『集まる場所が必要だ』の序章「社会的インフラが命を救う」(冒頭一部)を公開します。
1995年7月12日、高温多湿の熱帯気団がシカゴに居座り、まるでジャカルタかクアラルンプールのような蒸し暑さになった。翌13日の気温は41度。暑さ指数(体感温度)は52度に達した。地元の新聞やテレビ局は、熱波の危険性を報じたが、ことの重大性はわかっていなかった。
基本的な注意喚起と気象情報のすぐあとで、「湿気で服がヨレヨレになったり、メイクが崩れたりするのを防ぐ方法」とか、「賢いエアコンの選び方」など、のんきな情報を流していた。「願ってもない天気だ」と、ある家電品店の広報担