その「悲鳴」に耳をふさぐ前に 「儀礼殺人」は遠い国の出来事なのか(フォトジャーナリスト 安田菜津紀)
8月30日に発売されたボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』。
フォトジャーナリストとして、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材をする安田菜津紀さんが、レビューを寄せてくださいました。
ウガンダで耳にした噂
「儀礼殺人」―――恐らく日本の多くの人たちにとってなじみのない言葉なのではないだろうか。
この言葉はある儀式のため、人の体の一部を切り取ることなどを目的にした殺人を意味する。
本書『隠された悲鳴』の舞台はアフリカ南部の国、ボツワナだ。
物語は富や権力を得られるといわれる呪術薬のために、命を奪われた少女の真相に迫っていく軌跡だ。いまだ多くの人々が信じ、頼みの綱としている「呪術師」に、殺人者たちは刈り取った体の一部を運び、自身が得られると信じている力に打ち震える。
この本はフィクションではあるものの、弁護士や女性初の最高裁判事を歴任し、現場の声に触れ続けてきた現役外務国際大臣が執筆したこともあり、彼女の実感と、社会の実態に即して描いていることが伺えるものだ。
私自身はボツワナに渡航したことはない。ただ「儀礼殺人」については、何度も足を運んでいるウガンダでも噂を耳にしたことがあった。
けれどもそれは飽くまでも「噂」の域を超えず、ここまでありありと事態を突き付けられるのは、初めてのことだった。
ウガンダで出会った人たちの一人が、この儀礼殺人は「選挙前に増える」と語っていたことが思い出される。中心人物となる呪術師たちは客の名前を明かさないため、依頼者たちが罰せられることはまれなのだ、と。
因習の裏に見える女性蔑視や支配欲
権力を得るために少女の体の一部を切り取るなど、一部の“遅れた”地域に残された、異常な行為にすぎないと思われるかもしれない。けれども本書から見えてきたのは、その殺人の裏側に見え隠れする、女性蔑視や支配欲だった。
例えば、登場人物である父親の一人は、息子を後継ぎとして手塩にかけて育てる一方、娘の人格など、嫁いだ時点で忘れ去ってしまうのだという。
ある重要な会議に出席していた女性の検察官に対して、「お茶を入れてきてくれ」と何の悪びれもなく言い放つ大臣の姿は、日本社会の中でも既視感のあるものではないだろうか。
彼らは女性たちが権利を主張する度に、自分たちの何かが「奪われた」、「侵害された」と感じ反発する。
「儀礼殺人」で、刈られる側が“女性”であること、そして“幼さ”を求められていることは、何を意味するのだろうか。
これは単なる「呪い」や「まやかし」の類ではなく、社会の中に潜む偏見と、自身の優位性を誇示しようとする人々の欲望の問題なのではないだろうか。
だからこそ私にはこの問題が、日本からは遠く離れた国の特異な問題とは、到底思えなかった。日本の管理職における女性の割合の少なさや、ハラスメント、もっといえば性暴力の根底にも、同じ意識があるのではと感じたからだ。
「自分たちとあいつらは違う」の先にあるもの
本書では、その欲望が少女の殺人へとつながっていく。
しかも、「悪魔」、「怪物」と思えるような残虐な行為に加担する人々は、常に分かりやすい顔をしているとは限らない。
本書の中に出てくる「怪物」たちの何人かも、日ごろは善良な顔をし、自身の子どもたちに何食わぬ顔でキスをし、ハグをする。
時には人々の前でよどみなく「正義」を語ることさえある。
相反するはずの両者が、一人の人間の中で共存するのだ。
言い換えれば、善良に生きていると思っている私たちにも、ふとしたきっかけで残酷な行為に手を染めてしまう可能性があるということではないだろうか。
かつてシリアで、IS(過激派勢力「イスラム国」)戦闘員の妻だった女性たちに話を聴かせてもらったことがある。
彼女たちがイスラムに傾倒し、シリアにまで渡航した理由は、あまりに拍子抜けするものだった。
「失恋したから」、「国に残っていても、両親が自分の人生を支配するだけ」、「近所に暮らすイスラム教徒の家族が仲が良くて、羨ましかった」。
私たちが“加害者”になる可能性は、自分たちが自覚している以上に大きいのかもしれないことを感じざるをえなかった。
もし自分が人間関係に深く傷つき、心の闇を抱えている最中にISの存在を知ったらと思うと、「果たして自分は彼らの手招きに絶対的な”NO”をつきつけられるだろうか」と思わずにはいられなかった。
けれども人は、自身の中に潜む「悪魔」を認めたがらない。
自分の中の不完全な部分から、どうしても目をそむけたくなる。
だからこそ何か社会の中で不穏な出来事が起こると、誰かに悪魔の役を押し付ける。本書でも、「あいつは魔女だ」と糾弾する人々が登場したように。
「自分たちはあいつらとは違う」と言い聞かせ、安心しようとする。その行為は、権力者たちが「トカゲのしっぽ切り」をする隙を与えてしまう。
そして社会の中でなぜ「悪」が生まれるのか、という問いから背を向け、思考を止めてしまうことをも意味するだろう。
一方で、こうした二つの顔の“両立”は、脆弱で、何かの拍子にあっという間に崩れ去っていくものなのかもしれない。
現に本書の中に出てくる“加害者”たちは、権力はあっても、到底幸せそうには見えなかった。
権力欲や支配欲はともすれば留まることを知らず、人は現状に感謝することすら忘れていく。むしろ、自身が“勝ち取った”座を奪われる恐怖に怯え続けることになる。
大切な人にその残忍な顔を隠しきれず、最も身近であるはずの人間関係に決定的な亀裂が生じることさえある。けれども社会の中で力あるものは、それさえも覆い隠そうとし、従うしかない者たちは彼らに迎合する。
写真にできること、フィクションにできること
内容からはそれてしまうが、この本がノンフィクションではなく、フィクションとして描かれている意義についても触れておきたい。
数々の人権侵害や凄惨な現場を目の当たりにしてきたであろう、著者のユニティ・ダウ氏は、なぜ遭えてフィクションという形で本書を書き進めたのだろうか。
日本語版の著書の中で、彼女はこう、答えている。「自分とは異なる立場にある登場人物の考えを体感できるものだと思ったから」と。
この言葉が持つ説得力を、読み進めるほど実感した。それぞれの人物の心の揺れ動きが、複雑ながら立体的に描かれ、読む側も同時に、揺さぶられていくからだ。
私自身が取り組んできた写真という手段は、目の前に今あるものを切り取り、そして写っていないものに思いを馳せてもらうための媒体だ。それが利点でもあり、そして限界でもある。
人の想像力を信じることは大切である一方で、思いを馳せる道筋は、一枚の写真だけでは描ききれないことがある。
本書を読んだ夜、私は上手く眠りにつくことができなかった。
それはこの本が、犠牲になった少女だけの物語なのではなく、何十人、もっといえば何百人といる、死なずに済んだはずの子どもたちの叫びが絡まり合ったもののように思えたからだ。
写真やドキュメンタリーが「一人一人」に光を当てるものだとすれば、フィクションはその事実と真摯に向き合いながらも、それらを凝縮しようとする力の結晶なのかもしれない。
本書の中の主人公であるアマントルの「冒険」は完結しない。むしろさらに複雑に絡み合っていこうとするところで、物語は終わっている。
この後、彼女はどんな選択をし、何に抗っていくのか。
そしてそんな理不尽な運命を前にして、私たちなら何をしようと努めるのか。
その想像を及ばせるほど、私には普遍的な問題が見えてきた。「何かを犠牲にした上に成り立つ“豊かさ”は、果たして幸せをもたらすのだろうか」と。
安田 菜津紀
1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
連載: 『隠された悲鳴』から聞こえたもの
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』。
心をざわつかせる読後感の本書から、なにを感じ、考えるのか?
各界でご活躍の方に語っていただく連載です。
●レビュー
悲鳴は聞こえ続けている、誰が声を上げるのか(梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ 河出真美)
カラハリ砂漠での取材から30年、ボツワナの書店で出会った、アフリカのリアルをうつすエンターテイメント(元ボツワナ教育省コンサルタント 仲居宏二)
この本を語る相手がいないなんて…! 「日本人初の読者」だった私がボツワナ小説に入れ込んだ理由(大学非常勤講師 松本優美)
その「悲鳴」に耳をふさぐ前に 「儀礼殺人」は遠い国の出来事なのか(フォトジャーナリスト 安田菜津紀)
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怖いだけじゃない! 爽快なヒロインがいて、人間の「おかしみ」のある小説です(久禮書店 久禮亮太 × ジュンク堂池袋店 文芸担当 小海裕美)
エンターテイメントの形で、問題を伝える意味について (メロンパンフェス代表 平井萌)
衝撃のラストのあと、なにを思いましたか? 『隠された悲鳴』に届いた声をまとめました
●本書の第1章は、以下からお読みいただけます!
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み
●著者ユニティ・ダウさんへのインタビュー
ボツワナ女性初の最高裁判事は、なぜサスペンス小説を描いたのか?