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『ステレオタイプの科学』日本語版序文を全文公開します。(北村英哉:東洋大学社会学部社会心理学科教授)

社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学――「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』。本書の発売に合わせ、身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、私たちは何ができるのかを考察する。初回は原著者と同じ社会心理学者の北村英哉教授による、日本語版序文を全文公開する。



女性は理数系に弱い。男性より女性のほうが、保育士や看護師に向いている。理系の人は空気が読めない。

誰しも一度は耳にしたことがある言説ではないだろうか。こうした人をある種のカテゴリーで見る固定観念、鋳型のことを「ステレオタイプ」という。

本書の中心的なテーゼは、このステレオタイプと人間のパフォーマンスの関係を紐解いた「ステレオタイプ脅威」というものだ。

周囲からステレオタイプに基づく目で見られることを恐れ、その恐れに気をとられるうちに、実際にパフォーマンスが低下し、恐れていた通りのステレオタイプをむしろ確証してしまうという現象である。

ステレオタイプの問題に関心のある人はもちろん、企業でダイバーシティに取り組んでいる人、日本社会のなかで女性活躍を謳うような取り組みをされている人、障害者や民族の問題に関心のある人、冒頭に挙げたような発言や思い込みに疑問を感じるすべての人に、この本で記されていることをぜひ一緒に考えてもらいたいと思う。

本書はステレオタイプ脅威についての画期的な書物だ。理由は主に四つある。

一つは、本書に記されてることの背景には、すべて科学的な裏付けがあるということだ。二つ目として、単に学術的に盤石であるだけでなく、具体的な体験も踏まえていることが、説得力を広く高めていると考えられる。三つ目として、周囲からの偏見の目、差別がなかったとしても、ステレオタイプ脅威に基づくパフォーマンスの低下はあると解明していること。そして、四つ目に、ステレオタイプ脅威を抜け出す方法についても言及していることである。もう少し詳しく見てみよう。

科学的な裏付けと日常の体験

著者のクロード・スティール博士は、スタンフォード大学教授で現在はカリフォルニア大学バークレー校の副学長を兼ねている著名な社会心理学者である。彼自身アフリカ系アメリカ人であり、そのことによって受けたステレオタイプに基づく経験も本書では述べられている。

80年代に自己確証理論において有名な研究者のひとりとなり、その後、本書の中心である「ステレオタイプ脅威」の研究を共同研究者たちと精力的に推進してきた。そのひとりであるジョシュア・アロンソンは、わたしが2017年に客員研究員として在籍していたニューヨーク大学の教授である。

本書は、「単なる固定観念が、人間の行動に強力な影響を与えていること」を数々の実証的な実験で確認している。イメージや思い込みで議論するのではなく、科学的実験に基づいて書かれているのだ。その実証研究に携わる道筋が、ある種「研究方法」のトレーニング書であるかのごとく示されており、偏見やステレオタイプに関心のある一般の人々だけでなく、こうした問題に関心のある専門家にとっても、満足いく内容であると想像する。

読み始めると前半の研究が進行していく時間軸に則ったていねいな記述は、詳しすぎて飽きを感じる人もおられるかもしれない。しかし、ていねいに進められた研究群の先には驚くような成果が見られてくる。真実を追いかける探偵と思えば、この推理を極めていくプロセスは、ある種冒険的ミステリー小説のようにも読めるのだ。

さらに本書では、こうした科学的な実験だけではなく、著者自身の子どもの頃からの体験や、友人や学生、著名人の体験談も豊富に語られている。これらの体験談をもとに現実的に思考し、徹底的に考え抜いた実証実験を展開している様子が、読むほどによく見えてくるはずだ。

「女性は数学が苦手だ」というステレオタイプがあるなかで、難しい数学の試験を解こうとすると、萎縮して、実力が十分発揮できない女子学生。最高裁判事に女性が一人しかおらず、そのプレッシャーにさらされる女性判事。二人しか白人がいない黒人学生ばかりの授業で、居心地の悪さを感じ、萎縮する白人学生。これらの実際の有り様は本書の中身をぜひ読んでほしい。

周囲からの差別や偏見がなかったとしても

「ステレオタイプ脅威」自体は、対人関係の問題を研究する学問である社会心理学の世界では有名なモデルである。しかし、実社会ではまだよく認識されていないように感じる。

その理由の一つは、ステレオタイプが、「差別」と「偏見」と混同されやすいことにあるだろう。ステレオタイプは、あるカテゴリーの人にどういった「イメージ」があるかという認識面(認知という)に焦点をあてた概念で、社会心理学のなかでも「社会的認知」と呼ばれる研究領域で扱われる。これに対して偏見は、ネガティブな他者へのイメージに対する拒否的、嫌悪的、敵意的感情であり、この感情に基づいた行動が差別である。簡単に言えば、ステレオタイプは認知、偏見は感情、差別は行動ということになる。

たとえば、社会全体にある「女性はリーダーシップ力が欠ける」というイメージはステレオタイプ。このイメージをもとに女性のリーダーや上司に不満感を感じやすくなるのが偏見。差別は「だから役職に登用しない」といったように、個々人の能力の査定に基づくのでなく、女性だからというステレオタイプで実質的な被害を他者に与えてしまうことである。

さて、多くの研究や社会での施策では、実際に人々がいかに偏見を持つか、差別的な行動をとるかということを扱う。近年は、自分が自覚していなくても偏見を表明してしまう、無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)という概念も注目されている。現実にまだまだこうした無意識のゆがみがあることで、その対象とされる人々は窮屈に感じる。

たとえば、男性社員には決して言わないのに、女性社員にだけには「早く帰らないと子どもが大丈夫?」と言うのも、「子どもは女性が育てるもの」という無意識のバイアスのあらわれと言えるだろう。逆に、女性の方が多い保育や看護の職場では、男性が無意識のバイアスにさらされていることもある。

しかし、この書籍のテーマは「どんな偏見の目を向けられるのか」「実際にどう差別されているか」ではない。周りからの偏見や差別がなかったとしても、「本人が周りからどう思われるかを恐れる」だけで、ステレオタイプ脅威の影響は出てしまうのである。

たとえば、子ども扱いの慣れない若い男性は、何かの拍子に赤ちゃんを抱っこすることになったとき、こんな焦りを抱くかもしれない。「自分が抱いて泣き出してしまったらどうしよう」「男だから子ども扱いが下手だと思われる」「自分は子育てに理解がある男性として生きていきたいのに、ここで赤ちゃんをあやすのが下手だと思われたら、恥ずかしいし、みっともない」など(男性の読者には、実際にこうした心配を抱いたことがある方もいるのではないだろうか)。すると、もしかしたらよけいに手つきも抱き方もぎこちなくなり、赤ちゃんも居心地が悪くなって泣き出してしまうかもしれない。こうした例がステレオタイプ脅威だ。この現象は、抱っこするときに、周囲の人が差別的な行動や偏見の目を向けていなかったとしても、生じる。

日本でもあらゆるところに存在する

本書ではアメリカにおいて典型的に見られる現代でも実に深刻なステレオタイプについてとりあげられているが、ここでわたし自身のつつましい体験もひとつ開示させていただこう。

わたしは良好な住宅地で育ったが、学区は乱暴な男子たちも多い、相対的に荒くれ度の高い小学校だった。工場労働者が多い街にあって、私の父は銀行家だった。本書にも例が出てくるが「お高くとまってんじぇねぇよ」という世界だ。わたしはクラスメートの男子から受け入れられるように乱暴な言葉遣いや粗雑な所作を学習し、転がってきたボールはわざと蹴っ飛ばし、ケンカの相手もつとめるよう努力した。その意図は子ども心にもはっきりと覚えている。何かの際に、リーダー格の男子から「あいつはだめだよ」と一度言われたそのときの恥ずかしさは今でも忘れない。

そうした努力の前に、「男子は運動能力が高いはずだ」というステレオタイプが立ちはだかった。わたしは運動に長けておらず、それがテストされる場面になる度に、一人ならできていたことが不思議なくらいクラス集団のなかでは必ず失敗してしまい、悔しい思いをするのだ。

こうした妙な「男らしさ」の要請は今でも大の苦手だが、これが女性だと「理数系に進学するものではない」「女性が政治家になるなんて」などといった逆風が吹き荒れている。今もグローバル・ジェンダー・ギャップ指数2019において日本は121位と振るわず、政治家や会社役員において女性は少数者に留まっている。

本書の書き出しは黒人の話からスタートし、日本の読者はあまり身近には感じないかもしれない。あえて私が自分の体験を記したのは、世界では広くさまざまなステレオタイプがはびこっていることを示したかったからである。私の体験であれば、「男らしさ」というのもそうだし、銀行員という職業イメージや工事現場労働者という職業イメージにもステレオタイプがあるだろう。

本書には「高齢者だから記憶が危ない」というイメージだけで高齢者のパフォーマンスが萎縮低下するという実験もでてくるが、誰しもがいつか高齢者になる必然から、人である限り皆が体験するはずのものであろう。他にも「太った人は自制心に欠ける」「慢性疾患者は生活がだらしない」など、世の中にはジェンダー/セクシュアリティ、障害、移民、民族、非行、犯罪者などさまざまなイメージが行き交っている。

恐れから解放されるための具体的な筋道

今の日本でもこうしたステレオタイプや偏見の話は無視できるものではないが、これからグローバルな世の趨勢で多様化がますます進んでくるなかで、より重要になることは間違いない。日本の人たちには不慣れな外国人の雇用、民族問題や人権への配慮に対応する必要がでてくるだろう。

もちろんこれは人対人の基本的な相手への尊重の話ではあるのだが、企業の利得にも関わる話でもある。とりわけ海外進出する企業では、そういった部分の失敗によって、あっという間に撤退という憂き目に遭うリスクも潜在している。国内であっても、ダイバーシティのある世界への対応をよく意識しないと、企業は容易に足をすくわれるだろう。

しかも、偏見や差別についてある程度配慮をしても、個々人のなかに残る差別の残像、ステレオタイプがあてはめられる恐怖によって、もったいないほどパフォーマンスが損なわれてしまうのが、ステレオタイプ脅威だ。

そんな難しい現象を前にして、本書がとりわけ素晴らしいのは、九章以降で、この恐れからどう解放され、いかにパフォーマンスを取り戻し、向上させていくか、その具体的な筋道が実証性をもって示されていることである。

しかも、その方法は極めてシンプルだ。くわしくは本書を参照していただければと思うが、ちょっとした声がけや環境設定などで、 人のパフォーマンスが変化することが示されている。

国内でなかなか偏見やステレオタイプに伴う問題への対処が進まないなか、対象者の側に立った、その具体的な救いの道の提案は、多くの方々に読まれてほしい。また、本書で焦点が当てられているパフォーマンス向上にかぎらず、人と人との間のコミュニケーションといった人間行動の領域にも良い影響を及ぼしていくことを期待するものである。

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。また、本文中の漢数字は、WEB掲載に際し読みやすさを考慮して算用数字に改めた部分があります。

北村英哉
東洋大学社会学部教授。主要編著作に『偏見や差別はなぜ起こる?――心理メカニズムの解明と現象の分析』(ちとせプレス)、『社会心理学概論』(ナカニシヤ出版)、「社会的プライミング研究の歴史と現況」(『認知科学』20)、『進化と感情から解き明かす社会心理学』(有斐閣)、訳書に『心の中のブラインド・スポット――善良な人々に潜む非意識のバイアス』(北大路書房)。


連載紹介

SERVER-のエイリアス

連載:ステレオタイプから、自由になる
社会の刷り込みが人のパフォーマンスに与える影響を、社会心理学者が解明した『ステレオタイプの科学』。身近なステレオタイプは日々の仕事や生活にいかに影響し、私たちは何ができるのか。多様な視点から考える。

第1回 『ステレオタイプの科学』日本語版序文を全文公開します(北村英哉:東洋大学社会学部社会心理学科 教授 )

第2回 思い込みにとらわれず、実力を発揮するためにできること(為末大:Deportare Partners代表/元陸上選手)

第3回 わたしたちはジェンダー・ステレオタイプに慣れすぎている (四本裕子:東京大学大学院総合文化研究科准教授)