「大企業×パーパス経営」を実現するには?──セイコーグループ・服部真二CEOと『ハート・オブ・ビジネス』の実践を読み解く
アメリカのベスト・バイを知っていますか? 1966年に創業した全米最大の家電量販チェーンですが、アマゾンなどEC事業者の台頭により2011年に赤字に転落しました。
そんな同社が今も健在なのは、2012年に外部からCEOに就任したユベール・ジョリー氏の力が大きいでしょう。就任当初10ドルそこそこまで落ち込んでいた株価は、彼がCEOを退任した2019年6月の時点で75ドルに上昇していました。売上高は6年連続で成長し利益は3倍と、見事なV字回復を果たしたのです。
そのジョリー氏が、ベスト・バイおよび自らの経営者としての成長の軌跡を著したのが、『THE HEART OF BUSINESS(ハート・オブ・ビジネス)』(以下『ハート・オブ・ビジネス』)です。
そこに描かれているのは10年ほど前のできごとです。しかしその内容はまったく古びていないどころか、今まさに必要な考え方が語られています。というのも、彼は不採算店の閉鎖などによるリストラや大胆なコストカットでベスト・バイを再生したのではありません。「人とパーパス」の力を使ったのです。
日本では、パーパスは5年ほど前から、人的資本についてはこの1〜2年で大いに注目されるようになりました。世界的な腕時計ブランド「グランドセイコー」をはじめ、デバイス/システムソリューションなども提供するセイコーグループの代表取締役CEOである服部真二氏も、2021年10月にグループのパーパスを定めたのと同時期に本書を手にしており、「座右の書」として日本経済新聞紙上で紹介しています。
創業140年を超えた老舗の大企業を率いる服部氏は、『ハート・オブ・ビジネス』をどう読み解いたのでしょうか。
今年2月、服部氏と、本書の邦訳企画を英治出版に持ち込んだブランディングファーム・グラムコ株式会社で代表取締役会長を務める山田敦郎氏とのトークセッションが行われました。そこで語られたことを参照しつつ、ジョリー氏とベスト・バイの物語から私たちが学ぶべきことについて考えてみましょう。
10万人企業のトップ就任初日の過ごし方に共感──「人と現場を重視する」の実践とは
山田氏に『ハート・オブ・ビジネス』の感想を聞かれた服部氏は、「やはり企業は人だ」と得心したと語り、ジョリー氏の実践を「魂の入った経営」だと称賛しました。服部氏自身、新卒で入った商社で、モノづくりの会社ではないからこそ「人がすべて」のビジネスを学んでおり、それを高いレベルで実践したジョリー氏の姿に感銘を受けたようです。
『ハート・オブ・ビジネス』の中でも特に印象的な場面に、ジョリー氏がCEOに就任した初日を振り返った部分があります。彼はその日から3日間、本社ではなく店舗の一つで過ごしたのです。
服部氏も、傘下のセイコーウオッチの社長時代には製造を担当する従業員と食事をしたり、新製品完成のお祝いに参加するなど、よく現場に出向いたといいます。
弱さを見せることで生まれる人とのつながりが「ビジネスの核心」になる
現場を重視する姿勢の他にも、服部氏とジョリー氏には共通点があります。それは完璧でない自分を受け入れ、弱みを隠さないリーダーであることです。
『ハート・オブ・ビジネス』では、その重要性が繰り返し説かれています。
この一文に続いてジョリー氏は、弱さを見せることが社会的なつながりの核心であり、その社会的なつながりこそが「ビジネスの核心」だと指摘しています。
ジョリー氏が自分の不完全さを認め、周囲に弱さを見せられるようになるまでには、乗り越えなければならない壁があったようです。彼は、子どもの頃から常に上を目指し、完璧なリーダーであろうとしてきたのです。
しかし、ベスト・バイに移る前の会社のCEO時代、ある神父に「完璧を求めていると悪魔になりかねない」という衝撃的な教えを受けたことを振り返っています。それがきっかけとなり、「自分こそが答えを知っている」と信じて周囲のフィードバックを受け付けず、他人には不可能なほどの完璧さを求める彼の態度が、チームワークややる気を阻害していたことに気づいていったのです。
一方で服部氏は、生来の性格なのでしょうか、「あまりプライドもないし、自然体で、弱みをバンバン見せます」とのこと。以前から、分からないことがあれば率直に社員に聞いてきたといいます。
そうして「弱さ」を見せることで人とのつながりを強固にしてきた服部氏ですが、それでも、戦前から続く大企業であるセイコーグループには上意下達の文化が根付いており、上層部の人ほどさらに上の立場の人へ率直にものを言いづらい雰囲気があったと語ります。ネクタイの廃止、役職者を「さん付け」で呼ぶことの徹底、取締役会では全取締役がトランプの札を引いて座る席を決めるなど、「まずは形から入って」徐々に企業風土を変えてきたそうです。
創業精神にはなかった言葉が出現!?──老舗企業のパーパスの定め方とは
ジョリー氏は、組織の「ノーブル・パーパス(大いなる存在意義)」が個々人の生きる意味と重なったときに「ヒューマン・マジック(人に備わる魔法のような力)」が解き放たれ、目覚ましいパフォーマンスが発揮される、と記しています。
前述の通り、服部氏が『ハート・オブ・ビジネス』を手にしたのは、創業140周年の節目にパーパスを策定した頃でした。
その2年前には、米国主要企業の経営者が組織する「ビジネス・ラウンドテーブル」が「企業のパーパスに関する宣言」を発表。短期利益ばかりを追う株主至上主義を脱し、長期的な価値を追求することで株主だけでなくすべてのステークホルダーに貢献しよう、という考え方が広く共有され始めた時期です。
服部氏も「“会社はなぜ存在するのか”がなければ長期戦略も作れない」ということを痛感したと振り返ります。その結果策定されたのが、次のパーパスでした。
面白いのはそのプロセスで、国内の社員約3,800人にパーパスの案を書いてもらったのだそう。
社員の書いたものに一通り目を通し、服部氏は“笑顔”、“感動”というキーワードがたくさん挙がっていたことに驚いたといいます。
それまでセイコーグループには明文化された社訓などはありませんでしたが、“挑戦”、“革新”、“信頼”が創業の精神として受け継がれていました。そこに新たに“笑顔”と“感動”という言葉を加え、今後のグループの支柱となるパーパスができあがったのです。
このエピソードからは、次世代型組織のあり方を説いた『ティール組織』で提唱される「進化する存在目的(Evolutionary purpose)」という考え方が思い起こされます。著者のフレデリック・ラルー氏は、組織はそれ自体が生命体のようなもので、その存在目的(パーパス)は固定的ではなく進化するものであること、その時々のパーパスは組織に真剣に耳を傾けることで見えてくるものだということを説いています。
服部氏がおこなった「グループの全従業員の声を聞く」ということは、ラルー氏の言う「組織に耳を傾ける」ということで、だからこそ“笑顔”と“感動”という新しいキーワードが今の時代に必要なものとして見出されたのではないでしょうか。
「組織のパーパス」と「個人のパーパス」を結びつける
「ヒューマン・マジックを解き放つことで組織のパフォーマンスを上げる」というジョリー氏の信念について、服部氏は「会社の目的と自分の人生観や価値観が一致したときに力が発揮できるというのは、よく分かる」と語っています。
トップダウンではなく社員参加型でパーパスを決めたのも、一人ひとりに「自分たちのパーパス」だと感じてほしかったからでしょう。
パーパスを策定した後も、社員の集まる場で頻繁にパーパスに触れ、パーパスを体現した社員に「パーパス賞」を授与するほか、月に2回程度いろいろな人が集まって個人のパーパスについて話をする「あなたのパーパス」という昼食会を開催しているそうです。
組織のパーパスだけでなく一人ひとりのパーパスに耳を傾けることは、『ハート・オブ・ビジネス』でも強く推奨されています。ジョリー氏はある好業績の店舗のマネジャーが従業員の一人ひとりに「あなたの夢は何ですか?」と問いかけていたというエピソードを通じ、メンバーのパーパスと組織のパーパスを結びつけてサポートすることがチームのパフォーマンスの増大につながることを伝えています。
パーパスを軸に事業の一体感・拡大を生み出すには
パーパスを策定したことで起きた変化を問われ、服部氏は「複数ある事業ドメインがパーパスの力で融合した状態になった」と笑顔を見せました。
セイコーグループは、時計の製造開発で培われたハードとソフトの技術を様々な領域に展開してきました。
現在は、時計の製造販売を担うエモーショナルバリューソリューション、電子部品や精密部品などを展開するデバイスソリューション、デジタルやICTのサービスを提供するシステムソリューションの3つの事業ドメインがあります。腕時計と工場の管理システムなど一見無関係に見える事業が併存しているわけですが、パーパスが明文化されたことで一体感が出てきたというのです。
これらの融合が起きている背景について山田氏は、「皆さんの笑顔をもっと増やしていくんだという考え(パーパス)がドメインを超えた基盤になっているのでは」と語っています。
服部氏は、今後のグループの姿として社会課題を解決するソリューションカンパニーを目指しています。例として、視覚障害があっても時間が分かる腕時計、修理によって長く使い続けることのできる時計といった祖業に根ざしたアイデアもあれば、医療分野への進出などまったく新しい可能性も語られました。
パーパスを決めることは、組織の進む方向を限定し、可能性を狭めてしまう場合もあります。しかしセイコーグループの場合、むしろパーパスの存在がより大きな視野での価値創造を後押ししているように見えます。
これはベスト・バイも同様で、「テクノロジーを通して顧客の暮らしを豊かにする」というパーパスが、ただ家電を売るだけでなくより幅広い活動の追求を可能にしています。具体的には「トータル・テック・サポート(家のすべての電化製品に対するサポートの提供)」や「インホーム・アドバイザー(顧客の家に出向いて最適なテクノロジー・ソリューションを提供するサービス)」といった価値の提供方法が見出され、新たな収入や利益にもつながっています。
「組織のパーパス」「個人のパーパス」を定めるポイント
このように抽象度の高いパーパスを掲げてビジネスを展開するアプローチが有効な理由として、ジョリー氏は次の4つを挙げています。
もし、セイコーグループのパーパスに“時計”という言葉が入っていたり、ベスト・バイのパーパスが「電化製品を通して顧客の暮らしを豊かにする」であったら、ビジネスの可能性はもっと狭まるし、働く人々にとって自分のパーパスと会社のパーパスが一致する点を見出すのが難しくなるでしょう。
このことは、これから組織のパーパスを作ってみようという企業の方にもとても参考になるのではないでしょうか。ジョリー氏は、企業がパーパスを定める際の4つのポイントも示しています。
ジョリー氏はまた、パーパスの策定の前に、従業員がそれぞれに大切な存在として扱われていると感じられるような組織を作ることが重要だと説いています。そんな土壌があればこそ、パーパスが根を張り花を咲かすことができるというわけです。
そして、個人のパーパスを探すのに役立つ方法として、作家アンドレス・ズズナガのアプローチを紹介しています。それは、「愛していること」「得意なこと」「世界が必要としていること」「お金を得られること」の4つの要素が重なる部分こそがパーパスになるという考え方です。
ジョリー氏自身、40代前半に見出した「自分自身のプラットフォームを通して、周りの人々や世界にポジティブな変化をもたらす」というパーパスを、その後もずっと磨き続けてきたと書いています。それがベスト・バイという大企業を動かす力の源となったことは言うまでもないでしょう。
これらをヒントに、皆さんも個人のパーパスを見出し、組織のパーパスに耳を傾け、それらにどのようなつながりが見出せるのか、自分で考えたり同僚と話し合ったりしてみてはいかがでしょうか。
▼服部氏と山田氏の対談動画はこちら
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