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プロが出すべき“成果”とはなんなのか?:「映画で人は救えるか?」イベントレポート(八星真里子)

「映画とは医療である」と言い切るカンボジア帰りの若き医師と、途上国で展開する移動映画館で子どもたちに夢の種をまくNPO代表が、「娯楽を超える映画の力」について語り合ったイベント『映画で人は救えるか?』。

このイベントに参加した八星真里子さん(英治出版オンライン編集パートナー)は、かつて青年海外協力隊としてニカラグアで国際協力活動に従事。そこで苦い経験を味わった彼女がこのイベントで考えさせられたのは、「プロが出すべき“成果”」についてでした。

参加することに満足してはいけない

「おはようドクター、今日もかっこいいね!」
「おはよう。ありがとう。貴女も、今日もきれいだよ!」

露店のお姉さんとのお決まりのあいさつで、「シンちゃん先生」こと、進谷憲亮医師のカンボジアの朝が始まる。

木造の大部屋にゴザを敷いて寝る。風呂はなく、シャワーのみ。同居人は蟻や蚊、ねずみにコウモリ。住環境の悲惨さをあげればきりがないが、志高く、温かいスタッフとの共同生活、そして、「かっこいいね」と言われて始まる農村での生活にストレスはなかった、という。

「医療って、人を幸せにする営みだと思っています」

そう語るシンちゃん先生は、医療でカンボジアの人たちを幸せにするために、国際協力NGOのボランティア医師として1年弱、農村・ウドンに滞在していた。

福岡県出身。九州大学医学部医学科卒業。東京都立多摩総合医療センター 総合診療・ER部で5年間医師として勤務。2018年4月より国際協力NGOジャパンハートのボランティア医師として1年間カンボジアの農村部で医療に従事。


“国際協力”という言葉は、私を少し苦しくさせる。

20代のころ、私は中米・ニカラグアにて青年海外協力隊として2年間、若年妊娠予防のための教育活動という“国際協力”に取り組んだ。

現地の人々と新しい教育手法や研修を実践しようとしたが、着いてしばらくは異文化に戸惑ったり、同僚の大らか過ぎる振る舞いを不誠実に感じ憤慨したりしていた。そのうち、準備に手を抜いても本番を見事にやりとげる彼らの柔軟さや、失敗に落ち込む私を家族総出で励まそうとしてくれる友人の優しさに触れるようになり、人助けに行ったつもりが現地の人々に助けてもらいながら、かけがえのない時間をわかちあった。

あの2年間は私にとって財産だと、自信を持って言える。しかし、自分の活動が誰かの人生を救えた、とは言えない。「私の活動によって若年妊娠が減った」とか、「彼らの健康状態が向上した」とか、そういうデータはどこにもない。

ニカラグアへと旅立つ前に勤めていたコンサル会社の上司からもらった言葉がよみがえってくる。

八星、参加することに満足してはいけないよ。成果を出すのがプロだからね。

ニカラグアでの取り組みの“成果”を明言できない私は“国際協力”という言葉に向き合うとき、苦しさを感じるのだ。

保健センターにてニカラグア人の同僚と性教育実践中。人助けをしに行ったつもりが、ニカラグアの人々の助けられる日々。

だから、医療という専門技術で人の命を救う医師には羨望の念が強く、この日はそんな国際協力話が聞けるのだろうと思ってイベントに参加した。

しかし、シンちゃん先生の口から出てきたのは、思いもよらない言葉だった。


医療技術があっても、役に立たない?

目の前で人が倒れていても、人命救助のために安易に駆け寄ってはならない。

あるとき、シンちゃん先生はカンボジアでこう言われたそうだ。

宗教的な理由(死期は神が決める、とか)かしら?と思ったが、違うらしい。

カンボジアの人々の多くが、心臓マッサージなどの心肺蘇生の方法を知らない。日本のように一般的ではないのだ。だから、倒れた人に駆け寄って体の様子を見ようものなら盗人だと疑われかねない、という。さらに心臓を押したりしたら「とどめを刺している」と思われ、助けに行ったはずが村八分の対象になりかねないそうだ。

人助けの技術があっても、周りがそれを理解していない(≒誤解してしまう)ために発揮できないのだ。

理解不足の問題は緊急救命だけの話ではない。

カンボジアの農村部では、手洗いうがいの習慣がない場合が多い(給水インフラも行き届いていない)。傷がある足で雨水や泥水に触れることを気にしないし、乳歯は生えかわるから歯磨きしなくてよいと思っている人たちもいる。ゴミは収集してもらうお金がないために、自宅で燃やすか、ポイ捨て。日本人の目には「汚い」と思う環境をそうは捉えない。

その結果、感染症が蔓延し、人々の命がむしばまれる。毎日何人もの人たちに治療を繰り返しても、病院にやってくる患者は後を絶たないそうだ。

カンボジアではうがいの仕方を知らず、ガラガラペッができず誤飲してしまう人も少なくないという。手洗い、うがい、歯磨き、入浴、傷の手当て……日本では当たり前のようになされていることが「命を守る」ことにつながっているんだ、と痛感したというシンちゃん先生。

「医療は人を幸せにする営みのはずなのに……。治療だけに注力することは、はたして人々を救っているといえるのか」

シンちゃん先生はそんな疑問を抱くようになり、人々が自分で自分の命を守れるようになるための教育を構想し始める。


医療活動だけでは救えないものを、映画は救うかもしれない

この日のもう一人の登壇者は、教来石小織さん。カンボジアをはじめとする途上国で移動映画館を展開するNPO法人World Theater Projectの代表だ。

英治出版オンラインにて「映画で貧困は救えるか」を連載中の教来石さんは、そのタイトルの通り、ワクチンや食糧など、まず映画より先に届けるべきものがあるのではないか、映画は人々の救いになるのだろうか、という葛藤を抱きながらも活動を続けている。

教来石さんは、ご自身の幼少期の経験や活動の実体験をもって、映画上映は夢の種まき(将来の選択肢を増やしたり、生きる目的を与える活動)であると信じて事業に取り組んできた。

しかし活動を続けるなかで、映画や映像が持つそれ以外の様々な可能性にも気づき始める。

教来石さんは以前カンボジアのある村で、内戦当時の様子を彷彿させる作品を流した。そこは虐殺の加害者であったポル・ポト派の元兵士も共存する村で、村人同士が当時の話をすることは避けられていたという。

しかしこの映画上映をきっかけに、それまで口を閉ざしていたある元兵士が心を開き、「戦争はよくない」と何度も口にするようになったそうだ。

教来石さんは、 黒澤明監督が晩年こんなことを言った、と話してくれた。

映画には必ず世界を戦争から救う、世界を平和に導く美しさと力があるんだよ。

そう、映画は、人を楽しませたり、将来の選択肢を増やすだけではなく、具体的に「人を救う」ことにもつながり得るのではないか…。教来石さんのなかに芽生えるそんな思いに、途上国での医療現場に映画を持ち込んだことがあるシンちゃん先生は共鳴する。

医療現場では、手術前に不安で泣き出す子も多く、さらにそれが他の子の不安を煽り、家族の方々も気持ちが落ち着かず、対応しているスタッフにも負荷がかかり……というような負の連鎖が見られることがある。

しかし、シンちゃん先生が院内で映画の上映会を開いてみると、1週間で約100人の手術を行ったなかで泣いて対応が大変だった子はたった一人だけだったというのだ。不安そうな顔をしたり、少し涙ぐむ子はいたが、みんな落ち着いて手術に臨めていたそうだ。

インドネシアでの震災から2ケ月後に被災地に駆け付けたときには、物理的な緊急支援よりも被災者の精神的な疲労への支援のニーズが高まっていた。そのような場においても、映画は感動を共有する機会になり、彼らの気持ちを和ませた、とシンちゃん先生は言う。一緒に映画を観ることで、即席医療チーム内の関係や、医療チームと患者の関係が近づいたりもするそうだ。

これらの経験から映画が持つ力を感じたシンちゃん先生。カンボジアの人々にメッセージを伝えるには、映像という手がある、と心肺蘇生のアニメーション制作のために動き出す。

「治療を提供し、治すことはとても大切なこと。でも、ただ治療するだけでは、根本的な問題の解決にはならない。健康のための、『命を守る教育』こそが鍵になる……」
「でも、専門家が堅苦しく教育しても、それが本当の意味で普及・習慣化につながるとは思えない。」

そう考えたときに、学歴や健康知識レベルが様々な人々に伝えるのに有効だと思ったのがアニメーション映像だったのだ。

それだけではない。感染症の予防のためにと、「オリジナルの手洗いソング動画」を仲間と一緒に作成し、その歌は病院の全館放送で毎日流され続けているそうだ。

放送後、すれ違う患者に「もう洗ったよ!」とジェスチャーを見せられたり、先輩患者が新入り患者に得意げに教えたりするらしい。カンボジアからの帰国後、「この歌が流れるとシンちゃん先生を思い出します」というメッセージや、「続けているよ」という動画も送られてきたそうだ。授業形式の講義ではこうはいかなかっただろう。

これらをもって、習慣づけや知識定着が成功し、人々の命が守られるようになった、とは安易には言えないだろう。でも、いままで知らなかった心肺蘇生や衛生習慣を認識してもらうことはできている。はじめの1歩が“深刻な認識”ではなく“楽しい認識”だったことで、2歩目(もっと知る/やってみる/やり続けるetc)にもつながっていくことに、期待ができるのではないだろうか。

「医療」という医師による人助けではなく、「教育」という学んだ人が自分自身を守れるようになる人助け。後者は土を耕し種をまくような即効性がない取り組みで、成果は見えづらい。

けれど息の長い教育活動によって、たとえば心臓マッサージに対する正しい認識が広まったら、医療行為への誤解が解け、急病人のもとへ駆け付けられないような状況もなくなっていくのではないか。そういう根本的な問題解決のための芽がいつか出てくることを信じられる。


「プロが出すべき成果とは?」への、いまの私の答え

20代半ばの私にとって“成果”とは数字だった。

ニカラグアでの国際協力、若年妊娠予防教育に取り組んでみると、その成果、たとえば子どもが自身の健康を守れるようになる、人生設計をできるようになる、そして希望せぬ時期の妊娠が減少する…それらは数字ではすぐに見えてこないものだ、と思った。

私が追える成果、それは「授業実施の回数や範囲」だと考え、市内すべての小中学校の12歳以上のクラスや、複数の青少年クラブで性教育の授業を朝から晩まで実施した。教材を複製し、使い方のマニュアルをつくり、現地の先生が実践できるように研修も展開した。

そうして授業や研修の回数も範囲も相当数を積み上げることができた。けれど、これが本当にこの町の人たちのためになったのだろうか。そんな思いを持って帰国し、その疑念と苦しさは未だぬぐえない。

今回お二人の話を聞いたおかげでスッキリ、とまではいかなかった。けれど、教育活動、映画上映活動による「いつかの芽生え」を信じるシンちゃん先生、教来石さんの一生懸命さに、成果を数字だけで見なくてもいいのかもしれない、と思った。

帰り道、ふと前述の黒澤明監督の言葉が気になってググってみると、「映画は必ず世界を戦争から救う」の先に、こんな続きをみつけた。

戦争はすぐに始められるけど、平和にたどり着くには少なくとも400年はかかる。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界中を平和にしてみせるけれども、俺の人生が、もう足りない。
だが、俺が80年かけて学んだことを、君なら60年でできるだろう。そうすると20年は俺より先に行けるぞ。君が無理だったら君の子供、さらにそれがダメなら君の孫たちが少しずつ俺の先を行って、そしていつか俺の400年先の映画を作ってくれたら、その時にはきっと世界から戦争をなくす。それが映画の力だ。
出典:「映画には美しさと力がある」大林宣彦監督が命がけで伝えた巨匠・黒澤明の“遺言”とは(BuzzFeed)

……。

「映画」を「教育」に変えて読んでみたらどうだろう。
そして「国際協力」に変えて読んでみたらどうだろう。

目標が大きいと、その達成という成果をすぐに見ることは難しい。しかし、誰かの活動が次を担う誰かの肥やしになり、それがまた次を担う誰かに影響を与えて……そうして何年後、何十年後に‟成果”が現れてくるのではないだろうか。

プロが出すべき成果とは、壮大なる目標の達成がいつか必ず見られるよう、着実な種まきをすることではないだろうか。

授業の最中に子どもたちが見せてくれた顔を思い出す。伝わるようにと工夫を重ねた紙芝居式の授業やクイズに、「分かった!」という誇らしい顔や「え、そうだったの?」という驚きの表情を見せ、何度も通ううちに「今日はなんの授業?」と目を輝かせて駆け寄ってくる子もいた。新しいことを学ぶ面白さや、「分かるようになった」という小さな成功を味わってくれたかな、と祈るような気持ちになる。

数値で測れる何かが現れてくるかは分からない。けれど、いつかの成果につながる種がまけたのではないか、と信じたくなった。

いま私は国際協力機関にて、開発教育/国際理解教育を広げる事業に取り組んでいる。

文化・価値観の違いは正誤ではないことや、ある物差しで途上国とされた国にも優れた技術や魅力が豊かにあること、島国日本にいては遠くに感じる世界の国々やそこで起きている現象も自分たちと関係すること、だから世界全体で持続可能な社会づくりに歩を進める必要があること……

そのようなことが日本の教育現場で考えられるように教材をつくったり、教員研修を行ったり、出前授業に講師を紹介したり、とそんなことをしている。

これも壮大なる種まき活動。すぐに成果が見えずとも、10年先20年先に芽が出るよう、プロ意識で仕事に邁進したいと思う。

このイベントに参加したみなさんにも、何かの種はまかれたはず。


≪執筆者プロフィール≫
八星真里子 大学時代に創業間もない英治出版でアルバイト。その経験により、社会に価値が提供できれば仕事はある/色んな働き方があることを知る。大学卒業後は、コンサルタント、海外ボランティア、フリーランス、教員などを経て、教育を軸に価値提供を追究中。

≪進谷憲亮さんの情報≫
NPO法人地域医療連繋団体.Needs
認定NPO法人ジャパンハート

≪教来石小織さんの情報≫
NPO法人World Theater Project
連載:映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性

途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。これまで5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。映画より、食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。

第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか
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