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「話す力」は本人だけの問題ではない。取り巻く環境をどう変えていくか(編集後記)

連載『「好き」を言語化しよう』をご愛読いただきありがとうございました。2019年4月に始まったこの連載は、8月23日に最終回を迎え、翌週の30日にフィナーレとなるイベントを開催し、完結となりました。
この記事では、連載の担当編集者である英治出版・上村が、著者・竹内明日香さんとの出会いから連載を通じて感じたことまでを、編集後記として綴りました。

なぜこの連載は始まったのか──「話す力」は自己肯定感につながる

本連載著者の竹内明日香さんは、実は英治出版オンラインが主催したイベントの「いち参加者」でした。

日本ブラインドサッカー協会事務局長の松崎英吾さんに講師を勤めていただいた『NPOのための商品・サービスの作り方・売り方』で、たまたま私とテーブルが同じだったことがご縁の始まりです。そのときはもちろん、まさかこの方が将来の著者になってくださるとは思ってもおらず。

今度の大会に向けて準備しているプレゼン、試しに聞いてみてフィードバックをもらえませんか?

ワークショップ終了後、竹内さんはそう私に声をかけてくれました。

ご自身が設立し代表を務められている一般社団法人アルバ・エデュは、子どもたちの「話す力」「プレゼン力」を育む出張授業を公教育の場に届けに行く活動をしている団体です。竹内さん含め、スタッフのみなさんが地道に授業を届けてきた子どもたちの人数は、大学生から幼稚園児まで延べ18,500人を超えるといいます。

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そんな「プレゼンのプロ」である竹内さんが、あんなにも謙虚な姿勢でプレゼンへのフィードバックを求める姿に感動したのをよく覚えています。

どんなに良い想いやアイデアがあっても、伝えるところでしくじってしまっては何も起きない…かつて、プレゼンを支援していたクライアントのそんな悔しい場面を何度も目の当たりにし、竹内さんは決心したそうです。

これからの日本のためにも、「話す力」は子どものうちから鍛える必要がある!

そうして5年前からこの活動を始められました。活動の始まりの想いについては、ぜひこちらのインタビューもご覧ください。


詳しくお話を伺ううちに、出張授業が育むものは子どもたちの「話す力」だけに留まらない、ということを知りました。

それは、子どもたちの「自己肯定感」です。

ある授業の前後で「自分に自信がありますか?」というアンケートを取ったところ、「自信がある」と答えた児童の割合は30%から44%に上昇したそうです。この結果を聞いて、私は大きな希望を感じました。

「人がもっとも恐れるもの」を聞いたところ、「死」や「病気」をおさえて1位に挙げられたのは「人前で話すこと」だった、という統計があるそうです。

画像7(提供:一般社団法人アルバ・エデュ)

人前でうまく話せなかった経験は、一発でトラウマになり得る。その反対に、一度でもうまく話すことができた経験は、プレゼンの場に限らない、もっと広い意味での人生の自信につながることもある。

「話せた」「伝わった」という経験はそれくらい影響力を持つものなのではないか。それを小さいうちに体験できることの可能性はとても大きいのではないか。

そんな想いが、「竹内さんの活動を応援したい」「ぜひ連載を綴っていただきたい」と思った大きな理由でした。

アワード2018 (1)


「正しさ」よりも「好き」を語ることはなぜ大事なのか?

出張授業で訪れる教育現場で、竹内さんはある課題意識を抱いたといいます。

それは、教育課程のなかで次第に周囲をうかがった「正しさ」ばかりを語るようになっていってしまう子どもたちの姿だったそうです。対して、いきいきしたプレゼンには、話し手の主観的な「好き」があふれている。

子どもたちにもっと、堂々と自分の「好き」を語れるようになってほしい。

そんな竹内さんの想いから「好きの言語化」の力を探求していただいてきたのがこの連載でした。

連載バナー(本文入れ込み用)_竹内さん

「好き」という概念そのものについての思索。
「好き」を活かして力強いプレゼンを生み出す具体的な方法論。
社員の「好き」を大事にすることで勢いを保つ企業の話....

そうした「切り口の多様性」に加え、編集者として毎回「面白い!」と思わされてきたのは「事例の多様性」でした。

ときには「サッカーのメッシ選手と大迫選手の走行距離の比較」を行い、ときには「隕石による恐竜絶滅説が生まれた背景」を引っ張り出す...

それらの多様な引き出しには、竹内さん自身の強い好奇心から生まれる、幅広い分野への「好き」の気持ちが表れているような気がしました。


そうして探究してきた本連載のフィナーレとなったのは、8月30日(金)に渋谷のBOOK LAB TOKYOで行われたトークイベントです。イベントタイトルはずばり、

「正しさ」よりも「好き」を大事にする社会をどうつくるか

お迎えしたゲストは、アルバ・エデュの活動を導入したり、竹内さんにアドバイスを送ってきた、共感者のお二人です。

成澤さん成澤廣修(なりさわ・ひろふみ)
文京区長。1966年生まれ、文京区本郷出身。明治大学公共政策大学院修了。
1991年、当時全国最年少の25歳で文京区議会議員に初当選。区議を4期務めた後、2007年4月に区長に初当選(現在4期目)。2010年4月、地方自治体首長初の育児休暇を2週間取得し、話題となった。現在、特別区長会副会長、跡見学園女子大学兼任講師、明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科兼任講師等も務める。
横尾さん横尾敬介(よこお・けいすけ)
日本興業銀行(現みずほフィナンシャル・グループ)入行。30代で6年間のニューヨーク支店勤務。 同行名古屋支店長を経て、新日本証券と和光証券との合併による新光証券の発足に尽力。その後、みずほ証券取締役社長に就任し、一貫して日本の金融界のグローバル化に携わる。2015年より4年間、公益社団法人経済同友会副代表幹事を務め、現在は同終身幹事。複数社の社外取締役や会長を務める。

文京区長である成澤さんによる「行政」の視点。
経済同友会の終身幹事や様々な企業の社外取締役を務めてこられた横尾さんの「ビジネス・経済」の視点。
そして、教育現場を数多く回られてきた竹内さんの「教育」の視点。

多角的な視点から「好きの言語化」の力を探るという会でした。


まずは大きな時代の流れを俯瞰しながら、いまなぜ「正しさ」よりも「好き」の力が求められるのかが語られました。

※以下敬称略
横尾:「正しさ」と「好き」は対局にあるものだと思っています。「正しさ」は暗記型につながる発想。「正しい」ということの前提は、「答えがある」ということですよね。それを一生懸命探そうとするので、思考停止になってしまう。対して「好き」には主体性があり、自分が好きなことを考えるというのは思考型なんですよね。この違いが大きいんじゃないかと実感しています。

「正しさ」を重視した暗記型の教育は、戦後敗戦から日本が奇跡の成長を遂げたときには合っていました。というのは、経済は右肩上がりで、過去に学習したことが未来に通じるからです。簡単だし、効率が良かった。ところがバブル崩壊以降、1990年代に日本が低迷した理由はここにある気がします。先の見えない世界では、暗記型では無理なんです。考えなければいけない。ところが考えるということは、戦後40~50年の長い間、日本人はあまり訓練されてこなかった。

竹内:「正しさは暗記型」というのは仰る通りだと思いました。暗記してきた過去の正解は、連続性のある世界であれば通用したでしょうけど、いまの時代ではあっという間にひっくり返ってしまう可能性があります。

頭が良くて、良い点数が取れて、いい大学を出たからといって、そこにどこまでのパワーがあるのかと思っています。正解を探る力よりも、よっぽど「好き」の気持ちのほうが世のなかを変えていくし、新しい世界を拓くのだろうと思うんです。

その「好き」を言いづらい世のなかだと、技術革新も起こらないし、経済成長も阻まれる。自分の主観を強く言えない風潮と、日本が30~40年の停滞に陥っていることは、かなり相関関係が強いんじゃないかと思います。好きなことをもっと言えれば、色々な革新が起きると感じます。

お二人のお話から、「正しさ」と「好き」の間にある二つの違いが浮かび上がったように感じました。

(1)時:
「正しさ」は過去と照らし合わせ、「好き」は未来を照らし出す
(2)主体性:
「正しさ」の基準は外部にあり、「好き」の基準は内部にある

VUCA(変動的・不確実・複雑・曖昧)の時代と言われるいま、「過去から学ぶ」ことは有用であっても、「過去に倣う」ことには危うさがあるのではないかと思わされました。客観的な過去のデータから最適解を導きだすことは、今後ますますAI頼りになっていくと言われるなか、主観的な「好き」にこそ人間らしいパワーが宿るのではないか。

自身のなかにある「好き」を尊重し、さらにはそれらを組み合わせることによってイノベーションが起きてきたという事例を、竹内さんは以下の記事のなかでも語っています。


上記のようなマクロな視点のみならず、話題は「個人」というミクロな視点にも及びました。

成澤:行政の現場で区民から意見をいただくなかで、ずっと気になっていたことがあります。それは、「(私たち)区民は」という言葉。三人称で語る人が多いのです。「それってどこにいるんですか?」といつも思ってしまいます。

LikeでもLoveでも、「好き」を語るときには一人称になりますよね。一人称で「私はこう思うんだけど」という提案を受けると、「自分の知らない何かを教えてくれるんだ」と思って聞く耳を持とうと思う。だけど「区民は」と言われると、なかなか聞く気になりづらいのが本音です。「それってどこにいるの? あなたの意見でしょ?」という気がして。

竹内:一人称の話が出ましたが、日本の国語の授業では、筆者の意見や主人公の意見しか問われないんです。行間を読んで、何文字で書きなさい、みたいな。なかなか「あなたはどう考えますか?」ということは問われない。

「大勢の意見の総意」よりも「一人の主観」のほうが響く...それを20万人以上が暮らす文京区のトップである成澤さんの口から語られたことは、とても興味深いと感じました。

「区民は」という三人称や、一人称であっても「我々」という複数形には、どこか自分の発言の責任を薄める意図も感じられます。一方で「私は」という一人称単数形には、発言の責任も引き受けたその人の切実な想いが宿る。

編集者という立場からしても、中途半端に客観的なことが綴られた文章よりも、執筆者の主観が思い切りよく表れている言葉のほうが、心にズシンと響くことが多々あります。

人を動かす強烈な主観。

それは何かに照らし合わせた「正しさ」以上に、本人に宿る「好き」の気持ちに表れるのではないか。だとすれば、竹内さんの活動である「好きの言語化のサポート」は、人を動かす主観を育む有力な手段なのかもしれません。

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好きの言語化を阻む「評価」の力とどう向き合うか

この連載と向き合うなかで、私のなかにずっと、ある疑問が浮かんでいました。それは、

「話す力は、はたして本人が鍛えるだけで済む問題なのか?」

ということです。

どんなに本人が話す力を身に付けたとしても、「出る杭は打たれる」風潮や、画一性を求める教育環境のなかにあっては、その芽を伸ばし続けることは難しいのではないか。

実際に、竹内さんが活動の初期に開催していた公募型のワークショップでは、参加した本人たちの話す力が向上したとしても、いざその子がクラスに戻ると周囲から浮いてしまい、いじめに近いことまで起きてしまったといいます。

「本人の能力」だけでなく、「周囲の環境」にもアプローチする必要があるのではないか。

イベントでは、そんな私の問題意識に触れる話題も挙がりました。そこで出てきたキーワードは「評価」です。

竹内:「自分の考えをプレゼンして」と言ったところで、やはり教育現場では摩擦が起きます。子どもたちは混乱するし、教員の方々からは「どうやって評価するの?」という第一声が出てきます。

プレゼン授業のとき、子どもたちが話している横で、先生方は一生懸命「ABC」をつけています。「先生、やめてください! 評価するのではなく、褒めましょう」と言うと、「竹内さん、じゃあどうやって成績をつけるんですか?」と言い返されてしまいます。保護者から成績に関して問い合わせられるからです。

横尾:アメリカに6年間住んでいたことがありました。そこで見た学校では全員がGood、抜きん出ている子だけがExcellentでした。評価するつもりがないのです。

成澤:社会がすごい早さで変わっていくのと同じ速度で、人に対する評価の方法を変えることが必要だと感じます。技術だけが先に進んで、知識偏重の「正しさ」ばかりを評価基準にする社会が残ってしまったら、その技術を使いこなせる人たちは生まれてこないでしょう。


これらのお話から、教育現場において「二つの評価の恐れ」が生まれ得るのではないかと感じました。

一つは、保護者への説明責任として、可視化しやすい評価をしなければいけないという教育者の恐れ。
もう一つは、その可視化される評価を受ける子どもたちを、正解主義に走らせてしまう恐れ。

この「評価の力」と向き合うことは、子どもたちの好きの言語化を推し進める上で、避けては通れないのではないか。

そう考えたときに、出張授業という形で自ら教育現場に赴くアルバ・エデュの活動の、新しい意義に気づきました。

それは、「評価」をする教育者たちとの対話の機会です。

連載の最終回の記事にも、先生たちとの粘り強い対話によって、竹内さんの想いや活動への理解が育まれていく様子が描かれています。これは、子どもたちをワークショップに招くのではなく、泥臭く直接教育現場を訪ねるスタイルだからこそ為せることなのだと思います。

子どもたちのそばに一番長くいる大人は誰か。
それは、親と先生ではないでしょうか。


この連載が、親や先生という立場にある人、あるいはその立場にこれからなる人にとって、より子どもたちの可能性を拓いていく環境づくりに意識を向けてみるきっかけになれば幸いです。

アルバ・エデュには、実際に子どもたちにプレゼン授業を行える認定資格の制度もあります。竹内さんの活動に共感された方は、ぜひそちらにもチャレンジしてみてください。


≪竹内さんの今後の活動を知るために≫

▼アルバ・エデュHP

▼アルバ・エデュFacebookページ

≪連載紹介≫

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連載:「好き」を言語化しよう(フォローはこちら
道徳の教科化が始まり、「忖度」が流行語となる時代。善悪の判断や他人への配慮が問われる一方で、飛び抜けた活躍をする人たちはみな、自分自身の「好き」を表明し、徹底的に追い求めている。社会を動かすのは、正しさ以上に「好き」を原動力にしている人たちではないだろうか。
この連載では、国際舞台で戦う日本企業の発信を長年支援し、4年間で延べ15,000人以上の子どもたちに「話す力」を育む出前授業を行ってきた著者が、自らの「好き」を言語化する力の可能性を、プレゼンやチームづくりなどの様々な場面における効用を示しながら探る。

インタビュー:「話す」ことに苦労した子どもが、子ども向けプレゼン教育のプロになった
第1回:なぜ「好き」を語る子どもが「正しい」を語りたがる大人になるのか
第2回:「聴き手のため」を考え抜いたプレゼンは本当に強いのか?
第3回:プレゼンもキャリアも特別なものにできる、「好きのかけざん」の力
第4回:日本の20代の好奇心はスウェーデンの60代並み!?
第5回:「不得意だけど好き」と「嫌いだけど得意」はどちらが強いのか
第6回:強いチームは「苦手」を克服させない
第7回:勢いのある企業が社員の「得意」よりも大事にしていること
第8回:なぜ結婚式の主賓スピーチはつまらないのか
第9回:人に刺さり、人が集まる「S字の自己紹介」
第10回:日本で起業家が少ない、見過ごされがちなもう一つの理由
最終回:「好き」を語る子どもであふれる未来は、私だけの夢ではなくなった
編集後記:「話す力」は本人だけの問題ではない。取り巻く環境をどう変えていくか

≪連載著者≫

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竹内明日香(たけうち・あすか)
一般社団法人アルバ・エデュ代表理事。株式会社アルバ・パートナーズ代表取締役。
東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャル・グループ)にて国際営業や審査等に従事。(株)アルバ・パートナーズを2009年に設立し、海外の投資家向けの金融情報提供や、日本企業向けのプレゼンテーション支援事業を展開。さらに、子どもたち・若者たちの話す力を伸ばすべく、2014年に(社)アルバ・エデュを設立、出前授業や教員研修、自治体向けカリキュラム策定などを精力的に行っている。2019年3月現在、延べ150校、15,000人に講座を実施。2014年、経済産業省の第6回キャリア教育アワード優秀賞受賞。2018年、日本財団ソーシャルイノベーター選出。日本証券アナリスト協会検定会員。

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