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エンタメは無関心を共感に変える、のかもしれない。(メロンパンフェス代表 平井萌)

ボツワナ現職女性大臣が、実際の儀礼殺人事件をもとに描いたサスペンス小説『隠された悲鳴』。著者は「エンターテイメントのかたちで、問題について伝えたい」という思いから、この本を書いたのだといいます。
今回レビューを寄せていただいたのは、「メロンパンフェス」を主催し、書店員としても働く平井萌さん。「メロンパンのお祭り」で、コンゴ民主共和国の問題を身近にするという異色の取り組みをしてきた経験も踏まえながら、エンタメの可能性について語ってくださいました。

現実感のないニュース

隠された悲鳴』を読んでみて、なにより印象的だったのは、サスペンス小説というエンターテイメントが、現実の「儀礼殺人」の問題をくっきりと浮き彫りにしていたことでした。

儀礼殺人については、この作品を読むまで「忌まわしい慣習として未だに残っているもの」というぼんやりしたイメージのみで、何の知識もありませんでした。

読み終えた直後も、地位の高い人々が女の子を殺すことは分かったけれど、「一体何のために?」という疑問は消えないまま。
気になって儀礼殺人のことをインターネットで調べると、富や権力を得るために子どもたちの体の一部を奪う人たちが本当にいるようです。

いくつかの記事の中で、実際に娘が儀礼殺人によって殺されてしまった母親の写真や詳しい実情を読んでいると、ふとあることに気づきました。

まるで、現実感がないんです。

本当は、この記事こそが現実で起こったことを伝えているのに。
現実が、現実感を遠ざけてしまう。一方で、フィクションの小説が、あたかも自分で経験したことのように、儀礼殺人の起こった村の世界に入り込ませ、気づけば自分ごととして考えさせている。

そして、あらためて小説をはじめから読み返してみると、一度目に読んだときに抱いた「一体何のために?」という疑問への答えが、見えてきた気がしました。

この不思議な体験を通して、本書の最後に掲載されているインタビューで、「フィクションという手段を選んだ理由」を問われた著者のユニティ・ダウさんがおっしゃっていた言葉の意味がわかりました。

フィクションは、著者の意見が明確に見えないぶん、読者が読みながら自分の考えを紡いでいく余地がありますし、自分とは異なる立場にある登場人物の考えを体感できるものだと思ったからです。

サスペンスというエンターテイメントのかたちで、問題について伝えたいという思いもありました。

「エンターテイメント」という手段

「エンターテイメントのかたちで、問題を伝える」
これは個人的に、考えてきたテーマでもありました。

「人は見たいものしか見ない」という言葉があるように、受け入れたくない現実に対しては、おそらく多くの人が最初は心にシャッターを下ろしてしまうのではないかと思うのです。

それを実感したのは6年前、コンゴ民主共和国で起こる紛争問題を知って衝撃を受け、その現状を伝えるイベントをはじめたときでした。

当時はただただ問題の深刻さを知ってほしいあまり、初対面の人に被害を受けた女性や子どもの悲惨な状況について話して、拒絶反応を示されたこともあります。「そういう意識高いの本当に無理なんだよね」と渋い顔をされたことも。
(コンゴ民主共和国の詳しい問題について興味を持ってくださる方は、同じく英治出版から出ている『私は、走ろうと決めた。― 「世界最悪の地」の女性たちとの挑戦 』を是非ご覧ください)

結局イベントに集まったのは、すでにその問題を知っている人か、もしくは元々国際問題に関心のあった人たちでした。

コンゴ民主共和国の紛争の原因となっている鉱物は、日本の多くの人が使っているスマートフォンの材料になっています。自分たちにとって身近なものの裏で、紛争が起こっている。

この問題を本気で解決するためには、問題に無関心な大多数の人の心にその現実を届けなければいけないと思いました。
それなのに、起こっていることの深刻さを語れば語るほど、関心のない人との距離はどんどん開いていってしまいます。

そこで浮かんだのが、わたしが一番大好きな食べ物であるメロンパンでした。
みんなが思わず笑顔になってしまうようなエネルギーを持っているものなら、あまりの悲惨さに無力感を抱いてしまう問題を、明るく照らしてくれるかもしれない。

それではじめたのが、全国からメロンパンを集めたお祭り「メロンパンフェス」です。
収益の一部をコンゴ民主共和国に寄付して、来場者の方にも知っていただけるように、パンフレットやトークイベント内でもコンゴ民主共和国の現状を紹介しています。

メロンパンへの批判と共感

結果、メロンパンフェスは毎年数千人が集まるイベントになりました。

イベント自体は盛況でしたが、「メロンパンフェスという方法で、問題を伝えることが適切なのか」という問いが、いつも自分のなかにありました。

エンターテイメントという手段は、一歩間違えると「その問題を軽んじているのではないか」と、かえってネガティブな印象を持たれてしまうリスクがあります。

実際に途上国支援を長年されている方から「メロンパンですか。カワイイネと言いたいです。本当になんとかしたいなら、現地に行って一人でできることを見つけてみては」とメッセージをいただいたこともありました。

一方で、当初想像していた以上に、共感や応援の声もありました。
日本の方はもちろん、偶然活動を知った在日コンゴ大使も共感したと足を運んでくださいました。

そしてなにより嬉しかったのは、今年受け取った1通の手紙です。
フェスも終わりに近づくころ、1人の女の子が緊張した様子で、手紙を渡してくれました。他のスタッフに聞くと、ずっと私の時間があくのを待っていたのだといいます。

手紙にはこう書いてありました。

はじめまして。この度はメロンパンフェス開催おめでとうございます。わたしは2017年、メロンパンフェスに初めて参加しました。
その後、SNSでコンゴ民主共和国の問題を解決するという開催目的を知りました。“大好きなものを通して、誰かをしあわせにする・助ける”、この思いがとても好きです。もし来年も開催されるなら、微力ながらお手伝いしたいと思っています。
ただのメロンパンが好きな女子大生ですが、力になりたいです。

全く知らないことに、いきなり共感するのは難しいこと。
一見遠回りに感じる方法ですが、エンターテイメントを介することで、きっとわたしたちはもっと世界との距離を縮めることができるようになるはずです。

非日常の世界を味わうことができるサスペンス小説を読むことで、私が儀礼殺人をリアリティある問題として受け止めることができたように。
メロンパンフェスに参加したことで、全く知らなかった国の問題と接点を持った女の子がいたように。

ある少年兵の話

もうひとつ、この本を読んで考えたことがあります。

読んでいるなかで芽生える恐怖感の正体はなんなのだろうか、ということです。

本書で描かれる、権力を持つ人々が私利私欲のために取ってしまう行動。ある男の、女の子を殺してしまうまでの葛藤。

最後のページをめくり終え、この恐怖感は過去にも味わったことがあると気づきました。
コンゴ民主共和国に渡航した5年前、元少年兵の男性の話を聞いた時のことです。

彼が殺人の過去を語った時、あまりの恐ろしさに言葉を失くしてしまいました。
しかしそれは、その男性に対して抱いた感情ではなかったのです。

もしも、自分の身が危険に晒されていたら。
もしも、その道を選ぶことでしか未来が変わらないのだとしたら。
もしも、人を殺すという選択肢が特別なものではなかったとしたら。

「わたしだって、同じ状況に立たされたら人を殺してしまうかもしれない」

自分自身の中に眠る可能性を、否定できないことに対する恐ろしさでした。

小説の中で私利私欲のために動き回る登場人物たちが、最初のうちは滑稽に映るかもしれません。
一方で、冒頭でお話したとおり、すべて読み終えた後もう一度読み返すと、どうして彼らがああいった行動を起こしていたのかが分かってきます。

そして、この物語自体がフィクションであっても、儀礼殺人そのものは現実に起こっているのだと思い出したとき、この本の一番伝えたいメッセージに触れることができるのではないかと思うのです。

どんな悲観的な状況でも、人間の美しさは存在する

この本の帯には、「ラスト10ページ、あなたの耳から悲鳴が離れなくなる」とあります。

ラスト10ページで描写されることは、絶望的とも言えるでしょう。
それでもわたしは、ラスト10ページで主人公のアマントルは希望を見出していると思うのです。

最後のページをめくり終えて、ふと浮かんだのは『私は、走ろうと決めた。』の著者で、コンゴ民主共和国の女性支援の活動をしてきたリサ・シャノンさんが、あるジャーナリストに言われた言葉でした。

戦争は人間の最悪の側面を見せると同時に、人間のもっとも美しい側面も見せてくれる。

これはきっと、戦争に限ったことではありません。

この本で、アマントルが自分より大きな相手にひるむことなく、正義を信じ行動し続けたことで、周囲を巻き込み、真実を見つけたように。
メロンパンフェスに参加された方が自分も何かしたいと、手を挙げてくださったように。

どんな悲観的な状況においても、そこには必ず人間の美しさが存在すると、わたしは信じています。


平井萌(ひらい・めぐみ)
メロンパンフェス代表。現在は都内の書店に勤務。コンゴ民主共和国の紛争問題を伝えるためのプロジェクト「わたしは、メロンパンでコンゴを救うことに決めました。」を2013年に立ち上げ、クラウドファンディングで資金調達後、同年8月に第1回メロンパンフェスを開催。メロンパンの専門家としてanan(マガジンハウス)、KinKi Kidsのブンブブーン!(フジテレビ)等に出演。


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連載: 『隠された悲鳴』から聞こえたもの
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』。
心をざわつかせる読後感の本書から、なにを感じ、考えるのか? 
各界でご活躍の方に語っていただく連載です。

●レビュー
悲鳴は聞こえ続けている、誰が声を上げるのか(梅田 蔦屋書店 洋書コンシェルジュ 河出真美)
カラハリ砂漠での取材から30年、ボツワナの書店で出会った、アフリカのリアルをうつすエンターテイメント(元ボツワナ教育省コンサルタント 仲居宏二)
この本を語る相手がいないなんて…! 「日本人初の読者」だった私がボツワナ小説に入れ込んだ理由(大学非常勤講師 松本優美)
その「悲鳴」に耳をふさぐ前に 「儀礼殺人」は遠い国の出来事なのか(フォトジャーナリスト 安田菜津紀)
自分とはまったく違う文化に暮らす人たちの、自分とまったく同じ喜怒哀楽(翻訳者 三辺律子)
怖いだけじゃない! 爽快なヒロインがいて、人間の「おかしみ」のある小説です(久禮書店 久禮亮太 × ジュンク堂池袋店 文芸担当 小海裕美)
エンターテイメントの形で、問題を伝える意味について (メロンパンフェス代表 平井萌)
衝撃のラストのあと、なにを思いましたか? 『隠された悲鳴』に届いた声をまとめました

●本書の第1章は、以下からお読みいただけます!
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み
ボツワナ現職女性大臣によるサスペンス小説『隠された悲鳴』 第1章(前半)/試し読み

●著者ユニティ・ダウさんへのインタビュー

ボツワナ女性初の最高裁判事は、なぜサスペンス小説を描いたのか?



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