見出し画像

人生の最後に聴きたい音はなんですか?(占部まり)

医療の発達に伴い、多くの人が天寿を全うする時代。誰もが前向きに人生の幕を下ろせるようになるには。「死を想う」をテーマに日本メメント・モリ協会を設立した著者が、その人らしい生き方と最後の時間を考える。
連載:死を想う――その人らしい最期とは(占部まり・著)

病院には、本来必要のない音が溢れている。

「人生の最後に聴きたい音はなんですか?」

この問いかけから、みなさんはどんな「音」を心の中で浮かべたでしょうか? 波の音や川のせせらぎ、大事な人の声、よく聴いたあの曲。大切な思い出とリンクしているものばかりなのではないでしょうか。

My Last Soundというコンセプトで、病院の音環境の改善に取り組んでいる日本人女性が、ワシントンDCに住んでいます。セン・陽子さんという音楽家です。ご自身が入院された際に耳にしたアラーム音や金属音が、音の感受性の高い彼女に大きな負担となったことがきっかけでした。

私自身は長年病院に足を運んでいることもあり、そういった病院内の音はしょうがないと何と無く受け入れてしまっていました。でも彼女の活動を知り、音にさほど敏感でない私でも、日常的に耳にするアラーム音や金属音が、実はストレスになっていることに気づかされました。

陽子さんの調査によると、病院のアラーム音の多くが偽陽性、つまり本当の緊急事態ではないのに鳴っているとのこと。日本での調査はありませんが、私の感覚ではアメリカと日本の病院の音環境に大差はありません。

本来は必要のない音が病院には溢れているのです。

My Last Soundというプロジェクトのことを知ったのは、昨年12月にサンフランシスコで行われた「End Well Symposium: Design for the End of Life Experience」がきっかけでした。

最初に紹介文を読んだ時は「へー、なるほどねえ」くらいの感覚だったのですが、彼女のトークを聞いた時のインパクトは、それこそ衝撃といっていいものでした。興味を持った方は、ぜひ彼女の動画をご覧ください。

人生の最期に、私たちは何を問いかけるか?

人間の五感の中で、最後まで残るのは聴覚だと聞いたことがあります。なので臨床の現場では「最後まで皆さんのお声は聴こえていると思いますので、話しかけてくださいね」と、ご家族やお見舞いにいらした方にお伝えしています。

しかし実際の医療現場では、患者さんの意志を確認できない状況でも、人生の最終段階の医療行為を決定することが求められます。それを推察する様々な手立てがありますが、食べられない、呼吸が苦しいという辛い状況下での医療行為の選択は、重い決断です。「どんな医療を望むか」と尋ねるほうも、聞かれるほうも、きっと心の中にふっと冷たいものが流れる感覚があるでしょう。

自分が死ぬ場面というのはなかなか想像しがたいもの。でも、「最期に聴きたい音は何?」という問いかけは、心がふっと温かくなるものだと思います。

自分の好きだったものとともにありたいと願うのは自然な感情であり、聴きたい音ともに過ごす時間は「その人らしい最期」と言えるものなのではないでしょうか。

音は「その人らしい最期」を考える手がかりになる。

音には言語化できない情報や感覚がたくさん含まれているのだと、陽子さんの活動を通して強く感じるようになりました。音という新たな角度から、患者さんとそのご家族、そして医療者が情報共有することで、その人の「人となり」が見えてくることも、きっとあるのだと思います。

例えば、患者さんが心肺停止状態で救命救急センターに運ばれてきた場合、その人がどんな人であったかは関係なく、その状況に集中して救命を行うのが医療者の使命です。

しかし、救命されても、意識が戻らないといったような状況になることもあります。そんな時、これからどうしていくかを考えるために、その患者さんのことを知る必要があります。

人生の最終段階についての決定がなされるとき、自分で意思表示できる人は三分の一ぐらいとも言われています。文章などで残されていたとしても、患者さんのご家族と話し合って治療方針を決めていかなくてはなりません。

どんな職業についていたか、家族構成はどうかといった情報も、もちろん重要です。しかし、「最後にどんな音を聴きたいと思っていたか」という情報によって、ご家族や医療従事者の想像力は大きく刺激されると思うのです。

医療ができることが増え、それゆえに選択することも多く迫られています。病気だけにフォーカスするのではなく、患者さんの人生のものがたりに寄り添うために、「音」という新たな視点が大きな力になるのはないでしょうか。

「最後の音」は、癒しではない。

「最後の音」は、実際に亡くなるときに流すことが、いちばんの目的ではありません。そのことをきっかけに話し合うことのほうが重要だと、陽子さんは話されていました。音はいらないとおっしゃる方もいれば、この音だけは避けてほしい、といった会話になるかもしれません。それぞれに、その人の生き方が包まれているのだと思います。

アメリカのホスピスを中心に活動されている音楽療法士の佐藤由美子さんから、「音楽により癒されるのではない。音楽は自分自身が癒す力を引き出してくれる」というお話を聞いたことがあります。これを聞いて、「音楽を聴くことで人は癒しを得ている」という受け身なものから、「音楽とは自分自身の中の力を引き出すもの」という認識が加わりました。

音楽の持つ力というのは今まで思っていたより、ずっと大きなもののようです。「最後の音」を考えることは、自分を感じる良いきっかけとなり、よりよく生きることに繋がっていく。そしてご家族や医療者にとって、「その人らしさ」を想像する手がかりになると思います。

あなたにとって、人生の最後に聴きたい音は、なんですか?

7/17(火)トークイベントのご案内
英治出版オンライン連載「死を想う」著者の占部まりさんと、「終末医療×在宅診療ネットワーク」で注目の佐々木淳さん(医療法人社団悠翔会)をゲストにお迎えし、「医者と患者が”人生最期の信頼関係”を築くには」をテーマに語り合うイベントです。ご関心ありましたら、ぜひ一緒に考え、話しましょう。

占部まり(うらべ・まり)
日本メメント・モリ協会 代表理事。東京慈恵会医科大学卒業。米国メイヨークリニックのポストドクトラルフェロー(1992~1994年)などを経て、現在は地域医療の充実を目指し内科医として勤務。宇沢弘文死去に伴い、2014年に宇沢国際学館・取締役に就任。2017年に日本メメント・モリ協会設立。(noteアカウント:占部まり

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!