思い込みにとらわれず、実力を発揮するためにできること(為末大:Deportare Partners代表/元陸上選手)
社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学――「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』。本書の発売に合わせ、身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、わたしたちは何ができるのかを考察する。今回は元陸上選手で、今は起業家支援なども行う株式会社Deportare Partnersの代表、人のパフォーマンスについて考察してきた為末大さんが語る。
「日本人はフィジカルが弱い」という思い込み
ステレオタイプというのは、自分では変えがたい属性に付随した、刷り込みや思い込みだと認識しています。それが人のパフォーマンスにどう影響するのか、以前から関心を持っていました。
例えばスポーツの世界では、「日本人はフィジカルが弱い」というのはステレオタイプですよね。日本人が他国の人と比べて平均的に体が小さい、というのは事実です。
でも、だからフィジカルが弱いかというとそれは疑わしい。そもそもフィジカルという言葉自体が、瞬発力や同じ体勢を保つ筋力などさまざまな能力を含む曖昧な言葉ですしね。
ただ僕がやっていた陸上競技では、勝敗を決めるのはフィジカルだと言われてきました。身体ひとつで勝負する競技なので。だから「フィジカルの弱い日本人」は、陸上に向いていないという話になるんです。
それが僕の子どもの頃にあった前提でした。
でも、「それって本当なのかな?」と僕を含めチャレンジする人が出てきて、400メートルで日本人が決勝に残ったり、ハードルやリレーでも結果が出てきたりしたことで、その前提が疑わしいと言われるようになってきたんです。
結果が出なかったのは人種による要因ではなくて、文化的にそう言われて育ったからかもしれないと。まさに、本のなかで言われているステレオタイプ脅威ですよね。
ステレオタイプが変われば、パフォーマンスが変わる
野球の野茂選手が日本人ではじめてメジャーリーグに行ったときにも、「日本人は海外で通用しない」という思い込みが、崩れました。
それは、野球だけではなくて、他の競技の選手のパフォーマンスにも影響したと思います。野茂選手がメジャーリーグに行ったあたりで、急に他の競技でも海外で選手が活躍し始めているんです。
「日本人は海外で通用しない」というひとつのステレオタイプが、「あれ? そんなことないんじゃないの?」という事例によって無効化されていったんでしょうね。
最近では、「そもそもそんなこと考えてもみませんでした」という世代が出てきています。僕らの世代くらいまでは、まだ「海外では通用しないはずの日本人が頑張っている」という感じだったけれど、今の若い世代にはそんな感覚がまったくないように見えます。
この20年ぐらいでガラッと、日本人のスポーツ能力に関するステレオタイプが変わって、それによって個々の選手のパフォーマンスも変わったということだと思います。
自分の「変えられる特性」はなにか
スポーツの世界でのステレオタイプは、野茂選手の例のように、ひとつのパワフルな例外が出たときに覆されるんです。「結果がすべて」の世界だからでしょうね。
一方で、ビジネスの世界では、ここまでシンプルには変わらないと思います。そういう意味では、ステレオタイプ自体の変化だけではなく、いかに個人がステレオタイプから自由になるかというのも、それぞれが実力を発揮するためには重要ですよね。
僕の会社は起業家の支援をしているのですが、そのなかで大切にしているのが、起業家自身が「自分を知る」「変化する」のを支援することです。「自分の変えられない特性はなにか」「変えられる特性はなにか」を明確にする支援と言ってもいいかもしれません。この2つが、人が成長するうえでの鍵だと思っています。
僕個人の例で言うと、コミュニケーションやなにかを発想することは得意だけれど、深く思慮したり、順序だてて物事を考えたりすることがとても苦手です。そこはおそらく変えられない特性であり、活かすべきところでもあると認識しています。
陸上競技をするうえでも、その特性はフィットしていたし、引退後の仕事でも活かしている部分です。会計士などになったら、特性と合わなすぎて、大変なことになると思います。
一方で、陸上時代の癖、全部1人で決めてやろうとしすぎたり、全部勝ち負けで判断しようとしすぎたりする癖は、引退してから変えていった部分です。
現役時代は、これらも自分の変えられない特性だと思っていましたが、人と話をしたり内省したりするなかで、実は自分の特性というより、「個人競技のアスリート」というアイデンティティに付随した思い込みだったと気付きました。
「こうあるべき」の呪縛をはずすもの
起業家と話していると、本来変えていけるはずのことを、変えられないと思ってしまうことが、人間にはよくあるのだなと思います。
「絶対にうまくいかないんです」と本人は言うけれど、第三者から見て合理的に考えると、うまくいかないわけではないことがよくあります。
そこでよくよく話を聞くと、過去にうまくいかなかったことがトラウマのようになっていることもあるし、「起業家」というレッテルを自分に貼って縛られていることもある。「起業家は強い意思決定をするものだ」とか「起業家は新しいことをするものだ」とか。
もちろん実際に強い意思決定や革新性が必要とされることはありますが、本当にやりたいことを実現するためではなく、「起業家はこういうものだ」という思い込みが先行していると、最適な判断はしにくいですよね。
そこには、本人の力だけでは捨てがたい、はずしがたいものがあるんだろうなという気がします。本来の特性ではないのに、社会に思い込まされている。肩書や属性に付随したステレオタイプに縛られているということですね。
だから僕らはよく「本当にそうかな?」「そんなふうに見えないんだけれど」「そう思い込んでいるだけなんじゃないの?」という質問をします。
第三者にそう言われて「こうあるべき」から離れられたら、新しい可能性が開くと思うんです。これは、起業家支援にかぎらず、チームの仕事でも、お互いにできる問いかもしれません。
自己認識は、人生でこれまで会ってきた人から形成される
他者からの問い以外でも、ステレオタイプから自由になれるきっかけはあると思います。
これは僕自身の経験ですが、スポーツもやっているし、よくしゃべるし、日本ではずっと場を盛り上げてくれる社交的な人だと言われてきました。
それがはじめてアメリカに行ったときに、チ―ムの半分くらいがジャマイカ人で、「えらく無口な奴が来たな」という感じになったんです。はじめは英語の問題もありましたが、しゃべれるようになってもやっぱり彼らほど陽気になれる気はしなかった。
笑ってしまうような話ですが、大事な体験だったと思っています。自分のアイデンティティって、閉じられた環境にいると固定されますよね。そうすると、そのアイデンティティに付随したステレオタイプの影響も強くなってしまう。でも、他のところに行って全然違う人たちに囲まれると、自分の見え方も変わるわけです。
結局自分への認識って、「人生でこれまでに会ってきた人たちのなかの平均値から、自分がどっちにずれているか」なんですよね。だから違う場所に行くと平均値がずれて、違う自分が見えてくる。
海外に行くと、「日本人だから、機械に強いだろう」というステレオタイプを向けられることもあります。でも、それすら自分の新たなアイデンティティに出会う経験だと感じます。日本にいたら「あなた日本人でしょう?」なんて言われないですよね。
これは必ずしも海外に行かなくても、転職するとか、転職までしなくてもいろいろな組織や文化、属性の人と話すことでも、起こり得ることだと思います。
違う場所に行くと、それまでの「自分はこういう人間なんだ」という思い込みが外れる。それは、ステレオタイプに縛られないためのひとつの方法だと感じます。
(代表を務めるDeportare Partnersが運営するシェアオフィス。多様な人々が集まる)
アイデンティティのポートフォリオをつくる
ステレオタイプって、たぶん便利なものなんですよ。
例えばアメリカ人と接するときに、典型的なアメリカ人として扱えばうまくコミュニケーションできるだろうとしてしまえば、あまり考えなくてもよくなります。典型的な日本人だと言われることは窮屈だけれど、安心するような感覚もある。
だからきっと、ステレオタイプを無くすのは難しい。ただ、消せないにしても、個人にできることとして、ひとつのアイデンティティ、それに付随するステレオタイプに縛られない方法はあると思います。
自分のなかで3個か4個ぐらい、出し入れ可能なアイデンティティを持っておくといいのかもしれません。
僕でいえば、大きな枠組みでいくと、海外に行って自覚した「日本人」というアイデンティティ。もうひとつは陸上競技をやっていたので「陸上選手」というアイデンティティ。あとは最近、「なんの人なんですか?」と言われると、言葉が好きなので「言葉の人です」と答えたりもします。
そういったいくつかの肩書や属性をポートフォリオのように組んで、ひとつに支配されないようにしておく。あえて演劇風に、「今日はこんな自分であろう」という日をつくってもいいかもしれません。
例えば、陸上のアイデンティティだけしかないと思うと、きっと恐くなってそのアイデンティティに必死にしがみついたり、逆にそのアイデンティティから逃げたくなったりしますよね。そうすると、プレッシャーを感じて、自分の実力をだせなくなってしまう。
人が自由を感じるのは、「そうもなれるし、そうならないこともできる」と自分で選べる状態です。
そして自由を感じられたら、もっと人は自分の可能性を開花させられると思っています。
『ステレオタイプの科学──「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』
クロード・スティール[著]/藤原朝子[訳]/北村英哉[日本語版序文]
女性は数学が苦手、男性はケア職に向いていない、白人は差別に鈍感、高齢者は記憶力が悪い……「できない」と言われると、人は本当にできなくなってしまう。
本人も無自覚のうちに社会の刷り込みを内面化し、パフォーマンスが下がってしまう現象「ステレオタイプ脅威」。社会心理学者が、そのメカニズムと対処法を解明する
▶日本語版序文を全文公開しています。
為末大 Deportare Partners代表
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年3月現在)。現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。
連載紹介
連載:ステレオタイプから、自由になる
社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学』。身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、わたしたちは何ができるのか。多様な視点から考える。
第1回 『ステレオタイプの科学』日本語版序文を全文公開します(北村英哉:東洋大学社会学部社会心理学科 教授 )
第2回 思い込みにとらわれず、実力を発揮するためにできること(為末大:Deportare Partners代表/元陸上選手)
第3回 わたしたちはジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎている (四本裕子:東京大学大学院総合文化研究科准教授)