映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性(教来石小織)
途上国で移動映画館を展開するWorld Theater Projectの教来石さん。しかし、様々な事情でなかなか頻繁には現地に行けないコンプレックスが。
それにもかかわらず、活動地域は広がり続け、さらには当初想定していなかった映画の新しい可能性も見え始め――。
代表なのに現地に行けないコンプレックス
おそらく会話のきっかけを探してくださってのことだろう。会う人会う人、「カンボジアにはどのくらい行かれるんですか?」と聞いてくださる。そのたびに申し訳ない気持ちになる。
「移動映画館自体は現地のカンボジア人スタッフが週に1、2回のペースでやってくれてるんですけどぉ」と言い訳のように必ず前置きしてから、「私は年に1回くらいですかね」と答える。
きっと、日本とカンボジアを頻繁に行き来する私、あるいは基本はカンボジアで暮らしている私を想像して聞いてくださったと思うのに、申し訳ない。基本江東区に生息している。頻繁に行き来しているのは自宅とイトーヨーカドーくらいだ。
団体にも私にも、カンボジアに何度も行けるお金などない。かといって住むこともできない。蚊のアレルギーなのだ。その上、蚊によく刺される。蚊に刺され過ぎてグロテスクに変形した自分の足の写真を、食事中に人に見せては嫌がられていた。
だからカンボジア滞在中の私の腕には、いつも謎の四角い機械がついたバンドが巻かれている。
いつのころからか実家にあって、商品名はわからない。電源を入れると蚊が嫌う音と臭いが出るらしく、それをつけているとあまり蚊に刺されないのだ。
村に行くと、よく子どもたちが不思議そうにこの謎の機械を指さす。神妙な面持ちで「モスキート(蚊)」と言うと、何やら納得した顔をしてくれる。
以前、シェムリアップ市内のクメール鍋のお店で食事を終えてトゥクトゥクに乗ったとき、腕から機械が消えていた。食事中にはずしてテーブルの上に置いたまま忘れていたのだ。思わず叫んだ。「トゥクトゥクを止めてくれ!」と、年間を通して叫ぶことなどほぼないのに叫んだ。
お店に戻って「モスキート、モスキート」と店員さんにジェスチャーで機械の形を示しながら探したが、見つからなかった。絶望した。そして発狂した。もうあの謎の機械のことしか考えられない。あと10日間、蚊への恐怖に怯えたまま過ごすなんて耐えられない。「蚊への恐怖」のストレスで死ぬ人類最初の人になるかもしれない。
カンボジアで売っていないか探してみたが、売っているわけがない。母にLINEして、「あの蚊の機械をなくしたので日本から郵送して欲しい」と頼んだ。「郵送料いくらかかると思ってるの? 到着するころにはもう数日で帰国じゃない!」という怒りのメッセージとともに、母は郵送してくれた。
機械が届くのを待つ間は毎日、ゲストハウスの部屋にも自分にも狂ったように蚊除けスプレーをかけまくって、若干喉を傷めた。
こんな情けない代表を持つ団体ではあるが、活動自体はカンボジア以外の国にも広がり、そして深まっている。そこには、現地に根づき、その国に深い愛を持って関わる人々の姿がある。
バングラデシュの話をしよう。
「バングラデシュの女神」との出会い
現地で暮らせないコンプレックスがある私にとって、現地に寄り添って暮らしている人は、尊敬と羨望の対象だ。バングラデシュで活動している「なっちゃん」こと原田夏美さんもその一人。
なっちゃんに初めて会ったのは、2018年の年明け。赤と白のチェック柄のテーブルクロスが印象的な田町のイタリアンにて。奇遇にも大学の後輩で、共通の恩人に引き合わせていただいたのだ。
なっちゃんはバングラデシュにかれこれ5年住んでいる。なっちゃんはバングラデシュを愛している。そんなに愛せる土地があるなんてちょっと羨ましくなるくらいの愛だ。
日本に来ると少し喘息がちになるなっちゃんだが、バングラデシュでは健康そのものらしい。月に3万円で生活していて、2万円が家賃で7千円が猫の餌、3千円が自分の食費だという。自分が死んだら遺灰は日本にもバングラデシュにもまかず、猫の餌にして欲しいという奇抜な考えを持つなっちゃん。
長い黒髪に目がパッチリとして、妖精みたいな声で話すなっちゃんは、ビールジョッキに添えた手を放すことなく、サラミやチーズに手をつけることもなく、何やら夢中でバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯と、そこに暮らす少数民族の魅力を語り続けた。だからその後もしばらく「チッタゴン丘陵地帯」という言葉が耳にこびりついて離れなかった。
そんななっちゃんが、大きなバッグからゴソゴソと付箋が100枚くらいついた私の著書『ゆめの はいたつにん』を取り出し、「バングラデシュで映画を上映したい、今日それをお願いしたかった」と言ってくれた。本当は私からお願いしようと思っていたので、大興奮した。
目の大きさは私の5倍くらいあるなっちゃんだけれど、映画が好きなことはもちろん、恋がうまくいかないと心が病むところなんかも似ていたので、他人に思えず一気に意気投合した。
少数民族の子どもたちへの上映会
バングラデシュの首都ダッカは、人とリキシャと自動車と牛と犬が密集してにぎやかなイメージだけれど、なっちゃんが特に愛するチッタゴン丘陵地帯は穏やかで美しい風景が広がり、そこに11の少数民族が暮らしているという。
どこか懐かしさを刺激される心和む風景とは裏腹に、過去に国内紛争が起こった場所でもあるチッタゴン丘陵地帯。97年に和平協定が結ばれたあとも、人権問題や衝突事件、村の焼き討ち、レイプ事件などが起こっているため、外国人に対しては入域規制がかけられているそうだ。
なっちゃんの話や、なっちゃんが撮った写真や映像を見る限り、そんな危険とは無縁な場所に思えてしまう。入域規制によって、チッタゴン丘陵地帯に暮らす少数民族たちが、知識や経験、光と出会う機会を奪われているように感じている、となっちゃんは言う。
バングラデシュに帰ったなっちゃんは有言実行で、4月にはチッタゴン丘陵地帯で少数民族の子どもたちに移動映画館を実施してくれた。
映画の力を信じ、移動映画館が光をもたらすのではと思っていたなっちゃんだが、子どもたちに関心を持たれなかったらどうしようという不安もあったらしい。
上映したのは、私たちの団体が協力者のみなさまと製作した『映画の妖精 フィルとムー』。8分間の短い作品だが、上映後、子どもたちは「もう1回観たい」と言ってくれて、もう1回観たあとには、「もっと観たかった」と言ってくれたそうだ。薄暗闇のなか、映画を観ている子どもたちを見ながら、なっちゃんは一人泣いたという。
映画は少数民族の言語の問題を解決できるか
その後も様々な少数民族の村やロヒンギャの難民キャンプでも上映をしてきたなっちゃん。ある日、「お願いがあるんですけど」と声をかけてきた。
やなせたかし先生原作で、カンボジアでも数多く上映している『ハルのふえ』を現地語に吹き替えて上映したく、権利元から許可をもらえないかという話だった。その「現地語」には、公用語である「ベンガル語」だけでなく、少数民族が話す言語も含まれていた。
『映画の妖精 フィルとムー』は、世界のどこでも上映できるように、あえて言葉のない作品に仕上げた。それでも言葉のある映画の吹き替え版をつくることになっちゃんがこだわるのには理由があった。
バングラデシュには45の民族が暮らしている。子どものときはそれぞれの民族の言葉で話すけれど、小学校に上がったら公用語であるベンガル語での授業が始まる。少数民族の子どもたちがベンガル語を学ぶことは、日本人が英語を学ぶくらい大変なことだそう。言語の問題につまずいて、小学校をドロップアウトする子も多いのだという。
少数民族の言葉でできた映画というのはほぼない。もしも自分たちの言葉で話すアニメ映画があったら、彼らの言語のアイデンティティが満たされるかもしれない。同じアニメ映画を、少数民族の言葉とベンガル語の両方で観ることができたら、映画が子どもたちと勉学の橋渡しになるかもしれない。
なっちゃんは妖精みたいな声で熱くそう語った。決してうまくはない、不器用なしゃべり方だけれど、伝えたいことがある人の話は心に届く。
『ハルのふえ』が良いと思ったのは、主人公のストーリーが少数民族の友人たちと重なるからだという。映画のなかで、主人公は大好きなお母さんと別れて都会に出ていく。なっちゃんの現地の友人たちも、親元や故郷から離れて暮らさなくてはいけない境遇にあった子が多い。「現地の状況と重なる映画で、少数民族の子どもたちを励ますヒントを与えられたら」となっちゃんは思ったそうだ。
日本にいる私が、いや、たとえ映画と子どもが好きなだけの私が現地に住んだところで、少数民族の子どもたちが言語の問題でドロップアウトするという現地の課題に気づくことはなかっただろう。そしてそこに映画が役に立つのではということにも。
現地愛にあふれるなっちゃんをまた尊敬した。そして現地に根づく人たちが、現地特有の課題に映画を使ってアプローチする、そんな新しい活動の可能性が生まれ始めているのだなと思った。
蒸し暑いアパートの一室で起きたドラマたち
『ハルのふえ』の権利元と無事契約も結ばれて、なっちゃんは吹き替え版制作作業に入った。目標は45の民族すべての言語で吹き替えること。まずはベンガル語と、少数民族語のなかでも使用者が多いチャクマ語の吹き替えから始まった。
声優はプロではない、現地のなっちゃんの友人たちだ。なっちゃんが呼びかけると、友人たちは「村のおじいさんや子どもたちのために何かできるなら」と集まってきた。全員ボランティアだ。お金をかけずになっちゃんの家で吹き替えようと提案があり、なっちゃんの自宅は即席のダビングスタジオになった。
ただでさえ暑いバングラデシュ。雑音が入らないようにすべての窓を閉め、ファンや冷蔵庫も止め、サウナ状態で汗だくになりながら、なっちゃんたちは吹き替え作業を行った。大雨や工事の音、リキシャやヘリコプターの音に邪魔をされ、イスラム教のお祈りの放送であるアザーンが街中に流れるときは休憩タイムとなった。
重要な役なのに学生運動で声を枯らしてやってきた子がいたり、ふらっと顔を出した子が思いがけず良い声で主役に抜擢されたり、なっちゃんと友人たちのたくさんのドラマの末、二つの言語の吹き替え版は完成した。完成したときの彼らの喜び具合が凄過ぎて、子どもたちの反応が薄く見えたほどだとなっちゃんは笑った。
バングラデシュでたった一人でプロジェクトを立ち上げたなっちゃん。皆で一丸となって吹き替え版を完成させたとき、なっちゃんと友人たちは本当の仲間になっていた。
できたての吹き替え版を持って、なっちゃんたちはチッタゴン丘陵地帯を訪れた。子どもたちから歓声とともに迎えられたらしい。
吹き替え版『ハルのふえ』を観ている子どもたちの動画を見せてもらった。映画のクライマックスは、フルート奏者を目指す主人公がコンクールで素晴らしい演奏をするシーン。演奏が終わると、映画のなかの観客よりも先に、子どもたちが拍手を始めていた。拍手はどんどん大きくなっていった。
現地特有の課題に、現地の方々がアプローチする活動に
2019年に入ったいまはもう、なっちゃんがいない間でも、バングラデシュ人の仲間たちだけで移動映画館が行われるようになったという。映画を観て、子どもたちが抱える言語の壁がどうなったのかまではまだわからないけれど、なっちゃんから始まった想いは、子どもたちのなかでいつかきっと、花を咲かせるのではないかと思う。
なっちゃんのバングラデシュでの映画配達人ストーリーに想いを馳せると涙が出そうだ。他の国にもきっと、現地特有の課題がそれぞれあるだろう。現地の愛ある方がそれらの課題と向き合ったとき、映画はまた新たな役割を担っていくのではないか。
現地に行けないコンプレックスがある私だけれど、現地に寄り添って暮らしている、心から信頼できる同志が現れたら、私が現地に行くよりも、活動に価値や深みが生まれるのだなと思う。現地に根づいて暮らす方の経験と知恵と愛には敵わない。
さて、私にできることはなんだろうか。
※ヘッダー写真提供:Sanchoy Chakma
※文中写真提供:原田夏美
連載紹介
映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。これまで5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。映画より、食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。
第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか
著者紹介
教来石小織(きょうらいせき・さおり)
NPO法人 World Theater Project 代表。日本大学芸術学部映画学科卒業。2012年より途上国の子どもたちへの移動映画館活動を開始。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上の子どもたちに映画を届けてきた。俳優・斎藤工氏の呼びかけで製作した世界中どこででも上映できる権利フリーのクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』(監督:秦俊子)は、世界各国の映画祭で高く評価され、「2018年度グッドデザイン賞」を受賞。日本武道館で行われた「みんなの夢AWARD5」優勝。第32回人間力大賞文部科学大臣賞受賞。著書に『ゆめの はいたつにん』(センジュ出版)。(noteアカウント:教来石小織)
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