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僕が変わらなければ組織は変わらない(株式会社コルク代表 佐渡島庸平さんインタビュー)

Twitterをぼんやり眺めていると、あるツイートが目にとまりました。
「内的自己認識をあげることで、原体験を発見する。そして、外的自己認識をあげることでチームビルディングを行う。起業とはまさに、自己認識の旅なんだと思わされる。『インサイト』すごく面白い。まだ読み始めだけど」
ツイートをしてくださったのは、株式会社コルク代表の佐渡島庸平さん。編集者、そして起業家として活躍されています。
これまでどのように自己認識を高めてこられたのか、そのノウハウを聞いてみたい。そのような思いでインタビューを始めたところ、「僕はこの本の観点からすると、自己認識が低いのかもしれない」という意外な反応が返ってきました。佐渡島さんは『insight』からどのような気づきを得たのか、そして、編集者・経営者としてのフィードバックにおける試行錯誤とは?(聞き手・構成:平野貴裕、写真:上村悠也)

文学は自分を知るための道具だ

──まず、この本を読む前の話を聞かせてください。そもそも「自己認識」みたいなことを意識し始めたのはいつ頃で、それには何かきっかけがあったのでしょうか。

佐渡島:それ自体はもう小学校のときからですね。

かなり早いタイミングですね。

佐渡島:別に自己認識が必要だとすごく思っていたわけではないですが、自己認識を大切にするほうだったと思います。僕は本が好きなのですが、基本的に本を読むって、自分とは何か、生きている意味を知るみたいな行為だと考えています。僕が本を読みだしたのは、遠藤周作の『沈黙』がきっかけでした。権力者による宗教弾圧下でも、信仰を維持することができるか、あるいはすべきなのか、そういうことが描かれています。それを読んだ際、自分はこういうときに裏切る人間なのかどうか知りたいと思いました。

自己認識を深めるために文学を読む。だから、文学への興味は僕にとってエンタメではないんです。自己認識をする道具として、哲学と文学は僕にとっては同等なものに近い。自分は何者かということを、問いだけでたどり着きなさいというのが哲学。一方、自分が何者かということに感情体験でたどり着けるようにしているものが文学だと思っています。だから、問い中心か感情体験中心かという違いはあるものの、根っこは一緒。

なるほど。『沈黙』の話のように、何か究極的な状況に置かれた場合に、自分がどう振る舞うのか、みたいなことに関心があった。そういうときにこそ、自分の価値観が明らかになる、そういうことでしょうか。

佐渡島:そうです。僕自身の原体験の一つとして、当時住んでいた南アフリカでマンデラが大統領になる瞬間を見たということがあります。それがすごく普通の日だった。何一つない平凡な普通の日だったんです。

マンデラは30年近く牢屋にいたわけです。彼は、自分を牢屋に入れた白人を許しました。僕は、同じ目に自分があった時に、そのような赦しを他者にできる人間なのか。圧倒的な仕返しをするよりもマンデラのほうが強いと僕は思いました。そのような強さを持たないと、自分が大きな歴史的転換点のところで活躍できる人間になれないと考えて、自分は人をどれくらい赦せるのか、いつも自問自答していました。

また、ポジティブな場面だけでなく、例えば、アイヒマン実験のようなネガティブな場面で、僕はどういう反応をする人間なのか、戦争のときに生きていたら、戦争に協力するのか止める側の人間なのか、そういうことに関心がありました。後から振り返って、戦争を止めるべきだったというのはすごく簡単な話なので。

客観的に検証するよりも、自分がその場にいたときにどう振る舞うのかということをずっと考えていらっしゃるんですね。

佐渡島:結局、明治維新にしたって、戦争にしたって、南アフリカにしたって、そこで活躍できるかどうかは、自分次第なわけですよね。

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佐渡島庸平 Yohei Sadoshima
1979年生まれ。東京大学文学部卒。2002年講談社入社。週刊モーニング編集部にて、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当する。2012年講談社退社後、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。noteアカウントはこちら

問題は「社会の変化」ではなく、僕の「内側」?

もともと自己認識には関心があったということですが、改めて、この本『insight』を手に取られた問題意識や背景はいかがでしょうか。

佐渡島:直接のきっかけは、篠田真貴子さんがこの本を紹介している記事だったと思いますが、コルクが8年目になって、30人ぐらいの組織になり、僕がイメージしているような形で組織が動いていないという課題がありました。

僕の最初の本『ぼくらの仮説が世界をつくる』(ダイヤモンド社)からも分かるように、仮説を立ててそれを世間に投げ込んで、世の中がどう変わるかを見たいと考えていたんですね。しかし、今、組織を作っていかないといけないときに、社会など自分の外側への仮説の精度を上げるのではなく、僕の心の内側と行動に対する仮説を多くすることが必要だと感じました。とにかく僕を徹底的に変える必要があるというか。僕の人への態度とか、あり方を変えることによって、周りの人の働きやすさとか活動量が増えるのではないかと思ったんです。

社会がこれからどうなっていくのかよりも、自分の内側が問題だと考えられた。

佐渡島:そう。社会の動きなどに対する仮説を僕がいっぱい提示するだけだと、評論家っぽい感じになってしまうなと。そのままだと、しっかり組織を作れない。しっかり組織を作りきるためには、どうすればいいだろうと考える中で、「自分を知る力」が重要だと考えるようになりました。

僕は外的自己認識が低いのかもしれない

そのような問題意識から本書を読まれたわけですが、一番の気づきはどの部分だったでしょうか?

佐渡島:一番重要だと思ったのは、内的自己認識と外的自己認識は違う能力だという指摘ですね。

内的自己認識(自分の価値観などを自身で明確に認識すること)と外的自己認識(周囲の人間が自分のことをどう捉えているかを認識すること)には相関関係がない、という話ですね。

佐渡島:本の中では「内的自己認識ができる人は、外的自己認識もできると想像するのは自然なことだ。自分の気持ちや感情をよく知っていることは、自分がどう見られているかを察知するのにも役立つだろうと思うはずだ。しかし不思議なことに、私の研究でも他の研究でも、この二つには何の相関関係も見られないことが多かった」(23ページ)と説明されています。ここに一番影響を受けました。

僕は物語をたくさん読んで、自分の感情への膨大な問い掛けをしてきました。そして、実際に物語を作る仕事をしていて、作品の登場人物の感情の流れなどに対するフィードバックが得意だから、内的自己認識はすごく高いと思っていました。なので、他人からもらったフィードバックに対して、そのフィードバックよりも僕の認識のほうが正しいと思うことが多かったのです。

例えば、多くの人が、僕と話していると「試されている」気がすると言うんです。僕がいまここで、「今日のインタビューで、どんな質問をすると、この後より盛り上がると思います?」と聞いたとするじゃないですか。僕としては素で質問していて、一緒に考えようよと聞いているだけなのに、問われた側の感覚としては、「佐渡島は答えを知っているのに、あえて聞いている、試している」、そういう風に感じるそうなんです。

僕はアドラーを結構読んでいて、彼の心理学の中では「課題の分離」という概念がすごく重要なんです。どういうことかと言うと、子どもにしても社員にしても、他人の課題に口出しをしても、本人が自分の課題を解決しない限り相手は変わらないから、課題に口出しをすることは実は自己満足に過ぎず、やってはいけないということです。

この考え方が僕の中にはあったので、「試されている感覚になる」と言われても、それは向こうが僕に対して「正解を出したい、よく思われたい」と考えていることが問題なのであって、それを僕が解決する必要はないと思っていました。

しかし今は、30人という決して大きい規模とは言えないまでも、ひとつの組織のリーダーとしての立場があります。周りのみんながもっと自己認識を高めて、僕としゃべればいいのだと考えるのは、すごく傲慢というか、僕が望む状況を作るための行動を、僕自身が取っていないのかもしれないと思いました。

だから外的自己認識に関しては、僕はすごく劣っている可能性があると考えを改めました。試されている感じがするというのも、「それはお前の問題だろう」「お前がどうにかしろよ」っていつも言っていたけれど、僕が態度を変えないと駄目だなと。ただ、どういう話し方が試している印象を与えるのかを自分で気づくのは難しいと感じています。

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マイナスフィードバックは愛情表現

自己認識は高いと思っていたが、本書を読んで外的自己認識は低い可能性があるとの気づきを得たあと、佐渡島さんは何か具体的なアクションを取られたのでしょうか。

佐渡島:僕の振る舞いに対するフィードバックを聞くようにしました。まずコルクが運営しているコミュニティ、コルクラボの掲示板に、「僕の内的自己認識と外的自己認識がずれている可能性があるから、ぜひ僕がみんなにどんな人間に見えているのかを教えてほしい。褒めてほしいわけではないから、率直にどんな人と思ったかフィードバックをしてみて」とお願いしました。

すると、「あなたを傷つけるつもりは全くありません、ご理解ください」という前置きのあとに、「いきなりアドバイスしてくる人」「信頼している人だけにしか、聞く耳が開かれていない」「自分の見た目に無頓着」とか、色々なフィードバックがありました(笑)

この本の出版後、読者の方とお話をすると、内容に共感してくださる方も多いのですが、フィードバックの重要性を認識しつつも、するのもされるのも難しいという話をよくされます。本書で書かれているフィードバックはかなり厳しいものだったりするので、ハードルが高いという意見が多かったんです。
 そこで、フィードバックという観点から佐渡島さんのご意見、ご経験をお伺いしたいと思います。お仕事柄、編集者としてあるいは経営者として、フィードバックをする機会も多いと思うのですが、まず、フィードバックを受ける側として、どのようなことを考えていらっしゃいますか?

佐渡島:まず前提として、マイナスフィードバックってなかなかもらえないから、それをしてもらえるのは、すごくありがたいという価値観があります。つまり、マイナスフィードバックという行為自体が、相手への好意の表明というか。愛の反対は無関心と言いますよね。だからマイナスフィードバックって、ほとんど愛情表現だと僕は認識していたんですよ。

フィードバックを受けるという観点でいうと、今いるコミュニティの外に出て、新しいコミュニティに行ってみるといいと思いますよ。例えば、最近のコルクラボには、僕のことをよく知らない人が入ってくるんです。

コルクラボが、佐渡島さんと紐付いていないということですか。

佐渡島:はい。最初は僕に関心がある人がメンバーとして入ってきますが、そのあとに既存メンバーの紹介によって入ってくる人たちは「メンバーが楽しそうだから」という理由だったりするわけです。そういう人たちが僕にフラットに接してきたりすると、人を1人介していて僕をそんなに知らない人によるフィードバックだから、「ああ僕って世間からは、今こういう風に見られるんだ」というのが非常にいいというか。

あと海外出張がいいですね。これは僕に対してというよりもコルクという組織がどう見られるかということも大きいですが、取引前の海外の人と会うと、こういうふうに思われているんだなということが、よく分かります。

あと、アントレプレナーズ・オーガニゼーション(EO)という創業者ばかりが集まって、お互いにコーチングしあうコミュニティがあるので、そこでは率直なフィードバックがもらえます。

漫画家とは「3人」で打ち合わせをする

では、編集者として漫画家へフィードバックをする際に気をつけていらっしゃること、工夫などはいかがでしょうか。

佐渡島:漫画家になれるかどうか不安だったけど、しっかり目指すぞというタイミングで僕と出会って、漫画家たちは、目標を明確にするわけです。漫画家からすると僕との関係って、「1分の1」なんですよ。初めて、かつ唯一の編集者で、他の人の意見がないという点で。ある意味閉じた関係というか。

そういう関係の中で、早く漫画家として食えるようになってほしいという想いが僕にはあるから、強みを伸ばすよりもマイナスを削ってしまおうと、マイナスフィードバックをたくさんしてきたわけです。

ただ、新人漫画家には僕との関係しか見えていないから、マイナスフィードバックを言葉以上に捉えてしまうことが多いのです。僕としては彼らのためによかれと思って話していることが、良い方に働かず、時に反発や自信の喪失を生んでしまう。つまりマイナスフィードバックの持つニュアンスや意味というものが、完全に僕とずれているなと思い始めまして。

僕は才能があると思っているから時間を割いているのですが、漫画家はここまでマイナスのフィードバックをするのは、もう自分のことを見捨てようとしているのではないか?と考え始めてしまう。才能があってもプロにはほど遠いから、たくさんアドバイスをするのだけど、それを素直に聞けない。それからは、基本的に褒めるだけでいいのかなと考えたりしています。それに、マイナスフィードバックというのは、他人ではなくて、自分でやらないと意味がないとも思い始めたのです。

なるほど。それは自分で気づかないといけないということですか?

佐渡島:そう。自分で気づいたマイナスフィードバック以外は役に立たないのだなと思って。僕も含めて多くの人が、何かを言われると心の中で言い訳が生まれてしまうんですよね。

例えば、僕が「この取材中にこういうふうに写真を撮るのってプロとしてどうですかね」と言ったとするじゃないですか。それがいくら正しい言い分だったとしても、言われた側にも個別の事情があったりするので、「分かりました。次回から気をつけます」と言ったとしても、心の中では言い訳が生まれていると思うんです。そうなると、「分かった」と言いながらも、そのアドバイスはなかったことにされてしまうというか。

だから、自分の行動が変わるのは、「こういうときはこう撮影したほうがいいな」と自分で気づいたときだけなんですね。

じゃあその人が気づくのを待つということになると、編集者の役割とは何なのか。それは気づきのスピードを上げるということだと思うんです。才能のある人は、いつかは自分で気づきます。それに10年かかる可能性があったものを1年にする。それが編集者の役割なのではないか、そんな風に考えています。1年で気づくことができれば、もっともっと遠くに行くことができるかもしれないですよね。

ではどのようにフィードバックするのか。

漫画家との打ち合わせのやり方を変えたんです。最近は、打ち合わせを1対1でするのをほとんどやめていて、3人でするようにしています。3人というと、これまでは、編集者2人と漫画家1人みたいな形が多かったんですが、編集者1人に漫画家2人という形にしています。

例えば、編集者2人と漫画家1人の場合、僕が後輩編集者を同席させたりしていました。これはダブルでマイナスフィードバックが来るということです。漫画家にとっては最悪ですよね。

ところが、漫画家2人が同席し、僕が一方に対してフィードバックをしていると、それを聞いているもう1人が、「この指摘は自分の作品に当てはまるな」と勝手に脳内変換をするということが起こるんです。

直接的にはフィードバックされていない人が、第三者へのフィードバックを間近に見ることで、内省を始めるということですか?

佐渡島:そうです。別の漫画家に対する僕のフィードバックを見ていると、「あれ、このフィードバックは攻撃しているわけではなく、フラットに感じたこと伝えているだけだ」ということがすごく分かるようになってくる。そして3人での打ち合わせに慣れてくると、フィードバック自体をフラットに聞けるようになる、ということが起きるのではないかと考えていて、3人で話すということを最近意識しています。

ここで、同席してもらう漫画家の組み合わせに編集力が問われます。「この人のこの部分を伸ばしたい」というイメージが僕の中にあって、そのためにはこの漫画家が、あの漫画家の話を聞くとうまくいくのではないか、そういうことをしっかりと考えています。

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漫画家への/社員へのフィードバックでは何が違うのか

ここまで漫画家へのフィードバックとその工夫についてお話を伺ってきましたが、コルクの代表として組織のメンバーに対するフィードバックについてはいかがでしょうか。

佐渡島:漫画家へのフィードバックと社員へのフィードバックでは違う難しさがあると思っています。漫画家は「漫画」という形でアウトプットをしてくれるので、彼らが今抱えている問題のフェーズが、僕には手に取るように分かるわけですよ。

フィードバックするべきものが、目に見える形で客観化されているということですね。

佐渡島:そうです。しかし、やっぱり会社というのは本当に難しいなと思うんですが、社員の場合は、どこでつまずいているのかが分かりにくい。

漫画を書く上でのつまずきどころは、ある程度似ているんです。だけど、例えば、社員が最近集中力に欠けているというときに、何が原因なのかがなかなか分かりづらい。実は恋人と別れそうになっていて、毎晩けんかをしているから集中できていないということもあるわけです。そういう場合は、ほっといてあげるのが一番いいのだけど、そういうときに、仕事に対してやる気がないのではないかと声掛けをすると、間違った方向に行ってしまいます。

あとは「共通の目標」を具体的に握れているか、というのはフィードバックをする上ですごく重要ですね。僕と漫画家の場合、はやく良い漫画を作りたいという共通の目標が具体的にあります。

もちろんコルクのメンバーも、ビジョンやミッションに共感して働いてくれています。ただ、経営者としてはビジョンも達成したいし、目の前の売り上げもしっかりたてる必要があるといった、一見ダブルバインドな目標を持ちながらやっていっているわけです。そういう状況において、各メンバーが立てている目標は、もう少し手前のことだったり、ずれていたりする可能性があります。

役員に関しては、売り上げとミッションの達成という目標は握れていると思うのですが、社員に対しては、会社としての売り上げとミッションの達成の少し手前の「当面の目標はこれだね」という形のことも多いので、目線がずれている僕と社員が直接目標管理という点で話をするのは避けたほうがいいのかなと考えています。

なので、社員へのフィードバックは今、役員にお願いするようにしています。僕が役員にフィードバックをして、役員が社員にフィードバックをするという仕組みにしていますね。

CEOの一番重要な役目は、会社の課題の設定です。社員は、その課題に向かって個人の目標を設定する。僕が直接、社員と課題のすり合わせをすると、僕との人間関係が一番、気になることになってしまう。役員と社員が話し合うことで、課題に一緒に取り組む関係が築きやすいかなと思っています。

雑談は別にいいんですけど、目標管理に関しては、僕はしないほうがいいなというのが最近の考え方ですね。やっぱりこの辺りの課題は、もうずっと僕の中でも試行錯誤が続いていますね。

「自分を知る」のその先にあるもの

「自分を知る」という点で言うと、佐渡島さんが編集担当されている平野啓一郎さんの「分人主義」も関係するテーマかなと思っています。職場での自分、家庭での自分、あるいは友人といるときの自分。接する人との関係で立ち現れるそれぞれの「分人」の間に優劣はない。その分人のネットワークとして自分というものが存在し、唯一絶対の「本当の自分」などは存在しないと分人主義では考えますよね。
『insight』の中でも「本当の自分」を求めてはいけないということは説明されています。ただ、分人主義の考え方のほうがより根本的に「本当の自分」から距離を取っているというか、より仏教的な考え方に近い印象があります。このあたりに関してはいかがでしょうか。

佐渡島:僕は最近、『insight』を読んだ流れで、仏教とか瞑想などに興味を持っています。面白いなと思うのが、「自分とは何か」ということを含め、僕らは「考えること」は良いことだと一般的には考えるわけです。しかし、仏教だと考えることがよくないことで、どうすれば考えを止められるかみたいなことに着目していて、それも面白いなと思っています。

また、西洋的な考え方の中で説明をしようとすると、いつまでたっても自我が存在しますよね。どうやって、明確な自我を確立するのか。明治時代の時に夏目漱石が悩んだように、近代化以降我々はずっと個人としてどうやって活躍するかを模索しているわけです。仏教的な考え方だと、結局その自我への執着をどうやってなくすかという話になっていくのが面白い。自我を正しく理解するということと、自我をなくそうとすることって、究極的には相容れないというか。でも、その中でバランスを探していかないといけない。

会社は、最終的には経営者の器だと言われますが、僕の悩みは「自分の器の何が小さいのか」がうまく捉えられていなかったことだったんだと思います。『insight』を読んでいくと、自分の器の形を把握して、コンコンたたいて大きくしていこうという話に限りなく近いだろうと感じます。一方、仏教だと、そこを無にしなさいと。無だったら何でも入れる器になりますという話だったりするわけです。

結局、創業者というのは、やりたいことが明確にあるわけです。でも、社員の全員が動きやすくなる必要もある。その両方をどうやって実現するのかということが、僕の課題なのだなと最近は思っていますね。

実は、次の本は「観察」をテーマにしようと思っています(詳細はこちら)。いろいろと本を読むと、このテーマと仏教がすごく結びついているんですね。「自分をありのままに見る」とかそういうことも含めて、本書での気づきを今後に活かしていければと考えています。

「『insight』私はこう読んだ」の過去の記事のご紹介。
人生で3冊目の「自己啓発本」(太田直樹)
キャリアとは自己認識についての仮説構築と検証のプロセスである(篠田真貴子)
リーダーの自己認識が変われば、チームは変わる(小竹貴子)
自己認識から考える、個と組織の「4つの発達段階」(タムラカイ)
『insight』の第1章(前半)を全文公開します。
『insight』の第1章(後半)を全文公開します。
気に入っていただけ嬉しいです!引き続き連載をお楽しみください。
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