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カラハリ砂漠での取材から30年、ボツワナの書店で出会った、アフリカのリアルをうつすエンターテイメント(元ボツワナ教育省コンサルタント 仲居宏二)

8月30日に発売された『隠された悲鳴』。この本を日本に紹介してくださった仲居宏二さんは、NHKのディレクターとして、ボツワナ・カラハリ砂漠のブッシュマン、ケニアの密猟摘発隊、ソマリアの難民問題といったテーマで、多くのアフリカの番組を制作したのち、ボツワナ教育省のコンサルタントも務めた方です。
訪れたアフリカの国は54ヵ国中20ヵ国。そんな仲居さんが、本書との出会い、著者との対話、現地の人々の本書への反応を語ってくださいました。

カラハリ砂漠での取材から30年、偶然出会った1冊の本

既に10年ほど前にさかのぼりますが、『隠された悲鳴』の原書“The Screaming of the Innocent”との出会いは、ボツワナ共和国首都ハボローネの小さな書店の棚からタイトルに惹かれて手にしたことでした。

ボツワナはじめ多くのアフリカでは無文字社会の歴史、口承伝承の伝統があり、現在でもあまり書物などに依拠しない生活を送っています。
ボツワナは一人当たりのGDPでは立派な中進国ですが、出版文化はあまり発達していません。国内で印刷から製本までできるところは僅少で、多くは隣国南アフリカで発行されています。

期待せず書棚を物色していた時にボツワナ人が書いた本が数冊並んでありました。
ボツワナ女性初の最高裁判事で人権活動家、同国の法律を変える裁判を起こしたこともあるという著者の略歴を見て驚き、彼女が出版した本を何冊か買い求めました。

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僕は2008年から3年間、首都ハボローネに滞在、国営放送のもう1チャンネルを“教育テレビ”にしたいということで、教育省から招かれて、コンサルタントとしてボツワナで暮らしていました。

実はこれも“縁”だと思わざるを得ませんでした。
というのは僕は1981年にカラハリ砂漠の“ブッシュマン”(今はサン人とかバルサワ人と呼ばれている)のドキュメンタリー制作のため彼らのキャンプ地で2か月ほど共に生活していました。

当時はまだダイヤモンドビジネスの中心地になるような状況ではなかった、世界の中でも最も発展が遅れていた地域と言われていた頃です。

その国にまた30年ぶりに行くことになるとは、不思議なつながりを感じました。

フィクションだからこそのリアリティ

僕はアフリカに関する本は可能な限り購入しています。
社会科学的な学術書、アフリカ文学や民話から、人類学や地理学、動物学さらに国際関係や開発論まで。

そのなかでも特に、冒険・探検小説やサスペンス小説、現実に起こっている事件や紛争をもとにしたエンターテイメント作品に惹かれます。
こうしたフィクションには、現実の世界を活写する力があると思っているからです。

その意味で、この『隠された悲鳴』はサスペンス小説というエンターテイメントの形で、リアリティある世界に誘ってくれる作品でした。

一人の少女が突然姿を消し、不思議に思った人たちがその真実を探す。
そのプロセスをドキドキしながら読みました。

さらにこうした謎を解いていく人たちが皆女性なのです。
決して社会的地位が高いわけでもなく、男性社会に強いコネクションもない人たちです。

彼女たちは行政の壁や慣習のしがらみなどにも粘り強く対応しながら、最後は勇気をもって真実を暴露していく。
こうした女性の活躍も痛快に読みました。

そして、描かれる行政の壁や慣習のしがらみは、フィクションだからこそ、ここまで踏み込んで描けたのではないかと思います。

僕が出会ったボツワナの社会や人々そのままだと感じる描写も、印象に残りました。

ボツワナという国

ボツワナはアフリカの中でも少ない民族で一つの国家ができている珍しい国です。
よく“部族紛争”がアフリカの後進性の例として言われますが、その意味ではそういうこととは無縁で近現代史を歩んでいます。

主な産業である牧畜(ボツワナビーフとしてヨーロッパへ輸出)のほか、ダイヤモンド依存、民間企業の未発達など、今後の産業発展の課題が残ってはいますが、食糧難や大きな対立もなく、人々の姿も穏やかで“おっとり”しています。

現地のビジネスパートナーとともに、省庁の幹部との面会に向かうのに、交通渋滞に遭遇し、約束時間を大幅に遅れたときなども、僕としてはお詫びと“言い訳”をまず言わねばと思ったのですが、待たされた人も遅れた側もそのことには全く触れず、すぐに本題の話に進むのです。

羨ましいと思えるおおらかさを感じました。

究極に便利な言い方、“Ga gona  mathata”(ア ホナ マタータ)というものもあります。
「問題ないです」という意味ですが、急がない、すぐにはアクションしない、いつかは何とかなるよ、ということです。ダジャレでそんな“アホな”、と言いたくなりますが……。

家族や親族が助け合うという伝統的な相互扶助の精神も強く、争いや富の偏在も大きくありません。
街を歩いていても、スラムやホームレスの姿は見られません。

ツワナ人(ボツワナ国の多数民族)の伝統も守られています。
この本の中にも、“コシ”(首長、英語ではChief)という役割の人物がでてきますが、裁判になる前に集落や村などのコミュニテイではコシの判断が大きいと言われています。

その一方で、独立(1966年)以来、民主主義を国是に、自由な選挙、議会で立法、独立した裁判制度、行政の透明性など三権分立もしっかりと守られています。

国際基準のルールもいち早く取り入れており、日本よりも先に、コンプライアンス、アカウンタビリティ、弱者への差別禁止などといった法律や社会的ルールが定着しているのには、驚きました。

近代化と伝統 アフリカの多様性と葛藤

本書はこうした近代化と伝統との間での軋轢や葛藤という、今のボツワナ(ある意味ではアフリカ全体かも)の事情が、面白いように描かれてました。

なによりもまず、主人公の追う少女殺人。

これが現代的な殺人事件なのか、男性中心の伝統的な儀礼を背景にしているのかは、なかなか即答できない問題提起でしょう。

そして、本のなかで多く登場する地方官吏、警察組織、学校などの“役人“の態度や姿勢。

先述のとおり、急激に“近代化”“国際化”が進んだボツワナの政府機関では、オフィスに訪れると、各省庁からその下部組織に至るまで、壁には未来像や使命が高らかに謳われた立派なポスターが掲げています。

しかしこうした“使命”が掲げられる一方で、残念なことでもありますが、手続き重視、前例主義の役人が多いのも事実です。なかなか進まない彼らの仕事に、何度やきもきしたことか。

本のなかで主人公たちの真相解明を阻む役人たちの態度は、彼らの姿を思い出させました。

行政としては世界基準を取り入れてはいるものの、ポリティカル・コレクトネスと現実のギャップは根強く残っているように感じます。

現地の女性読者の声

本のなかで女性の弁護士や教師が活躍しているように、ボツワナは女性の社会進出も進んでいる国です(国会議員の女性の割合などは日本以上です)。

一方で家庭では依然としてマッチョな主人とそれに従わざるを得ない妻という関係性は根強く、DVも頻繁にあると聞きます。

ある女性公務員から、夫は自宅でぶらぶら、私の収入に頼り切り、気に入らないと暴力をふるったり、よその女性のところに行ってしまうと吐露されたこともあります。
こういった状況も、本書では描かれています。

現地の人たち、特に主人公と同じ女性たちは、この本を読んでどう感じるのだろう。

同じ職場で働いていた女性たちにも、この作品を読んでもらうと、
「これはボツワナの女性が書いた小説? 今でも感じられる女性への偏見などが書かれていて、とても感動した」
というコメントが返ってきました。

これは今議論になっている“ジェンダー論”かもしれない。
なんとか日本でも出版し、アフリカからの問題提起にすることができないか。日本のアフリカ理解にも結び付くのではないか。
そんなことを考えるようになりました。

著者ユニティ・ダウさんとの面会

まずは著者であるユニティ・ダウさんに会って許可を得られなければ出版化はできない。とにかく彼女に面談したい。

その一心で、元の職場に問い合わせたり、彼女と親交のあった人に聞いたりして、なんとかユニティ・ダウさんに会えました。

当時彼女は、最高裁判事を辞めて独立し、法律事務所を開設、弁護士として人権問題、女性問題に精力的に当たっておられました。

オフィスではダークなスーツ姿。多くの法律書に囲まれた中で、歓迎していただきました。

キリっとした姿は、街中の人やお役所の公務員たちとは違い、まさにキャリア・ウーマンの典型のようで、“戦う女性”としての印象を強く受けました。話してみると、気の良いボツワナのママさんでしたが。

この本の執筆の動機を伺うと、こんな話をしてくださいました。

「ボツワナを舞台にはしていますが、世界的に見ればまだ多くの女性問題が散在しています。

特にボツワナや他のアフリカではまだ多くの問題があり、その解決の道は決して容易ではありません。

近代化の過程で生まれた様々な課題、伝統的な考え方や封建制による女性への差別、一気に社会進出する女性の地位向上。

政治のみならず社会の牽引役としての女性、特に若い世代にさらに目を開いてほしい。その気持ちがこの作品を書く動機となりました」

サスペンス小説というエンターテイメントの形で本を執筆した理由を聞くと、
「そうした問題を難しい論文ではなく、だれでも読んでくれる物語にしたかった」
という答えが返ってきました。

そして、日本語の出版については快く許可していただきました。
彼女はその後教育大臣を経て、現在は外務国際協力大臣に就任しています。
 

1人のアフリカの女性の発信を、日本の女性たちへ

実はそれからが苦戦の連続、いくつかの出版社へ売り込みしましたが、「今は出版不況、ましてアフリカの本は売れない」という判で押したような返事ばかリ、気持ち優先の焦りの日々でした。
 
アフリカ問題、開発や人材交流に造詣の深い衆議院議員の三原朝彦先生にご相談したところ、渋澤健さんをご紹介いただき、渋澤さんのご紹介で最終的に英治出版さんが翻訳出版の労を取ってくれました。(あとで気づいたのですが、僕が大学で教鞭をとっていたときに、サブテキストにしていたアフリカ関係の本は、英治出版のものでした。これもまたご縁というほか言い表せません)

僕が本書の日本での出版を模索していたこの何年かで、MeToo 運動の広がりをはじめ、女性への性差別的な問題があらゆる状況であらわになってきました。
ユニティ・ダウさんの言葉にあったように、国際的にも共通の課題が表に出てきたということでしょう。

それにもかかわらず、裁く側、判断する人がいまだ”男性中心“の判断をしているようにも思えます。

本書は、ユニティ・ダウさんという一人の女性が、誰かを犠牲にする伝統や慣習が放置されている状況を、静かに、しかし力強く、一冊の本に仕上げたものです。

このアフリカからの発信を、日本語で触れられる幸せを共有したいと思います。

翻訳版の出版にも、多くの女性の方の支えがありました。
日本での最初の読者として強く出版化をすすめてくれた松本優美さん、読みやすく厳密な翻訳で定評ある翻訳家の三辺律子さん、出版プロデユーサーの安村侑希子さんなど、”女性パワー全開“で出来上がったと思っています。

■参考
・ユニティ・ダウさんの他の著書(英語で出版)
Far and Beyon'
Heavens May Fall
Juggling Truths
Saturday is for Funerals

・アフリカを舞台にした小説
戦争の犬たち』『遠い夜明け』『インビクタス』など

・僕がサブテキストとしていた英治出版のアフリカ関連出版物
アフリカ 希望の大陸
アフリカ 動き出す9億人市場
トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?
祈りよ 力となれ
チョコレートの真実

仲居宏二
1946年生まれ。NHK入局後番組制作、国際展開に当たる。アフリカ取材経験多数。
NHKエデュケーショナル常務取締役後、ボツワナ教育省のコンサルタント。その後聖心女子大学教授(国際交流学科)、定年後フリーのコンサルタント(コンテンツ制作、放送局運営など)。途上国支援に当たっている。

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連載: 『隠された悲鳴』から聞こえたもの
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』。
心をざわつかせる読後感の本書から、なにを感じ、考えるのか? 
各界でご活躍の方に語っていただく連載です。

●レビュー
悲鳴は聞こえ続けている、誰が声を上げるのか(梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ 河出真美)
カラハリ砂漠での取材から30年、ボツワナの書店で出会った、アフリカのリアルをうつすエンターテイメント(元ボツワナ教育省コンサルタント 仲居宏二)
この本を語る相手がいないなんて…! 「日本人初の読者」だった私がボツワナ小説に入れ込んだ理由(大学非常勤講師 松本優美)
その「悲鳴」に耳をふさぐ前に 「儀礼殺人」は遠い国の出来事なのか(フォトジャーナリスト 安田菜津紀)
自分とはまったく違う文化に暮らす人たちの、自分とまったく同じ喜怒哀楽(翻訳者 三辺律子)怖いだけじゃない! 爽快なヒロインがいて、人間の「おかしみ」のある小説です(久禮書店 久禮亮太 × ジュンク堂池袋店 文芸担当 小海裕美)
エンターテイメントの形で、問題を伝える意味について (メロンパンフェス代表 平井萌)
衝撃のラストのあと、なにを思いましたか? 『隠された悲鳴』に届いた声をまとめました

●本書の第1章は、以下からお読みいただけます!
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み

●著者ユニティ・ダウさんへのインタビュー
ボツワナ女性初の最高裁判事は、なぜサスペンス小説を描いたのか?



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