり方を習おうとすることもなかった。あのコロッケを食べられることはもうない。

父母の料理も習わないと、いつか食べられなくなるんだなと思いながら、美味しいご飯を噛みしめた。食べながら、今回ネパールに行こうと思った理由を話してみた。

「元々ネパールには移動映画館をしてくださってるネパール人の方がいるから、いつか行かなきゃいけないと思ってたんだけど、蚊も怖いし、なかなか行く気になれなかったんだけど、今回突然行かなきゃと思ったのは…」

とボソボソ話していると、「よくわからない。ん?登場人物は誰と誰? 説明が下手」と父にイライラされた。母にも「全然よくわからない。もっとわかりやすく話して」と怒られた。

おかしい。実家の滞在時間は、まだ1時間のはずなのに。


移動映画館の活動が展開されるネパールに旅立った教来石さん。実は今回の渡航には、本連載に関わるある理由が…。
次回の記事では、教来石さんがネパールで見て、感じてきたことをお届けする予定です。

また、3/30(土)には教来石さんの帰国後最初のイベントを開催します。教来石さんの活動地域でもあるカンボジアで医療ボランティアをされていた医師・進谷憲亮さんとの「娯楽を超える映画の可能性」をテーマとしたトーク、ぜひご参加ください!

イベントの詳細・お申込みはこちらから。


連載紹介

映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。これまで5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。映画より、食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。

第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか

連載著者

教来石小織(きょうらいせき・さおり)
NPO法人 World Theater Project 代表。日本大学芸術学部映画学科卒業。2012年より途上国の子どもたちへの移動映画館活動を開始。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上の子どもたちに映画を届けてきた。俳優・斎藤工氏の呼びかけで製作した世界中どこででも上映できる権利フリーのクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』(監督:秦俊子)は、世界各国の映画祭で高く評価され、「2018年度グッドデザイン賞」を受賞。日本武道館で行われた「みんなの夢AWARD5」優勝。第32回人間力大賞文部科学大臣賞受賞。著書に『ゆめの はいたつにん』(センジュ出版)。(noteアカウント:教来石小織

英治出版オンラインでは、記事の書き手と読み手が深く交流し、学び合うイベントを定期開催しています。連載記事やイベントの新着情報は、英治出版オンラインのnoteFacebookで発信していますので、ぜひフォローしていただければと思います。教来石さんの連載マガジンのフォローはこちらから。(編集部より)