ずっとオンライン──『孤独の本質 つながりの力』一部公開⑤
初めてフェイスブック、ツイッター、インスタグラムに登録したとき、友人たちとのつながりを保ち、コミュニティ内の会話に参加できる素晴らしい手段だと思った。最初のころは、長らく連絡をとっていないクラスメートや友人たちをフェイスブックで見つけ、笑顔でこちらに微笑みかける写真のなかの顔を眺めて幸せな気分に浸っていたのを覚えている。
しかし、多くの友人たちとオンラインでつながれるのは素晴らしいことだったが、私が望んでいたような充実した会話があるわけではないことも分かった。それどころか、友人たちが投稿するワクワクするような冒険、立派な昇進、目覚ましい達成をじっくり眺めながら、そうした時間の25パーセントは刺激を受けたが、自分がダメな人間だと感じずにいられる時間はまったくなかった。
ある友人いわく、ソーシャルメディアの投稿をチェックすることは、みんなの最高の日と自分の平凡な日を比較するようなものなのだ──どうしても自分は足りない人間だと感じてしまう。
他にも戸惑うことがあった。
最初は、自分の経験や考えを友人たちにシェアしようとSNSに投稿を始めた。だがほどなくして、どれだけ多くの人が「いいね!」やコメントやシェアをしてくれるかばかりを気にしている自分がいた。
9・11から何年目かの日に当時のことを振り返る投稿をしたが、その投稿に「いいね!」を押してくれているか何度もチェックしているうちに、この投稿に注いだ純粋な気持ちが薄れているのを感じた。
SNSは心からの表現を空虚な行為に変えてしまったのだ。そんなふうに承認を求める自分に嫌気がさした。
結局、私は距離を置くことにした──投稿を控え、フィードをチェックすることもやめたのだ。SNSへの参加は残念な結果に終わり、手を引くことにしたのだった。携帯から各種アプリを削除し、パソコンのアカウントからはログアウトした。
その後数日は、本能的にフィードをチェックしようとしたり、何か見逃しているのではないかと思ったりしてむずむずしていたが、次第に気にならなくなり、世界からのデジタルな承認を追い求めることにも関心がなくなっていった。これがどれほどの解放感であったか、いくら強調しても足りないほどだ。
SNSからは何ヶ月も離れていたが、私はかなり限定的な条件を設けて復帰した。本当に心が動かされたときだけ投稿することにしたのだ(たとえば妻のアリスがケンタッキー州ルイビルでおこなった、感動的な心温まる講演などがそうだ)。
そしておそらくより重要だったのは、コメントや「いいね!」やリツイートをチェックしないと決めたことだ。フォローする人数を大幅に減らして、つながりの感覚や世界への理解を豊かにするような投稿が中心になるように整えた。こうした条件でSNSとうまくバランスをとって付き合っていけるかは、いまも実験中だ。判決はまだ下っていない。
デジタル技術との共生を深めることによる社会全体の心理的な代償と恩恵についても、判決はまだ下っていない。
2019年1月、オックスフォード大学の研究者であるエイミー・オーベン博士とアンドリュー・シュビルスキ博士[1]は、デジタルスクリーンタイム(デジタル機器の画面を眺める時間)は青年期の社会活動の健全性にマイナスの影響を与えるが、それは全体から見れば非常に小さな影響であるという驚くべき調査結果を発表した。35万人以上の青年期の男女のデータを分析した結果、デジタル技術の使用よりも、マリファナの使用やいじめのほうがはるかに有害であると結論づけた。
それ以前には、シュビルスキおよび同僚のネッタ・ワインスタイン博士が、スクリーンに向かう時間の長さで影響度合いに違いが生じることを明らかにしている[2]。この「ゴルディロックス仮説」によると、思春期の子供たちが1日に1〜2時間スクリーンを眺めて過ごしても精神の健全性は損なわれないようだが、それ以上だと有害になる可能性があるという。
興味深いのは、スクリーン使用時間がゼロの子供は、適度に使用している子供よりも悪影響を受けているらしいという点だ。これはおそらく、周りのみんながネットを利用している世界で、自分だけそこに参加しないと疎外や孤立の感覚を生む可能性があるからだろう。
2017年、ピッツバーグ大学で教授を務めるブライアン・プリマック博士らのチームは、SNSの過度な利用が孤独につながって害をもたらす可能性があることを示す、別の証拠を突き止めた。
彼らは19歳から32歳までの被験者1787人を調査した。一方のグループには1日に2時間以上SNSを利用してもらい、もう一方のグループは30分以下に制限した。そして全員に、次の状態がどれだけ当てはまるか、あるいは当てはまらないか、段階評価をしてもらった。
仲間はずれにされているように感じる
自分のことをほとんど知られていないと感じる
周りから孤立しているように感じる
周りに人はいるが、心は寄り添っていないように感じる[3]
この研究者たちが突き止めたのは、SNSのヘビーユーザーは、使用頻度の低いグループに比べて孤独を感じる割合が2倍高いということだった[4]。この調査結果は、SNSのヘビーユーザーのほうがうつ病になりやすいことを明らかにした類似研究[5]と同様の問題を示すものだった。
こうした研究結果はどれも、あの「鶏と卵のどちらが先か」という疑問を呼び起こすものだ。孤独でうつを抱えた人がSNSに逃げ込もうとしているのか? それとも、SNSの過剰利用が人を孤独やうつにするのだろうか?
SNSの利用が孤独やうつを増幅する要因であると考えられるが、それを証明するにはさらなる調査が必要になる。また、こうしたプラットフォームはとても広く普及しているうえ、かなり若い時期から利用されているため、厳密な研究管理を確立するのはとても難しい。
エイミー・オーベンは、人間に対するテクノロジーの影響の全貌解明が「まだ本当にごく初期段階」にあると強調している。彼女と会ったときは、デジタルメディアの利用状況に関するデータの多くは企業が独自に収集しているものであるため、研究者たちが簡単にアクセスできるものではないのだと語っていた。そのためテクノロジーの影響を解明していくのがさらに難しくなっているという。
それから、彼女はスクリーンが付いた機器を「どれだけ」使うかよりも、「どう」使うかのほうが重要かもしれないと指摘している。影響を受けやすい子供の場合、不適切な環境で有害なコンテンツを数分間見るだけで壊滅的な影響となりうる。一方で、豊かな家族体験の一環として1時間スクリーンに向かうことは、とても良い影響を与える可能性もある。
「問題は、スクリーンに向かう時間にばかり気をとられて、そのコンテンツや、技術の種類や、利用する動機についてはあまり気にしていないこと」だと彼女は言う。
こうしてテクノロジーのさまざまな側面を見てみると、テクノロジーの影響にはプラスとマイナスの両面があることがますます明らかになる。
SNSは充実したつながりを発見するのに役立つ。これまで孤立していたり疎外されたりしていたコミュニティに属していた人たちにとってはなおさらだ。しかし環境が不適切である場合、必要以上に比較をしたり、いじめを誘発したり、高かった人間関係の質が低下したりすることで、孤独感を悪化させる可能性がある。
しかし、これらのプラットフォームをバランスよく利用するのは簡単なことではない。
SNSは私たちの社会生活や仕事のなかに組み込まれている。記者である場合、ツイッターを一切見ないというわけにはいかない。新しい仕事を探している場合、プロフィールを作ったり、リンクトインに登録したりすることが不可欠かもしれない。家族や友人が人生のビッグイベントや集まりを告知するのにSNSを使っている場合、そのプラットフォームに参加していなければ何も知ることができないかもしれない。
加えて、最近のSNSプラットフォームは、人間の行動や脳科学に対する高度に洗練された理解をもとに開発されている。ソフトウェアエンジニアたちは、ユーチューブの自動再生、スナップチャットの連続更新記録、インスタグラムやツイッターやフェイスブックの通知機能など、あらゆる技術を駆使し、ユーザーをコンテンツに引き戻しつづけ、可能なかぎり長く注意をつなぎとめようとしている。
ほとんどの場合、成功しているアプリの経済的な指標は、オンラインでの交流の質ではなく、純粋な利用量だ。人がそのプラットフォームに滞在すればするほど、たいていは広告という形を通して収益が大きくなる。言い換えれば、私たちの時間はソーシャルメディアにとって金に等しいのだ。このようにして、アプリはアテンション・エコノミーの代表的な製品となっている。
みずからの意志の力で適正に利用するのがユーザーの責任ではないか、と思う人もいるだろう。理屈で言えば、それは正しい。しかし実際には、それを実行するためには何千年にもわたって磨かれてきた根深い行動本能に打ち勝つ必要がある。
多かれ少なかれ、私たちはみな新しいものが好きであり、インターネットはまさに新しいものに満ちている。リンクをクリックすると、たちまち新しいサイトや、新しい製品や、新しいバーチャル体験へと送られる。メッセージを送ったり投稿をしたりすると、フォロワーや友人たちがほとんど瞬間的に反応する。
ネットの技術によって可能になったこのスピードは、急かされているような感覚や自分は重要人物だという感覚を芽生えさせ、まるで世界中が固唾をのんで自分の次なる投稿を待っているかのような気分にさせる。このスピードは反応への期待も生むため、自分の投稿に対する反応が遅いと拒絶されたような痛みを感じる。
このインターネットのフィードバックループは新たな求愛者のように魅力的に感じられるものであり、まさに恋愛や友情と同じ脳の報酬システムに依拠している。人によっては、この効果は抗いがたく、しかもきわめて気軽に使えるため、対面でのやりとりが次第にネット上での関係に取って代わられていく。
いったい何度、5分だけと思って友人の投稿をチェックした結果、1時間も費やしてしまったことだろう。フェイスブックで友人にメッセージを送り、プロフィールからプロフィールへと飛んで、ほとんど知り合いでもないような人の猫や食事や旅行の様子を眺める。
こうしたオンラインでのちょっとした探索は単なる気晴らしだと自分に言い訳している人もいるかもしれないが、そうした行動は現実世界で家族や友人と過ごせるはずの時間を奪っている。
◆公開予定◆
①依存症、暴力、うつ──多くの問題をつなぐ黒い糸(はじめに)
②孤独にまつわる調査(「第1章 目の前にあるのに気づかないもの」より)
③生死に関わる問題(「第1章 目の前にあるのに気づかないもの」より)
④孤独のパラドックス(「第2章 孤独の進化史」より)
⑤ずっとオンライン(「第4章 なぜ、いま?」より)
⑥神経科学から見る「奉仕」の効果(「第5章 孤独の仮面を剥がす」より)
⑦思いやりを、行動に(「第8章 ひとつの大家族」より)