『すべての子どもに「話す力」を』はじめに公開
私は話せない子でした。
母が骨髄炎で入退院を繰り返していたので、幼稚園のあいだも祖母や親せきの家に預けられ、苦手な食べ物を苦手と言い出せず、「明日はどこに行くのだろうか?」と毎日おびえて過ごしていました。
父の仕事の関係で、幼稚園の最終年から小学3年生まで海外にいました。英語がしゃべれないのに現地校に入ったので、トイレに行くにもなんて言ったらよいかわからない。白人だけのクラスに有色人種は私ひとり。お弁当を見ては「臭い」と言われ、髪の毛が黒いことで何度もいじめられました。当時は「ジャップ」(日本人への蔑称)や「リメンバー・パールハーバー」なんて言葉を普通にかけられた時代です。
ある日、頭に十円ハゲができていました。
こんな環境のなか、現地の教育で自己主張を鍛えられました。日本に帰国すると、今度はこの国では発信力が強すぎる子になっていました。手を挙げて発言するたびにクラスがシーン……とても痛い状況でした。日本語もあやしいから、「ガイジン」と言われていじめられて。
やがて、私はまた発信できない子になりました。日本に帰ってきたのは小学3年生の終わりでしたが、6年生のときの成績表にはこう書かれました。
「良いことを言っていると思いますが、発表の声が小さくて聞こえません」
このような幼少期を過ごしたので、私には話せない子の気持ちがわかるのです。ひとくくりに「おとなしい」とされるその子にも、決して主張がないわけではありません。話せない子はそれぞれに理由を抱えているのです。
各地の教育現場や家庭で見かけるそのような子たちに、「話す力」を授けるにはどうしたらよいか。「話す力」を育むことが、なぜいま大事なのか。それがこの本のテーマです。
新卒で日本興業銀行(現みずほ銀行)に入った私は、その後独立して国際金融の現場に身を置いてきました。海外の投資家とともに、日本企業の経営者やIR(投資家向け広報)の責任者との面談に同席した経験は900社を超えます。ある日本企業を訪問した帰り際、海外からの投資家がこんな言葉を放ちました。
自社の成功事例を競う海外のプレゼン大会に顧客と同席することもありました。そこで目にしたのは、17か国の代表者のなかでも際立って弱々しかった日本の発表者のプレゼンです。内容は申し分なく、スライドのデザインも素敵で、英語の文法だって完璧──でも何かが足りないのです。
それは、「自分はこういう人間なんだ」という自信、そしてそんな自分が抱く強い気持ちをぶつけて「相手に理解されよう」「変化を起こそう」という、内から湧き上がる情熱なのではないか。そう気づきました。
「自分の意見や思いは公の場で披露するものではない」
「事前に根回ししてから発言すべきだ」
「行間を読んで、忖度する必要がある」
このような文化のもとで私たちは、ほとばしるような情熱を抑圧し、本来持っていた希望や夢を封印してしまっているのではないか。人間が持つ根源的な力を削がれたまま仕事をしているのではないか。ずっと抱き続けてきた疑問が沸点に達した瞬間でした。
日本の「話す力」を鍛えなければいけない──。
そのとき、私の目が向いたのは「子どもたち」でした。
初めての息子の学校公開(いわゆる授業参観)に行ったときの衝撃を忘れられません。
静まりかえったクラス。
先生が板書をすると条件反射でノートに書き写す子どもたち。
児童一人ひとりの主観ではなく「正解」ばかりを問う先生。
ほんの数名が手を挙げ、小さな声で発言し、それに対してまた条件反射で起こる「あってまーす」の応答。
昭和の時代に私たちが受けたものとまったく同じ授業が、30年の時を経ておこなわれていたのです。
世の中はこれほど変わっているのに。
ビジネスの現場では、話す力の欠如によってこれだけ可能性が閉ざされているのに。
「グローバル人材の育成」が叫ばれ、小学校低学年から英語の授業が始まってはいます。しかし、英語力さえつければ世界に通用するわけではありません。英語学習ももちろん重要ですが、その前に自分の意見を伝えられる「話す力」の土台があってこそ生きるのです。
大人と子ども、どちらの現場でも問題意識を持った私。「話す力」は子どものうちから鍛えるべきなのではないか。課題に気づいていながらいま行動を起こさなかったら、死ぬときに後悔するかもしれない。41歳になっていた私はそう思いました。私の父は46歳で亡くなっています。私が大学3年生のときでした。
「あと5年しか命がないとしたら、私はその5年間で何をするだろう」
そうして始めたのが、子どもたちの「話す力」を育む一般社団法人アルバ・エデュの活動です。前述のビジネスプレゼン大会の翌月から、地元の公民館に子どもたちを集めたプレゼンのワークショップを開始したのでした。その後、公募ではなく学校現場を訪問するスタイルに変わっていき、これまで8年間で4万人以上の子どもたちに授業を届けてきました。
そのなかで確かな手応えを感じています。
たとえば小学生のときに私たちのプレゼン授業を受けてくれた上野英恵さん。英検の受験料が年々上がっていたなか、彼女が高校生のときには、受ける級によってはかつてよりも2倍の値上げになっていました。周囲には自分で受験料を払う友だちもいる、このままでは教育格差が広がるのではないか──そんな問題意識を持った彼女は値下げを求める声をあげ、3万5000人以上からオンライン署名を集めました。実際に2022年度の英検受験料は値下げになったのです。
実は彼女、私たちのプレゼン授業を受けた当時はとてもおとなしく、発言も控えめな子でした。しかし授業を通じて、周りの子たちがハキハキと自分の意見を語る姿に感動し、主張することの大切さを学び、人前で話す度胸がついたのだといいます。彼女のお母さんが言うには、6年生くらいから別人のように急に明るくなり、担任の先生にも驚かれるほどだったそうで、そのきっかけは5年生のときに受けたプレゼン・ワークショップだったと感じているそうです。
きっかけと適切なトレーニングさえあればどんな子でも、社会に働きかけるような声もあげられるようになる──彼女のような受講生たちを送り出すたびに私はその思いを強めています。
教育現場では2020年以降、学習指導要領の改訂によって、段階的に「主体的・対話的で深い学び」(いわゆるアクティブ・ラーニング)が導入され始めました。思考力・判断力・表現力を重視したカリキュラムに移行しています。さらにGIGAスクール構想によって、小中学校では一人に一台のタブレットが支給されました。
これは追い風になる──そう思った矢先、新型コロナウイルスが猛威を振るいました。教育現場にも混乱をもたらし、せっかくの変革のチャンスを生かせずに苦しんでいる教室も少なくありません。マスクをして飛沫感染を防ぐために、クラスは以前に増して静かになり、むしろ指導要領の改訂以前に戻ってしまっていると先生方から危機感をうかがいます。
このままではますます話せない子が増えてしまいます。大きくなったときにもっとその子が自分の可能性を発揮できるように、前述の追い風を具現化しつつ、「話す力」を育む授業を公教育に定着させたいと思っています。
私たちの活動は決して、世界で戦うエリートだけを念頭に置いているのではありません。話せないことで可能性を閉ざしてしまっているすべての人を、取り残さずに支えたいと考えています。
せっかく努力してきたのに、最後の最後に「話す力」が足りずに思いが実らない子どもを一人でも減らしたい。
話す力を鍛えられた子どもたちが、自分で自分の世界を切りひらけるようにしたい。
私はずっと教育畑にいた人間というわけではありません。長く教員を務めている方々からすれば経験は浅いかもしれません。ですが、ビジネス現場では数々の敗北を目撃してきたと同時に、全国のさまざまな教育現場を回る機会に恵まれ、学校間・世代間の違いや共通点を見てこられた経験から、共有できることがあると思っています。
この本では、私たちが教育現場を走り回った実践をもとに、子どもたちが話せるようになるために必要なことを考えます。
まず第1章では、偉人のなかにもかつては話すことが苦手だった人たちがいることや、私たちの授業を受けて実際に話せるようになった子たちの変化の事例をご紹介します。そのなかで、この力は「誰でも鍛えれば伸ばせるもの」だということや、「話す力」だけにとどまらない思わぬ効果をお伝えします。
続く第2章で語るのは、子どもたちの話す力の育成がいま急務であり、今後ますます重要になっていくと私が考える理由です。それを社会という少し大きな視点や、大人になってから出くわすであろう仕事環境の面から眺めつつ、「公教育の現場」が大きな鍵となることをお話しします。
第3〜5章は実践編です。実際に私たちがどのように子どもたちの話す力を育んでいるのか、その手法や哲学を「考える力」「伝える力」「見せる力」の3つの要素に分けて解説しました。学校現場での実践に主眼が置かれてはいますが、身近な子どもに対して、あるいはご自身のトレーニングとしても実践できる内容が多数あります。
第6章では教育現場にいらっしゃる方向けに、子どもたちが「話す力」を育みやすくなる接し方や教室づくりのヒントを、多様な教育現場を巡ってきた経験からまとめました。
こうして個々の子どもや学校が変わっていっても、その変化が全国的に広がっていくには構造的なハードルがあります。第7章では広範囲・長期的に話す力を育んでいくために重要な「4層のチャレンジ(「社会・文化」「教育政策」「学校経営」「授業現場」)」を分析しています。
そのような構造的な課題があるなかで、教育現場にいる大人が頑張るだけでは限界があります。必ずしも学校現場にいるわけではない私たち一人ひとりにできることは何でしょうか。第8章では、立場を問わず実践できる、子どもたちの可能性をひらく接し方をまとめました。
最後の第9章では、ここまで書いてきた内容を踏まえて、子どもたちの未来のために私が描くビジョンを共有します。
「よくそんなお金にならないことを!」
教育団体を起ち上げるとそんなふうに言われることもあります。私が抱いている思いは純粋に、「次世代を担う子どもたちの将来が心配だから」です。
だから、私はこの本を通じてお願いしたいのです。
まずはご自身やお子さんの話す力を高めるために読んでいただくのでも、もちろん構いません。でも加えてぜひ、この本を手に取られたみなさんに、次世代全体を育成することにほんの少しだけでも興味を持っていただければと思っています。
この本は教育現場に近い話が書かれた箇所が多いとは思います。ですが、日々子どもと接する親や地域の大人、教育に関心があるビジネスパーソンが実践できる内容も多々あります 。
本書をお読みいただければわかるかと思います。子どもたちの可能性を閉ざしてしまう懸念も、可能性をひらいていけるチャンスも、教育現場だけに存在するのではありません。次世代を担う子どもたちのために、立場を超えた総力戦でのチャレンジが必要なのです。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため改行に変更を加え、書籍にはない画像を挿入しています。
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