夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安(教来石小織)
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 映画は世界を変えられるのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。
連載:映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
「映画配達人」という新しい職業
カンボジアのある町で、内戦以来ほとんど使われていない古い映画館に入ったことがある。埃っぽい映写室から客席を見おろしたとき、神様が人々をふわりと見おろす位置ってこのへんだろうかと思ったのを覚えている。ここで働いていた映写技師は、映画で現実とは違う世界をみんなに見せるとき、ちょっぴり神様みたいな気持ちだったのではないだろうか。
いまカンボジアには、農村部の子どもたちに映画を上映して回る「映画配達人」がいる。映画配達人は、現地語に吹き替えられた映画、上映機材とスクリーン、発電機を持ち込んで、教室や村の広場を映画館に変える新しい職業だ。私たちの団体、「World Theater Project(ワールドシアタープロジェクト)」が生み出した。
2018年、夏の終わり。約2年ぶりに再会したカンボジアの映画配達人の仕事は丁寧で、誇りと優しさに満ちていた。
朝8時半にクルマで小学校に到着すると、校庭にいる子どもたちがうれしそうに駈け寄ってくる。映画配達人ナットたちがこの学校に来るのは2回目だそうだ。
いつも背筋がピンと伸びているナットのクルマには、World Theater Projectの大きなシールが貼ってある。こちらからお願いしたわけではない。ナット自らシールを業者に頼んで引きのばし、左右のドアに貼ったのだ。ちなみにナットの本業はトゥクトゥク(国によって形が異なるが、カンボジアの場合はバイクの後ろにリアカーがついた乗り物)のドライバーなのだが、バイクに乗るときのヘルメットにも3枚、団体のロゴシールを貼っている。
ナットたちは手慣れた、けれど宝物を扱うような優しさで、クルマのトランクから教室へと上映機材を運ぶ。発電機、大きなスピーカーにプロジェクター、スクリーン、映画配達人たち自らがカンボジアで特注したスクリーン立て。ちなみにこのスクリーン立ては鉄でできていて、使わないときはコンパクトにしまえるよう考え抜かれたつくりになっている。暑さを凌ぐために導入された扇風機も運び込む。
ナットたちは、学校の教室で、校庭で、村の広場で。午前に、夜に、夕方に。あらゆる場所で即席の映画館をつくってきた。
この仕事を2015年から始めて、その開催数は延べ500回以上にものぼる。活動の言い出しっぺであり代表の私が日本で仕事に追われているときも、彼らは映画配達人の仕事を続けてきてくれたのだ。映画という概念自体がわからないという農村地域の子どもたち、人数でいうと延べ5万人以上の子どもたちを、映画の世界へ誘ってきた。
ひろがる活動、ふくらむ不安
この日の上映が終わり、カンボジアのローカルな店で焼飯を食べながらナットは言った。
「これからはもっと他の州へも上映に行きたい。カンボジア全土で上映したい」
現在、カンボジアには二つの拠点があり、アンコールワットがあるシェムリアップ州はナットがリーダーを務め、お隣のお米が美味しいバッタンバン州には別の映画配達人がいる。ごく稀に他州からお声がかかれば出張するが、基本はそれぞれ自分の暮らす州で映画を上映するのみである。それでも、彼ら二人ともが担当している州のほとんどの村を網羅しており、本当に頭が下がる思いだ。
「カンボジア中の子どもたちに映画を届けたい」というのは、もとは2012年、東京で派遣の事務員をしていた私が思い描いた夢だった。昭和の時代にいた紙芝居のおじさんみたいに映画を届けるカンボジア人の映画配達人は、少し前までは私の想像の中にしかいなかった。
それがいまでは目の前にいて、その口から当たり前のように「自分が暮らす州だけでなく、カンボジア全土でどんどん上映をしたい」という言葉が出てくる。「カンボジア中の子どもたちに映画を届けたい」という私の妄想が実現するのはもう、夢物語ではないのだ。初めてカンボジアで上映した日から今日までのメンバーの苦労を思い返し、ナットの言葉に一人感動しながらココナッツジュースをいただいた。
ナットたちのおかげでカンボジアでの活動はますます広がり、他国でもそれぞれ現地で活動されている団体や個人の方々の手で移動映画館が始まりつつある。
だからこそ言い出しっぺとしては不安で仕方ない。途上国の子どもたちに映画を届ける活動が、まちがっていることだったらどうしよう。
食糧やワクチン、途上国には映画より先に届けるべきものがあるんじゃないの?と問われると言い返せない。子どもたちを笑顔にするだけなら、映画でなくてもできる。子どもたちを一瞬で幸せにしたいなら美味しい食べ物をあげた方が良い。貧困を救いたいなら、学校をつくり職業訓練をし、働ける場を提供した方が良い。
「映画を届ける活動は夢の種まきです」というキャッチコピーを掲げ、「もしかしたら映画がきっかけで子どもたちに新しい夢が芽生えるかもしれない」と、未来への「もしかしたら」を理由に行うこの活動が、正しい活動なのかは自信がない。
映画でお腹はふくれない
普段は黒板のある場所に、映画配達人たちはスクリーンを置き、日本のアニメーションを映しだす。キャラクターの面白い表情に子どもたちがいっせいに笑う。別れのシーンでは真剣な表情。数匹のハエが子どもたちに止まったりするのだけれど、目はスクリーンから離れない。映画を観る子どもたちの横顔を見ながら、この連載タイトルの問いについて考えた。
映画で貧困は救えるか――
いま私のなかで出ている答えは、当たり前だが「映画で貧困は救えない」。映画でお腹はふくれない。映画で命は救えない。
それでも、たとえば映画を観て将来の夢が変わったという少女がいた。「映画の主人公から努力する大切さを教わった」という少年がいた。「みんなで映画を観て学校が楽しい場所だと思ったから、明日からまた学校に来る」という声があった。「映画上映を続けるうちに村のコミュニティが明るくなった」という話を聞いた。そして、ナットたち映画配達人はこの仕事をとても誇りに思ってくれている。
活動を始めて丸6年。これまで悩みながらも活動を広げることに注力してきたけれど、あらためて活動の根本的な意義について考える機会をもらえたことに感謝したい。この連載を通して、活動を続けるなかで生まれてきた葛藤と可能性、その二つを真摯に見つめ、新しい答えにたどり着ければと思う。
※ヘッダー写真提供:川畑嘉文
※文中写真提供:内田英恵
連載紹介
映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 映画は世界を変えられるのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。
第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか
著者紹介
教来石小織(きょうらいせき・さおり)
NPO法人 World Theater Project 代表。日本大学芸術学部映画学科卒業。2012年より途上国の子どもたちへの移動映画館活動を開始。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上の子どもたちに映画を届けてきた。俳優・斎藤工氏の呼びかけで製作した世界中どこででも上映できる権利フリーのクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』(監督:秦俊子)は、世界各国の映画祭で高く評価され、「2018年度グッドデザイン賞」を受賞。日本武道館で行われた「みんなの夢AWARD5」優勝。第32回人間力大賞文部科学大臣賞受賞。著書に『ゆめの はいたつにん』(センジュ出版)。(noteアカウント:教来石小織)
英治出版オンラインでは、記事の書き手と読み手が深く交流し、学び合うイベントを定期開催しています。連載記事やイベントの新着情報は、英治出版オンラインのnote、Facebookで発信していますので、ぜひフォローしていただければと思います。教来石さんの連載マガジンのフォローはこちらから。(編集部より)