わたしたちはジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎている (四本裕子:東京大学大学院総合文化研究科准教授)
社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学──「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』。本書の発売に合わせ、身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、わたしたちは何ができるのかを考察する。今回は認知神経科学、知覚心理学を専門とし、ジェンダー平等に向けて尽力する四本裕子さんが語る。
紙と筆記用具を用意してください。そして、科学者の絵を描いてください。その科学者はどんな服を着て、どんな靴を履いていますか? 手に何を持っていますか? どんな髪型でしょうか?
これは、「Draw a scientist(科学者を描いてみよう)test」というジェンダー・ステレオタイプを調べるテストです。描かれた科学者が男性か女性かを測定します。
科学者の性別に関する無意識的なバイアスが描かれた絵に表れるこのテストは、1960年代から子どもを対象に繰り返し行われてきました。
わたし自身もある自治体で講演した際、大人を対象にこのテストを試したことがあります。その結果(女性の科学者としてわたしが壇上に立っているにもかかわらず)、多くの人が白衣を着て眼鏡をかけたモジャモジャ頭の男性を描きました。科学は男性の仕事という無意識的な認識が絵に表れたのです。
同様に、政治家、医者、弁護士、運転手などでも結果の男女比に偏りが出そうです。
「男性脳・女性脳」のウソ
実際に科学者の男女比には偏りがあります。だから、このテストは社会を観察した結果を反映しているとも言えます。
しかしながら、このような結果に問題意識を持たなくてよいというわけでもありません。
中でもジェンダーに関するステレオタイプは、非科学的思い込みと職業等における男女比の偏りの組み合わせで成立しています。
典型的な例が、「男性脳・女性脳」という言葉で表されるステレオタイプです。
このステレオタイプは、「男性よりも女性のほうが左右の脳をつなぐ脳梁が太いため、女性脳はコミュニケーションが得意で共感を求め、男性脳はマルチタスクが苦手で家事に向いていない。男女は脳の構造が違うのだから、その違いを理解して分業することが男女共同参画につながる」と主張する疑似科学者によって広められてきました。
このような「男性脳・女性脳」が疑似科学であることを説くと、「でも、脳に性差があることは科学的に証明されている」と反論されることがあります。脳の機能や構造の計測、認知課題における男女の成績差などが根拠だというのです。
この反論には大きく2つの間違いが含まれています。
1つ目は、平均値の差を過度に一般化してしまうという間違いです。
ある小学校で、理科の平均点は1組のほうが高く、算数の平均点は2組のほうが高かったとします。当然、1組にも2組にもどちらかの科目が得意な生徒、どちらも苦手な生徒、どちらも得意な生徒がいます。1組の生徒は「理科脳」で2組の生徒は「算数脳」だとは言いません。
平均値に差があっても、それぞれの組の個人の能力を特定することはできません。
同様に、データを男性と女性で比較して平均値に差があったとしても、だから男性は〜で、女性は〜だ。と一般化することはできないのです。
2つ目は、環境や教育が及ぼす効果を見落としているということです。人の性格、能力、脳の形や機能は、教育や経験で柔軟に変わります。
当然のことながら、しかるべき教育を受けることで能力は向上します。数週間のトレーニングで脳の構造や機能が変化することは数多く報告されています。
遺伝の影響は確かにありますが、性格や能力は遺伝子や性別で完全に決定されるという考え方は正しくありません。
ステレオタイプが人の機会を奪う
人の性格や能力に関してジェンダー・ステレオタイプを持つことは、社会の現状が反映されたものであっても有害です。なぜならステレオタイプは、人の機会を奪うからです。
まず、ステレオタイプは、本人の教育機会の選択に影響を与えます。
たとえば、親や教師が「女子は文系の学問のほうが、男子は理系の学問のほうが得意である」と信じていると、女子からは理系の学問の機会が奪われ、男子からは文系の学問の機会が奪われます。
学歴や経済力は、女性よりも男性が高いほうが望ましいという考え方は、男性から自由を奪い、女性から進学や職業選択の機会を奪います。
「女が東大に行ったら結婚できないぞ」と親族に言われたという学生は実際に存在するのです。
また、こうした意識的な選択に加えて、本人の無意識下での影響もあります。
社会心理学で解明された現象で、「ステレオタイプ脅威」というものがあります。周囲からステレオタイプに基づく目で見られることを恐れ、その恐れに気をとられるうちに、実際にパフォーマンスが低下し、恐れていた通りのステレオタイプをむしろ確証してしまうという現象です。
たとえば、「女性は数字が苦手」というステレオタイプがある社会で、女性が数学の試験を受けると、無意識にそのステレオタイプの影響を受け、実力を発揮できなくなってしまいます(ステレオタイプ脅威については、『ステレオタイプの科学』で詳しく説明されています)。
実際に、男児のほうが女児よりも成績がよいというステレオタイプは、男児女児ともに6歳前後で獲得されることが報告されています[1]。
このようなステレオタイプに晒された児童は、その後の学習の機会を奪われるでしょう。
そして、そうした教育の結果、実際の職業における男女比に偏りが生まれると、人々はそういうものなのだと意識的または無意識的に認識し、ステレオタイプが強化されます。そして、そのステレオタイプが社会で共有され、次の世代にも引き継がれると、男女比は偏ったまま維持されることになります。
この「認識が社会で共有され、次の世代にも引き継がれ、多くの人の機会を奪う」ことが、注目すべき問題点です。
日常で使われる言葉にも
ジェンダー・ステレオタイプについて意識して生活すると、これまであまり気にならなかったことが気になり始めます。
今の日本社会には、「男の子なんだから、泣いてはだめ」「女の子だから、ピンクの洋服やおもちゃを買い与える」「男子なんだから理系科目が向いているんじゃないか」「女子は数学が苦手だから…」という考えが蔓延っています。
環境がその人の得意・不得意に影響するという重要な点を無視して、生物学的な性別によって得意・不得意が決まっているかのように考えられています。
女社長や女医など、職業にわざわざ「女」とつけられるのはなぜなのでしょうか? その背景には、社長や医者は男性の職業であって、女性が従事するのは珍しいという思想があります。
女子アナという言葉は、男性アナウンサーとは異なる役割を持たされていることを示唆しています。料理や掃除が得意なことを女子力が高いと表現することは、料理や掃除は女性の仕事であるというステレオタイプを反映しています。
時には理系分野への女性進出を促進するために使われるリケジョという言葉も、本来理系の学問は男性のものだという意味を含んでいます。
レストランのメニューで、「辛さ控えめで女性にもおすすめ」などと書かれていることもあります。味の好みまでステレオタイプに支配されているようです。
女性の参画を推進しようとする側がステレオタイプに嵌まり込んでしまう事例も後をたちません。
「女性は細やかなところに配慮できるし、患者さんに優しくできるから医者に向いている」という発言や、科学者を目指す女性を応援するイベントの広告が、ピンク色でハートとリボンで装飾されていたり、仕事ができる女性を「キラキラと輝く女性」と取り上げたりなど、よかれと思っての活動がステレオタイプで台無しになっている例は、わたしの周りでも未だに多発しています。
些細なステレオタイプと差別は地続き
そんな言葉狩りをしてどうするんだ。気にしすぎじゃないのか? と思われる方もいるかもしれません。
しかし、そのような言葉こそが、ステレオタイプを助長し、実際の差別的な現実を生み出すのです。
たとえば、日本の大学の医科大学や医学部が女子受験生の得点を減点して女子学生率を低く抑えていたという不正のニュースはどうでしょうか? このような差別が複数の教育機関で行われ、見過ごされてきたのは、まさに「医師は女性にはつとまらない」というジェンダー・ステレオタイプが長年社会で共有され、引き継がれてきたからではないでしょうか。
日本における女性医師の割合は全体の2割程度で、これはOECD最低レベルです。この偏りが社会におけるステレオタイプをより強固なものにし、それがまた偏った現状を正当化するという悪循環が維持され続けているのです。
日常的に目にするジェンダー・ステレオタイプと、医学部の入試不正のような衝撃的な差別は地続きでつながっています。
ジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎていてそれが問題だと思わなくなってしまったからこそ、長年にわたって不正が正されることがなかったのです。
ジェンダー平等指数世界121位の日本では、政治家の男女比も偏ったままですし、2019年度時点で経団連の会長副会長19人も全員男性です。結婚したら「普通は」女性が姓を変える、育児休暇は女性が取るのが当たり前だという意識もなかなか変わりません。
法律を作って差別を禁止しても、運用する人の意識が変わらないと差別を解消することはできません。
脳科学の研究分野では、人の多次元性に注目して個人差を調べる研究が進んでいます。そもそも、多様性を無視して人間を男女に二分するという考え方が時代遅れです。「あなたは女性脳だから」「あなたは男性脳だから」と、非科学的な男女脳理論に従って行動するように促すことは、そのステレオタイプを再生産し循環させるだけです。
人間を安易に二分化し、その理由を科学的根拠のない男女の脳の二分化に求めることは「ニューロセクシズム」とよばれる差別です。
誰もが自らの能力を発揮するために
多様性に目を向けるということは、それぞれの個人の能力を活用できることを意味します。反対に、非科学的なジェンダー・ステレオタイプに縛られるということは、人的資源を無駄にしてしまうことに他なりません。
また、克服すべきなのはジェンダー・ステレオタイプに限りません。セクシャリティ、国籍、言語、宗教、障害、疾患、経歴等、人間をカテゴリーに当てはめて単純化してしまうことは、同じく非合理的だと言えます。
冒頭で紹介した「Draw a scientist test」で女性科学者を描いた児童の割合は、1966―1977年に米国で行われた調査では0.6%だったことが報告されています。2016の調査では、女性科学者を描いた女児は58%、男児は13%だったそうです[2]。
日本の児童を対象とした研究は限定的ですが、2001年の調査では、女性科学者を描いた女児の割合が12%、男児の割合が1%程度だったことが報告されています[3]。米国では日本よりも早く、社会や教育からステレオタイプを排除する試みが始まっています。
日本でも、時代とともに女性科学者を描く率が増えてほしいとわたしは思っています。
偏った社会に生きているわたしたちが、無意識的にステレオタイプを持つこと自体は避けられません。重要なのは、自らがステレオタイプを持っているかもしれないことを自覚して、自分の判断がそれに影響されないように自問し続けることなのだと思います。
わたし自身は、相手の性別が違ったら自分はどういう対応をとるかを意識するように心がけています。
たとえば、幼いお子さんをお持ちの女性の同業者と国際会議で出会った時に、つい「お子さんは預け先が見つかったのだな」と思ってしまいます。そして、同じく子持ちの男性同業者にはそう思わなかった自分が、まだまだステレオタイプに影響されていることに気づかされます。
そんな日々の繰り返しの中で、少しずつ自分の意識も変えていけるのではないかと思います。
この文章を読んでくださった方も、ぜひ身近な人たちに「Draw a scientist test」をやってみて、ジェンダー・ステレオタイプについて考えるきっかけにしていただけたらと思います。
[1] Bian, L., Leslie, S. J. & Cimpian, A. Gender stereotypes about intellectual ability emerge early and influence children’s interests. Science (80-. ). 355, 389–391 (2017).
[2] Miller, D. I., Nolla, K. M., Eagly, A. H. & Uttal, D. H. The Development of Children’s Gender-Science Stereotypes: A Meta-analysis of 5 Decades of U.S. Draw-A-Scientist Studies. Child Dev. 89, 1943–1955 (2018).
[3]隅田学, 稲垣成哲 & 中山迅. アジアの子ども達におけるサイエンス・イメージ(1)-日本の子ども達のサイエンス・イメージ. 科教研報 16, 5–8 (2001).
『ステレオタイプの科学──「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』
クロード・スティール[著]/藤原朝子[訳]/北村英哉[日本語版序文]
女性は数学が苦手、男性はケア職に向いていない、白人は差別に鈍感、高齢者は記憶力が悪い……「できない」と言われると、人は本当にできなくなってしまう。
本人も無自覚のうちに社会の刷り込みを内面化し、パフォーマンスが下がってしまう現象「ステレオタイプ脅威」。
社会心理学者が、そのメカニズムと対処法を解明する。
▶日本語版序文を全文公開しています。
四本裕子 東京大学 大学院総合文化研究科 准教授
1976年、宮崎県生まれ。Ph.D.(Psychology)。1998年、東京大学卒業。2001年から米国マサチューセッツ州ブランダイス大学大学院に留学し、2005年、Ph.D.を取得。ボストン大学およびハーバード大学医学部付属マサチューセッツ総合病院リサーチフェロー、慶應義塾大学特任准教授を経て2012年より現職。専門は認知神経科学、知覚心理学。
連載紹介
連載:ステレオタイプから、自由になる
社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学』。身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、わたしたちは何ができるのか。多様な視点から考える。
第1回 『ステレオタイプの科学』日本語版序文を全文公開します(北村英哉:東洋大学社会学部社会心理学科 教授 )
第2回 思い込みにとらわれず、実力を発揮するためにできること(為末大:Deportare Partners代表/元陸上選手)
第3回 わたしたちはジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎている (四本裕子:東京大学大学院総合文化研究科准教授)