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レベッカ・ソルニット(『災害ユートピア』著者)による『Compassion』序文を全文公開します。

今年春に出版した『Compassion(コンパッション)──状況にのみこまれずに、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力』。マインドフルネスにつづき、注目される概念「コンパッション」について説いた本です。
発売から半年、「自分を犠牲にせずに、人の役に立つにはどうすればいいのか?」という本書の問いは、コロナ禍においてさらに実感を持たれるものになっているように感じます。
そこで、『Compassion』の本文の一部をこれから数回に分けて公開していきます。今回は社会活動家で文筆家、『災害ユートピア』や『それを、真の名で呼ぶならば』の著者レベッカ・ソルニットによる本書の序文を公開します。

本書の著者、ジョアン・ハリファックス老師と共に、チベット高原を横切る、いにしえの交易路を歩いたことがあります。ニューメキシコ州の山々で、切り立つ斜面の道なき道を、清流と夏の雷雨が待ちうける高地まで登ったこともあります。私の知る老師は、これまでチベットの聖地、カイラス山の巡礼路を幾度もたどり、北アフリカやニューメキシコの砂漠をひとりさすらってきました。マンハッタンをくまなく歩き、彼女が創立したウパーヤ禅センターほか、北米の西海岸から東海岸、アジア各地の数多くの寺院で歩く瞑想をしてきました。その旅路で、医療人類学者、仏教指導者、社会活動家としてガラスの天井を打ち砕き、行く先々で新たな境地を開いてきた、聡明で勇敢な旅人なのです。

私たちの多くがようやく理解し、その素晴らしさに気づき始めたばかりの、個人と社会の変容の最前線で旅を続けてきた、彼女の学びが本書となりました。この数十年のあいだに、人間性についての私たちの理解は革命的な変化を遂げました。これまで多くの学問分野で人間は本質的に利己的で、人間の欲求は物欲も性愛の喜びも家族関係も基本的に個人的なものだと想定されてきましたが、それが覆されたのです。経済学、社会学、神経科学、心理学など多様な分野における昨今の研究が明らかにしたのは、人間は他者の求めや苦しみに同調する、コンパッションの生物としての起源をもつということです。

一九六〇年代には、「コモンズ(共有地)の悲劇」が論じられ、人間は利己的なので、共有の社会システムを管理し、共有する土地や品々を大切にするのは難しいと言われました。しかしそれに反して、遊牧社会の放牧権や米国の社会保障制度など、各種の共有的なシステムはうまく機能しうるもので、実際に各所で功を奏しています(女性として初めてノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムも、経済的協力関係が有効であると示しています)。

災害社会学者も、地震やハリケーンのような突然の大惨事において、一般の人々が勇敢で臨機応変に対応し、真に他者のために行動することを記録し実証しました。その多くは救出や復興の活動に喜びと意義を見出し、意欲溢れる自主的なボランティアとして活動しているのです。

また、兵士に殺害の訓練をするのは容易ではないことを示すデータもあります。ほとんどの兵士は、程度の差はあれ殺害に抵抗を感じ、経験すれば深く傷つきます。進化生物学、社会学、神経科学ほか各分野で、人間性を新たな見方で広く捉え、一昔前の厭世的で人間嫌いな、そして女性蔑視の考えは捨て去るべきだという証拠が示されているのです。

こうした有意義な事例や研究をとおして、私たち本来の姿が認められてきていることは、大きな希望です。私たちが何者で、どのような者になれるのかについて新たな前提が生まれることで、自分自身や社会や地球に対する、より豊かな見通しを得られるようになるのです。まるで人間性というものを表した地図、人間性のなかの各要素を表す地図が、新たに出現しているかのようです。この地図はもともと生きた経験や宗教的な教えを通じて知られていたものですが、西洋に見られる、人間性は無慈悲で利己的で非協力的だとする考え、生存は協力よりも競争にかかっているのだとする考えによって忘れ去られていました。

この現れてくる地図自体が驚くべきものなのです。この地図をもとにすれば、私たち自身とその可能性を、新たな希望に満ちた姿で思い描くことができます。また、ひどい堕落や苦難が蔓延っていても、それは私たち生来の姿ではなく回避できることも、地図が示唆してくれます。とはいえ地図の大部分は概略を示したスケッチのようなものなので、分かりやすい旅行案内というわけではありません。

つまり、各種の研究は、いわば約束の地として、より優れた、理想的で寛容で慈悲深く勇敢な自己を掲げているのです。だからといって、優れた自己になりさえすればよいと考えるのは、浅はかでしょう。自己が最善の状態であっても、最良の日々を過ごしていたとしても、共感による疲労や良心の呵責など多くの精神的な試練が障壁となって現れます。

そうしたことを、ジョアン・ハリファックスは本書において巧みに描写しています。善良であることは、単に気高くある状態ではなく、さまざまに絡み合った複合的な営みであると示しているのです。その営みには人生のありとあらゆることが含まれ、挫折や失敗も例外ではありません。

ジョアン・ハリファックスが私たちに提示してくれるものには、計り知れない価値があります。彼女は、苦難の世界を旅し、自らの経験からも他者の経験からも深く学び、苦しむ人々にもそれを和らげようと努める人々にも耳を傾けてきました。

そして、苦しみの緩和を試みても、かえって痛みとなりかねないことがあるのに思いいたりました。苦境に陥るのを避け、自身の活力の枯渇を防ぐ術も知りました。複雑な人の心の景観に、広く深く分け入り、美徳の地ははるか遠くに輝いているわけではなく手の届くものだと理解したのです。

希望をつなぐ山の頂ばかりではなく、大抵の人が遠くから眺めるだけの危険や落とし穴、罠、絶望の沼へも彼女は赴きました。こうした知見に基づく本書は、自らとすべての命に恩恵をもたらす、勇敢で実りある旅に導いてくれる地図なのです。

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。

レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)
1961年生まれ。作家・歴史家・アクティヴィスト。カリフォルニア州に育ち、環境問題や人権、反戦などの政治運動に参加。1988年より文筆活動を始め、『River of Shadows: Eadweard Muybridge and the Technological Wild West』で全米批評家協会賞、マーク・リントン歴史賞を受賞。邦訳書に『説教したがる男たち』『ウォークス』『迷うことについて』(共に左右社)、『災害ユートピア』(亜紀書房)、『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など多数。

監訳者で一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート(MiLI)の木蔵シャフェ君子さんによる日本語版序文もこちらで全文お読みいただけます。

『Compassion(コンパッション)――状況にのみこまれずに、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力』
ジョアン・ハリファックス[著]/ 一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート [監訳]/海野桂 [訳]
 
「これからを築くすべてのリーダーに必須の力」
―チャディー・メン・タン(Googleのマインドフルネス研修「サーチ・インサイド・ユアセルフ」の第一人者)
自分を犠牲にせずに、人の役に立つにはどうすればいいのか。ビジネス・科学・医療界のトップリーダーのメンターで、ハーバード大名誉研究員×禅僧×社会活動家の著者が、人生をかけて見出した、究極の人間力。
 
【目次】
日本語版序文(木蔵君子)
序文(レベッカ・ソルニット)
崖からの眺め
第1章 利他性
第2章 共感
第3章 誠実
第4章 敬意
第5章 関与
第6章 崖でのコンパッション

【著者】ジョアン・ハリファックス
仏教指導者、禅僧、人類学者。ニューメキシコ州サンタフェにあるウパーヤ禅センター創設者・主管。 医学人類学で博士号を取得。アメリカ国立科学財団で映像人類学の特別研究員、ハーバード大学で医療民族植物学の名誉研究員、米国議会図書館の特別客員研究員も務めてきた。また、ウパーヤ禅センターによる、刑務所でのボランティア活動、ネパールにおける移動診療の活動をはじめた人物でもある。


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