「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。(教来石小織)
途上国で移動映画館を展開するWorld Theater Projectの教来石さん。ネパールの二つの孤児院、社会的に抑圧された「ダリット」の人々が住む村、そしてネパールの映画配達人が届けていたもの...ネパールでの数々の出会いから教来石さんが抱いた問いと、そこから見えた移動映画館の新しい可能性に迫ります。
「途上国で移動映画館」の活動を始めてからの忙しさは、派遣事務員の仕事しかしたことがなかった私のキャパをはるかに超えていた。ビジョンに向かってまっしぐらで、心の余裕もなくて、救急車に何度もお世話になり、忙しさを言い訳にいろんな人に無礼を働き、無礼を振り返ることもなく、きっと気づかぬところで何かを失いながら、とにかく走ってきたように思う。
不義理な私に一番無礼を働かれたのはたぶん友達だ。以前はよく遊んでいた友人Mちゃんからの誘いも、団体を立ち上げてからは全部断ってきた。
やっと心と時間に余裕ができて、数年ぶりにMちゃんの家に遊びに行ったら、Mちゃんの娘さん、アオちゃんが大きくなっていた。前は赤ちゃんだったアオちゃんが、ランドセル姿で息を切らして帰ってきて、「ママ、おやつどこ?」と聞く、可愛い小学生になっていた。
「チーズケーキ、トモちゃんにもあげていい?」とお友達のことにまで気を遣えるアオちゃん。Mちゃんはアオちゃんを愛情豊かに育ててきたのだろう。アオちゃんの無邪気な顔を見ればわかる。年を取ると、生き様や性格が顔に出るというけれど、子どもだって顔に出るのだ。
二つの孤児院で気づいた子どもたちの違い
3月に訪れたネパールでは、二つの孤児院を訪問させてもらった。一つは震災で両親を亡くした子が集まる孤児院で、もう一つはストリートチルドレンだった子どもたちが集まる孤児院。驚いたことに、同じ「孤児院で暮らす子どもたち」だけれど、顔つきが全然違った。
前者の孤児院の子どもたちはおそらく、震災前までは両親に愛されて暮らすことができていた。後者の孤児院の子どもたちは、孤児院に保護される前、何らかの理由で親元を出て、路上で物乞いをしたり、ゴミを漁ったり、シンナーを吸ったり、ときに犯罪に手を染めながら、生き延びるためのお金を得てきた子どもたちだ。
そのような過酷な状況を生き抜いてきた元ストリートチルドレンの子どもたちの顔つきはすでに大人びていて、鋭かった。なのに、指相撲でキャッキャとはしゃいだり、映画を早く観たいとせがんだり、仕草や行動は完全に子どもなのだから、なぜか泣きそうになってしまった。
団体では「生まれ育った環境に関係なく、子どもたちが夢を持ち、人生を切り拓ける世界をつくる」というビジョンを掲げているけれど、「生まれ育った環境」がいかに大きいか、ネパールで痛感した気がする。そして「生まれ育った環境」とはつまり、砂漠で生まれたとかジャングルで生まれたとかではなく、「どんな大人がそばにいるか」ということなのだと思った。
路上生活をしていた子どもたちはいま、孤児院で規則正しい生活をして、先生たちやソーシャルワーカーの方たちの愛情を受けて育っている。本当は親がその役割を果たせればいいのかもしれないけれど、親でなくてもいいのだと思う。親でも身近な大人でも、愛情を注いでくれる大人がいるといないでは、子どもの人生は随分違ったものになる。子どもは環境次第で簡単に堕ちるし、そして環境次第で更生できるのだと思った。
その環境をつくるのはそばにいる大人なのだ。
7万人の子どもたちに映画を届けても...
さて驚いたことに、アオちゃんに妹と弟ができていた。数年会わない間に、Mちゃんは3児の母になっていたのだ。
活動を始めて今年で7年目。Mちゃんが3人の尊い命を生み育てていた間に、大切な友人の出産祝いすらできていなかった私は、いったいこの世に何を残せたのだろう。
活動を始めたきっかけや理由はいくつかあるけれど、実はそのなかの一つには個人的なコンプレックスがあった。結婚に失敗したり、癌の検査に引っかかったりと、自分の子どもと縁を持てないコンプレックス。
自分の子どもがなかなかできないのならば、世界中の子どもたちに何かしたいと思った。アイスクリームのように溶けてなくなるものではなく、子どもたちの心や細胞に染み付いて、彼らの人生の支えになるようなものを贈れないかと。
私にとってそれが「映画」だったのだ。
そうして団体として、7年間で約7万人の途上国の子どもたちに映画を届けてきたけれど、7万人の子どもたちに映画を届けたって、一人の子を産み育てる尊さには敵わないと感じてしまうことが多い。たくさんのことを教えてくれる映画が、親の役割を果たすことがあるんじゃないかと思ったこともある。けれど本物の親御さんや、孤児院の先生のように、ずっと寄り添って子どもたちを育てている方たちには到底敵わないと知っている。
私は子どもたちにとって、一瞬映画を届けに来ただけの人で、ただ横顔を見つめることしかできない人なのだ。
だからネパールで見た上映風景は、私にとってちょっとした事件だった。
「不可触民」の村で映画配達人が届けていたもの
ネパールには1年前から、映画配達人として子どもたちに映画上映をしてくれているビノッドさんというネパール人がいる。元公務員で、いまはソーシャルワーカー。貧しい人たちに支援を行うNGOも運営している。ひょんなことからFacebookで団体に連絡をくれて、あれよあれよという間に映画配達人の仕事をやってくれることになっていた。ビノッドさん曰く、「運命」ということらしい。
ネパールに行った目的の一つは、直接ビノッドさんに会うことと、現地での上映の様子を見ることだった。ホテルで待っていると、ビノッドさんと、奥さんのクンティさんがやってきた。写真で見るよりも優しそうなご夫婦で、顔からあたたかさがにじみ出ていたので、ひと目で好きになってしまった。
翌日は村で上映会を行うことになっていた。今日は現地に下見に行って、あとは翌日子どもたちに出すご飯の買い出しに行くという。ネパールで何かプログラムを行うときは、「カジャセット」を出すのが基本なのだそうだ。カジャはおやつやファストフードという意味らしいけれど、日本人から見たら立派な定食の量だ。
小さな食糧品店で、ビノッドさんとクンティさんは、どのお米がいいかなどあれやこれや検討しながら、食材を揃えていった。団体から活動の謝礼をビノッドさんに送金してきたけれど、すべてカジャセットやタクシー代に消えるので、ビノッドさんとクンティさんは、実質無償で活動していたことを知る。
クルマの窓から見えるネパールは、私の目からは貧しく見える。川は灰色だし、ゴミだらけの道にはボロを着てうつろな目でフラフラしている人もいるし、工事が途中で放り出されたのか、いたるところに大きな穴があいている。1時間ほど走ると、「ダリット」と呼ばれる人たちが暮らす村に着いた。
ダリットは、ヒンドゥー教のカースト制度の外側に置かれ、「不可触民」とされる社会の最下層にいる人々で、「抑圧された者」を意味するらしい。カースト制度が廃止された現在でも彼らへの差別は続き、仕事、教育、結婚など様々な場面で不利な状況を抱え、ときに命に関わるような暴力の対象となっている。
ダリットの人たちの職業は、かつての上位カーストが賤視していた「死・産・血・排泄物」に関わる仕事に限定されることが多いという。途上国の子どもたちの夢の選択肢を増やすことが移動映画館を行う大きな理由であるだけに、出生で職業が縛られてしまう現実に心が痛んだ。
上映するのは、言語が違ってもわかるように、すべて言葉のない短編作品だ。TBSがCSRとして行い、アジア各国のクリエイターから優れた短編映像作品を募集する「DigiCon6 ASIA」からご提供いただいた作品はどれも人気だった。オバケと男の子の交流を描いた『オバケのウィリー』は、オバケがワーッとおどかすシーンがある作品で、子どもたちがキャーッと楽しそうに声をあげていた。
「映画によるモラル教育」として上映会を開いているビノッドさんとクンティさんの上映方法は興味深かった。ただ映画を流すだけでなく、一つの短編が終わるたびに、「あれはどうだった?」「あのキャラクターは何を考えていたのかしら?」と子どもたちと対話していたのだ。面白い答えが出てきたら褒めていた。
あたたかい光が射し込む部屋で、子どもたちと笑い合うクンティさんは女神に見えた。みんなのお母さんに見えた。
ビノッドさんとクンティさんは、上映会の数日前から子どもたちのことだけを考えている。子どもたちのために食材を買い、ご飯をつくり、子どもたちに大切なことを教えながら、子どもたちと対話をしながら、ともに時間を過ごす。
子どもたちの人生にとってこの時間は、一瞬の触れ合いに過ぎないかもしれない。でも確かに愛が注がれた一瞬だ。
映画が夢をまくとしたら、映画配達人は愛をまいていた。少なくとも私の目には、確かにそう見えた。皆が集まる映画上映の場は、大人が子どもたちに愛情を注げる場でもあるのではないか。
これまでの7年間、「映画は何をもたらすことができるのか」ばかりを考えてきた。けれど、それを届ける配達人たちの存在自体が、子どもたちに影響を与え、「生まれ育った環境に関係なく、子どもたちが夢を持ち人生を切り拓ける世界をつくる」というビジョンに向かう大きな力なのだと気づいた。
ダリットの村からの帰り道。貧しいけれど自然豊かな田園風景を夕焼けが包み込む。たぶんいままで見たなかで一番美しい夕焼けだった。
※写真提供:古屋祐輔
連載紹介
映画で貧困は救えるか――「途上国×移動映画館」で感じた葛藤と可能性
途上国の子どもたち向けに移動映画館を展開する著者。これまで5万人以上に映画を届けてきた実績とは裏腹に、活動の存在意義を自問自答する日々。映画より、食糧やワクチンを届けるべきではないのか? 映画を届けたいのは自分のエゴではないのか? 本連載では、「映画で貧困は救えるか」をひとつの象徴的な問いとして、類を見ない活動をするNPO経営のなかで感じる様々な葛藤や可能性と真摯に向き合っていく。
第1回:夢だった活動が広がることで、新たに生まれる不安
第2回:ただ生きるためだけなら、映画なんて必要なかった
第3回:映画は世界を戦争から救えるか?
第4回:映画からもらった夢に乗って、いま私は生きている
第5回:スマホとYouTubeが普及しても、移動映画館を続ける理由
第6回:挑戦をやめたらそこで試合終了ですよ。(新年特別企画)
第7回:西日本豪雨に思う――NPO代表の私が無力を感じる瞬間と、支えにしている言葉。
特別回:【3つの動画で知る!】途上国で移動映画館を行うWorld Theater Projectの活動
第8回:映画で少数民族が抱える課題に挑む――代表の私には見えなかった新しい活動の可能性
第9回:オフ日記「いつでも歩けば映画に当たる」
第10回:「ネパールで生まれた僕は夢を持てない」
第11回:「生まれ育った環境」とは何か。——ネパールで考えた問いと、移動映画館の新しい可能性。
第12回:【最終回】映画で貧困は救えるか
著者紹介
教来石小織(きょうらいせき・さおり)
NPO法人 World Theater Project 代表。日本大学芸術学部映画学科卒業。2012年より途上国の子どもたちへの移動映画館活動を開始。カンボジアをはじめとした世界各国5万人以上の子どもたちに映画を届けてきた。俳優・斎藤工氏の呼びかけで製作した世界中どこででも上映できる権利フリーのクレイアニメ『映画の妖精 フィルとムー』(監督:秦俊子)は、世界各国の映画祭で高く評価され、「2018年度グッドデザイン賞」を受賞。日本武道館で行われた「みんなの夢AWARD5」優勝。第32回人間力大賞文部科学大臣賞受賞。著書に『ゆめの はいたつにん』(センジュ出版)。(noteアカウント:教来石小織)
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