『THE HEART OF BUSINESS』日本語版序文(平井一夫:ソニーグループ シニアアドバイザー、一般社団法人プロジェクト希望 代表理事)
人の書いた本にこんなに共感を覚えたことはなかった。
友人であるユベールから本書を読んでほしいと頼まれページをめくると、私との共通点が多いことに驚いた。会話のキャッチボールを通じて、ユベールと私は考えていることが似ていると思うことがあったが、経営哲学の多くを共有しているという確信に変わった。
経歴としては、二人ともゲーム業界のキャリアがあり、同じ2012年にCEOの職に就き(ユベールはベスト・バイ、私はソニー)、CEO退任後は会長を1年務めたのち、今はお互い次の夢に向かっている。また、複数の事業再生をリードした経験がある。
何よりの共通点は、人を大切にする経営哲学だ。本書には「ヒューマン・マジック」という言葉が繰り返し登場する。これは、人が本来もっている魔法のような力のことだ。ユベールは、そのヒューマン・マジックを解き放ち、人と組織のパーパス(存在意義)が実現される環境を整えることが自分の役割だと述べている。
拙著『ソニー再生』の中で「情熱のマグマを解き放つ」と表現したが、ユベールも私も、人の可能性を心から信じ、それこそがハート・オブ・ビジネス(ビジネスの核心)だと確信している。
「人を大切にする? それをいまさら主張するの?」と思われるかもしれない。だが私は問いたい。私たちは本当の意味で人を大切にしてきただろうか。そもそも、人を大切にするとはどういうことだろうか。
聞いて実践するリーダーシップ
毎年1月にラスベガスで開催されるテック・イベントCESの期間中、ユベールと私はよく一緒に食事をした。ユベールがCEOを務めていたベスト・バイは全米最大の家電量販店。ソニーにとって大切なビジネスパートナーだ。
フランスのエリート校を首席で卒業し、マッキンゼーのパートナーを務め、数社の経営トップを歴任し、数々の企業再建に成功、ハーバード・ビジネス・レビュー誌「世界のCEOベスト100」に選出……こう言葉を並べると身構えてしまいそうだ。しかし実際のユベールは、人に対していっさい壁を作らない。彼の「聞き方」が心地よく、ついこちらが話しすぎてしまう。
ゴルフのソニーオープンが開催されるハワイでは、ユベールがいない席でベスト・バイのトップマネジメントチームと親交を深める機会があった。本書に登場するマイク・モーハンたち経営陣は、口々にユベールへの敬意を口にしていた。「ユベールと議論したことで考えを整理できたんだ」「ユベールとこんな話をしているんだ」と目を輝かせて話してくれたことをよく覚えている。
本書には、そうしたユベールの人柄が感じられるエピソードが随所に出てくる。たとえばCEO就任初日、「CEOトレーニング中」のバッジをつけて店舗に出向き、従業員一人ひとりの話に耳を傾けるエピソードは実にユベールらしい。ベスト・バイの人々がユベールに心を開いて自身の悩みや夢を語る姿が目に浮かぶ。
ベスト・バイは、近年注目を集めている「心理的安全性」が高い職場なのだろう。これを言ってしまうとどう思われるだろうという不安や恐れがなく、誰に対しても、良いことも悪いことも、率直に速やかに話すことができる。本書では事業開発から人材育成、ダイバーシティ&インクルージョンまで、さまざまな従業員起点の取り組みが語られるが、ベスト・バイの挑戦する文化をつくってきたことも、ユベールのリーダーシップの賜物だろう。
人の話を聞く。
当たり前のことのようだが、聞くことのできるリーダーは数少ない。その難しさと大切さを私自身、実践する中で感じてきた。
たいへん厳しい経営環境にあった2012年にソニーのCEOに就任した私は、ユベール同様に頻繁に現場へ足を運んだ。就任初日に入社式を終えると、翌日には宮城県の多賀城にある事業所を訪れた。その後も世界中のソニーの仲間たちに会いに行った。本音を言ってほしいから、いわゆる「大名行列」ではなく、同行者は最少人数。現場には覚悟をもって、「裸で行く」と決めていた。
現場に着いた瞬間から、ボディランゲージも含めて徹底する。社員は見ている。いま何時か知りたいだけなのに時計を見れば、平井さんは早く帰りたいんだと思われる。そして、「何でも質問してほしい。聞いちゃいけないことがないのがルール」と根気よく、何度も対話を重ねた。こちらの本気が伝わらないと異なる意見、「異見」を聞くことはできない。
次第に「本当はここがうまくいっていない」とか「実はこうしてほしいんだ」という話が出てくる。そうした「異見」はとことん話し合い、良いと思ったらどんどん採用した。そして、仮にうまくいかなかったときは私が責任をとると約束した。
聞いて実践する。これを365日、毎日やる。本音を語ってもらうには圧倒的な回数が必要だ。失敗してしまったこともある。だが続けていると、この人は自分の話を聞いてくれる、同じ目線で同じ景色を見てくれている、聞くだけでなく実践してくれる、という信頼が生まれる。やがて従業員たちの情熱のマグマが解き放たれ、その人自身のパーパスと組織のパーパスが花開く感動的なシーンを何度も見てきた。
「聞いて実践する」は、並大抵のことではない。だがユベールはそれを徹底した。CEO在任7年で利益3倍という数字だけ見ても、聞いて実践するリーダーシップのインパクトは計り知れない。自身のリーダーシップスタイルを思い浮かべながら、ユベールの行動、振る舞いに注目して読み進めてほしい。きっと、今日から変えられることがあるはずだ。
人はリソース(資源)ではなく、ソース(源泉)だ
ベスト・バイのパーパスは「テクノロジーを通して顧客の暮らしを豊かにする」。一方で私は在任当時、ソニーの目指す姿として「感動」「KANDO」という言葉を使い、現在のソニーは「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」というパーパスを掲げている。
パーパスとは何か、なぜパーパスが重要か。これらについては本書に譲る。ここで強調しておきたいのは、どんなパーパスであっても、その原動力は常に「人」だということだ。ソニーが大切にしつづけている「KANDO」はいつも、人から生まれていた。会社がいくら崇高なパーパスを掲げても、従業員一人ひとりが持つパーパスと結びつかなければ、ヒューマン・マジックも情熱のマグマも呼び起こされない。
「企業再生本ではない」とユベール自身が言っているとおり、この本は再現性のある企業再生の理論や事業戦略を説いているわけではない。一貫しているのは「なぜ働くのか?」「会社は何のために存在するのか?」、そして「人々の可能性をいかに引き出すか?」という問いだ。ユベール自身の考えや、各章末の質問などを通して読者自身が、働くことや会社の存在意義、そして仲間との関わり方について内省することを促している。
ベスト・バイは「私たちが大切にするのは株価ではなく、従業員や取引先や株主をはじめとする全ステークホルダーです」と宣言し、実行した。その結果として彼ら彼女らが成し遂げた実績や事例には目を見張る。だが重要なのは、なぜそうまでして「人を大切にすること」をユベールとベスト・バイが選んだか、ではないだろうか?
人はリソース(資源)ではなくソース(源泉)だとユベールは言っている。人こそが会社にとってのソースであり、人が文化をつくり、事業をつくり、パーパスを実現する原動力となる。そして、その一人ひとりの人間にも固有の願いや夢がある。それらを実現するために私たちは働くのだと。ユベールの言葉から私は、「あなたを突き動かすものは何ですか?」「あなたは自分の人生を何のために使いますか?」と問われている気がした。
ユベールは2020年にベスト・バイの会長を退き、現在はハーバード・ビジネススクールで後進の育成に励んでいるという。私もソニーでの仕事を全うし、次の夢に向かっている。一人でも多くの子どもたちに感動体験を届けたいと「プロジェクト希望」を立ち上げた。子どもの貧困と教育格差は決して放置できない。先送りせず、今どうにかしなくてはならない、という強い思いがある。フィールドは変わるが、やはりユベールも私も、意識の先にあるのは「人」だ。
「人を大切にする」という当たり前すぎて見過ごされてきたかもしれないことに真摯に取り組んできたユベールの経営哲学は、新しい時代のリーダーシップの羅針盤となる。本書を読む中で、人を大切にすることの本気の実践と、それによって生まれるとてつもないインパクトを目のあたりにするだろう。
最後にみなさんにお伝えしたいことがある。本書のテーマの一つであるリーダーシップ(leadership)の語源「leith」の意味をご存じだろうか? インド・ヨーロッパ語のleithには、「境界を越えて足を踏み出す」という意味があるそうだ。語源をたどると、リーダーシップとは、自分の慣れ親しんだ考え方や環境を飛び越え、新しい選択をすることなのである。
そういう意味でも、ユベールは真のリーダーだと思う。
ユベールは、かつては人を大切にするような人物ではなく、「従業員は仲間ではなく障害だと思っていた」「私はフィードバックを受け付けない人間だった。自分は完璧だと勘違いしていた」と告白している。そうしたエピソードの数々は、とても意外だった。フィードバックを否定するなんて、あの柔和で謙虚なユベールの現在の姿からは想像もつかない。成功を収め、優秀な人間であったにもかかわらず、ユベールは思い直し、変わることを選んだ。驚くべき自己変容だ。
読者のみなさんが本書をきっかけに、新しい選択・新しい行動を見つけ、未来を変えることを願っている。