第7回記事2

西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。(教来石小織)

世界をよりよい場所に変えるミッションを掲げて邁進するNPO。その創設者・代表であっても、活動の意義に迷い、自信を失うことも。
カンボジアをはじめとする途上国で移動映画館を展開するWorld Theater Project代表の教来石さんは、どんなときに、どんな迷いを抱くのでしょうか? そして、教来石さんがそれでも進み続けるために支えにしている言葉とは?

活動に自信がなくなるとき

この世で一番美しいものは、映画を観る子どもたちの顔なんじゃないかと、実は本気で思っている。

途上国の子どもたちへの移動映画館の活動が好きだ。

可能性にあふれる、目のキラキラした子どもたちと空間を共有し、笑った顔や真剣な顔、はしゃいで拍手する姿を見られることに幸せを感じる。時折、映画から新しい職業や生き方を知る子どもたち一人ひとりに夢の種が蒔かれているところを想像したりする。

私にとって、一生情熱を燃やし続けることができる活動はこれ以外にないのだと、最初にカンボジアで上映した7年前のあの日から今日までずっと思っている。私は自分には自信がないのだけれど、移動映画館の活動とビジョンと、仲間の素晴らしさには自信がある。

けれどその活動にさえ自信を持てなくなるときがある。社会的に意味のない浅はかな活動なのではないかと悩み、無力感に苛まれるときがある。

それはどんなときかというと、大きな課題に立ち向かう活動をされていて、人々や社会の可能性を具体的に切り拓いている方を見たときだ。

たとえば、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の方が分身ロボットを操作して働けるカフェを開いた吉藤オリィさん。認知症の方たちが働ける「注文をまちがえる料理店」を生み出した小国士朗さん。路上生活者の支援を行い、貧困問題解決に向けて活動している大西連さん。

ここに全員のお名前を挙げることはできないけれど、こういう偉大な方を見たときに、衝撃を受ける。そして心から尊敬する一方で、ついつい自分と比べてしまう。そして落ち込み、自信をなくす。

途上国の子どもたちに映画を上映することで、果たして困っている誰かが助かっているのだろうか? 本当に社会に意義のある活動なのだろうか?

「映画で夢の種蒔きを」なんて、すぐに結果の出ない、暖簾に腕押しのような活動に、方向性を見失いそうになったりもする。

しかしそれ以上に、私が一番落ち込み、何もかもに自信が持てなくなるときがもう一つある。

それは、災害が起きたときだ。

西日本豪雨で苛まれた無力感

去年の夏もそうだった。西日本が地震や豪雨に見舞われたとき、ネットニュースやテレビで伝えられる悲惨な状況に目を覆いたくなった。

自分ではどうしようもできないことに、私は目を覆ってしまいがちだなと思う。たとえば他国の内戦の問題に真正面から向き合うことができない。両親を失い血にまみれた少年の写真を凝視することができない。ニュースを聞くのが怖い。すべてと向き合ってしまったら、とてもじゃないが心がもたないのだ。

でも国内で起きている災害のニュースは、目をそらしたくてもあちこちから毎日のように情報が入ってくる。毎日無力感に苛まれ暗い顔になっていた。わずかばかりの寄付をしたところで、その無力感が消えることはなかった。こんなときに途上国で移動映画館の活動をしていることに罪悪感さえ覚え、団体のSNSの発信はやめて沈黙した。

そんななか、俳優の斎藤工さんが、西日本豪雨のときに真っ先に現地に入ってボランティア活動を行っているニュースを見た。

俳優であり、映画監督であり、移動映画館cinéma birdでも活動されている斎藤工さんのことを、勝手に同志だと思わせていただいている。移動映画館の活動を世界に大きく広げるきっかけもくださった、団体の大恩人でもある。

斎藤さんのボランティア活動を知り、あらためて尊敬すると同時に、やはり落ち込んだ。私は何も動けていない。体力がなくて能力のない私が行っても逆に現地に迷惑だろうと、心のなかで言い訳ばかりしていた。

それから数日経って、斎藤さんからご連絡をいただいた。「被災地の子どもたちに映画やエンターテイメントを贈れないか」という内容だった。

現地で被害に遭った方たちのなかには、目をつぶれば災害の様子が蘇る方もいる。水害の音が耳から離れないトラウマを抱えている子もいる。そんな現地の方たちから、エンタメを求める声があった。災害の影響で海水浴にも行けず、子どもたちは時間があるけれども、娯楽がないのだという。

映画やエンタメが多少なりとも、その地に楽しい記憶を上塗りできるのでは。

「被災地の子どもたちに楽しい夏の思い出を贈りたい」という斎藤さんの想いのもとに各業界のプロフェッショナルが集まり、プロジェクトが動きだした。私もおこがましくも参加させていただけることになった。

災害現場で「娯楽」はいつから必要になるか?

プロジェクトメンバーの方たちが岡山、広島と被災地を回られるところに、微力ながら私も同行させていただいた。

現地に行くまでは不安だった。

良いプロジェクトだとは思いつつ、内心、被災地にエンタメを持って行くのは時期尚早ではないかと思っていたのだ。エンタメというものは衣食住、すべてが復興した最後に求められるものだと思っていたから。

瓦礫の撤去作業の合間に、映画を上映して、子どもたちとともにミナ・タン チャームづくりをし、コマ撮りアニメの製作体験を行った。子どもたちは真剣で、とても楽しそうだった。

ミナ・タン チャームは、デザイナーの芦田多恵さんが南三陸町の縫製技術者たちとともに、東北復興支援を目的として製作する可愛くて高品質なマスコット付きキーホルダーのこと。今回、西日本被災地の子どもたちのために、子どもでも安全につくれるミナ・タン チャームのキットを大急ぎで開発し、数百個ご提供くださった。
俳優の斎藤工さんたちとともにクラウドファンディングで製作したクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』を上映した。上映権も言語もフリーであるため、世界中のどこでも誰でも上映することが可能。

子どもたちの様子を見て、なぜか泣きそうになった。娯楽の支援が被災地の役に立っている気がしたのだ。具体的に何かが劇的に変わったわけではなく、楽しい時間が共有されただけなのだけれど。

映画やエンタメは、衣食住が満たされて、すべての瓦礫が撤去された最後にやっと必要になるものではなく、復興の途中でも、現地に寄り添えるものなのではないかと感じた。

瓦礫はまだまだたくさんで、復興には時間がかかるだろう。長く復興活動が続くからこそ、長い時間を戦い抜くための娯楽は、必ずしも他の支援の「後」ではなく、「同時」に大切なのかもしれない。そんなことを思った。

後日、ビッグローブ株式会社が行った「災害に関する意識調査」で、「苦しい時こそ娯楽は必要、約9割」という記事を見た。救われた思いがした。

被災地を訪れた約ひと月後、普段私たちが移動映画館を展開しているカンボジアを訪れた。

上映で訪れた学校の先生に「話がある」と言われた。何だろうと思っていると、先生は手を合わせ、「日本が災害で大変なときでも、カンボジアを支援してくれてありがとう」と言ってくださった。そのときも救われた思いがした。

迷いが生まれたとき、私の支えになっている言葉

今回の件で、私たちの活動と災害との向き合い方に対して、一つの前向きな発見ができた。それでも、活動を続けていくなかで、これからもたくさんの迷いと向き合っていくことになると思う。

迷いながら活動を続けていくなかで、私の支えになっている話がある。敬愛するフォトジャーナリスト、安田菜津紀さんが講演で語っていたエピソードだ。

安田さんが取材を続けるのは、世界中の難民・貧困・災害の現場。自分は医療従事者のように直接目の前の人の命を救うことも、現地に根を張るNGOのように寄り添うこともできない。写真で直接的に人の命を救うことはできない。

そう自問する安田さんに、現地のNGOスタッフの方がこんなことを言ってくださったという。

菜津紀さん、これは役割分担なんです(中略)自分たちNGOは、現場にとどまり、人に寄り添って活動し続けることができるかもしれない。けれどもここで何が起こっているのかを、世界に発信することがときに難しい。あなたは少なくとも通い続けることはできるし、ここで何が起きているのかを伝えていけるじゃないか
――『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(安田菜津紀著、新潮社)より

どうしたって、社会を良くするすべてに関わることはできない。すべてを救うことはできない。

それでも、どんなときも自分や活動を卑下することなく、胸を張って、「私たちは私たちの役割を果たしています」と言えるようになりたいと思った。


2/4(月)の夜、本記事に登場したフォトジャーナリストの安田菜津紀さんをお招きし、本連載の著者・教来石小織さんとともに「『迷い』と向き合い続ける力」をテーマに語り合うイベントを開催します。ぜひご参加ください。

イベントの詳細・お申し込みはこちら


※ヘッダー写真提供:ツノダヒロカズ
2018年に起きたインドネシア・ロンボク島地震の被災地で、『映画の妖精 フィルとムー』を壊れた家の壁に上映した際の写真。

連載紹介

映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 映画は世界を変えられるのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。

第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか

著者紹介

教来石小織(きょうらいせき・さおり)
NPO法人 World Theater Project 代表。日本大学芸術学部映画学科卒業。2012年より途上国の子どもたちへの移動映画館活動を開始。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上の子どもたちに映画を届けてきた。俳優・斎藤工氏の呼びかけで製作した世界中どこででも上映できる権利フリーのクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』(監督:秦俊子)は、世界各国の映画祭で高く評価され、「2018年度グッドデザイン賞」を受賞。日本武道館で行われた「みんなの夢AWARD5」優勝。第32回人間力大賞文部科学大臣賞受賞。著書に『ゆめの はいたつにん』(センジュ出版)。(noteアカウント:教来石小織

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