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エドガー・シャインの世界 ②『人を助けるとはどういうことか』監訳者解説(金井壽宏)

人と組織の研究に多大な影響を与えてきた伝説的研究者、エドガー・シャイン。半世紀にわたる研究の集大成『謙虚なリーダーシップ』の出版に合わせて、弊社から出版している過去作品をご紹介します。最新作はエッセンスを凝縮したコンパクトな著作となっており、過去作と合わせて読むことで、実践に向けてのより豊かな示唆が得られると思います。今回は2009年出版の『人を助けるとはどういうことか』に収録された、エドガー・シャインの弟子でもある監訳者金井壽宏さん(当時:神戸大学大学院経営学研究科教授)による解説です。

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難しいことを平易に語る。深いことなのに軽妙に語る。これは、普通はなかなかできることではない。多読家として、文献を渉猟してはおられるのに、自説を支持する厖大な文献をひけらかすこともなく、シャイン先生は、その叡智をこのコンパクトな書籍に結晶している。

本書は、助けを求める人(クライアント)にうまく接するため、著者が独自に編み出したプロセス・コンサルテーションに関わる著書として、6冊目にあたる書籍だ[1]。

本書は、精緻な理論モデルを提示し、大量に集められた体系的なデータをもとに、その理論を厳密に検証することを目的とはしていない。私がよく使う言葉では、(裏付けのある)持論が開陳された書である。

随所において、支援の望ましいあり方を実現するための原理・原則、実践のコツが語られ、さらに実践につながる会話例も豊富であり、自分ならどういう助けの言葉を述べるだろうかと考えながら読める。

クルト・レヴィンの教え[2]に忠実に、しかし、無理はせずしなやかに、本当に実践に役立つ経営学を組織行動論の分野で開拓してきたシャイン先生ならではの叡智が、原理とコツという形で集大成されている。

そして、悲しいことではあるが、本書執筆中に亡くなった配偶者のメアリーさんに、本書は捧げられている。「支援について私が知っていることのすべてを教えてくれた妻、メアリーに」と献辞で述べられているように、シャイン先生に、相手に本当に役立つ支援とはどういうものかを、最も身近で教えてくれたのはメアリーさんであった。

乳ガンと闘う妻の助けになりたいと思ったシャイン先生の看病経験における支援行為が、本書の中で例示として何カ所かで登場する。そこがまた心温まる素材でもある。

エドガー・H・シャイン Edgar H. Schein
ⅯITスローン経営大学院名誉教授。シカゴ大学を経て、スタンフォード大学で心理学の修士号、ハーバード大学で社会心理学の博士号を取得。ウォルター・リード陸軍研究所に4年間勤務したのち、ⅯITで2005年まで教鞭を執った。組織文化、組織開発、プロセス・コンサルテーション、キャリア・ダイナミクスに関するコンサルティングを行い、アップル、P&G、ヒューレット・パッカード、シンガポール経済開発庁などの企業・公的機関をクライアントとしてきた。また、組織文化&リーダーシップ研究所(OCLI.org)のさまざまなプロジェクトに、息子ピーターとともに取り組んでいる。『人を助けるとはどういうことか』、『問いかける技術』、『謙虚なコンサルティング』(いずれも英治出版)など著書多数。『謙虚なリーダーシップ』(原題は"Humble Leadership")は、Strategy+Business誌が選ぶ2018年ベストビジネスブック賞(マネジメント部門)を受賞。

裏付けのある持論

人を助けるにはどうしたらいいのか。プロセス・コンサルテーションと呼ばれる支援の方法は、この問いへのシャイン先生一流の持論ではある。無手勝流の持論は、経験から導き出されるので、間違っていることもありえる。その点、シャイン先生には、研究者としてのキャリアゆえの、多数の諸理論による深い裏付けがある。

中でも、本書には、社会的経済学(と彼が呼ぶ社会学の交換理論)と社会劇場(と彼が呼ぶ異色の社会学者、アーヴィング・ゴッフマン流の世界)という理論枠組みがある。社会心理学と同等のウェイトが、社会学・人類学にも置かれている点が、学際的で実践的な社会科学書として興味深い。

それでも、本書で提示されているのは、科学的で厳密な実証結果というよりも、豊かな経験から帰納され、文献の支持も得ている実践的持論(practical theory-in-use)と呼んでもいいものだと私は思う。

社会秩序を維持する社会的経済学(social economics:人間関係、集団などにおけるより広義の交換、たとえば、いたわりと感謝、貢献と面子の交換などを含むという意味で、社会的経済学と呼ぶ)と日常の社会生活で役割を演じる社会劇場(social theater)という対比は、本書の特徴の一つであるといえる。

対人関係の本質をこの二面から捉える意味合いはどこにあるのか。社会的経済学の中では、支援は、社会関係の通貨(social currencies)だ。これは、市場経済よりは広い意味での交換関係の中で、たとえば、支援に対して、別の場面での支援を通じてお返しをすることもできる。

また交換の中身を広くとると、たとえば師弟関係ならば、私がシャイン先生を尊敬し、先生が私をいたわってくれるとしたら、尊敬・憧れと、いたわり・ケアが交換される。文字どおりの通貨のように為替レートは計算できないが、社会関係を交換として捉える見方が、経済学だけでなく社会学の中にもあるのだ。

また、この社会的交換と関わりがあるのだが、われわれには、ともにいる人々との関係性において演じる役割がある。たとえば、家庭という舞台では親、教室という劇場では先生としてふるまい、子ども、学生の助けになろうとしている。

そのような社会劇場の中での関係性において、支援者に対して感謝があって然るべきときにまったくそれがない場合、支援者は面子を失う。これが対人関係の演劇的側面を照射している。

しかし、face-saving(お金を貯めるのでなく、面子を大事に持つ)という言葉が、英語圏にも存在する。貯金ではないが、通貨のように信頼を貯めることはできる。

また、注目する(pay attention)の「ペイ(支払う)」という表現に見るように、面子に関わる社会劇場でも、社会的経済学という交換関係の側面が内在する。だから、関係性を支援で読み解く際、この社会経済と社会劇場という両面が不可分に存在するとシャイン先生は想定している。

本書をぜひお読みいただきたい読者層

さて、この新著(編集部注:『人を助けるとはどういうことか』)は、いったいどのような人に読んでいただくべきだろうか。興味深いことに、書籍によっては、Who should read this bookと明示的に書き記すこともあるシャイン先生が、本書ではそういう野暮な問いは立てていない。みんなの問題として、支援という関係を捉えておられるからだろうか。読者層を特定できないほどに、皆に読んでほしいということであろうか。

助けたい人がいる、助けてほしいことが日常の生活にあるかぎり、本書が扱っているのは、誰もに当てはまる問題である。そのように承知しつつも、初めてシャイン先生の著作に触れる方々のためにも、監訳者として、さらにいえば、自分もまたこの著作の日本人読者でもあるという観点から、この国でこの本を読んでほしいと思う方々をイメージするとどうなるか、素描させていただきたい。

● 誰かを支援すること自体が仕事の一部、もしくは仕事のほとんどの部分となっている職種で活躍している方々(英語では、支援プロ、もしくは定訳では援助職[helping profession]といわれる方々)──コンサルタント、ソーシャル・ワーカー、医者、看護師、介護福祉士。

● 前述と関連し、部分的にオーバーラップするが、従来の組織開発、ワークショップ、ファシリテーターなど、日本でもようやくにして市民権を得てきた実践的な介入[3](intervention)方法・技法に、思想的・哲学的にあきたらないと思っているビジネス界での組織開発の専門家、開発会議や企画、さらに街づくりの場でファシリテーターとして活躍する方々など、領域を問わず、各界のインターベンショニスト(介入のプロ)。

● より若い世代、より未経験な人たちを指導、コーチする立場にある方々──小学校から中高等学校の教員、大学レベル・大学院レベル(未経験というよりは経験豊かな院生から成る社会人大学院も含めて)の教員、語学やパソコンのインストラクター、絵・習字や楽器など、習い事のお師匠さんたち、スポーツなどの世界のコーチやビジネスの世界のコーチ(特にエグゼクティブ・コーチを目指す人)にも、本書を薦めたいと思う。

● 子どもや恋人、配偶者ともっと実りある関係を樹立したいと思う方々、より若い世代も含め友人や恋人との関係をよりよくしたいと思う方々──著者が愛する人にこれを捧げているのだから、これまでの親学や恋愛指南書にあきたらないと思った親や若者たち、さらには年配の夫婦などにも、読んでいただきたい。

● 支援を受ける立場にいることが多いが、そのことで苛立つこと、大切に扱われていないと感じてしまう状況を改善したいと思う方々──医者にとっての患者、介護を受けている人、先生にとっての生徒・学生、師匠にとっての弟子、修行中のスポーツ選手やプロの世界でまだまだ未熟だと自覚している修行中のプレーヤーたち。
これまで、親学やコーチングの指南書教授法はあっても、子学、生徒学、クライアント学というものはなかった。特に、学生たちには、人を支援する方法だけでなく、困ったときにうまく支援を受ける手だてを、原理・原則レベルから学んでほしい(たとえば、大学院MBAのゼミだけでなく、学部の金井ゼミ生、一般大学院の大学院金井ゼミ生には、今後は本書を必読書にしたい)。

● ややマニアックだが、通常の組織行動論ではなかなか実践に役立ちにくいと悩んでいるMBA修了者、経営学の最先端に触れたいといつも願っておられるようなプロジェクト・リーダーやライン・マネジャー、さらには経営幹部の方々、また学会で経営学、とりわけ組織行動の実践的な研究を目指している研究者の方々。
支援学は、コーチングや交渉術などの分野と同様に、組織行動論を現実に役立てる分野なので、経営学のユーザーと経営学の研究・教育者にも本書を開いてみてほしい。経営学の先進的ユーザーとして、大勢の部下たち、顧客を支援する役割を持つ経営幹部、幹部候補、管理職の方々の座右にも置いてほしい。

シャイン『支援学』(本書)を通じてのシャイン経営学、シャイン組織心理学入門 

シャイン経営学の世界への入門書として、本書を生かすという手もある。次のような体系の中に本書は根付いている。

● 経営学の中の一つの体系的な分野としての組織行動論
● その理論的淵源の一つが、シャインの組織心理学(基礎となる理論)
● その応用的源泉の一つが、レヴィンのアクション・リサーチ(理論の応用)
● アクション・リサーチの一環としてNTL(後述)で開花した組織開発(組織への応用)
● 組織開発の流派の一つとしてのプロセス・コンサルテーション(広範な応用)
● プロセス・コンサルテーションから生まれたより身近な「支援学」(身近な応用まで含む)

経営というものは、常々、ヒト、モノ、カネから成り立つ。最近では、ヒト、モノ、カネに加えて、情報、知識も入るといわれてきた。その中で、特にヒトの問題に焦点を合わせるのが、経営学の中でも、組織行動論と人材マネジメント論ということになる。

組織行動論は、主として組織心理学、従になるが組織社会学の影響を受けて生まれた経営学の一分野である(このことを反映して、MITスローン経営大学院の博士課程には、「組織と仕事の心理学」と「組織と仕事の社会学」というペアの科目が提供されている)。

アメリカ経営学会の中で、組織行動論部会(OB Division)は、5500名のメンバーを擁する最大の部会となっている。組織行動論は、組織、集団における人間行動を扱うので、経営もつまるところ人の問題だと持ち上げられることもあるが、他方で、市場や財務と比べて、経営学の王道から逸れたマイナーな領域だと言われることもあり残念だ。

関西弁でいうなら、「組織行動論って騒ぐけれどもなんぼのものやね」という具合に疑問が提示される。それでも私は、経営幹部になる人には、モティベーション、キャリア、リーダーシップは大事なテーマであると思う。

そして、もう一つの柱ともなりうるヘルピングの学、つまり支援学も、大勢の人々に影響力を振るうことになる経営幹部や幹部候補の人には学んでほしい。

本書は、組織行動論の碩学が、ともに生きる人々との関係を意味深く支援的なものにするうえで実践に役立つ書籍として上梓された。

一人の生きる個人、働く個人として、避けては通れない大切な問題が支援学の中にある。

「利益を生むためのマシンである会社」とか、「他者を蹴落としてでもがんばるぞという競争の世界」とか、「経営とはつまるところ、利益、儲け、お金の問題だ」とされてしまう経営学において、これから半世紀が過ぎるころには、組織行動論が、MBAの必須でなくなり、科目としても消滅しているかもしれない。

もしそうであったとしても、組織行動論から生まれたシャイン流支援学が、100年経っても、200年経っても、心ある実践的な学問分野として生き残っていたらうれしい。

支援学に流れ込んでいくシャイン経営学の系譜

さて、組織心理学とその応用である組織開発に根付くシャイン経営学は、同調の研究、洗脳の研究、組織社会化の研究、キャリアの研究と診断技法の開発、プロセス・コンサルテーションの発明と実践、組織文化の研究と解読方法の開発を、相互に関連する形で内包し、かつ、これらの底流としてのアクション・リサーチ(組織開発における臨床的アプローチ)を貫いてきた。

以下、順次、その特徴を素描し、本書をきっかけにシャイン経営学に入門される人の手引きとしたい。

同調の研究
初めて聞く方々には、不思議に思われるかもしれないが、シャイン先生にとっては、個人や集団の変化の研究とは、同調や説得の研究に始まった。

同調の研究といえば、ソロモン・アッシュによる集団圧力の研究が一番よく知られているだろう。3本の線分を見せて、そこから一本を選び、先に見せた何番目の線分と長さが同じか識別してもらう実験である。
一連の実験を通じて、被験者は、多数意見の影響を受けることが確認された。8名のグループがその長さの判定をするのだが、7番目に回答する人のみが本当の被験者で、ほかの人たちは皆、実験の協力者、つまりはサクラであった。
自分が知覚した判断とは違っても、ほかのメンバーが平然と、しかも揃って自分とは違う判断をしていたら、かなりの比率で、同調行動が起こってしまう。

シャイン先生は、父親がシカゴ大学の物理学者だったため、自分もシカゴ大学に進むが、関心が物理学から心理学に向かい、シカゴ大学時代に、かのカール・ロジャーズの講義も聴かれたそうだ。

修士課程は、場所を中西部から西海岸に移し、スタンフォード大学で社会的影響力と模倣の研究に没頭した。アッシュがこの分野の先駆者であるが、シャイン先生は、視覚ではなく、重さの知覚を対象に選んだ。
われわれは荷物を持ったとき、「重いなぁ」とか「軽いなぁ」と、即座に判断してコメントする。その判断が集団状況ではどうなるかというのが研究課題であった。
重さがどれくらいに達したときに、「軽い」が「重い」に変わっていくのか、そのプロセスで、集団の規範が、その判断にどのような影響を与えるかを見極めよう、という実験を実施した。
ムザファー・シェリフがすでに光点の自動運動を用いて実証していたことだが、集団の意見に個人がどのように左右されるかを見るのが目的だった。

予測どおり、学生を被験者に実験を行った結果、どのあたりで重さの軽重の判断が変わるかは、被験者が属する集団のほかのメンバーたちの判断に左右され、同調行動が起こることがわかった。
これは、同調や模倣であるが、同時に、集団において、集団規範の影響で個人の考えが変わったという解釈もできる。

博士課程での研究のために、シャイン先生は、再度、学びの場所を変え、ハーバード大学の社会関係学部に籍を置いた。
ハーバード大学での博士論文はスタンフォード大学の修士論文の延長上にあり、今度は、スクリーンに映し出された(曖昧にしか見えない)点の数を数え上げるという知覚の課題で、集団の影響を調べた。
5人の集団を使って、実験的な操作としては、曖昧な知覚課題に対して、第2番目の人がいつも正しい判断をし、3番目、4番目、5番目の被験者の回答が、この第2番目の判断を模倣していく。これらの人はサクラなのだが、真の被験者も、第2番目の人の判断に同調していくことを見出した。

しかし、興味あることに、認知的な判断ではなく、審美的な判断を実験課題にしたときには同調行動が低減した。点の数を見たとおりに語るのは、正解と間違いがある世界なので、同調、模倣が起こるが、どれが美しいかという審美的判断になると、人は、知覚的判断に比べて同調が少ないというのが、シャイン先生が実験社会心理学で博士となるときの発見であった。
この研究は私が生まれた年(1954年)に、心理学の一流雑誌に掲載され、シャイン先生の学会デビュー作となった[4]。
● 強制的説得(洗脳)の研究
ハーバードで博士を取得してから、シャイン先生は、ワシントンDCにあるウォルター・リード陸軍研究所における社会心理学・精神医学分野の研究員となった。
ハーバード大学の社会関係学部と同様に、非常に学際的な機関であったため、ここに勤務できたことは幸運だったとシャイン先生自身も述懐しておられる[5]。

この研究所には、たとえば、心理学者のレオン・フェスティンガーや、社会学者のアーヴィング・ゴッフマン(本書での「社会劇場」のメタファーに影響を与えている)が頻繁に訪れたそうで、ハーバードの社会関係学部と並ぶほどに学際的であった。

この研究所にいた間の最大の成果は、強制的説得(coercive persuasion)の研究だった。エドワード・ハンターが「洗脳(brain washing)」と呼んだものを、シャイン先生は、臨床的な丁寧な聞きとり調査を通じて、「強制的説得(coercive persuasion)」と名付けて研究成果をまとめた。
このテーマで書かれた論文も著書[6]もともに高く評価された。論文の抜き刷りは、博士論文から公刊論文になった先の論文より、はるかに多く請求されたと聞いている。

朝鮮戦争のとき、北朝鮮を経て、中国共産党の捕虜になったアメリカ人兵士や文民の中には、共産党を支持して米国への帰還を拒否する者がいたり、また、文民の中には、スパイでなかったのに、スパイ行為をしたと告白する者までいたりした。
いったい何が起こったのかをきちんと調べないと、無事に米国社会に戻しても、うまく再適応できないかもしれないという危惧があった。そのため、一団の学際的チームが、ウォルター・リードから西海岸の基地へ、さらに東京、そして韓国に空輸されていった。

何度もシャイン先生にそのときの話をお伺いしたが、私にはまるで映画のように思えた。東京についても、「ミッションは、追って沙汰する」ということで、どのような仕事に従事することになるのかは、現地に着くまで知らされなかったそうだ。
強制的に説得された人たちにいったい何が起こったのか、どのようにすれば、もとのようにアメリカ市民として帰国後もうまくやっていけるのか、それを調べるのがミッションであった。

空路だと早く米国に戻りすぎるので、あえて海路により16日間かかる航海で母国に向かうことになっていた。何が起こったか知るための十分なインタビュー調査と米国社会に再適応するための支援には、2週間強でも足りないと感じていた。
そんなとき、幸か不幸か、シャイン先生の乗るはずの船の出航が、3週間遅れた。そこで、捕虜になって以後、いったい何が起こったのかについて、つぶさに聴きとり調査を開始した。

「どのようなことがありましたか」「その次にはどのようなことがありましたか」というオープン・エンドで半構造的なインタビュー法(聞くべき基本となる問いはあるが、自由に話してもらうという臨床的なインタビュー法)が、このとき使用された。
後に、この方法はさらに独自に発展させられ、キャリア研究のときにキャリア・アンカーのインタビュー・フォーマットとしても使用されるようになった。

何が起こったかについてストーリーを淡々と聞くという方法を通じて、今でこそ洗脳の方法としてよく知られているやり方が、初めて解明されていった。
郵便の改竄、リーダー的人物の隔離、説得したメッセージの繰り返し、中でも、捕虜を独房でなく、すでに洗脳された仲間の囚人がいる雑居房に入れて、集団圧力を用いる方法が採用されていた。
強制的説得の調査は、先生が自ら計画したわけではなく、まったくの偶然で機会を得た調査であった。しかし、シャイン先生自身のキャリア上の歩みの中に位置づけると、ディープなところで、修士論文、博士論文での同調、模倣の研究と交叉している。

同調とは、つまるところ集団圧力によって、個人の考えが変わっていくプロセスだとも指摘したが、強制的説得は、政治的なイデオロギーの注入ではなく、心ある経営理念の浸透などで正しく用いられたら、組織開発の手法にもなりうる。
もちろん、悪魔的思考にならないためには、強い倫理観・価値観に支えられている必要がある。シャイン先生が人間の深いどろどろしたところまで先に見定めたうえで、組織心理学をベースとした経営学者になったことに、読者のみなさんの注意を促したい。

集団の持つ力によって、適応レベルや標準を変えてしまうことがありえるというのは、重さの判断、点の数の判断の実験を通じて、シャイン先生には土地勘のあるテーマだった。その現実的応用が、この強制的説得研究だったといえる。
しかも、この時点からすでに、大陸で強制的に説得されてコミュニストとなってしまった人に、再び米国社会に適応するうえで、どのように接することが支援となるのか、この時点から、支援学的テーマが底流に流れていることに注意すべきであろう。
● 組織社会化の研究
その後、キャリアの次の節目として、シャイン先生は、コーネル大学の心理学部の教員になるか、クルト・レヴィンとダグラス・マクレガーのいるMITの(心理学部でなく)ビジネス・スクールの先生になるか迷ったが、MITで実験研究をしたいという方向に傾いていった。
MITスローン経営大学院の実践的な環境、学際的な環境に憧れ、MITに助教授として就職した。コーネル大学で実験社会心理学者をしていたら、今日われわれが知るシャイン経営学は生まれなかったであろう。

とはいえ、シャイン先生は経営学者としてトレーニングを受けたわけではない。それでも、心理学の応用によって、モティベーション、リーダーシップ、影響力、説得、コミュニケーションなどのテーマで、組織行動論の元になるような科目を設計することができる。早急に解決すべき問題は、教育面もさることながら、研究面である。
興味深いことに、中国共産党の洗脳に言及するindoctrination(ある教義=ドクトリンを内面化させること)という言葉が、一部の企業研修所でも使われていた。たとえばGEでは当時、フォーマルではないかもしれないが、研修所に言及するとき、GEインドクトリネーション・センターという言葉が使われていたそうだ。

そこで、国だけでなく、組織、中でも自信のある会社の人材開発部では、中国共産党の教育機関がコミュニズムの理想を強制的に説得したのと同様に、自分たちの会社の存在意義や価値観を、従業員に注入したいと思い、実際にそのような、ある種の強制的説得をしていることがわかった。
● キャリアの研究と診断
ここから、新たな経営学的なテーマがクローズアップされてきた。働く個人が入社後、入社した組織の価値観をどのように内面化して、その結果、個人の態度や行動がどのように変わるか。あえて強烈な表現を使わせてもらうと、会社はその会社が標榜する価値観を抱くように働く個人を洗脳できるか、を調べるというテーマである。

そこで、組織社会化(organizational socialization)に関わる調査研究をスタートした。会社の側が自分たちの理念、提供している製品・サービス、独自の仕事のやり方に自信があるとしよう。当然、会社の考えを、やや強制的にでも、速やかに説得したいというのは、新人に組織や仕事に対してうまく適応してもらうための「支援」でもある。

この研究課題のために、1961年から1963年にMITを卒業して会社で働くようになった44名のパネルデータ(同じ人に繰り返し調査をかける結果得られる継時的データ)を分析した。
卒業してから、年数が経つごとに(半年後、1年後、5年後、10年から12年後に)主として仕事の世界に入ってから遭遇した経験のストーリーに耳を傾けるインタビューを行い(5年目には、質問紙調査を実施)、組織が標榜する価値観が、これらの人たちの態度や行動に、どのような影響を与えているかを調べようとした。

ところが、組織の価値観を内面化する人もいれば、それほど影響されない人もいる。また、米国なので、会社ごとに変わる人もいる。調査結果は、このように入り組んだもので、一言でいえば、組織の側の個人に対する強制的説得としての組織社会化の実証としては、失敗研究だったともいえる。

しかし、思わぬ成果があった。それは、働く一人ひとりは、10年くらいかけて、同じ会社の中で仕事が変わった場合にも、またほかの会社に移った場合にも、個人として大切にしたい、仕事や会社が変わっても自分としてはどうしても犠牲にしたくないと思う大事なものを持つようになっていたのである。
10年にわたるキャリアの中で、それを貫いていたら、それは、キャリアを歩む上でのいわば係留点となっていた。それがある人にとっては、専門性を極めることであったり、別の人にとっては、リーダーシップを発揮することであったり、さらに別の人にとっては、社会に貢献したりすることであったりするというわけで、いくつかの種類のキャリアの拠り所(後に、「キャリア・アンカー」として広く知られるようになる)があることがわかった。

キャリアの転機、節目に立ったときに、自分のキャリア・アンカーを知っていれば、進むべき道を選ぶ一助となる。また、10年以上、仕事の世界においてフルタイムで働いてきた人ならば、シャイン先生のキャリア・アンカーの質問紙調査とインタビューを受ければ、そのアンカーをより強い確信をもって知ることができるようになる。

ここでも、入口は、組織が個人に影響を与えるという立場から始まった研究だったが、仕事や組織が変わっても、個人がどうしても大切にしたいずっと貫いていくものとして、キャリア・アンカーのいくつかのカテゴリー[7]が発見された。
シャイン先生は、広くはキャリア発達を支援し、より具体的にはキャリアの節目でとまどう人が選択をうまく行うのをキャリア・アンカー・エクササイズによって支援するという形で、キャリア・ダイナミクスというこの分野でも、支援学に磨きをかけることになる。

後年になって、シャイン先生は自分自身のキャリアを振り返りながら、創造的機会主義(creative opportunism)という考えを抱くようになったと回顧している[8]。
ここまでの同調の研究、洗脳の研究、組織社会化の研究、キャリアの研究も、一方で、自分に巡り巡ってきたチャンスには、身を任せ(金井が使う表現では、キャリア面で「ドリフト」し)、他方で、大事な場面では、長く自分がコミットすることになるテーマをしっかり自分で選んでいる(金井が使う表現では、キャリア面で節目だけは「デザイン」している)。

このことは、さらに後のDEC社での組織文化とプロセス・コンサルテーションの実践的研究にも当てはまる。
キャリアの研究では個人のキャリア・アンカーを解読して、働く人を支援し、この後の組織文化の研究では組織の内部者たちだけではうまく解読できない組織文化を読み解くことを通じて、組織レベルでの介入という形で支援を行ってきた。

このようにして、これまでシャイン先生がタッチしたあらゆるテーマの探求において、どこかで、支援学と急接近した時期があり、シャイン経営学の全体系が、支援学をベースにしているようなつくりになっていった。
● プロセス・コンサルテーションの発明と実践
DEC(デジタル・イクウィップメント・コーポレーション)はコンピュータ企業で、1980年代末、MITのコンピュータ・プロジェクトからスピン・オフし、業界2位にまで躍進した伝説的ベンチャーであった。1957年に創業したこのニューベンチャーが、2年後にはコンサルティングを必要としていた。

その支援をシャイン先生にお願いした点が興味深い。もしも、創業者のケン・オルセンが、DEC社にとって、よりよい経営戦略を策定し実行するために、ビジネス・スクールの経営戦略の大家にコンサルティングを依頼していたとしたら、CEOが、専門知識に基づく回答を求めるようになる可能性が高い。
そのアドバイスに従っていい戦略展開ができたと思ったなら、それ以後、新しい戦略展開を図るたびに、答え(つまり、過程でなく内容)を専門家に仰ぐことになってしまうかもしれない。

シャイン先生は、組織心理学とその応用である組織開発の専門家だが、経営戦略の専門家ではないので、DEC社が正しい戦略を策定するに際して、内容面で直接的な貢献はできない。

しかし、内部者がよりよい議論を通じて正しい戦略を策定する道筋、つまり過程を生み出すことは、組織開発の立場から可能になる。ここから、本書にまでつながってくるプロセス・ファシリテーターもしくはプロセス・コンサルタントという支援職、およびプロセス・コンサルテーションと呼ばれる独自の組織開発手法(組織を変革したいクライアントを支援する方法でもある)が生まれていった。

この方法は、今日、わが国でも注目されているコーチングやファシリテーションと関連はあるが、独立した起源を持つ方法論で、シャイン独自のものである。
● 組織文化の研究と解読
組織開発の分野におけるシャイン先生の貢献には、技術論だけでなく、クライアントが自律的に決められる人間になるように育つプロセスを生み出すほうが、頭ごなしに「こうあれ」と勧告するより望ましいという考え方、仮定がある。
この考え方では、他人に代わりに考えてもらう依存的な人間に育ててしまうような支援よりも、自分で考えられる人間になるプロセスを同行するような支援を重視する。人間観としても自律を重視し、集団観、組織観としても、しっかり自律した諸個人が相互依存し、しっかり対話が起こるような集団や組織がより健全だとみなす。

組織文化を解読するためには、表層のレベルでは、物理的環境や人工的に創られたもの(DECの場合、ドアなどが除去されたオープンな職場)、中間のレベルでは、組織が大切にし、公言している価値観(DECはレイオフをしない──永続はしなかった価値観だが)、より深いレベルでは、この組織に長年いたらもはや当たり前だと思って疑うこともなくなり、自明視するようになった共通の仮定や発想法(DECでは、自分は何をなすべきか自分で考えないといけないという発想、You've got to figure it outの哲学)を解読しなければならない。

シャインの支援学のもう一つの土俵は、内部者だけでは解読することが難しい組織文化を、プロセス・コンサルタントとして接することによって、内部者とともに、解読することであった。
プロセス・コンサルテーションとして、これを実施するということは、外部者で支援者であるシャイン先生が、「御社の組織文化は、こうですね」と決めつけて、頭ごなしに診断結果を押しつけるのでは決してない。そうではなく、先生が議論の場をつくりファシリテーターとなって、内部者が、組織文化を解読するプロセスをうまく設計するということであった[9]。

このように、プロセス・コンサルテーションというシャイン先生独自の考え方は、本書で展開された支援学そのものの基盤をなしている。
文化のせいでうまく変われない会社もあれば、文化をうまく変化に生かせない会社もある。そのような会社の組織文化を、内部者とともに解読するのが、プロセス・コンサルテーションの真骨頂でもある。

支援実践の3モード

ここでは、シャイン先生が区別する支援のあり方の3モードをやや詳しく述べておこう。専門家と医師と呼ばれるほかの二つのモードと区別することを通じて、プロセス・コンサルテーションという独自の支援実践の様式がより明快になるであろう。

その3モードとは、①クライアントが必要としている具体的な知識や具体的なサービスという形で支援を与える専門家、②クライアントの状態を診断し、処方箋や専門的なサービスを与える医師、③実際に必要なものを判断するため、共同で調べることによってクライアントを参加させ、情報をすべて打ち明けてもらえるほどの信頼関係を築くプロセス・コンサルタントだ。それぞれについて、順次見ていこう。

● モード① 情報やサービスを提供する専門家として役立つ人
専門家として役立つリソースとなる役割(Role1. The Expert Resource Role)であり、情報やサービスを提供する(provide information and service)。

クライアントの側から見れば、専門知識の購入というモデルなので、「何でもいいから、助けてくれ」と丸投げしているわけではない。つまり、どこがおかしいか、どこに不足があるか、誰を訪ねればいいかがわかっている。誰に会うべきかわかっているし、会ったときにその専門家に何を尋ねるかもある程度自覚できている。

ただし、あとは、〈一緒に探す〉というのではなく、〈答えをくれる人を見つけて、報酬を払って、教えて〉といっているのだから、正解は、専門家が持っているものだという思い込みがある。

しかし、現実には、社会や組織における複雑な問題は、専門家だから、「はい、答えは、これ」といえるとは限らないものも多い。そういうときには、プロセス・コンサルテーションを通じての共同問題解決を目指すことになる。

シャイン先生が、この役割に付けた名称として、本書以前に使ってきた言葉の一つに、内容の専門家(content expert)という表現がある。この内容というのが過程と対比されている。
● モード② 診断して処方箋を出す医師
これは、喩えとしては病気になったときに医師が果たしてくれる役割(Role2. The Doctor Role)に近い。支援の中身は、主として診断と処方(diagnose and prescribe)ということになる。  

調子が悪いので、助けてもらおうとして医者のところにくる人は、自分で問題解決するという気持ちは強くない。病気であるため、自分では治せないと思っている。だから、病院に医師を訪ねて助けを求める。病気だとわかっていても、どこが悪いかまでわかっているわけではない。 

医師-患者モデルは、医師の側に権威があり、医療の専門知識が医師に備わり、医師のいる場に診断の器機があり、すべて患者に役立つ道具立てが揃っているように見える。

しかし、支援学としてこれを見ると、専門家の助言を購入するというモード①のモデル以上に、プロセス・コンサルテーションという支援のモードからは最も遠いところに位置づけられる。

医師-患者モデルによる支援がうまく効果をあげるための条件は、本書107頁を参照されたい。
● モード③ 公平な関係を築き、どのような支援が必要か明らかにするプロセス・コンサルタント
プロセス・コンサルタントの役割(Role 3. The Process Consultant Role)が第三のモードで、この役割の支援者の特徴は、クライアントたちが解決にたどり着くプロセスを支援する点だ。

シャイン先生の支援をめぐる思考と実践の中では、内容(コンテント)が過程(プロセス)と対比されている。①と③は、しばしば、内容の専門家(コンテント・エキスパート)と過程の促進者(プロセス・ファシリテーター)というペアの表現で説明されてきた。

シャイン先生は、自らが、基本的には、相手の助けとなれるように、ともにいるプロセスをうまく生み出してくれるという意味で、すぐれた過程促進者もしくはプロセス・コンサルタントであった。そして、内容の専門家としてコメントされるときには、役割が③から①に移行していることを自覚して、そうなさっていた。

このことを踏まえると、一番重要なことは、シャイン先生が、どのような場面、どのようなタイミングでは、内容の専門家としてクライアントと接し、また異なるどのような場面、タイミングでは、過程の促進者としてクライアントと共同するのがいいか、見極めの達人であったという点にあるのではないだろうか。

シャイン先生から学ぶべきことをすべて学んだつもりで私が留学先から帰国した後、日本の社会風土のせいか、大学が知識を伝授するところという決めつけがあるせいか、教員の側もプロセス・コンサルタント的に大学院生とともに学ぼうとする姿勢があまり見られなかった。

あるいは、せっかく院生と話していても、どうすればいいかを聞き出すところ(過程)にたっぷりの時間をかけるより、相手に役立っていてもいなくても、まず、シャワーのように自分が知っていること(内容)をすべて相手に浴びせかけるという行動をとりがちだった。だから、「先生の弟子として情けない」とMITの博士を終了してから先生にまたお会いしたとき、正直に申し上げたら、概ね次のようなレッスンを私に授けてくれた。

「院生たち若手の研究者に対して、内容の専門家として接することは間違いではありません。大事なことは、いつ、内容の専門家から過程の促進者にスイッチするか、逆に、いつ過程をならす作業から、内容を伝える役割に戻るかを、うまく見極められることです。

私のスローン・フェローの組織行動のコースで、TA(ティーチング・アシスタント)をしていたときのことを思い出してください。大学で教師をしているのですよ。DECでコンサルタントをしているのとは違います。組織行動について、たくさんの専門知識を持ち、それを受講生に伝えるのも、自分の役割です。

ただし、それが一人ひとりの経験豊かなスローン・フェローというエグゼクティブMBAに相応しいものにするためには、受講生とのやり取りのプロセスにも敏感になって、一方的に講義するのではないように配慮する必要があるのです」と[10]。

支援の3モードにたどり着いたシャイン先生の生い立ち

このように、1954年の処女論文以来、55年に及ぶ研究業績を通じて(編集部注:出版は2009年)、同調、洗脳、組織社会化、キャリア、組織文化などをテーマとして、方法としてはプロセス・コンサルテーションを、シャイン経営学として蓄積・展開してきた。

ここでは、シャイン先生の生い立ちを簡単に述べておこう。シャイン先生の家系は、元々ドイツで、祖父は銀行家、父親は、ハイデルベルグ大学、チューリッヒ大学(物理学で博士)を出て、後者の大学に勤務しているときに、ザクセンの土木技師の一人娘と1927年に結婚し、翌年に、シャイン先生が誕生した。

生後6年間は、スイスのチューリッヒに過ごし、1933年に、家族は科学振興に力を入れるソ連に移り住むが、スターリン独裁の時代に入って再びチェコに逃れ、ヒットラーの台頭を機に、1938年には、ヨーロッパから米国に移り、父親はシカゴ大学のフェロー、後に正教授となった。

シャイン先生は、ドイツ語、ロシア語、チェコ語の環境で幼い時期を過ごしたため、シカゴでは、最初の一学期だけ余儀なく2年下の学年に入学したが、本来の学年に復帰してからは、英語の語学力も向上した。ある文化から別の文化に移ってきた亡命者的メンタリティが、文化の解読、社会化、支援に対する深く強い関心に関わっていると自己診断しておられる。

父親の勤務するシカゴ大学では、物理学にも関心を持つが、あやうく落第しそうになり、ほかの分野を専攻する決心をしたそうだ。これで父親とは違う道を歩むと思ったものの、後に心理学の博士となり自らも大学教授になったとき、まずは専門性、後々には、より明確に自律性をキャリア・アンカーとするようになったシャイン先生は、分野は違っても職業・キャリアは父親と同じだという認識を持つようになった(専門的には、職種社会化occupational socializationでは父親の影響をうまく受けていることになる)。

学問への情熱と、基礎学問が社会にどのように関わるかという実践的問題への強い関心も父子の間で共通だった。父親のほうは、第二次世界対戦に入るころには、原子核分裂の研究に後々邁進する科学者集団に属していた。しかし、研究仲間の一団が原子爆弾の開発に従事する前には、原爆への核物理学の応用に反対だった父親は、このプロジェクトには当然のごとく参加しなかった。

このエピソードは、基礎学問分野であっても、応用のしかたによっては、社会に役立つどころか、社会の害悪になりうることをシャイン先生に強く印象づけた。このような気づきは、基礎学問分野である心理学を組織・人事の問題に応用する立場に身を置くシャイン先生に、支援と倫理という視点を深いレベルで植えつけたことと思われる。

シャイン先生の人となりを示すいくつかのエピソード

● 脆弱性をめぐるエピソード(注目の効用)
助けを求めることは、相手に対して自分を脆弱な立場に置くことを通常は意味する。その場合には、何らかの助けを求めてきた人の面子を台なしにすることなく、対応することが大事になる。
支援する側は、ワンアップするため、人を助けるという優位でパワフルな立場だと見られ、支援される側は、ワンダウンと感じてしまい、助けてもらいたいという脆弱な立場に立っている。自分のそのような立場を、助けを求める発言によって、自ら相手に表明することになる。この関係の機微を、誰よりも支援する側がしっかり理解していないといけない。

たとえば、「助言がいただきたいのですが、少し時間をいただけますか」と言われたとき、少なくとも米国の文化では、社会的な相互接触にまつわる文化的なルールからは、相手を尊重し、意味のある対応が必要となる。

そのために大事なコツの一つとして、今、支援を求めている人に対して、その場で時間が割けるなら、さっそく「もちろん、いいですよ。今ここに座って、まず話し合いましょう」といえば、相手を尊重することになるが、時間が避けないときには、どうすればいいか。
ほかの用事が気がかりで、座って話し合おうといいつつ、うわの空でしか、助けを求める相手の言葉が聞けないのなら、また時間が気になって、本当に助けとなる前に話し合いを打ち切る可能性がありそうなら、「喜んで助けになりたいのですが、少し後にしてもらっていいですか。今○○している最中なのです」と回答するほうが誠実だというのがシャイン先生のお勧めだ。そうすれば、助けを求めた人のニーズをきちんと認めて、支援を求めたことに、まず注目するという形で相手を立てることにもなるという。

このように、本書の特徴の一つは、支援をうまく実現するための原理・原則が述べられるだけでなく、具体的なコツ、さらには会話例までが示されていることだ。また、シャイン先生と身近で接してきた人ならわかるとおり、先生はその原理・原則を実際の場面で言行一致して、手本、見本を示されている。
● 空港での待ち合わせミス時におけるエピソード
これは、前々回の来日時、つまり2000年5月19日、関西空港にシャイン先生と奥様のメアリーをお迎えに行ったときの大失策に関わる思い出である。

予定の時間に到着ロビーの旅客が出てくるゲートでずっと待っていたのだが、シャイン先生夫妻の姿が見られなかった。慌てて案内カウンターに行ってフライトナンバーで調べてもらうと、もう到着しているといわれた。
しかし旅行代理店からの旅程表には、関空着午後6時半と書いてあった。飛行機の本当の到着時間は、16時半(午後4時半)だったのに、旅程表におそらく6時半と間違って、18時半と記入してしまったのだろう。

代理店の間違いとはいえ、せっかく時間に余裕を持ってお迎えにいったつもりなのに、すでに飛行機が到着してしまっており、焦った。もう一人のお迎え役の学会会長も名古屋からこちらに向かっていたが、同じ時間を想定しておられた。
間違いに気づくと到着ロビーを走り回った。見苦しいほど焦ってきょろきょろしながら。一往復して、もう一度、注意深く椅子などを確かめていると、やっと出会えた。先生のほうが私を見つけ、「どうした、こっちだよ」とおっしゃってくれたのだ。

しかも、怒っているでも呆れているでもうろたえるでもなく、ニコニコしておられた。こちらは、平謝りで、「飛行機がずっと前についていると知って焦りました。本当にパニックでした。お待たせして本当に申し訳ありません。旅程表のコピーに間違いがありました。でも、私が航空会社にダブルチェックすべきでした」というような具合で申し上げた。

ところが、シャイン先生の回答は、「こちらも焦ったよ。君がいなかったので。でも、じたばたしてもしかたがないので、ここに座ってテレビを見ていました。おかげで、日本に着くなり、二人でさっそく日本の相撲と野球をテレビ観戦できたよ」と、私がこれ以上落ち込まないようにいってくださった。

MITの名誉教授でこのようにいえる方が何名おられることか。また、きっと私が企業に勤務していて、空港までVIPのお客様のお迎えに来ていたとしたら、クビだっただろう。この出来事は、今でもよく思い出す。直接の支援とは異なるが、困りかけている人を困りかけたままにさせないという意味では、すごい助け船だった。

さっそく、その日のうちに六甲山ホテルに行き、翌日は、天橋立にご一緒した。まったく出だしからすべて順調であるかのごとくシャイン先生は接してくださった。
●子どもの心遣いに気づかない心なき状態の父のエピソード
わが国のMBAも、神戸大学の専門職大学院も含め、高いレベルで認証評価を受けているところでは、決して簡単には、クラスの議論についていけないし、大変な圧力のもとで在学中の時期を過ごすことになる。

海外のMBAの場合には、語学的障壁もあり、準備にいっそう時間がかかり、また、スローン・フェローズのように、1年ちょっとで修士を獲得するプログラムは負荷がいっそう重い。
そのために、海外に一緒に来ている家族にも、そのぴりぴり感が伝わってしまう。シャイン先生の組織行動の科目へのレポートで、ある日本人スローン・フェローズのMBAの人が、次のようなレポートを提出した。

毎日厖大な量の宿題やレポートがあり、それをこなすのに、多大な時間がとられる。そのため、集中してやっているときには、自分の部屋には入らないようにしてほしいと奥さんと子どもにお願いした。
そう頼んで間がないのに、書斎代わりに使っている部屋に子どもが来た。「父さんは忙しいので頼むから、この部屋を出て行ってくれ」と(怒鳴ったわけではないが)嘆願した。しかし、後でわかったことだが、子どもが母親とも相談して、私があまりに一生懸命なので、これからベッドに行くタイミングで、「パパ、がんばってね」「パパ、おやすみ」と、励みになり、ほっとする一言を言いにきただけだった。そのやり取りは、おそらく30秒もかからない。

しかも、一目、子どもの姿を見て、うれしい一言を聞いて、子どもながらの思いやりや激励に感謝しつつ、「おやすみ、ありがとう」と言うべきだった。が、できなかった。
もしも、そういう気持ちになれば、そのあともっと集中できたはずなのに。そのような余裕を失っていたために、「なんで子どもを入れたんだ」と妻を責め、また、「忙しいので出て行ってくれ」と子どもにいらいらと当たってしまったことを悔いた。

概ねレポートにはこのようなことが書かれていたそうだ。たとえ大人になっても、人とともに生きるということで、家族の中でも、簡単につまずくことがある。シャイン先生は、このレポートの、そうした気づきを描いている点に惹かれたそうだ。

仕事やMBAを含む、そのほかの関係の中では、支援を受けているかもしれないのに、素直になれないことが多い。その中に、多忙さが絡んでいるときには、いっそう心が荒びがちだ。活躍する、向上心があるということは、どこかで自分を忙しい立場に持っていってしまう。よく言われることだが、忙しいという字は、心の状態を表す「りっしんべん」に「亡い」と記すので、文字どおりには、心亡き状態をいう。

本来、子どもにサポーティブにふるまう立場にある父親がそうできないどころか、逆に、お父さんを元気づけようと思ってふるまった子どもの愛情を受けとめられない。これが心亡き状態にあたる。このような気持ちが、将来、経営幹部になるときには貴重なのだとも示唆された。これを聞きながら、組織行動論という科目がどうして必要なのか、また考えさせられた。

組織行動論や支援学を学ぶ意味は、人との関係を生きる中で、心なき状態を、心ある状態に少しでも補正していく一助となることなのだ。

洋の東西を問わず注目すべき関係性・相互依存とそれらを解明する支援学

本書では、支援の微妙さに随所で触れられている。助けを求めてしまうことは、自分を小さく感じることだという人もいる。確かにそういう気持ちは誰にでも少しはあるだろう。

また、病理的にお互いが相手に対して依存状態になる、出口のないバッドラブも困る。助け合うことで、ともにビッグになれるような関係がはるかにいい。互いに自律した人間同士が、自律性をないがしろにすることなく、お互いに助け合い、支え合えるなら、理想的だ。

この考えの基盤にあるのは、支援関係においては、支援する側が上位に、支援される側が下位に立っていることだ。客観的にはどうであれ、少なくとも気持ちのうえでは、そういう心理があるという認識である。

助けを求めることは、自分を脆弱な立場に導く。この「脆弱な」という形容詞は、vulnerableであるが、fragileという言葉とともに、私が敬愛するお二人、編集工学の松岡正剛さんも、慶應で社会起業家と学校問題を研究される金子郁容さんも、時代のキーワードだと言われる。支援を求めることが、それがうまくできる人が、相互作用の中で、またネットワークの中でいい人生、いい働き方を享受できる。

お互いに足らない部分があっても補完的につながれるなら、その関係はどこかで水平的な対等者のネットワークを思わせるものであり、垂直的なアップダウンと表現される世界とは異なる。

依存、他律、庇護的立場と比べれば、自立、自律、独立独歩、独り立ちが大事に決まっている。洋の東西を問わず、これらを目指して、まず大人になっていく第一ステップをくぐる。そういう発達の時期が誰にもある。

もちろん、生まれたときは依存的でいい。E・H・エリクソンを引くまでもなく、生まれてきた世界に信頼を抱き、希望を持って人生を始めるには、頼る存在が必要だ。ジョン・ボウルビィを引くまでもなく、母への愛着がそのころには大切で、授乳という名の食事一つをとっても、そもそもそうしないと生きていけない。

やがて、幼児期、学童期になると、徐々に自分のことは自分で行い(たとえば、トイレット・トレーニング!)、さらに学校での勉強やスポーツ(や音楽のバンドなど)に打ち込むことを通じて、自律を学び始める。同時に、仲間たちとともに学ぶこと、ともにプレーすること、ときには競争をすることの楽しみを味わい始める。

ここでも、自律しつつ共同できる人間になることが大事だと含意されているが、それを最も明示的に述べたのは、『7つの習慣』で名高いスティーブン・コヴィーだ──人の発達とは、つまるところ、依存から独立へ、そしてさらに独立から相互依存への道のりにほかならないと彼は考えた。

依存のときにも最も明示的に問題になるのが支援である。独立・自律するためには親や先生の支援がどこかで見え隠れし、そして、成人になっても、自律はしたが孤立したという陥穽に陥ってしまわないかぎり、うまく相互依存して生きていくことが望まれる。

また独立・自律したからといって、すべて「おれが」「私が」で通したら、身がすり減ってしまう。誰もが、頼りになる盟友を持ち、誰もが、誰かに頼られる存在であるのが、社会の成り立ちの基本だという考えが、本書にはある。

著者が心理学者でありながら、社会学にもつねに傾斜して関心を深めている理由は、集団、組織、社会の中での人と人の関係という視点から、支援学を構想するからにほかならない。

助けを求めることが依存になるだけでなく、水平的な同輩関係にも必要で、健全な相互依存なら悪くないという発想については、私はシャイン先生自身の価値観、たとえばDECなどの組織文化、さらには、メアリーとの夫婦関係などからも感じとることができた。

それは、日本人にとってはどのような意味を持っているのだろうか。

日本人にとっての支援学と関係性・相互依存

本書における日本社会への言及にもこだわってみよう。日常語を見てみると、まず、日米を問わず、Someone to lean on(困ったとき頼りになる人)という表現や、You can count on me(私を頼りにしてもいいよ)といった表現が、英語圏、アングロサクソン系の人たちの間でも存在する。

「でも」といったのは、もともと関係性の中で生きることは、この国の十八番であり、しかも、それが今綻びかけているのではないかという点に触れておきたいからだ。

精神病理学者の木村敏氏は、人と人の間が人間理解の基本だと述べ[11]、社会学者の浜口恵俊氏は、ながらく、アングロサクソンの個人主義に対して、日本は「間人主義」の社会だと特徴づけ[12]、日本人にとってのキャリアは、社会的脈絡(ソーシャルネクサス)と呼ばれる関係性に根付いている[13]と結論した。

ユンギアンとして世界に向けて日本の良さと日本病の両方を、心理療法家として発信し続けた元文化庁長官の河合隼雄先生の英文の著作では、新造語だがイーチネス(eachness)という言葉が登場する。

われわれ日本人には、個性(individuality)がないなどと暴論する海外の学者がいるが、河合先生は、「日本人に個性がないのではなく、違うタイプの個性が存在する。同様に、日本人は創造性に乏しいという海外からの声も聞こえるが、それも、日本人に創造性がないのでなく、異なる種類の創造性があると考えるのがよい」と、常々、主張されてきた。

Individual(個人)とは、もはやそれ以上、分割(divide)できない存在である。それに対して、それぞれの私の横顔ともいうべきeachnessは、関係性の中の私を照射する造語だ。

講演で、河合先生は、「文化庁長官として、〈わたくしは〉と語り、古くからの親友には、〈おれは〉と語り、家では、主語もなく〈ビールね〉と語る──まさか、帰宅してから〈わたくしビールを所望します〉とはいわないだろう」と2006年の六甲会議で話された。

ゴフマンからシャインへと継承された「社会的」経済学の「社会的」つまり関係性にかかわる機微は、そもそも日本社会でより濃厚だったはずだ。

シャイン先生と日本との関係だが、まず、MITスローン経営大学院におけるエグゼクティブMBAプログラムであるスローン・フェローズに、毎年、4、5名程度の日本人院生(部長クラス)が来られ、退官されるまで、先生は、組織行動の科目で、キャリア・アンカーやプロセス・コンサルテーションの議論の輪の中で、日本人院生の言動に触れてきた(一般のMBAの組織行動論は、別の4名の教員が担当していて、シャイン先生は直接接することは稀であったが、それでも、1980年代当時は、毎年10名近くの日本人MBAがスローンにいた)。

私がMITに留学する10年前に高宮誠先生が、また私の留学後は日本からの博士課程留学生が絶えずスローンにいたこと、さらには、日本研究者で社会学者のエリノア・ウェストニー教授が同僚としておられたことが、シャイン先生に日本について考察する機会を提供してきた。

またシャイン先生が何度か来日されて、キャリアや組織文化について、議論する場があるときに、いつも、日米ともに成り立つことと合わせて、際立って日本的な特徴だと見られるものについて、公の場でも、プライベートの場でも、よく話し合ったものだ。

違いばかり強調するのは問題だろうが、本書で、日本に言及のあるところは、日本人の読者なら、自然と目がいき、本書の記述に賛同しても、異なる意見を持つとしても、考えるきっかけとなることであろう。

「人間」という言葉は、存在のほうに力点をおく、human being という英語に比べると、人と人の間にいる関係性の中で「人のありよう」を捉えている。「世間」も一人からではなく、複数の人々から成り立つ関係を、とりわけ、男女の仲を指す時期もあった。

そんな日本人だから、なおのこと、この支援学をいい形でマスターして、今度は、世界に向けて、日本型の叡智を発信したいものだ。

原理に支えられた生き方

人との関係をうまく生き抜き、必要な場面ではリーダーシップをとったり、仕事、プライベートの両方の場面でうまく支援ができたりする人々、つまり対人関係、リーダーシップやコーチングなど、支援の達人のすべてが、自分がうまくできる理由を言語化できているわけではない。

だからこそ、原理・原則にまで言及するような書籍が貴重なのである。本書は、シャイン先生自身の経験から生まれ、それに支えられた持論ではあるが、同時に、社会経済と社会劇場という理論に裏付けられた実践的なセオリー(practical theory-in-use)となっている。そして、本書の随所で、とりわけ最終章ではその原理・原則とコツがうまく説明されている。

さらに、本書の興味深い特徴は、支援者が実際に使用できるように、「このような場面ではこう言ってみる」という現場感覚のある会話例が散りばめられているところだ。この特徴を生かせば、人の助け方、助けてもらい方について、確かに学問的裏付けのある支援の学が成り立つことが実感できるだろう。

私自身は、このような原理・原則に支えられた生き方に強く憧れるし、それに実践面でも近づきたいと思っている。また、リーダーシップ研究者として、経営幹部になるような人には、実践的な持論を持つことをこれまで推奨してきた。

原理・原則を持つ生き方、持論に支えられながら、支援が必要な場面でぶれない、正しい行動をとるきっかけになると信じて、本書を送り出したい。その際、持論でありながら、極端な我流、自己流、的外れな無手勝流に陥らないことが肝要だ。組織心理学や組織開発という学問、その応用を土台に持つような持論を形成する素材が本書には満ちあふれている。

最後になるが、解説を幕とするに際して、家庭、学校、会社、そのほかの組織、さらに社会全体の中で、指導的な立場に立つ人には、原理に支えられた生き方をしながら、指導、支援する場面でも、正しい発想で正しい行動がとれるように、本書を生かしてほしい。

なお、前著[14]におけるシャイン先生の到達点は、いわゆる「プロセス・コンサルテーションの10の原則」として知られているが、その10原則は述べられることがなかった。この解説では、読者の実践に対するご参考のために、また本書の第9章とも照合したいと思われる知的好奇心をお持ちの方のために、私自身がある機会に要約したものを、ここに再録することにしたい。

プロセス・コンサルテーション10の原則(※)

原則1 絶えず人の役に立とうと心がける。Always try to be helpful.
コンサルテーションとは、役に立つことをすることだ。したがって、役に立とうという意図もなく、役立つことを目指しているのなら、人の助けになるような関係をうまく生み出すことなどおぼつかないことは明らかだ。可能なら、あらゆる接触が、相手にとって役に立つと思われるようにしたいものだ。
原則2 今の自分が直面する現実からけっして遊離しないようにする。Always stay in touch with the current reality.
私の中で、またクライアントの会社の中で生じている現実というものがわかっていなかったら、人の役に立つことなどできない。したがって、クライアントの会社の誰に対するどのような接触においても、診断に役立つ情報が手に入るはずだ。その情報は、クライアントの会社の、「今、ここ」における状態、また、クライアントと私の関係における「今、ここ」の状態について、クライアントと私に対して教えてくれる情報なのだ。
原則3 自分の無知を実感する。 Access your ignorance.
私が自分自身の内なる現実というものを見出す唯一の方法は、知っていることと知っているつもりになっていることの区別や、知っていることとほんとうは知らないことの区別を学ぶことだ。置かれた状況から遊離して、状況を調べるだけの智恵がなければ、私は、当面する現実がいったいなんであるのかを決めることができない。
原則4 あなたがどんなことを行っても、それは介入、もしくはゆさぶりになる。Everything you do is intervention.
どのような相互接触も、診断に役立つ情報をもたらしてくれる。ちょうどそれと同じように、どのような相互接触も、クライアントと私の双方にとって、何らかの影響をもたらす。したがって、私は、自分がやっていることをよく見極めて、結果として相手に役立つ関係を創り出すという私の目的にかなったものが招来されているか評価しなければならない。
原則5 問題を自分の問題として当事者意識を持って受け止め、解決も自分なりの解決として編み出していくのは、あくまでクライアントだ。
It is the client who owns the problem and solution.
私の職務は、クライアントに役立つ関係を創り出すことだ。クライアントの問題を私自身の肩に背負い込むのは、私の職務ではない。私が生きている場ではない状況に対して、助言や解決を提供するのもまた、私の職務ではない。問題とその解決によって結果がどのようであるにせよ、それをしっかり受け止めるのは、クライアントなのだというのが現実だ。だから、クライアントが厄介に思うものを肩から除去すればいいというわけではない。
原則6 流れに沿って進む。 Go with the flow.
あらゆるクライアントの会社は、組織文化を発達させており、その文化を維持することによって、会社としての安定性を維持しようとしている。また、クライアントとなるあらゆる個々人もまた、自分自身のパーソナリティ(性格)やスタイルを発達させている。これらの文化にまつわる現実や個性にまつわる現実を当初は知ることができないので、その分、クライアントのどの領域をいじれば、モティベーションが高まり、変革を起こす気になるのかを突き止めないといけない。この敏感な領域に最初は、大きく依拠することになる。
原則7 タイミングがすごく大事。 Timing is crucial.
どのような介入(ゆさぶり)も、ある時点ではうまくいっても、他の時点ではうまくいかないということがある。したがって、クライアントの注意がこちらに向くときには、いつ何時も診断を心がけ、タイミングのいい瞬間を見つけるようにしなければならない。
原則8 介入で対立が生じたときには、積極的に解決の機会を捉えよ。
Be constructively opportunistic with confrontive interventions.
どのようなクライアント会社でも、変革を起こそうというやる気がみなぎる領域、つまり、不安定でオープンな領域があるものだ。(流れに沿って進みながらも)変革する気や文化面での強みがその会社に存在するならば、それを見つけて、踏み台にしない手はない。同時に、新たな洞察と、代替案を生み出す機会を逃さないようにしなければならない。流れに沿って進むとはいっても、そのことは、介入(ゆさぶり)に伴う何らかの危険と裏腹なのだ。
原則9 何もかもがデータだと心得よ。誤謬はいつも起こるし、誤謬は、学習の重要な源泉だ。Everything is data; Errors will always occure and are the prime source for learning.
上記の原則をどんなに注意深く守っていても、私が話すことや行動することは、クライアント会社の中に、予期せぬ反応や、望まぬ反応を生み出すことがある。私は、それらの反応から学ぶようにしなければならないし、何があっても、保身的になったり、恥や罪を感じたりしてはいけない。クライアントの現実についてどんなによく知っていても、誤謬を起こさないほど充分に知ることなどできない。誤謬の一つずつが、何らかの反応を引き起こし、その結果、クライアントの現実をもっとよく学んでいくことができるのだ。
原則10 どうしていいかわからなくなったら、問題を話し合おう。
When in doubt, share the problem.
次にどのような手を打てばいいのか、どのような介入(ゆさぶり)が適切なのかがわからない状況に置かれることがよくある。このような状況では、問題をクライアントと話し合って、次にどのような手を打つのかの決定に、クライアントを巻き込むのが適切な場合もしばしばだ。

(※)出所 エドガー・H・シャイン=金井壽宏「洗脳から組織のセラピーまで──その心はヘルプフル」『CREO』(神鋼ヒューマン・クリエイト刊)22-23頁。

参考文献

[1]本書に至るまで、著者が、クライアントに役立つ、個人、集団、組織に対する支援について書いてきた書籍の情報と(ある場合には)翻訳書にまつわる情報は、以下にリストするとおりである。
・Process Consultation: Its Role in Organization Development, Reading, MA: Addison-Wesley. 1969.(高橋達男訳『職場ぐるみ訓練の進め方』産業能率短期大学出版部、1972年)
・Process Consultation, Volume I: Its Role in Organization Development. Reading, MA: Addison-Wesley. 1988. (稲葉元吉・稲葉祐之・岩崎靖訳『新しい人間管理と問題解決──プロセス・コンサルテーションが組織を変える』産能大学出版部、1993年)
・Process Consultation Volume II: Lessons for Mangers and Consultants. Reading, MA: Addison-Wesley. 1987.
・The Clinical Perspective in Fieldwork, Beverly Hills, CA: Sage. Process Consultation Revisited: Building the Helping Relationship. Reading, MA: Addison-Wesley, 1999. (稲葉元吉・尾川丈一訳『プロセス・コンサルテーション──援助関係を築くこと』白桃書房、2002年)
[2]ナチスの時代に、米国に亡命し、MIT、アイオワ大学、ミシガン大学で、グループダイナミクス、リーダーシップの研究に大きな刺激を与えたのが、クルト・レヴィンである。その言葉でよく知られているのが、「よい理論ほど実践的なものはない」という言葉と、「人から成り立つシステムを理解する最良の方法は、それを変えてみようとすることである」という標語である。
[3]相手の役に立つように、何かに手を加える所作を、「介入」と訳してきたのは不幸な歴史だ。「ゆさぶる」「働きかけ」などといった言葉のほうが私はいいと思っているが、臨床系の世界では、interventionの定訳が、「介入」として流通してしまっているので、ここでもそれに従っている。
[4]Edgar H. Schein(1954). "The effect of reward on adult imitative behavior." Journal of Abnormal and Social Psychology, 49: 389-395.
[5]Edgar H. Schein(2008)."From Brainwashing to Organization Therapy." In Thomas G. Cummings, Ed., Handbook of Organization Development, Los Angeles: Sage, pp.39-52.
[6]論文のほうは、Edgar H. Schein(1956). “The Chinese indoctrination program for prisoners of war: A study of attempted brainwashing.” Psychiatry, 19: 149-172. 著書のほうは、何度読み返しても、強烈に興味深い書籍なので、ぜひいつか古典として翻訳が出たらと願っている労作だが、次のとおり。Edgar H. Schein with Inge Schneier and Curtis H. Barker(1961). Coercive Persuasion: A Socio-psychological Analysis of the "Brainwashing" of American Civilian Prisoners by the Chinese Communists. New York, NY: W.W. Norton and Company.
[7]初期の研究では、管理能力、専門技術能力、安定(保障)、自律、創造性、の5カテゴリー(二村敏子、三善勝代訳『キャリア・ダイナミクス』白桃書房、1991年)で、後には、専門能力、ジェネラル・マネジャーとしての能力、・独立、保障・安定、起業家的挑戦、奉仕・社会貢献、純粋な挑戦、生活様式(仕事と家庭の両立)の8カテゴリー(Edgar H.Schein(1990). Career Anchors: Discovering Your Real Values, Revised ed,San Francisco, CA: Jossey-Bass/Pfeiffer(金井壽宏訳『キャリア・アンカー—自分の法統の価値を発見しよう』白桃書房、2003年)が見つかった。
[8]Edgar H. Schein(1993). "The academic as artist: Personal and professional roots." In Management Laureates: A Collection of Autobiographical Essays. Greenwich, CN: JAI Press, pp.31-62.
[9]組織文化を内部者と共同で解読する方法については次を参照。Edgar H. Schein(1999). The Corporate Culture: Survival Guide. San Francisco, CA: Jossey-Bass(金井壽宏監訳、尾川丈一・片山佳代子訳『起業文化──生き残りの指針』白桃書房、2004年)
[10]この点の議論については、次の対談に詳しい。エドガー・H・シャイン=金井壽宏(2000)「洗脳から組織のセラピーまで──その心は『ヘルプフル』──」『CREO── Special Issue 特集 MITスローン経営大学院名誉教授エドガー・H・シャイン特集』(神鋼ヒューマン・クリエイト刊)第12巻第2号(通巻26号)1−43頁、特に、20−25頁
[11]木村敏著『人と人の間』(弘文堂、1972年)
[12]浜口恵俊著『間人社会の国日本』(東洋経済新報社、1982年)
[13]浜口恵俊著『日本人にとってキャリアとは』(日本経済新聞社、1979年)
[14]Process Consultation Revisited: Building the Helping Relationship. Reading, MA: Addison-Wesley, 1999. (稲葉元吉・尾川丈一訳『プロセス・コンサルテーション──援助関係を築くこと』白桃書房、2002年)

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、本文にはない改行を加え、漢数字はアラビア数字に改めています。

エドガー・シャインの最新著作『謙虚なリーダーシップ』(2020年4月発売)

金井壽宏(かない・としひろ)
1954年生まれ。立命館大学 食マネジメント学部教授、神戸大学名誉教授。1978年京都大学教育学部卒業、1980年神戸大学大学院経営学研究科博士前期課程修了、 1989 年マサチューセッツ工科大学でPh.D.、1992年神戸大学で博士(経営学)を取得。1999年に神戸大学大学院経営学研究科教授就任。モティベーション、リーダーシップ、キャリアなど、働く人の生涯にわたる発達や、組織における人間行動の心理学的・社会学的側面を研究している。最近はクリニカルアプローチによる組織変革や組織開発の実践的研究も行っている。『変革型ミドルの探求』(白桃書房)、『ニューウェーブ・マネジメント』(創元社)、『経営組織』(日経文庫)、『働くひとのためのキャリア・ デザイン』(PHP新書)、『リーダーシップ入門』(日経文庫)など著書多数。

連載のご案内

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エドガー・シャインの世界
人と組織の研究に多大な影響を与えてきた伝説的研究者、エドガー・シャイン。半世紀にわたる研究の集大成『謙虚なリーダーシップ』の出版に合わせて、弊社から出版している過去作品のご紹介と、『謙虚なリーダーシップ』の本文を一部公開します。

第1回:『人を助けるとはどういうことか』監訳者序文(金井壽宏)
第2回:『人を助けるとはどういうことか』監訳者解説(金井壽宏)
第3回:『問いかける技術』監訳者序文(金井壽宏)
第4回:『問いかける技術』監訳者解説(金井壽宏)
第5回:『謙虚なコンサルティング』監訳者序文(金井壽宏)
第6回:『謙虚なリーダーシップ』はじめに全文公開
第7回:『謙虚なリーダーシップ』第9章 読書ガイド

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