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雷龍の国に学ぶ――『国をつくるという仕事』特選連載4(西水美恵子)

元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。分野や立場を問わない様々な方たちから、「本気のリーダーシップ精神に火が付いた」という感想をいただいてきた本書から、10周年を機に特選した10のエピソードを順次公開いたします。
今回は、西水さんが「世界で一番学ぶことが大きかった国」と評するブータンの歴代国王が主導した数々の改革を綴る「雷龍の国に学ぶ」をお送りします。

(注)本文中の漢数字は、WEB掲載に際し読みやすさを考慮して算用数字に改めた部分があります。また、数値データはすべて執筆当初のままとなっています。


1 理想像の理想像

机上に一枚の写真がいつもある。ジグミ・シンゲ・ワンチュク雷龍王、すなわちブータン国王。小学生の幼きゆえに率直な問いを、真剣に聴き終えた国王が、ふと考え込んだ瞬間をとらえたのだろう。国王の人柄が滲みでている。この写真は、人の上に立つ仕事に就いてしまった私を、傲慢だと叱り、謙虚な姿勢が足りぬと諭し、改革に挑戦する勇気をもてと励まし続けてくれた。

画像3小学生の問いにふと考え込むジグミ・シンゲ・ワンチュク雷龍王4世(写真提供:ブータン王室)

「雷龍の国[1]」ブータンのことをつづろう。世界で一番学ぶことが大きかった国だ。

企業の運命は指導者に大きく左右されるが、それは国家も同じこと。世界銀行での「悟り」はそこに尽きた。指導者の資質が国のガバナンス(統治管理)のよしあしを決め、良いガバナンスは貧困解消を促進する。一世代で貧しさを断ち切ることも、決して夢ではない。

仕事柄、多種多様な指導者に出会った23年間、リーダーシップ理想像をいつも継ぎはぎ細工にしていた。人を引きつけるビジョンと情熱。右ならえをせぬ勇気。人の上に立つは下に居ることと知る謙遜。異なる視点や反対意見を重んじる寛容。信念鉄の如く、ほれぼれするほどつながる頭とハートと行動。まことの力は、自ら権力を放棄してこそ授かるものと熟知する人徳。まとめてカリスマ、重量感。そんな指導者などこの世にいないと思っていた。

ところがいたのだ、ブータンに。それも一人や二人どころではなかった。


副総裁就任(1997年2月)前夜、ジュネーブの晩餐会で「カリスマ」ブータン人に初めて会った。ある国際会議に出席していた代表団だった。数年後には首相や大臣となる彼らから「国民総幸福量」という考えを教わった。食事をとるのも忘れ、目を丸くして聞き入る私を楽しそうに見ながら、彼らはこう言った。「援助はありがたい。が、自立精神を傷つける危険をはらむ。我が国の開発戦略は、援助からの速やかな卒業を一つの目標としている。このこと、新副総裁として心してもらいたい」。そして皆、口をそろえて、卒業予測年度まで堂々と言い放った。我が意を得たりと感動し、就任後初の現地訪問は大国インドをさしおいてブータンからと約束した。

それもあってか、1997年秋、パロ国際空港に降り立った瞬間、重量感のあるオーラを意識する。人のカリスマは直感できるが、国にそれを感じるのは不思議と、びっくりしたのを思い出す。

大臣、役人、県知事、村長、民間経営者らはもとより、農民、僧侶、教師、医師、果ては小学生まで、毎日出会う「リーダーシップ理想像」に、驚き続けた。そして彼らの筆頭、理想像たちの理想像が、「雷龍王」だと知った。

世銀の株主は加盟国の国民で、途上国株主の過半数は声なき貧民。政治的に無視されがちな彼ら「株主」の声を汲み取るのが仕事、権力者との喧嘩が役目、と肝に銘じていた。ゆえに、大問題がない限り国家元首との会談は求めない。だから、到着早々「雷龍王が謁見(えっけん)を賜る」と聞いて「残念、まだ喧嘩の種がない」と笑い、世銀史上初めてだと諭されて「日本女性の特権」とまた笑って、大蔵大臣を困らせた。権力者には驕(おご)りがつきものだから、種は謁見中に見つかるはずと密かに高をくくっていた。見当違いもいいところだった。

首都ティンプーの北部、街並みが田畑に移り変わる辺りの川沿いに、タシチョゾン(栄光ある教えの砦)がたたずむ。末広に地を踏む四方櫓風(やぐら)の白い砦はヒマラヤの如く巨大なのに、ベンガラの屋根に金の宝輪の線が軽く優雅で、城はまるで羽ばたく鳳凰のように見える。白壁に並ぶ木組みの窓がなぜか懐かしい。陽当たりのいい中庭には薔薇が咲きあふれ、秋風が薫る。回廊の壁には、国中から集めた草木や石土の色で描かれた吉祥紋[2]や仏画が躍る。この麗城に、国王の就務室と主だった役所が、ブータン仏教の総本山と聖俗同居する。

迎えてくれた国王の手が凍るように冷たかった。海抜2,400メートルの謁見室をぐるりと見回して、片隅の窓際にできた小さな日だまりへ「ここが暖かい」と導く国王。貧しい民を想って丸太小屋に住み、暖をとれない人々を案じて真冬も火の気なしの生活、と半信半疑に聞いたことをふと思い出した。

「人の世に不変なものは変化のみ」と前置きして、国王は政治改革の話題を選んだ。君主制度は、もう国民のためにならない。国の将来は民の選択に託すべきだ。問題は、民主主義の可否ではなく、具体的にどういう民主主義の形を選ぶかだ。各国の経験から長所をとり入れ、短所を学び、我が国の歴史と文化に適した民主主義をつくりあげねばならない。世界各国の憲法は手に入るものは全部読んだ、日本の憲法も英訳を読んだ、と国王は私を驚かせた。

改革は世の常、逆らえるものではない。積極的に先取りするほうが賢いのに、国民は今のままでいいと反対する。国王になりたくてなったのではない。偶然この命に生まれただけ。自分がもし悪王だったら、我が民はどうするのかと、まるで堰(せき)が切れたように話し続ける雷龍王に、計り知れなく深く厳しい、指導者の孤独を感じた。

一瞬、国王の孤独が自分の小さなそれと重なって、私の堰もぷつりと切れた。世銀職員の意識改革をねらい、反対を押し切って始めた「文革[3]」の9カ月間、誰にも言えなかった戸惑いや悩みが言葉になって、こぼれ出ていく。確信と疑惑、希望と恐れ、喜びと悲しみ、成功が生む過ち、誤りが恵む成功、そして夢まで襲うどうしようもない孤独。国家の改革とは比べものにならないと謝っては語り、語っては謝った。

肩の荷がふと軽くなるような、気持ちのいい会話が続いた。政治のことは不勉強だけれど、悪者が国王になる確率が5割では、ブータンのリスクが高すぎると言ったら、国王はまるで我が意を得たかのように高々と笑った。心配無用、世銀からの借金は、約束を必ず守る我が民が最後の一銭までしっかり返済すると、さも楽しそうに笑った。

謁見はこちらから退くのが礼儀と念を押されていた。時間切れの合図に入る側近を制し続ける国王に「秘書官の泣き顔をご覧あそばせ」と、苦笑いを誘って終了。でも本当は、礼儀を欠いても延々と話し込みたかった。


昭和天皇に会った人々は、人柄に打たれ感動したと口をそろえて言うが、わかる。マッカーサー将軍が、自分の一身はどうなっても構わない、ただ国民を救ってやってほしい、と言う天皇に「雷に打たれたような」衝撃を受けた、とどこかで読んだ覚えがある。それもわかる。ちなみに、平和と国民の幸福を祈り象徴に徹した昭和天皇を、雷龍王は心から尊敬していた。崩御のときの悲しみは、まるで父を亡くしたようだったと聞く。

たいそうお喜びだったとフィードバックする大蔵大臣に「雷龍王の雷に打たれ、魂が洗われ、勇気のお土産まで賜った」と報告。だまって深くうなずいた大臣の目に、なぜか涙が光っていた。

翌年。国中に轟き渡る雷龍王の雷が、人々を驚かせた。国王は、国家元首の役目を新内閣議長(首相)に譲り、国家安全保障責任以外の行政権限を内閣に委譲。信任投票による国王弾劾法案を国会に提出した。ブータン政治改革の歯車が動き出した。


2 賢君の悲しみ

どの国も、政治の歴史は改革の歴史。ブータンも例外ではないが、ただ先取りがうまい。我が国のように痛みがひどくなるまで改革を怠り、治療はさらに痛いからと妥協、「癌に絆創膏(ばんそうこう)」のようなことはしない。

ブータンに関する学術書は分野に限らず少ないけれど、レオ・E・ローズ、カリフォルニア大学名誉教授著『ブータンの政治』(山本真弓監訳、乾有恒訳、明石書店、2001年)が光る。英語の原本(コーネル大学出版、1977年)も読んだが、優れた監訳者解説が付いた和訳の方が好きだ。特に、国際的注目を浴びながらも誤解され続ける、ネパール系ブータン人難民問題の原因と背景を知るには、必読の本。

その著にこうある。「ひとりの絶対的支配者が自らの権力に対する重大で明らかな挑戦もないのに、結局は君主制の政治形態そのものの性質を変えてしまうかもしれないような基本的な構造改革を自らの発案で導入したのは、君主制の歴史のなかでは前例のないことであろう」(前掲書201頁)。

先述の雷龍王4世のことではない。ジグメ・ドルジ・ワンチュク雷龍王3世(在位1952〜72年)、すなわち4世の父君のこと。享年44歳、心臓病に倒れた。化膿した背中のおできにカルカッタの医者が処方した抗生物質が、化学薬品を知らない国王の健康を害したのがそもそもの原因と聞く。近代ブータン建国の父と敬われ、驚異的な先見の明ある賢君だった。惜しい早世を想うたび、やりきれない怒りさえ覚える。

画像3晩年のジグミ・ドルジ・ワンチュク雷龍王3世。皇太子時代の雷龍王4世(右)と手をつないで(写真提供:ブータン王室)


先代国王に惹かれたのは世銀に入りたてのころだから、もうふた昔半になる。開発経済学を専門分野としなかった私は、いろいろ読み漁っていた。土地改革と貧困解消の関係を勉強していたら、ブータンが出てきた。ある改革史の小さな脚注に、国家元首が自発的に行った史上無比の土地改革・農奴解放とあったと思う。誰だろうと驚いて調べ回り、雷龍王3世の名を知った。土地改革など朝飯前の君主だった。

外交政策では、長かった鎖国を解き、国連をはじめ各種国際機関に加盟。大英帝国時代からのインド「保護領」的な外交情勢を正していった。ネルー首相が国王の人格にとことんほれ込んだからこそ成せた、と伝わる。

内政では、国民教育に力を注いだ。我が国に良い学校ができあがるまで待てないと、インド北部にある名高いパブリック・スクール数校へ、官費留学生を次々と送り込んだ。全国各村から家柄など関係なしに才気ある子を厳選、僧院教育ならともかく近代教育を嫌う親たちには勅命、という熱意だった。車道など皆無の時代、南部熱帯ジャングルに潜むマラリアや猛獣を避け、チベット経由で隣国シッキムを南下、北インドまでは片道2〜3週間の険しい山路だった。選ばれた子たちは年に2度、幼い肩に荷を担ぎ野宿しいしい通った。今日までブータンを動かしてきた各界指導者層は、その子たちで成る。

国王の先見の明がより強く現れたのは、政治改革だった。

ブータンの君主制は100年足らずの歴史だが、国家として統一されたのは江戸時代初期、宗教政治の内紛でチベットから亡命してきた活仏ガワン・ナムゲルの支配にさかのぼる。しかし、彼の化身が相続する神政政治は僧院・豪族派閥間の覇権争いを呼び、内政不安定な時代が2世紀半続いた。侵入されては戦火を交わしていたチベットに中国の影響力が拡大したのを警戒し、大英帝国の北インド浸透も手伝って、18世紀中頃から鎖国政策を採った。

そして1907年、当時の聖俗指導者たちは世襲君主制を故意に選択した。そこに至るまでの国内・対外政治背景から推して、動機は神政政治がはらむ内乱リスクに終止符を打つことと、大英インド帝国に吸収されるリスクを管理することの二つだったらしい。

この改革のリーダーが「国の臍(へそ)」トロンサ一帯を治めていたウゲン・ワンチュク卿。ロシア帝国のアジア進出を警戒する英国と、植民地化を恐れるチベット間の平和貿易条約の交渉を仲介して調印(1905年)に導き、大英帝国爵位を受けた人。彼が多数決で雷龍王1世(在位1907〜26年)に選ばれたとの報せに、英国は喜んだ。露・中牽制の緩衝地帯となるヒマラヤ要塞に、孤立主義を採るとはいえ統一された国の存在は好ましい。その上、ウゲン卿を知る大英インド帝国高官や軍人は「国家泰平を何事よりも重要視する人格者」と、高く評価していた。


世襲君主を正当化する中央集権制度は、管理能力に秀でたジグミ・ワンチュク雷龍王2世(在位1926〜52年)によって完成される。国家に平和、民には豊作と、安泰の時代だった。

しかし、時の皇太子は100年先を見つめていた。世襲君主制度が、時と場合によっては平和を脅かす可能性を予知していたのだ。

雷龍王3世として玉座に就くなり、政治改革に着手した。動機は国王の言葉にはっきりしている。「国家の安定と団結を確かなものにするために、君主制と民主制を組み合わせた政府を作りたい(中略)。現時点では、外部勢力の侵略にも晒されていないし、混乱を巻き起こす好ましからぬ分子もいないので、とりあえず平和であるが、我が国が強大な二つの隣国に挟まれている以上、将来、主権が脅かされるということもあり得る。したがって、今や平和と平穏を将来にわたり維持するために、安定した政府の形成を考えるときである」(前掲書199頁)

まさに、隣のシッキム王国がたどる道(民主化活動が動乱化、75年シッキム緊急国会の要請を、中国を警戒したインド国会が受け、インドの一州となる)や、内乱が激化し政治家も王室も民の信頼を失ってしまったネパール王国の行く末を見通していた。

1953年、王位に就いた翌年に国会を設立。国王の絶対拒否権を残しながらも、立法府としての経験学習を積みあげること15年。68年には国王拒否権を全面放棄し、国会決議を最終決議と改正した。

同年、国会の不信任投票による国王弾劾法を、自らの動議で提案する。保守的な国会が、いやいや通した弾劾法だった。しかし73年、4世が玉座に就いた直後、国会は亡き国王の意を汲まぬまま廃法を決議してしまう。その改革の歯車がふたたび回りはじめるまで、さらに25年の歳月がかかった。


世界中で最も会いたいリーダーは誰か、とよく聞かれる。躊躇(ちゅうちょ)せず雷龍王3世の名を挙げる。とことんほれたが、筆頭理由は賢君の先見の明ではない。

晩年の雷龍王3世が国会を叱った言葉が残る。

「わたしの行為を批判せず、わたしの誤りに対して盲目になっている」(前掲書210頁)

この人の下で働きたい、真正面から意見して、心ゆくまで喧嘩したい、と夢みる。

先代国王は知っていた。民の敬愛が深ければ深いほど拡大する「盲従」という名の落とし穴を。民のための改革に心身を捧げた指導者。その人の晩年の悲しみが、とくとくと伝わってくる。

雷龍王4世が名付けた「国民総幸福量」という改革。その源は父君のこの悲しみに在る、と読む。


3 意識改革

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。日本国憲法、第3章、第13条。

雷龍の国を知ってから、我が国政府は本気で憲法を守っているのだろうか、と疑うようになった。

「国政は、国民総幸福量の成果ある追求を可能とする環境を奨励すべし」。雷龍国憲法草稿、第9章、第2条。

ブータン史上初の外紙インタビューの際、ふと思いついて、国民総生産量より「国民総幸福量」の方が大切だと語呂合わせをしたら定着してしまった、と雷龍王4世は笑う。その笑いに、在位30余年間、民の幸せを追求し続けてきたリーダーの信念が、頑と響く。

国民総幸福量。その心は、国家安泰につながる民主主義。雷龍の国の「カリスマ」リーダーたちからそう教わった。


父君の早世に、玉座の重責を肩にした国王は16歳。何ひとつ手をとって教えるでもなし、自分の五体六感で考えろと、故意に突き放す父君だった。

国王は、先代を悲しませた民の盲従という壁を考えた。善き民主制はダンスという芸術に似る。指導者と民のダンス。ひとつの音楽をひとつと聴ける、ビジョンと価値観の共有。リードする人とリーダーをいだく人との信頼が創りあげる自然体。指導者と民が嬉々として共に踊れる基礎。その基礎を固め維持する経過抜きでの政治改革は、国家安泰につながらない。そう考えた。

改革の原点に戻ろうと、国王は旅に出た。一人でも多く民の心を聴こうと、国中を歩き回った。国家安泰の根源を見つめつつ、村から村へと訪れた。そうして百年先の平和な国の姿を展望するとき、行き着くところはいつも同じ、民一人ひとりの幸せだった。

国民の幸福イコール国家安泰、すなわち平和安全保障戦略の髄。世界第一と第二の人口を誇る大国に挟まれた小国が生き延びるための戦略は、国民がこの国に生まれて本当に幸せだと誇りをもって言える国づくりだ。民が幸福を追求できるよう、公の障壁を取り除く。幸せの可能性を高めることを中心に国を治める。小国に相応しい武力抜きの戦略を、国王は真剣勝負だと考えた。

国民の幸せを口先だけの意とする国政と、成すことすべての焦点として本腰をいれる国政は、政策の選択が異なる。見かけ形は同じでも、民が肌で感じる思いやりが行政の質を根本的に変える。ゆえに戦術は、国政に携わる人々を筆頭に国民のmindset(心的態度)を変える意識改革。国王はそれをねらった。

主な武器は政府高官の人選と中心的人材の育成、そして頻繁な巡幸だった。それはまた、民と指導者の信頼関係に基づく「自然体を創る会話」への努力でもあった。

まず指導者から民を信じなければ信頼関係は生まれないと、政治改革は地方分権化から着手した。地方自治組織として各県発展委員会(現在20県)を設立したのは1981年。その経験学習10年を経て、各村発展委員会(現在201村)も91年に設立された。

2002年に始まった第九次五カ年計画は国民総幸福量を最もよく表している。中央集権型ではなく、ビジョンと価値観から戦略と個々の開発事業まで、草の根の合意を集約した計画だからだ。地方分権化の大きな収穫であった。

3年前、町までゴザを売りに行く農夫に出会い、山路を半日共にした。村の開発計画と国民総幸福量の関連を噛み砕くように教えてくれた。国王の考えだからではない、と念を押して彼は言った。

「電気や道路、ほしい物はきりがないが、利己主義はいけない。国の財源には限度がある。物が足りなくても我らには幸せがある。村人が力を合わせて、皆の幸せを守ることが一番大切なのだ」

別れ路で「先生ありがとう」と手を振り続ける私の背に、同行のブータン人たちの会話が流れた。あの人は例外ではないぞ。ああ、代表的な村人だ。陛下は凄いな。うん、よくあれまで意識改革を成されたものだ。

国王が手がけた意識改革は、今日欧米経営学界の最先端にある、企業組織の「文化改革」と同質だと考える。組織すなわち人の集団。その文化が、企業の生死を左右する。ビジョンと価値観の上下共有を重要視し、開放的な意思疎通が必要と説く。ビジネス・スクールの教材にさまざまな例を見るが、金融界はガバナンス問題で企業文化や倫理観無視では潰れると学んだ。リスク管理・内部統制・会計監査の枠組みにも応用される。世界銀行でも文革に励んだ。

しかし、指導者の個人色に染まると持続性を欠く。だから私が定年を待たずに引退すると報告したとき、さもうらやましそうな国王の顔にハッと胸を衝かれた。

画像3世銀退職の報告に羨ましそうな雷龍王4世(中央)。首都タシチョゾン城謁見室で、夫のピーター・ウィッカム氏(右)と 

1998年、国王動議で弾劾法案を受けた国会は大議論となった。質疑応答で、国王のリーダーシップを讃え反対する議員には「確率は半々、悪王だったらどうする」。皇太子も立派だから心配ないとの反論に「親として礼を言うが、皇太子のよしあしも確率5割、国運を担うリスク管理ではない」。議事報告を聞きながら、初謁見の会話を思い出して笑ってしまった。反対派と賛成派の喧々囂々(けんけんごうごう)たる議論に、あれほどうれしそうな国王を見たのは初めてだ、と首相が教えてくれた。盲従の壁が崩れはじめたと感じる国会だったからだろう。いよいよ、長年の政治改革を集約し、次の段階へと飛躍する時がきた。

01年秋、最高裁長官を議長とする憲法起草委員会が発足。「何も指示しないから楽」とうれしそうだった国王だが、初草稿は「国王のために書くな、民のために書け」と落雷、突っ返した。05年の春、草稿の全国配布に至り、国民は皆、各県で開かれる国王との批評会に備えて勉強を始めた。立憲君主・二政党民主制の草稿内容は予知していた国民だが、国王定年制度(65歳)には驚き、大議論が展開された。

草稿の最終閣議に臨んだ国王の言葉が、ブータンのクエンセル新聞(2005年3月23日)に載っていた。「今日、国王、政府、国民は史上無比の信頼度と誠実な関係を享受された。(中略)憲法制定に吉兆の時だ。政治的圧力や利害関係のもたらす緊急事態中に憲法起草をせねばならなかった他の国々と異なり、幸いにもブータンには、何らかの圧力も強制もなく、空前の平和と、国王と政府と国民の間の調和と忠誠が成す安定の時に変化が訪れた」。

先代国王の声が聞こえてくる。息子よ、よくやった、おめでとう、と。


国王を3歳のころから知る、故インデイラ・ガンジー印首相はwisdom of centuries を持つ人と評価していた。ネルー、ガンジー父娘そろってブータンとは大国のように接し、その敬意はインド政府の姿勢として今日まで至る。

チベット自治区500キロの国境画定交渉に臨む中国にも、近年ブータンを大国扱いする姿勢が窺える。王毅外交部副部長は04年ブータンを訪問した際、国王の「英知」に触れ、国民総幸福量は「中国も含めて」世界各国に認められるべき「科学的な概念」と言及した。

国家の大小は金や人口では決まらない。病む地球と世界規模化はブータンの指導者の力量をも試しはじめた。雷龍の国がこの荒波を乗り切ったとき、我が国はいずこに、と憂う。

[1]ブータンの現地語での国名Druk Yul は「雷龍(Thunder Dragon)の国」の意味。ブータン国旗には雷龍が描かれている。
[2]吉祥紋:八宝ともよばれ、仏教で縁起がよいとされる図柄。蓮華、法輪、金魚などが描かれる。
[3]著者が世銀で推進した改革はピーター・センゲ教授の著書『学習する組織』などで組織改革の優良事例として紹介されている。


※著者の意向により本書の印税はすべてブータンのタラヤナ財団に寄付され、貧しい家庭の児童の教育費等に役立てられます。タラヤナ財団とそれを設立したブータン王妃(当時)について西水さんが綴った「歩くタラヤナ」もぜひご覧ください。

著者紹介

新プロフィール写真(クレジット入)

西水美恵子(にしみず・みえこ)
米国ガルチャー大学を卒業(経済学専攻)。ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程(経済学)を卒業。プリンストン大学経済学部(ウッドロー・ウイルソン・スクール兼任)助教授に就任。1980年、世界銀行経済開発研究所に入行。諸々のエコノミスト職や管理職を歴任。IBRD(世界銀行グループ・国際復興開発銀行)のリスク管理・金融政策局長などを務めた後、1997年、南アジア地域担当副総裁に就任。2003年、定年を待たずに退職。以来、世界を舞台に様々なアドバイザー活動を続ける。2007年よりシンクタンク・ソフィアバンクのパートナー。著書に『国をつくるという仕事』、『あなたの中のリーダーへ』、『私たちの国づくりへ』(いずれも英治出版)などがある。

連載紹介

連載紹介バナー

元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。一国の王から貧村の農民まで、貧困のない世界を夢見る西水さんが世界で出会ってきたリーダーたちとのエピソードが綴られる本書は、分野や立場を問わない様々な方たちのリーダーシップ精神に火を付けてきました。10周年を機に、ぜひもう一度西水さんの言葉をみなさんに届けたい——。そんな思いから、本書の全36章より特選した10のエピソードを順次公開いたします。徹底的に草の根を歩き、苦境にあえぐ一人ひとりの声に耳を傾け、彼らの盾となって権力者たちと戦い続けた西水さんの23年間の歩みをご覧ください。

連載:いまもう一度、『国をつくるという仕事』を読む。
第1回:はじめに
第2回:カシミールの水【インド、パキスタン】
第3回:偶然【トルコ、バングラデシュ、スリランカ】
第4回:雷龍の国に学ぶ【ブータン】
第5回:売春婦「ナディア」の教え【バングラデシュ、インド】
第6回:改革という名の戦争【パキスタン】
第7回:神様の美しい失敗【モルディブ】
第8回:ヒ素中毒に怒る【バングラデシュ】
第9回:殺人魔【インド】
第10回:歩くタラヤナ【ブータン】
特別回:「本気」で動けば、何だって変えられる——著書『あなたの中のリーダーへ』、「はじめに」より
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出版10周年:いまもう一度、『国をつくるという仕事』を読む。

元世界銀行副総裁・西水美恵子さんの著書『国をつくるという仕事』を2009年に出版してから10年。一国の王から貧村の農民まで、貧困のない世界を夢見る西水さんが世界で出会ってきたリーダーたちとのエピソードが綴られる本書は、分野や立場を問わない様々な方たちのリーダーシップ精神に火...
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