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エドガー・シャインの世界 ④『問いかける技術』監訳者解説(金井壽宏)

人と組織の研究に多大な影響を与えてきた伝説的研究者、エドガー・シャイン。半世紀にわたる研究の集大成『謙虚なリーダーシップ』の出版に合わせて、弊社から出版している過去作品をご紹介します。最新作はエッセンスを凝縮したコンパクトな著作となっており、過去作と合わせて読むことで、実践に向けてのより豊かな示唆が得られると思います。今回は2014年出版の『問いかける技術』に収録された、エドガー・シャインの弟子でもある監訳者金井壽宏さん(当時:神戸大学大学院経営学研究科教授)による解説です。

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世の中に実用書やビジネススキルの解説書は数多くあるが、さまざまな学問分野の確かな理論的基礎を持ち、かつ著者自身の豊かな実践経験に裏打ちされた書籍はけっして多くはない。しかも奥深い内容を平易に語ったものとなると、きわめてまれだろう。

その意味で本書は、まさに類まれな一冊だ。

著者のエドガー・H・シャイン先生は、組織開発や組織文化、キャリア開発などの分野の第一人者である。米国をはじめ世界の多くのビジネスパーソンのキャリアへの考え方に影響を与えた「キャリア・アンカー」の概念や、「プロセス・コンサルテーション」と呼ばれる独自の組織開発手法を編み出したことで著名であるほか、近年は、助けを求める人(クライアント)に対する支援のあり方をめぐる「支援学」の研究でも知られる。

エドガー・H・シャイン Edgar H. Schein
ⅯITスローン経営大学院名誉教授。シカゴ大学を経て、スタンフォード大学で心理学の修士号、ハーバード大学で社会心理学の博士号を取得。ウォルター・リード陸軍研究所に4年間勤務したのち、ⅯITで2005年まで教鞭を執った。組織文化、組織開発、プロセス・コンサルテーション、キャリア・ダイナミクスに関するコンサルティングを行い、アップル、P&G、ヒューレット・パッカード、シンガポール経済開発庁などの企業・公的機関をクライアントとしてきた。また、組織文化&リーダーシップ研究所(OCLI.org)のさまざまなプロジェクトに、息子ピーターとともに取り組んでいる。『人を助けるとはどういうことか』、『問いかける技術』、『謙虚なコンサルティング』(いずれも英治出版)など著書多数。『謙虚なリーダーシップ』(原題は"Humble Leadership")は、Strategy+Business誌が選ぶ2018年ベストビジネスブック賞(マネジメント部門)を受賞。

本書は、支援学の延長線上にシャイン先生が見出した、人間関係構築のかぎである「問いかける」という行為について、深く掘り下げた著作だ。日常性のなかに組織心理学や組織開発の知恵を活かす試みとしても興味深い。

「問いかける」という行為と人間関係

われわれは日々、さまざまな相手とコミュニケーションをとる。仕事であれ私生活であれ、コミュニケーションを上手に行うことの重要性を理解しない人はいないだろう。しかし、コミュニケーションについて、われわれは学校や職場で、どのようなことを学んできただろうか。

ビジネスの世界では、伝えたいことを論理的に話す能力や、明解な表現力や、視覚的イメージも用いたプレゼンテーションのスキルなど、「話す力」が重宝されがちだ。それを高めるための研修や書籍もあふれている。また筆者の務める大学などの教育現場においても、学生たちは、プレゼンテーション能力をはじめとする「話す力」をますます求められているし、身につけようと努力もしている。

このようにコミュニケーションの「話し手」として向上することに意識が払われている一方で、「聞き手」としてはどうだろう。「人の話をよく聞く」ことは初等教育から繰り返し教えられることだし、生活のなかで「よい聞き手」の存在に感謝した経験を持つ人も少なくないだろう。

ビジネスの世界では、上司の言うことをしっかり「聞く」ことが求められる場面も多いだろうし、最近はコーチングなどの影響もあって上司が部下の話を聞くこと、じっくり耳を傾ける「積極的傾聴(active listening)」の大切さもしばしば語られる。

だが、「問いかける」という行為についてはどうだろう。本書の原題はHumble Inquiry: The Gentle Art of Asking Instead of Tellingであり、テーマは「聞く/聴く(hear / listen)」ではなく、「問いかける/尋ねる(inquire / ask)」という行為である(「聞く」と誤解されてはいけないので本書では「問いかける」と訳した)。

「話す」「聞く」行為と比べて、われわれは「問いかける」という行為について、意識的に学ぶ機会を、どれだけ持っているだろうか。そして本書でシャイン先生が明らかにしているのは、その「問いかける」という行為こそが、良好なコミュニケーションのかぎであるということだ。

もっとも、「問いかける」といっても、その性質はさまざまである。ただ自分の知りたいことを質問するものもあれば、相手に発言を促すためのものもあり、また質問のかたちを取りながらも自分の意見を伝えることを目的とするものもある。

このような性質の違いについては第3章で詳しく記されているが、ここでは本書における「謙虚に問いかける」という行為が、よい人間関係を築くこと、お互いにとって好ましい関係を築くことを主眼としていることに留意していただきたい。

われわれは、仕事の世界では、課題(タスク)達成のウェイトが、関係性へのケアよりも、つい優先されがちだが、実は、プライベートライフでも、たとえば、学校から帰ってきた子どもに、親がいきなり「遊びに行ってもいいけれど、まず宿題やってからね」と言うだけなら、タスク一辺倒だ。

つながりを大事にするなら、相手に関心をもって問いかけること、それも、子どもに対してでも、「謙虚に問いかける」姿勢が望まれる。

したがって本書はコミュニケーションのスキルを扱った本ではあるが、それは自分の知りたいことを他者から聞き出したり、自分の考えを他者に伝えたり、自分の思いどおりに他者を動かしたりすることだけを追求するスキルではない。

核心にあるのは、他者と良好な人間関係を築くという視点である。同時にそれは、ただ仲の良い関係をつくるという話にとどまるものでもない。本書の「はじめに」でシャイン先生はこう述べている。

世界は今、目に見えて複雑になり、文化の多様性が増し、人々が互いに依存し合うことによって成り立っている。だからこそ、良好な人間関係を育む適切な質問をすることは、きわめて重要である。相手の考えを聞く、その人と互いに尊重し合う気持ちを大切にする、相手は自分が必要とする知識を持っているであろうことに気づく──。こうした心がけがなければ、国籍も職業も経歴も異なる相手を理解することはできないし、ましてや一緒に仕事をしていくことなどかなわない。(16頁)

よい人間関係を築いてこそ自分の目的(知りたいことを聞いたり、考えを伝えたり、他者に動いてもらったりする)も遂げやすくなるし、他者の目的を支援するうえでも、相手とどのような関係を築いているかがその支援の有効性を左右する。

仕事であれ私生活であれ、自分のやりたいことをするうえでも、他者のやりたいことを支援するうえでも、よい人間関係をつくること、そのために「謙虚に問いかける」という作法がかぎとなるのである。

ここにコミュニケーションスキルの一つ、アサーションとの共通性を見出される方もいるだろう。アサーションとは、相手に自分の意見を押し付けたり、逆に言いたいことを言わずにフラストレーションを溜めたりするのではなく、お互いを尊重しながら言いたいことを率直に伝える技術である。

アサーション入門』等の著書がある平木典子先生によれば、それは自分も相手も大切にする道であり、人との接し方だけでなく、生き方にもプラスの影響を与え(生き方に含まれる働き方にも好影響をもたらし)、自分らしさを大切にするのにも役立つ。自分の考えを「伝える」スキルを高めたい方は、本書と併せてアサーションに関する書籍もご覧になるとよいかもしれない。

本書の背景にある理論

さて、よい人間関係をつくることはわれわれが日々遭遇しているテーマであり、本書の対象読者も実に幅広いわけだが、かといって本書は、本屋でよく見かける、いわゆる万人向けの通俗的実用書という枠に収まるものではない。

冒頭に記したように、組織開発の分野で卓越した業績をもつシャイン先生の著書である本書は、平易な語り口でありながらも、心理学や社会学、組織心理学、組織行動論といった学問分野の知見にしっかりと根差している。しかも、一般の実用書は、「なんでも相談」のようについつい大部のものが多いが、この書籍は、コンパクトで焦点の定まったメッセージをもっている。

シャイン先生が実際に、30年以上も前のことだが、MIT留学中の私を含む博士課程の院生に対して、いつもにこにこしながら、和やかに問いかける形で、ゼミの場をもたれた。特定の研究テーマや研究課題に興味をもつ、学問的理由だけでなく、個人的理由も、大切に質問されることが多かった。

研究課題の内容だけでなく、その内容に興味をもつようになったいきさつ、そこでなにをどこまでどのように調べたいのかついて、よく尋ねられた。容易に想像できることだが、シャイン先生はその当時でもすでに大先生の境地であったが、頭ごなしに決めつけることや、詰問調の問いかけをなさることはけっしてなかった。

さて、本書は、専門書ではないが、それでも、本文中、いくつか聞き慣れない用語に出くわした方も多いだろう。できるだけ一般向けに普通の言葉を用いながらも、確かな理論的基礎に立脚しているために最低限の専門用語は使われている。それらのうち特に必要と思われるものには簡単ながら用語解説(237頁)を記したので参照いただきたい。

ともかく、本書は「問いかける技術と心構え」の平易な入門書という側面を持ちながらも、読み進めるなかで自然に理論的視点を学ぶこともできる内容となっている。

そもそも本書は、シャイン先生が前著『人を助けるとはどういうことか』(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2009年)で提示した、「支援学」の研究に立脚している。

前著においてシャイン先生は、交換によって社会秩序が形成されるとする「社会経済(social economics)」と、社会生活で人が役割を演じることに着目する「社会劇場(social theater)」という二つの観点から、対人関係を理論的に考察している。

端的にいえば、社会経済とは人間関係をなんらかの交換として捉える見方であり(たとえば部下に対する上司の「指導」と、上司に対する部下の「尊敬」が交換されるなど)、社会劇場とは人間関係が役割によって規定されるとする見方である(たとえば、家庭では親、職場では上司、社長との間では部下の役割を演じるなど)。

そして、社会経済における交換のバランスや、社会劇場における役割期待に反する振る舞いがあったとき、その人間関係は揺れ動くことになる。

人を助けるとはどういうことか』では、こうした理論的枠組みによって、支援する側・支援される側の関係性が議論された。「人を助ける」という行為が、時として押し付けがましい介入になったり、相手に劣等感や恥ずかしさを抱かせるものになったり、そのために相手から拒絶されたりすることになるメカニズムを明らかにし、本当に相手のためになる支援、相手が受け入れやすい支援とはどういうものかを説いたのである。

世の中には、「助けにならないが助けたつもり(unhelpful help)」が満ち溢れているというのが、前著のひとつのメッセージでもあった。

こうした前著の内容が本書に通じていることは容易にご理解いただけるだろう。『人を助けるとはどういうことか』においてシャイン先生は、適切な支援を行ううえで有効な手段として「問いかける」という行為に着目した。相手がなにを望んでいるのか問いかけることなく、助けたつもりになってしまうのは、不遜でさえある。

しかも、支援においては一般に、支援する側が支援される側(クライアント)よりも一段高い地位に立つことになりやすい。逆に言うなら、支援される側のほうが、ワン・ダウンという立場におかれる。そうならないために、支援のために、それに先立ってなされる問いかけは、謙虚な問いかけを目指すのが望ましい。問い詰めるつもりはなくても、クライアント側はワン・ダウンという立場に置かれ、劣等感や無力感を覚えることがあり、そのことが円滑な支援を難しくする。

そうした事態を避けて有効な支援を行うには、クライアントの自信を傷つけず、むしろ自信を強めさせるように働きかけること(介入)が求められる。

その第一歩としてシャイン先生がこの新著で提唱したのが「謙虚に問いかける」という行為なのだ。実際に『人を助けるとはどういうことか』でもこの言葉は萌芽的には登場している(ただし、この前著ではhumble inquiryを「控えめな問いかけ」と訳出していた。本書では、本書でより具体的に定義されたこの概念の意味を表すうえでより適切と思われたので「謙虚な問いかけ」に訳語を改めた)。

いわば他者に支援を与えるうえでの流儀として見出した「謙虚に問いかける」という行為について、シャイン先生は、これが支援関係についてだけでなく、あらゆる人間関係を好転させるためにも有効であることに思い至った。

クライアントの自信を弱めてしまうような支援の仕方──クライアントが既に知っていることについて助言したり、教え諭すような言い方をしたり、作業を一方的に肩代わりしたり──は、問題解決のために相手との関係を(しばしば意図せずして)犠牲にしてしまう。

これに対して、「謙虚に問いかける」ことによってクライアントの自信を高め、本当のニーズに応えようとする支援の仕方は、まず相手との関係を大切にし、その結果としてよりよい問題解決に至る。

これは社会学における用具的関係と表出的関係、すなわち「課題指向の関係」と「人間指向の関係」の対比であり、この対比を支援関係のみならず他のさまざまな場面での人間関係にも適用してみせたのが本書といえる。

また、「課題指向(task-oriented)」と「人間指向(personal)」の対比は、リーダーシップ研究において長年対比されてきた、リーダー行動の基本二次元に関わっている。

課題指向の行動とは、目的を決め、課題を明らかにし、それらを遂行する筋道を示し、分業し、遅れているときは発破をかけるような行動を指す。しかし、人間はロボットでもコンピュータでもなく、課題を遂行することだけに関心を持つものでもなく、さまざまな期待や感情や要望を持つ生き物である。そうした側面に課題指向のリーダー行動は十分に対応できない。

そのためリーダー行動のもうひとつの基本次元である人間指向の行動、他の人々との関係性への配慮が必要となる。この行動は、細かな心配りをする、一人ひとりを対等な存在として扱う、友達のように親しく接する、といった質問項目で測定される。

リーダーシップ研究で有名なオハイオ州立大学では、課題指向の行動を「構造づくり」、人間指向の行動を「配慮」と呼ぶ。また、日本の三隅二不二教授によるリーダーシップのPM理論では、前者を課題遂行や成果追求という意味でパフォーマンス(P)に直結する行動、後者を集団のメンバーの気持ちが離れて空中分解しないように維持するための行動という意味でメンテナンス(M)に関わる行動であると表現している。

このように長年のリーダーシップ研究に通じる「課題指向の関係」と「人間指向の関係」の対比は、「話す(Tell)」と「尋ねる(Ask)」の対比というシンプルな枠組みとして本書全体を通じて用いられている。

原書の副題The Gentle Art of Asking Instead of Tellingに見られるように、「話す」と「尋ねる」の対比は、本書のコンセプトであるとともに、理論的基礎を示すものでもあるのだ。

シャイン経営学における本書の位置づけ

このように、本書は『人を助けるとはどういうことか』で提唱された支援学から派生的に生まれたわけだが、それ以前の研究も含めたシャイン経営学全体のなかではどのような位置にあるのだろうか。

その体系を知ることは、身近なテーマを扱った本書を出発点として読者の皆さんに奥深いシャイン経営学の世界に入っていただくきっかけになるかもしれない。

以下、『人を助けるとはどういうことか』の解説とも多くが重複するが、シャイン経営学の全体像と系譜を紹介していきたい。

本書は次のような体系に根差している。

● 経営学の中の一つの体系的な分野としての組織行動論
● その理論的淵源の一つが、シャインの組織心理学(基礎となる理論)
● その応用的源泉の一つが、クルト・レヴィンのアクション・リサーチ(理論の応用)
● アクション・リサーチの一環としてNTLで開花した組織開発(組織への応用)
● 組織開発の流派の一つとしてのプロセス・コンサルテーション(広範な応用)
● プロセス・コンサルテーションから生まれたより身近な「支援学」(身近な応用まで含む)
● 支援学の流儀をより幅広い状況に適用した「謙虚に問いかける」(身近かつ広範な応用)

経営というものは、ヒト、モノ、カネから成り立つ(最近は情報や知識も含まれる)といわれるが、特にヒトの問題に焦点を合わせるのが、経営学における組織行動論と人材マネジメント論である。

組織行動論は、組織心理学および組織社会学の影響を受けて生まれた経営学の一分野である(このことを反映して、わたしが在籍していたころのMITスローン経営大学院の博士課程には、「組織と仕事の心理学」と「組織と仕事の社会学」というペアの科目が提供されていた)。

アメリカ経営学会(Academy of Management:AoM)の中で、組織行動論部会(OB Division)は、約6,300名のメンバーを擁する最大の部会となっている。経営学では、経営戦略、マーケティングやファイナンスなどがビジネスを学ぶ王道と目され、組織行動論はややソフトでマイナーな領域と捉えられることもあるが、経営は究極的には人の問題でもあり、組織、集団における人間行動を扱う組織行動論はきわめて重要なものだと私は考えている。

とりわけ経営幹部になる人には、経営戦略を編み出し、実行していくのも、組織のなかの人間であるので、モティベーション、キャリア、リーダーシップといったひとにまつわるテーマは避けて通れないであろう。

そしてまた「支援学」や「謙虚に問いかける」という技術も、ビジネスリーダーの方々にはぜひ学んでほしいし、特に「謙虚に問いかける」については、人との関わりの中に生きるあらゆる人にとって役立つ実践的技術だと考えている。

本書は、経営学の枢要なテーマのひとつである組織行動論の大家が、ともに生きる人々と良好な関係を築くという、一般の方々にとって身近な問題を読み解いたものであり、確かな学問的・理論的基盤を持ちながらもわれわれの日常に近い、実践的な書籍なのである。

「謙虚に問いかける」に至るシャイン経営学の系譜

組織心理学に根差したシャイン経営学だが、その発端が同調や説得の研究にあったと聞くと、驚かれる人は多い。スタンフォード大学の修士課程においてシャイン先生は、社会的影響力と模倣について研究した。ソロモン・アッシュによる集団圧力の研究が有名な領域である。

シャイン先生の研究は、人があるものを重いと感じるか軽いと感じるか、その感覚に集団の存在がどのように影響するかというものだった。ハーバード大学の博士課程では、スクリーン上の点の数を数え上げるという課題を課された五人の被験者が互いの判断にどのように影響されるかを調査した。そのような(正解のある)認知的判断においては同調が起こりやすく、他方で(正解のない)審美的判断では同調が起こりにくい。このことを明らかにした論文がシャイン先生の学会デビュー作となった。

博士号取得後、ワシントンDCの学際的な研究機関、ウォルター・リード陸軍研究所の研究員となったシャイン先生は、「強制的説得(coercive persuasion)」の研究に取り組んだ(日本では米国のジャーナリストのエドワード・ハンターによる「洗脳(brainwashing)」という言葉が有名だろう)。

朝鮮戦争で中国共産党の捕虜になったアメリカ人兵士の中には、共産党を支持して米国への帰国を拒否する者がいた。シャイン先生自身は、研究者としてご自身のキャリアの初期に、この出来事の背景にあった中国共産党による思想教育、すなわち強制的説得のプロセスを、丁寧な聞き取り調査によって解明したのである。

この研究においてシャイン先生は、オープン・エンドで半構造的なインタビュー法(基本となる問いは用意するものの、自由に話してもらうという臨床的な方法)を使用し、それが後のキャリア研究におけるインタビューでも用いられることになった。

同調とは集団圧力によって個人の考えが変化するプロセスである。集団の力によって個人が変えられるのであり、政治的イデオロギーを注入する強制的説得には個々の尊厳を踏みにじるような側面がある。

だが、これが優れた経営理念の浸透に用いられたとしたらどうだろうか。確かな倫理観・価値観に支えられていれば、それは組織開発の手法にもなり得る。シャイン経営学は、このように負の側面をも見据えたうえで構築されたのである。

1956年にMITスローン経営大学院の助教授となったシャイン先生は、その実践的で学際的な環境の中で経営学的な研究に踏み込んでいった。心理学という基盤の上には、組織と個人の関係、モティベーション、リーダーシップ、影響力、コミュニケーションなど、組織行動論につながるテーマを見出していける。

シャイン先生が取り組んだのは、組織社会化(organizational socialization)に関わる調査研究だった。企業において、新たに入社した個人がその組織の価値観をどのように内面化していくのか、その結果として個人の態度や行動がどのように変化するのかを調査したのである。

44名のビジネスパーソンを被験者とした10年がかりの調査研究を行ったが、結果は想定とは異なった。組織の価値観が個人に与える影響はまちまちで捉えどころがなかったのだ。

組織社会化の実証としては失敗した研究だったが、思わぬ成果があった。被験者一人ひとりは、ビジネスパーソンとしての10年間に、働くうえで個人として大切にする価値観や信念を持つようになっていた。会社や仕事が変わっても変わることなく持ち続ける、キャリアの拠り所があったのである。

シャイン先生はこれを「キャリア・アンカー」と名付け、「管理能力」「技術的・機能的能力」「安全性」「創造性」「自律と自立」「奉仕・社会献身」「純粋な挑戦」「ワークライフバランス」の8つに分類した。

自分のキャリア・アンカーを知っていれば、キャリアの転機での判断の助けとなる。このようにしてシャイン先生の研究は、思いがけない発見を通じて、個人のキャリア開発支援を射程に入れることとなり、それが他面では組織文化の研究にもつながっていった。  

同調と強制的説得の研究から自身のキャリアを始めたシャイン先生による組織開発やキャリア開発の研究には、その根底に、個人の自律を重視する人間観がある。個人を屈従させ依存させる組織ではなく、自分で考えられる自律した個人が協力し合う組織を健全だとみなす組織観がある。

MITのリンカーン・ラボラトリーにおける研究プロジェクトから生まれたコンピュータ企業、DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)の求めに応じて、シャイン先生が行ったコンサルティングも、そのような見方に即したものだった。

先生の解釈によれば、DECの組織文化は、第一に、アイデアの源泉は個人にある、第二に、そのアイデアがよいアイデアかどうかは、きびしい議論を経ないとわからない、第三に、互いに敬意を払う文化があれば、議論から創造的な製品が生まれる、という三つの仮定から成り立っている。

経営戦略の専門家ではないシャイン先生は、DEC社の戦略や施策の内容面に貢献しようとすることは控え、同社の人々が適切な議論をして戦略を策定していくプロセスを作ることに、組織開発の観点から貢献したのだ。

戦略のコンテンツの専門家を招き入れると戦略の内容まで外部者が提示することになるが、シャイン先生が提唱したプロセス・コンサルテーションという独自の組織開発手法では、戦略の中身は内部者が議論のなかから、より適切に編み出すプロセスに介入するに留まる。

このようにシャイン先生は、プロセス・コンサルテーションという方法を提示し、さらに、組織文化を組織開発の一分野として開拓した。組織の内部者だけでは解読しがたい組織文化について、外から論評したり診断結果を押し付けたりするのではなく、議論の場をつくりファシリテーターとなって、内部者が自ら組織文化を解読するプロセスを設計する。  

プロセス・コンサルテーションにおける介入は、クライアントに「支援者」として関わることにほかならない。そこから前著『人を助けるとはどういうことか』で展開された「支援学」が生まれた。先述したとおり、その視座を支援関係に限らず人間関係全般について有効な流儀として示したのが本書である。

実践的なシャイン経営学、実践者としてのシャイン先生

ここまでに紹介してきたシャイン経営学の系譜をご覧になって、読者の皆さんはどのような感想を抱かれるだろうか。私自身は、これらの研究が元をたどれば洗脳(強制的説得)への関心に発していたということをシャイン先生から初めて聞かされたとき、非常に驚いた。

また読者の皆さんは、同調、教化、組織文化、自律的なキャリア形成、社会関係、支援といった一連の研究が、つねに個人と集団、また個人と個人の関係性をめぐって展開されてきたことに思い至るだろう。シャイン経営学の根底にはつねに、本書で中心テーマに据えられた、人と人との関係性に対する視座がある。

そのような視座の形成にも大きく影響したと考えられる一要素として、シャイン先生自身が、ある文化から異なる文化に飛び込み、適応し、自分の立ち位置を見出していくといった経験を、多感な頃からしてきたことに触れておきたい。

シャイン先生は1928年にユダヤ系ハンガリー人の父とドイツ人の母のもとに生まれた。父が働いていたスイスのチューリッヒで生後6年間過ごした後、父の勤務先の変化によってソ連に移住、まもなくスターリン政権を逃れてチェコに移り、さらにヒットラーの台頭を機に米国に逃れた。シャイン先生が10歳の頃のことだ。

幼い時期をドイツ語、ロシア語、チェコ語の環境で過ごし、米国へ渡った当時は英語をまったく知らなかったという。運動が得意で、英語もすぐに上達し、新たな文化への適応はスムーズだったそうだが、ある文化から別の文化へ逃げるように移ってきたこと、そして自分らしさを失わず適応できたということは、文化への適応や個人と集団の関係といった事柄への関心の原点となったように思われる。

自身の開発したキャリア・アンカーに照らせば、シャイン先生のキャリア・アンカーは「自律性」だという。MITスローン経営大学院の助教授となったとき、シャイン先生にはもうひとつの選択肢として、コーネル大学の心理学部での職があった。

コーネル大学からのオファーを断ることは、社会心理学の本流から離れることを意味するとも感じたそうだが、MITの学際的な環境や、実験的・創造的な研究をする機会、現実社会と密着した経営学に引かれてMITを選んだという。その選択を後悔したことは一度もないと語っておられる。

同じく大学教授だった父親の存在も、シャイン先生に大きな影響を与えているに違いない。父は物理学者(亡命後はシカゴ大学の教授)だったので、シャイン先生は大学時代には物理学にも関心を持っていたという。結果的には異なる分野に進んだものの、教育者という職業・キャリアは父と同じだという認識を持ったというし、研究者としての姿勢においても多くを学んだのではないか。

父子の間で共通するのは、学問への情熱と、基礎学問が社会にどのように関わるかという実践的問題への強い関心だった。父親は第二次世界対戦に入るころ、研究仲間の一団が原子爆弾の開発に向かっていく中、原爆への核物理学の応用に反対して参加しなかった。

このエピソードは、学問は応用の仕方によっては社会に役立つどころか、社会の害悪になりうることをシャイン先生に強く印象づけたことだろう。このような二面性は、強制的説得と経営理念浸透の対比にも見られるし、支援という行為が相手を弱い立場に置くことにもなるといった現象の理解にも通じるように思われる。

このように、シャイン先生は自らの体験や実感を大切にして自律的な研究を行い、実践的問題への強い関心をひとつの特徴とするシャイン経営学を培ってきた。確かな理論的基盤を持ちつつも、理論研究のみに閉じこもることなく経営の現場に関わり、そこで得られる示唆からさらに理論を発展させてきた。

プロセス・コンサルテーションの開発者・研究者であるとともに実践者として数多くの企業に関わってこられたのは、シャイン先生にとって当然のことかもしれない。そして、「謙虚に問いかける」についても、シャイン先生が一流の実践者であることは、本書で紹介されているいくつかの事例が示すとおりである。

また、シャイン先生のもとで学んだ私は、シャイン先生の人に対する接し方に「謙虚に問いかける」という軸があることを実感として知っている。博士課程の院生と研究室で面談するときのシャイン先生は、つねにプロセス指向の問いかけによって院生の発言を促し、必要が生じたときにのみ内容の専門家として助言するというスタンスをとっていた。

院生が研究室を訪ねると、先生はたいていニコニコして、まずWhat can I do for you?と問いかけてくる。その気さくな態度と問いかけに接して、私たちはいつも安心してシャイン先生と会話を始めることができるのだった。

難しいことを平易に語る、という姿勢にも、実践を重視するシャイン先生の姿勢が表れているといえるだろう。シャイン先生は自分の著書が読者に「わかりやすい」と言われることを最も好み、実際にその評価を一貫して得てきた。

シャイン先生が研究者として情熱を燃やしてきたのは、複雑な組織現象を理解し明確にすること、その現象を意味あるかたちで理論的に単純化すること、それを読者や学生にわかりやすく提示することなのである。

本書でも、「話す」と「尋ねる」、課題指向と人間指向といった明快な枠組みに加え、問いかけの具体例を数多く示し、第2章ではケースごとに教訓をまとめるなど、わかりやすい書き方に努められている。

なお、本書の翻訳にあたっては、訳者にはシャイン先生の平易な語り口をできるかぎり再現するよう努めてもらったが、翻訳という作業の性質上、また理論的な正確性・整合性を担保する必要上、英語では一語で済むが日本語ではやや回りくどい表現をしなければならない箇所や、補足的な説明をしなければならない箇所もあり、原書の明瞭さには及んでいないかもしれない。

一方で日本語版では、日本語の文章としての読みやすさという観点から、シャイン先生の了承を得たうえで、原書にはない改行を多数追加し、箇条書き等、一部の表記スタイルを変更した。読者の方が原書と邦訳を対照された場合、そうした違いに気づかれるだろうが、編集措置としてご理解いただければ幸いだ。

日本人にとっての「謙虚に問いかける」

最後に、「謙虚に問いかける」という行為が、特に日本人の読者にとってどのような意味を持ち得るかについても考えてみよう。

本書においてシャイン先生は、「自分が動き、自分が話す文化」を米国の文化のひとつの特徴として述べている。読者の皆さんのなかには実際、それは日本の文化にはさほど見られないと感じられた方もいるかもしれない。

むしろ、課題の遂行よりも人間関係を優先し、自分が一方的に「話す」よりも「問いかける」傾向を、日本文化は備えていると感じられる方もいるかもしれない。私自身もそう感じるところがある。問いかけることがワン・ダウンになるからといって、それで卑屈になるというよりは、「相手を立てる」ことをポジティブにとらえる文化が日本にはある。

人類学者の中根千枝氏の「タテ社会」や社会学者の浜口恵俊氏の「間人主義」というキーワードを引くまでもなく、「間柄」を尊重するのも日本文化の一つの特徴だろう。

一方で、そのような文化が近年ほころびかけ、米国的な「自分が動き、自分が話す文化」に近づきつつあるのではないかという感覚も私は持っている。

近年、日本の企業社会では、グローバル化への対応といったかけ声のもと、対決的な議論に打ち勝つためのディベートのスキルや、理詰めで相手を説得する交渉術、プレゼンテーションのスキルなど、「話す力」を重視する傾向がかなり強まったように感じる。

また人材の流動性が高まり、競争環境が激化し、変化が日常茶飯事である今日のビジネス環境で、職場の人間関係も、人間指向より課題指向が強くなっているようにも思われる。閉塞状況において変革を強力に推進していくうえで、課題指向のアプローチが力を発揮することも事実である。

だが、そのような傾向に問題を感じておられる方も多いだろう。変化の必要性を理解しつつも、人間関係を大切にする指向性を失わずにいたいという気持ちは、多くの日本人ビジネスパーソンが持っているのではないだろうか。コーチングやダイアローグ(対話)といった、問いかけと傾聴を大切にしながら変化を促す手法への関心が高まっているのも、その表れだろう。

もともと人間指向の強かった日本の企業社会は、時代の変化のなかで、課題指向を強めたり、グローバル化する米国的な「自分が動き、自分が話す文化」への適応を試みたりしながらも、今また人間指向に立ち返り、ビジネスの成果を追求する道を模索しているのかもしれない。

シャイン先生は「はじめに」で、多くの重大事故の背景に組織の現場と上層部のコミュニケーションの問題があること、また多くの組織の幹部が「自分はオープンに部下の意見を聞きたい」と語る一方、部下は上司に意見を言うことに不安を感じがちであることを指摘している。

このような組織の風通しの悪さがもたらすリスクの大きさは、日本企業の多くのリーダー、マネジャーも痛感するところではないだろうか。人間関係は身近な問題だが、その影響はけっして身近な範囲だけに留まらない。

また昨今の日本社会では、ビジネスの文脈に限らず、人間関係の大切さを改めて見つめなおす動きが多方面で起こっているようにも思われる。

2011年の東日本大震災を機に、社会生活のセーフティーネットとして、また地域社会のレジリエンス(再生力)のかぎとして、人と人との「絆」の重要性が盛んに語られたことは記憶に新しい。

高齢化への対応や、子育て支援、働き方の多様化、ダイバーシティの推進といったさまざまな社会的課題を考えても、家庭、地域、職場での良好な人間関係や、世代や価値観や文化的背景の違いを超えてよい関係を築く力の重要性は、ますます高まっているといえよう。

ボランティアで被災地に行かれた人々も、この地域の被災者の方々にとって何が意味ある支援かを知らなければ、本当に相手の役に立つことは難しい。住民を支援するのに先立ち、何をすれば役に立てるのかを、謙虚に問いかける段階が必要となる。

読者の皆さんが、本書を読み終えた後、家庭でも職場でも友人関係でも、身の回りの人との関係において「謙虚に問いかける」を実践し、良好な人間関係と優れた組織をつくり、幸せで充実した人生を送っていかれることを願っている。

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、本文にはない改行を加え、漢数字はアラビア数字に改めています。

エドガー・シャインの最新著作『謙虚なリーダーシップ』(2020年4月発売)

金井壽宏(かない・としひろ)
1954年生まれ。立命館大学 食マネジメント学部教授、神戸大学名誉教授。1978年京都大学教育学部卒業、1980年神戸大学大学院経営学研究科博士前期課程修了、 1989 年マサチューセッツ工科大学でPh.D.、1992年神戸大学で博士(経営学)を取得。1999年に神戸大学大学院経営学研究科教授就任。モティベーション、リーダーシップ、キャリアなど、働く人の生涯にわたる発達や、組織における人間行動の心理学的・社会学的側面を研究している。最近はクリニカルアプローチによる組織変革や組織開発の実践的研究も行っている。『変革型ミドルの探求』(白桃書房)、『ニューウェーブ・マネジメント』(創元社)、『経営組織』(日経文庫)、『働くひとのためのキャリア・ デザイン』(PHP新書)、『リーダーシップ入門』(日経文庫)など著書多数。

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エドガー・シャインの世界
人と組織の研究に多大な影響を与えてきた伝説的研究者、エドガー・シャイン。半世紀にわたる研究の集大成『謙虚なリーダーシップ』の出版に合わせて、弊社から出版している過去作品のご紹介と、『謙虚なリーダーシップ』の本文を一部公開します。

第1回:『人を助けるとはどういうことか』監訳者序文(金井壽宏)
第2回:『人を助けるとはどういうことか』監訳者解説(金井壽宏)
第3回:『問いかける技術』監訳者序文(金井壽宏)
第4回:『問いかける技術』監訳者解説(金井壽宏)
第5回:『謙虚なコンサルティング』監訳者序文(金井壽宏)
第6回:『謙虚なリーダーシップ』はじめに全文公開
第7回:『謙虚なリーダーシップ』第9章 読書ガイド

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