今、アダム・カヘンの原点に立ち返る意味とは━━(小田理一郎:チェンジ・エージェント代表取締役)━━『それでも、対話をはじめよう』訳者による解説一部公開
本書は、アダム・カヘンが執筆し二〇〇八年に日本で出版された最初の著作『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー)の新訳版です。
アダム・カヘンは、世界でももっとも注目される対話ファシリテーターの一人です。彼は世界五〇カ国で、民族対立や和平後の国づくり、医療問題や食糧問題、気候変動などさまざまな課題に取り組み、その中には国内外から驚きをもって讃えられるような成果を導いたプロジェクトが数多く含まれます。
企業内での経営幹部向けファシリテーションを経て、一九九三年に独立して以来三〇年以上にわたって実践を積み重ね、彼のファシリテーションの理論を練り上げてきました。
その進化の軌跡はこれまで出版された五冊の本の中にたどることができます。日本では、彼の最新のファシリテーション理論を紹介する『共に変容するファシリテーション』を本書と同年の二〇二三年に出版したばかりでもあります。
では、なぜ、このタイミングで一冊目の著作を訳し直してまで復刊するのでしょうか?
本企画についての相談を受けて、あらためて一冊目の原書を読み直したとき、日本の読者にとって今この本を読む意義は、次の三つの点にあるのではないかと感じました。
第一に、誰にとっても、最初の経験というのはもっとも鮮明に、強く表れ、心に残るものです。アダム・カヘンにとっても、最初の著作であるこの本には、彼の初心におけるストレートな提唱を感じとることができます。
また、その後の著作にくり返し紹介される南アフリカのモンフルー・プロジェクトや、グアテマラのビジョン・グアテマラ・プロジェクトについても、もっとも鮮明で詳細な記述があり、文脈を理解することが欠かせないファシリテーションの実践にとても有益な情報を提供します。
第二に、本書では「オープンになる」こと、とりわけ「話し方と聞き方の四つのモード」について、それぞれいくつかのパターンに分けて具体的な記述があります。
話し方と聞き方の四つのモードは、その後の著作でも、グアテマラ・プロジェクトのストーリーを題材にくり返し紹介されていきますが、そのバリエーションやパターンの説明が省かれているため、理解の幅が狭くなる恐れが出てきました。
その点、本書では、ファシリテーターに必要な内面シフトの基盤となる「オープンになる」というテーマについて、一冊の分量をかけて多くの事例と共に詳述しているので、読者にとってよりイメージしやすいものとなっています。
第三に、私が本書から受け取った「分かたれた個が、互いと全体性とにつながり、一体感をもつことによって未来を創造できる」という荒削りだがストレートなメッセージは、今日の日本の状況に適合しやすいと考えます。
この二〇年ほどで、日本でもワークショップやチーミング、心理的安全性や聞くことの重要性が浸透し、さまざまな組織で実践されはじめています。しかしその一方で、オープンに聞き、話すことの本質的な理解や成果はまだ十分とは言えません。
むしろ、SNSや表層的な出来事の報道など、早く手軽に消費できる情報やコミュニケーション手段が増えたことによって、対立や行き詰まりに象徴される「アパルトヘイト症候群」は強まっている機運すら感じます。
アダムの新著で紹介した「変容型ファシリテーション」は、日本で対話実践を積み重ねてきたファシリテーターたちにとって素晴らしい羅針盤となりうる一方、これから対話に取り組む初学者や入門者にとっては、より高度な実践が求められるより上級の実践書となっています。まず基本を身につけて、それから応用に向かうことがよい順序立てでしょう。一冊目の新訳版である本書は、対話ファシリテーションの入門書としてお薦めします。
そして、入門書ではありながらも、第四のモードであるプレゼンシング(本文では生成的な対話(ジェネレイティブ・ダイアログ)となっていますが、のちの著書ではプレゼンシングと呼ぶようになりました)まで到達するまでには、相当の訓練と実践を要します。
本書で紹介するオープンな話し方と聞き方は、日常のミーティング、コーチング、1on1から、チーム学習(チーミング)、対話型組織開発、コミュニティ・オーガナイジング、あるいは多様な関係者によるステークホルダー・ダイアログまで、さまざまな場面や目的で応用可能です。
日本におけるアダム・カヘンの影響力
私も二〇年ほど前から多様なステークホルダーによるダイアログについて学びはじめ、ピーター・センゲの『学習する組織』を手がかりに、どのように実践すればよいかを探求してきました。
ピーターは、「組織開発の父」と言われたクリス・アージリスに学び、メンタル・モデルに対処するためには、保留しながら主張と探求のバランスを図ること、自身の意識を内省してインテグリティを高めることを教えてくれました。また、ピーターは、同僚のビル・アイザックらと共に、世界中で対話を実践していたディヴィッド・ボームのボーム式「ダイアローグ」の手法を提唱します。
そして、これらに共通して重要なことはメンタル・モデルの保留です。グループのメンバーおよび場全体が保留を意識しながらダイアログを行ううえで、ファシリテーターが重要な役割を担うことは理解できました。同時に、これらの原理原則だけをもとにして対話のファシリテーションを行うにはまだまだイメージが湧かないことが多いと感じていました。
当時、私は「学習する組織」実践の普及のために設立されたSoL(組織学習協会)を手伝うようになっていました。そこで何人かの人たちに、ファシリテーションの実践に優れた人は誰かと尋ねたところ、世界には二人の「昇竜」がいることを教わりました。一人は、「U理論」のオットー・シャーマーであり、もう一人が南アフリカでのアパルトヘイトからの移行のための対話を支援したアダム・カヘンでした。
それからほどなく、二〇〇四年にカヘンの第一作『Solving Tough Problems』(本書の原書)、そして二〇〇五年にシャーマーらの共著『Presence(邦題:出現する未来)』が出版されます。
特に、アダム・カヘンの書籍では、グループの参加者たちの話し方と聞き方のパターンが明確に分類され、また、場における参加者たちの関係性や関わり方によって、どのようにパターンが変容しうるかが記され、対話に関するより具体的なガイドラインをもつにあたって大いに役立ったことを覚えています。
オットーとアダムは協働者でもありました。初期のU理論に関する文献の中では、U理論開発者の名前に、当初アダム・カヘンの名前も連なっていました。しかし、その後数年たって、アダム・カヘンの名前はなくなり、また二〇〇九年オットー・シャーマーの『U理論』が出版される頃には、U理論と言えばオットー・シャーマー、そして彼が仲間と立ち上げたプレゼンシング・インスティテュートの実践を象徴するものとなっていきます。
一方で、アダムはU理論の「発明者」ではないにせよ、「パワー・ユーザー」であることは間違いありません。「チェンジ・ラボ」「ソーシャル・ラボ」「変容型シナリオ・プランニング」など、U理論を基軸としたさまざまな手法やアプローチを開発し、またU理論のグループレベルでの実践の基盤である「話し方と聞き方の四つのモード」について誰よりも豊富な実践例と学習をもって、わかりやすく語ってくれる先駆者です。
こうした組織学習や対話の実践者たちの間の高い評判と並行して、私はもう一つの意味でアダム・カヘンには大きな期待を抱いていました。彼が、二〇〇四年に立ち上がった「サステナブル・フード・ラボ」という五大陸、マルチセクターのコンソーシアムの共同リーダーとなっていたことです。
私は二〇〇二年よりサステナビリティの分野に取り組みはじめてから縁あって、サステナブル・フード・ラボのもう一人の共同リーダー、ハル・ハミルトンと懇意になりました。彼とビールを飲み、サステナブル・フード・ラボの変遷を聞く都度、アダム・カヘンの人となりやファシリテーションのインパクトについてよく聞かされていたのです。
二〇〇八年四月、アダム・カヘンと初めて会う機会が訪れました。当時は、世界全体に二極化が強まる最中、気候変動や核拡散、貧困格差などグローバルな課題に向き合うために「グローバルSoLフォーラム」が中東のオマーンで開催されます。その基調講演者の一人としてアダム・カヘンが来場していたのです。
彼の講演後に挨拶をするや、とてもフラットに、親しみをもって接してくれました。ピーター・センゲやハル・ハミルトンなどの人脈の助けもありましたが、アダムは大変な親日家でもあったのです。日本の職人気質や細部へのこだわりなどに特別に敬意を払い、また、国際的な舞台ではやや控えめな日本人と波長があうところもあったようです。同年に本書の旧訳書『手ごわい問題は、対話で解決する』が発刊し、日本でも彼の対話アプローチが広く知られるようになります。
このときの交流をきっかけに、二〇一〇年『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』、二〇一四年『社会変革のシナリオ・プランニング』、二〇一八年『敵とのコラボレーション』のそれぞれの翻訳書が発刊する都度、アダムを日本に招き、講演とワークショップを通じて彼の方法論を指南してもらいました。
私自身も、二〇一〇年来日時に開催された「チェンジ・ラボ」に参加した際、彼のファシリテーションのもと、自分自身の迷いを払拭してその後の活動の源に触れるプレゼンシングを体験しました。U理論の開発に関わったオリジナルメンバーの言葉の発し方、振る舞い方、あり方は、そして日本の多くの実践家たちに多大な影響を与えてくれたのです。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。
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