死期を告げることに、どんな意味があるのだろうか?(占部まり)

連載:死を想う――その人らしい最期とは
医療の発達に伴い、多くの人が天寿を全うする時代。誰もが前向きに人生の幕を下ろせるようになるには。「死を想う」をテーマに日本メメント・モリ協会を設立した著者が、その人らしい生き方と最後の時間を考える。

医師が告げる余命はどのくらい当たる?

命を脅かす病を宣告された際、多くの患者さんがご自身の余命について質問されます。これから人生とどのように向き合っていくか、大まかな計画を立てていくために余命を知ることは重要だと思います。

しかし、現在の医療では余命を正確に予測できないと言っても過言ではありません。たとえば、化学療法が終了してもガンが進行している患者さんの場合、医師が宣告した余命と実際に亡くなった時期がほぼ同じだった方(予測日数からのズレが3分の1以内、つまり余命宣告が60日の場合は40〜80日であれば予測は当たり)は、約3割という調査結果があります。別の調査でも、余命の予測が正確だったのは35%だったと報告されています。

余命の予測には、決まったルールがあるわけではありません。生存曲線(ガンと診断された方が何%生きておられるかを表したグラフ)の中央値、つまり50%の方が亡くなられる時期をもとに、患者さんの状況や医師の経験を踏まえて余命を予測していることが多いようです。

余命宣告をきっかけにいかに生きるかを考える。それはまさにメメントモリ、「死を想う」ではありますが、その余命が確実なものではないということを、患者さんも医療者側も再度確認しておく必要があるのではないでしょうか。

予期せぬ死がほとんど起きない医療現場

私は現在、内科医として地域包括ケア病棟で勤務しています。地域包括ケア病棟は、急性期病院(急性疾患や重症の患者さんの治療を24時間体制で行う)での専門的な治療が終わったけれども、そのまま退院するには様々な問題を抱えている方の受け皿となっています。

たとえば肺炎などで入院したけれども、急性期病院での入院の目安である1か月以内では元の環境に戻ることが厳しいような状況の方や、施設に入所されていて入院加療が必要な患者さんなどを受け入れています。

ガンなどの悪性腫瘍を治療しているわけではないので、ここでは「あとどれぐらいの余命があるのでしょうか?」とご本人から聞かれることはほとんどありません。悪性腫瘍などで余命については既に別の病院で宣告されているか、ご本人が質問できる健康状態でないことが多いのです。

このような人生の終末期に入って食事や水分が取れなくなり、延命措置を行わないとなるとだいたい2週間ぐらいで、長くても1か月以内に亡くなることになります。この予想が大きく外れることはありません。つまり、私の医療現場では予期せぬ死というものがほとんどないのです。

「寿命で亡くなる時代」の医療者の役割とは?

寿命で亡くなろうとしている方と一緒に「死を想うこと」の大切さと難しさを同時に痛感した、ある患者さんとそのご家族との出会いがありました。奥様が不治の進行性の病気で、余命が宣告されていたご夫婦と、偶然にも同じ時期に二組お会いしたのです。

この二組のご夫婦は、ご自宅で介護をされるなかで、奥様が日に日に衰えていき、食事がとれなくなったということで来院されました。

ここ何日かはほとんど何も口にする力がなかったのでしょう。意識が混濁し、死期はさほど遠くないご様子でした。お二人とも在宅医療に入る前に、専門医から6か月程度の余命宣告を受けていました。その経過をふまえ、現在の状況をどうお考えになるかをうかがいました。

するとお二人とも、不治の病に冒されていることはわかっている、亡くなることがそう遠くない日だともわかっている、奇跡が起こることはないともわかっている、それでも数週間で妻がこの世から旅立つことを認められないというお気持ちが強くありました。

彼らにとって、余命という情報から今後の生き方が変化をすることはなく、愛する伴侶に寄り添い続けることのみが重要なものだと、私には見えました。

そして、明らかに迫っていたとしても死期を告げることは大きな意味をなさないということを肌で感じました。数週間という言葉と奥様が亡くなるという現実を繋げて考えることができない、もしくは避けているようでした。

死が迫り来ているから、食事もできない、意識も混濁してきている、それが体の自然の摂理でもある。そう論理的にはわかっていても、それを現実として受け入れることはできない。ここまで来たら抗えないものだとわかりつつ、何とかしたいという感情を抑えることができない……。

ご主人たちは、誤嚥、肺炎のリスクが高まろうとも食べ物を口に入れることを最後の拠り所とされていました。でも、奥様は口に入れたものを飲み込むことができない状態でした。さらには、そうすることを奥様は望んでおられませんでした。

しかし、ご主人たちは口に食べ物を運ぶことが、奥様を現世にとどめておく唯一の手段かのように思われていて、その行為に込められた思いを考えると、私はご主人たちを押し留めることはできませんでした。こういう状況下において、医療者、支援者ができること、考えるべきことは、いったい何なのでしょうか?

感情と理性。患者さんの気持ちと残された家族の今後。様々なものを加味しながら、人生の最終段階を考える。正解はないとも言えるし、全てが正解なのかもしれない。

それでも私は、患者さんを主語に、患者さんが本当はどうしたいかを問い、考え、話し、向き合うことにこだわりたい。そう強く思い、その気持ちを胸に、今日も私は現場に赴きます。

占部まり(うらべ・まり)
日本メメント・モリ協会 代表理事。東京慈恵会医科大学卒業。米国メイヨークリニックのポストドクトラル リサーチフェロー(1992~1994年)などを経て、現在は地域医療の充実を目指し内科医として勤務。宇沢弘文死去に伴い、2014年に宇沢国際学館・取締役に就任。2017年に日本メメント・モリ協会設立。(noteアカウント:占部まり
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占部まり「死を想う」

医療の発達に伴い、多くの人が天寿を全うする時代。誰もが前向きに人生の幕を下ろせるようになるには。「死を想う」をテーマに日本メメント・モリ協会を設立した著者が、その人らしい生き方と最後の時間を考える。
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