組織開発の真髄を、究極の臨場感で。(加藤雅則:アクション・デザイン代表)
私は歌手の小田和正さんの40年来のファンである。
先日コンサートに行ったとき、会場には1万人以上の観衆がいたが、私は彼のコンサートに行くたびにこう感じる。
「小田さんは私のために歌ってくれている」
一つ一つの言葉が、自分の心にすっと入って響き渡り、胸が熱くなる。
拙著『両利きの組織をつくる』(英治出版)では、AGC島村琢哉CEO(現会長)の次の言葉を紹介した。
「リーダーは人の心に火を灯す」
経営トップの決定的に重要な役割は、会社のビジョンや戦略を〈自分の言葉で〉〈一人ひとりに伝える〉ことだ。
「この人は私のために語りかけてくれている」と、経営トップの言葉を一人ひとりが受け取り、腹落ちしたとき、一人ひとりの思考と行動が変わる。
そういう光景を、私はエグゼクティブ・コーチングを起点とする組織開発の現場で見てきた。経営トップの言葉が一人ひとりの心にすっと入って響き渡り、働く人々の言動が変わる──これこそが組織開発の真髄である。
そして、その組織開発の真髄を、究極の臨場感をもって体験できるのが、この『THE HEART OF BUSINESS(ハート・オブ・ビジネス)』だ。組織開発を志す人が最初に読むべき一冊だと私は思う。
1. 経営トップの自己変容
2. 経営チームから現場に至るまでの組織全体の変容
3. 2に伴う事業の成長
これらを網羅的に、かつエキサイティングに、当時の経営トップみずからが語り尽くした本を私は他に知らない。
経営視点×現場視点の臨場感
著者ユベール・ジョリー氏は、フランスの名門を主席で卒業し、マッキンゼーのパートナーを経て、大企業数社の経営再建をリードした後に、2012年にベスト・バイCEOに就任した。
世界最大の家電量販チェーンであるベスト・バイは、ユベール氏のCEO就任時、経済メディアから「ゾンビ」と揶揄されるほどに収益力も従業員のエンゲージメントもどん底にあった。
いつ経営破綻してもおかしくない。そういう状況下にあってユベール氏とベスト・バイは、大量のリストラや事業縮小、過剰なインセンティブや取引先への強引な値引き要求といった対処法ではなく、「人」をビジネスの中心に置いた。
人こそが、ビジネスの核心(ハート・オブ・ビジネス)。
私たちの優先順位は、「人→ビジネス→財務」だ。
──そう言い切ったのである。
当たり前のことでは?と感じるかもしれない。何をヌルいことを?と思われるかもしれない。だが彼らは本気だった。ここで言う「人」とは、従業員のことだけではない。すべてのステークホルダー、すなわち顧客、取引先、地域コミュニティ、株主に至るあらゆる存在を「人」として大切に扱った。
ベスト・バイの再建(ターン・アラウンド)は並大抵のことではなかった。メディアや投資家からの圧力は日に日に強まり、予期せぬ出来事に度々遭い、売上がすぐに回復したわけではなかった。
それでも彼らは人を信頼し続けた。「人と人」という関係を築き続けた。再建期も成長期も、一貫して人を大切にした。その結果、ベスト・バイは顧客、取引先、地域コミュニティ、株主から必要とされ、愛される企業になった。
そしてもちろん、従業員からも。「ベスト・バイは自分の家なのです」と涙ながらに語る女性メンバーのエピソードは、ベスト・バイという会社が、そこで働く人たちにとって安心安全な、かけがえのない存在であることを物語っている。
ベスト・バイの従業員たちが、そのとき何を考え、どう行動し、どんな結果をもたらしたかが、この本には詳しく記されている。ただ仕事に来るだけだった人々が、やがて自分と会社のパーパスとつながって生き生きと働くようになっていく。そのリアルな姿を、経営と現場の両方の視点で描くことができたのは、ユベール氏が役員室を飛び出し、さまざまな従業員と真にパーパスでつながっていたからに他ならない。
雇用主と従業員、ではなく、人と人という関係性。
会社のパーパス(存在意義)とそれに従う従業員、ではなく、会社のパーパスと各個人のパーパスがつながり共鳴する。
そうした組織観・経営観が、実際ここにあり、高次に実現されていることに驚きを隠せない。
「会社のパーパスは金儲けではない」に驚く著者
1. 経営トップの自己変容
2. 経営チームから現場に至るまでの組織全体の変容
3. 1と2に伴う事業の成長
これら3つの網羅性が本書の魅力の一つだと前述したが、中核を成しているのは「1. 経営トップの自己変容」だ。
著者ユベールさんの人柄については、ソニー元社長の平井一夫さんによる日本語版序文をぜひ読んでみてほしい。ちょうど同じ時期にそれぞれベスト・バイとソニーの経営トップに就任した二人に共通する経営哲学が、当時のエピソードを交えながら紹介されている。
人を大切にする。
会社のパーパスと個人のパーパスをつなげる。
私の感覚では、これらは実は多くのリーダーが心のなかで願っていることだと思う。しかし同時に、多くのリーダーが一歩を踏み出せていないことでもあると思う。
ユベール氏は「自分はかつては、人を大切にするような人ではなかった」と告白している。「会社のパーパスは金儲けではない」と、ある経営者に夕食会で言い放たれて驚き、「私のフォークは宙で止まった」とも言っている。
リーダーとして悩み、迷う当時のユベール氏と、読者のみなさんは重なる部分があるのではないだろうか。そして、苦悩を経て「人とパーパスを本気で大切にする」リーダーとしてベスト・バイを導いたユベール氏は、読者のみなさんがこうありたいと願う姿の一つなのではないだろうか。
本書全編を通して、ユベール氏は徹底的に読者に自己開示している。「こんなことまで書いちゃっていいの?」と思ったほどだ。私も仮面を取って、弱さも葛藤もさらけ出して、著者と読者ではなく、人と人として本気で向き合ってみようと思う。
「両利きの経営」の貴重なケーススタディ
つい先日、恩師のチャールズ・オライリー教授と東京で一緒に仕事をした際に、教授は両利きの経営企業として、ベスト・バイに注目していると言われていた。それは偶然にも、私が『THE HEART OF BUSINESS』を読み始めた時期でもあった。
本書でも他の書籍や経済メディアでも、ベスト・バイは両利きの経営企業として紹介されているわけではない。だがベスト・バイは紛れもなく、「既存事業」と、既存事業の資産や経験を活かした「新規事業」の両方を組織的に実現した企業だ。
存在意義の再定義、ポートフォリオの組み替え、組織カルチャーの再構築。これら両利きの経営の要諦を、一気通貫で学ぶことができる貴重なケーススタディと言える。
いろいろな読み方がある本書だが、「両利きの経営」の実録としてもぜひ味わっていただきたい一冊である。