著者ロン・バーガー来日! 『子どもの誇りに灯をともす』より「解説──美しい作品をつくり出す人生」(藤原さと)全文公開
深い学びを引き起こす伝説の教師、ロン・バーガー
ロン・バーガーは、アメリカ全土の公立学校・行政と連携し教育改革を行うELエデュケーションのシニア・アドバイザーであり、多数の著作のある教育者である。公立学校の教師として25年以上勤め、Autodesk Foundation National Teacher of the Yearなど、優れた教師に与えられる賞を受賞し、ハーバード大学教育学大学院では、生徒の作品の質の向上に関する授業を受け持ってきた。
プロジェクト型学習(PBL)や深い学びを引き起こす進歩的な学びを推進しようとするアメリカの教育者にとっては、レジェンドとも呼ばれる存在である。あるPBL伝統校の教師は、本書を胸に抱きしめながら「これは僕のバイブルなんだよ」とにっこり笑った。
ロン・バーガーはサンディエゴにあるハイ・テック・ハイという質の高いプロジェクト型学習と高い学業パフォーマンスで全米に知られるチャータースクールにも大きな影響を与えた。ロン・バーガーと同校創立者のラリー・ローゼンストックは、マサチューセッツ州に住む近所同士で親しかったこともあって、創立以前からその思想形成に大きく関わっている。
同校の校内はさながら美術館のようでアート作品に溢れている。子どもたちがつくるものは、「美的な配慮をもって準備され、批評され、さらに磨かれ、聴衆の審美眼で鑑賞されうるし、そうされるべきだ」というロン・バーガーの思想に極めて忠実である。
私がロン・バーガーの書いたものにはじめて触れるきっかけとなったのは、2018年度に経済産業省の「未来の教室 Learning Innovation」事業の採択を受け、ハイ・テック・ハイの教育学大学院における教育者研修を日本に導入したことだった。その研修設計の過程でロン・バーガーの論考に触れたのだが、それは教育の文脈で読んだそれまでのどの文章とも違っていた。
そこには学級の友だちの温かい眼差しの中で自己の尊厳を取り戻していく一人の生徒の姿が描かれていた。ここには大切なことが書いてある、と胸が高鳴るような思いで読んだことをはっきりと覚えている。それから数年が経ち、多くの教師たちに愛されてきた本書を日本に紹介できるようになったことは、この上ない幸せである。
ロン・バーガーは本書の後にも『Leaders of Their Own Learning』など数々の著書を出版し、その多くがベストセラーになっている。しかし本書は出版から20年たった今でも、まぎれもなく彼の主著であり、いまだに教育の現場で多く引用され、教師たちが読み続けている本である。
この本にはフレームワークや手法のようなものはほとんど書かれていない。むしろ、ロン・バーガーが教師として子どもたちやコミュニティと関わった過程が物語として綴られている。しかし、一見極めて平易に見える文の奥には、深い意味があちらこちらに潜んでいる。私自身がそうだが、読者の経験が深まるにつれ、新しい発見がつぎつぎに出てくる本のように思う。
私は拙書『「探究」する学びをつくる──社会とつながるプロジェクト型学習』(平凡社)において、ロン・バーガーの思想を深くその実践に反映しているハイ・テック・ハイのカリキュラム作成や評価方法、プロジェクトの質を上げるための批評の取り組みなどについて、具体例とともに記述した。ハイ・テック・ハイでは、ロン・バーガーの提唱する「オーディエンスのヒエラルキー」や健全な批評精神を育む方法、生徒自身が学習のオーナーシップを持ち、自らの学びを言語化するための評価手法などが、効果的に取り入れられている。
同校で約20年教鞭をとり、同校の教育学大学院でコースも受け持つジョン・サントスは「大事なことは、私たち一人ひとりが、自身に誇りを持てるような意味のある美しい仕事をつくることであり、学校やコミュニティはその支援者でなければならない」ということをロン・バーガーから学んだと語る。
日本では2020年度から新学習指導要領が順次導入された。文部科学省は「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい」という願いを込め、「主体的・対話的で深い学び」の実現を求めている。ロン・バーガーの実践は、こうした新しい学びの先駆的な存在となるだろう。
また、忙しい教師たちがいかにして誇りを持って仕事をし、プロフェッションを高めていけるか、そのために行政や大学はどうあるべきか、示唆に富む数々の指摘をしている。彼が見た20年前のアメリカの教育の問題は、そのまま今の日本の問題に思えるのは私だけだろうか。
文化がエクセレンスの感性を育む
マサチューセッツ州の郊外にある小さな教育区の小学校の教師だったロン・バーガーは、同僚の教師たちとともに学校の授業を激変させた。6年生は住民アンケートやさまざまなデータを分析し、州初となるラドンガス分布図を作成した。ラドンガスは放射性を持ち、微量であれば問題ないが、大量に発生すると人体に多大な悪影響を及ぼす。その取り組みはメディアにも取り上げられ、連邦政府のラドンガス委員会からも注目された。
一方で、本書にはきらびやかなプロジェクトの実践だけではなく、度重なる停学処分やドラッグ、刑務所行きなどの問題行動を起こす生徒たちに悩まされる高校や、英語以外の言語が母国語の生徒が半数を占め、年間の退学率が3割というような学校の事例、特別支援にかかわる実践も数多く出てくる。
美しい作品をつくり上げるプロジェクトを通して、貧困や家庭の愛情の欠如、障害に苦しむ子どもたちが、エクセレンスの感性を育み、自らを信頼し、オープンで何事にも真剣に向き合うように変化を遂げていく。その様子は圧巻であるとともに、なんとも心温まるものである。
ロン・バーガーは、子どもの自尊心は、美しく、良い作品をつくり上げる過程でしか培われないという。「自分は価値がある人間だ」と思えるためには、褒められるだけでは十分ではなく、「これは価値があるものだと信じられることをする、もしくはつくり上げる」ことが必要不可欠だと語る。
さらに彼は学校の文化、そして家庭や地域コミュニティの文化が子どもたちに決定的な影響を与えると主張する。子どもたちをエクセレンスに導くのは文化なのだ。
ところで、本書の原題『An Ethic of Excellence』は、直訳すると「エクセレンスの倫理」である。「エクセレンス」は卓越とも翻訳されることが多いが、元を辿ると古代ギリシャ語の「アレテー」という言葉に辿り着く。この言葉には「卓越」だけではなく「徳」の概念も含意される。
よって、エクセレンスといった場合に、単に人より秀でることを目指すのではなく、同時に善き生を目指し、倫理観を養っていってほしいという思いが込められていることに注意したい。子どもたちが、粘り強く良い作品をつくり上げることは、善き人格を形成するということと同義なのだ。
アメリカの哲学者、ジョン・デューイも指摘したとおり、私たちはこの世に生まれ落ちた時から、自身をとりまく環境と相互作用しながら、さまざまな経験によって自らを築き上げていく。それらは、教科書で教え込まれることや親からの小言だけではない。無意識に目にする枝葉の間から差す木漏れ日や、温かい身近な人たちの声、空をゆったりと漂う雲、友だちから投げかけられる言葉たち、教師の姿や表情も当然に含まれる。
だからこそ、ロン・バーガーは学校におけるすべての環境にこだわる。校舎が美しく整えられ、生徒たちの質の高いプロジェクト作品がいたるところに展示された学校を目指す。
また、ロン・バーガーは、生徒たちが意味のある真正な評価を受けることも重要だと主張する。子どもたちが「自分は価値ある人間だ」と思えるようになるには、「価値あるプロジェクト」に携わり、正当な評価を受けなければならない。
専門家が見たら驚くような才能を発揮している生徒の作品なのに、良い点数がつけられないことはしばしばある。評価の基準が曖昧なまま、見栄えのよいものだけにAがつき、その理由も示されないという経験を、私たちの多くもしているのではないだろうか。
自分がつくり出すものは自分の姿を映し出す。一度提出してしまえばあとはゴミ箱に行くだけの課題に取り組んでいると、それは自分自身の姿として跳ね返り、生徒たちは無意識のうちに自身への信頼を失ってしまう。そして良い批評者や評価者がいなければ、良いプロダクトや意見は葬り去られることになってしまう。
社会の構成員全員が「良き批評者」であるように、教育は寄与しなければならないと、ロン・バーガーは言う。彼は生徒の作品に点数をつけない。代わりに生徒の作品をスーツケースに入れて全国を飛び回る。その作品がどんなに素晴らしいか、その作品制作の過程にどんなストーリーがあったのかを説いて回るのだ。
ロン・バーガーの実践と美学を結びつけたプロジェクト・ゼロ
ロン・バーガーは1989年よりハーバード大学教育学大学院で、マルチプルインテリジェンス提唱者のハワード・ガードナー博士の指導を受け、プロジェクト・ゼロ(Project Zero)に関わった。プロジェクト・ゼロは1967年に哲学者のネルソン・グッドマンによって創設された。設立当時、多くの芸術教育者たちが理論や方法を独自に展開していた一方で、そうした知識は教育者間であまり共有されていなかった。そうした状況を変え、芸術教育の発展につなげることを目的に、このプロジェクトは立ち上がったという。
設立から50年以上経った現在、プロジェクト・ゼロは芸術教育ばかりではなく教育全般を視野に入れ、人間のポテンシャルを理解し、それを養成することをミッションとしている。そのためにさまざまなプロジェクトを擁し、アメリカにおける主要かつ先駆的な教育研究機関の一つとなっている。ガードナー博士は、1972〜2000年にプロジェクト・ゼロの共同ディレクターとして活躍し、現在はプロジェクト・ゼロ運営委員会の責任者である。
今回の翻訳版の出版にあたって、ロン・バーガー本人から本書が世に出るに至った経緯を聞いた。当時修士号を目指す一学生にすぎなかったロン・バーガーは、ガードナー博士のコースをとり、当時すでに世界的に有名な研究者として多忙を極めていた博士とのアポイントメントにこぎつけた。やっともらえたその時間は5分。ロン・バーガーは時間をフルに使って自分の生徒たちのポートフォリオを次々に見せ、その美しい作品について説明を続けた。
するとガードナー博士は「明日1時間あげるからいらっしゃい」と言った。次の日にガードナー博士のオフィスを訪れると、そこにはガードナーの妻で、芸術心理学者のエレン・ウィナーもおり、ロン・バーガーは二人に生徒たちの作品を見せ続けた。その場で博士から「次の学期はもう授業はなにもとらなくていい。プロジェクト・ゼロに参画しなさい」と言われ、研究グループの一員になったという。
本書のベースは、プロジェクト・ゼロとアネンバーグ財団の支援で書かれた『A Culture of Quality』である。その過程ではガードナー博士、ヴィト・ペローネ教授らのサポートを受けている。さらに、ロン・バーガーは、2022年までハーバード大学教育学大学院の美術教育部門のディレクターを務めていたスティーブ・サイデル博士ともプロジェクトを共にし、同大学院で「エクセレンスのモデル—生徒作品を活用した指導と学習の改善」というコースを5年間一緒に受け持った。ガードナー博士らとの深い交流は30年以上に及ぶ。
「ハーバードでの経験によって何が変わったか?」という私の問いに対し、ロン・バーガーは「それまでの自分の直感的な実践に対して言葉を与えてくれた。プロジェクト・ゼロの創設メンバーであるデイビッド・パーキンスも自分の理解に形を与え、フレームワークにすることを助けてくれた」と答えた。
美や芸術は子どもたちの心に灯をともす
実際に、ロン・バーガーの実践にはいたるところに美学がちりばめられている。一見私たちが美や芸術と見做さないような日常の営みや学びの風景の中に深い整合性をもって語られる。卓越した美しい作品をつくり上げるものづくりの魂「クラフトマンシップ」こそが教育の要だ、と彼は考える。そこには『判断力批判』において美学の基礎を築いたドイツ (プロイセン)の哲学者、イマヌエル・カントが示唆したことに通じるものがある。
カントは、人は心と身体をフルに使って理想の形を構想し、具体化する過程で、心的能力を開発していくという。生み出されたものは他者に表現され、分かち合われる。本書では、構想における自由が保障され、適切なリフレクションがなされることによって、子どもたちが自己のアイデンティティを追求し、倫理観を培っていく様子が描かれる。そうした営みは、カントの思想と綺麗に重なるように思える。
ドイツの詩人・思想家であるシラーは『人間の美的教育について』(法政大学出版局)において、人は美的生活によって「自分自身の欲するものに自分自身をつくるということ—自分がありたいと思うものである自由を、完全に取りもどす」ことができると言った。人は自らの心の能力によって新しい現実を創り出し、本来の人間性を取り戻すことができるし、そこに「美」が決定的な介在をするという。その営みは「プロジェクト」ということもできるかもしれない。
ジョン・デューイは、芸術的な活動はいわゆるアート作品と言われているものの範囲に限定されるものではなく、日常の生活のなかでこそ実現されるとした。そして、芸術作品(the work of art) の制作と鑑賞とが切り離されず、子どもたちが創造的な活動をすることを求めた。さらに、芸術が共同社会で人々をつなぐ感性的なコミュニケーションを実現すると考えた。内的に動機づけられた遊びとも仕事とも切り分けられない自由な活動のなかでこそ、人は芸術を為す。協働的・創造的な学びのなかで、鑑賞と制作と批評がリズミカルに繰り返されるロン・バーガーの実践は驚くほどデューイの思想に忠実である。ガードナーがロン・バーガーに初めて出会った時に、提示されたポートフォリオを見て驚いたのも無理はない。
ハーバード大学教育学大学院の美術教育部門のスティーブ・サイデル教授は、すべての人には「美」への欲求があり、「美しいもの」は古来、強力な文化創生の原動力になったのに、学校において「美」や「芸術」が子どもたちの心に火をつける起爆剤としてほとんど活用されていないことは理にかなわないと指摘している。
「美術」「図工」「音楽」のような教科は日本でも「周辺教科」と揶揄されるように、「国語」「算数・数学」「理科」「社会」などと比べて優先度の低いものと捉えられがちであるが、本来「美」という概念は、教科にとらわれない教育全体の一丁目一番地におかれるべきではないだろうか。
英国の文芸・美術批評家であるハーバート・リードは、美術教育の古典的名著とされる『芸術による教育』(フィルムアート社)において、紀元前に遡る遥か昔にプラトンが明快に打ち立てた命題「芸術を教育の基礎とするべきである」は見直されるべきだと主張している。
さらにリードは、「プラトンの命題」が誤解されてきたのは、プラトンが芸術という言葉によって何を意味したのかということが、何世紀にもわたってずっと理解されず、教育の目的が不確かであったためであると指摘する。今、改めてプラトンの命題の可能性を教育の現場で実現するということについて私たちは真剣に考えてみてもいいのかもしれない。
「美しいとはなにか」という問いは極めて重要である。ロン・バーガーはインタビュー時に「美」という言葉に気をつけてほしいと念を押した。「美しい」と言った場合、その表面の美しさだけに囚われてはならない。美しさは世に言われる芸術(Art)の中だけにあるのではなく、数学、科学、歴史、社会的正義、日常の私たちの感情の中にもあらわれてくる。
「美」はしばしば政治的プロパガンダにも利用される。「美」は静的なものであると同時に動的なものでもあり、最終的な作品だけでなく、エレガントな解決の営みやその葛藤、苦しみや喜びのなかにも見出せるものである。
自分らしく誇らしい人生を全うするために
今、テクノロジーの進化や地球の温暖化に伴う気候変動、感染症のパンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻の影響、そしてさまざまな人権侵害の問題などにこの世界は覆われている。こうして社会が大きく変動する時代に、教育や学びのあり方は変わらなければならない。
一方で、将来が不確実だからといって、世界の変化に適応しようと次から次へと知識やスキルを増やすことはもはや意味をなさないし、現実的でもない。「あなたはどのように生きるのか」という問いがないまま、予測できない将来への不安を煽り、むやみやたらに準備ばかりさせると、子どもたちは決定的に自信を失ってしまう。
子どもたち一人ひとりが学びの過程において、美しい作品をつくり、自己を問い直し、自身への信頼を取り戻していくことができなければ、私たちの未来は決して明るいものとはならないのではないだろうか。
ロン・バーガーはなにも生徒たちに大きなことをしろなどとは言っていない。周りの人たちや地域と健全につながり、自分らしく誇らしい人生を全うすることを求めているのだ。あなたは誰かが勝手につけた偏差値や、学歴や点数でできているのではない。
これは生徒たちだけでなく、大人である私たちにとっても重要なメッセージとなるだろう。自分自身が美しいと思う作品をつくり上げる営みのなかでゆっくりと時間をかけて築き上げていく人生の格律によって、誇りを持って生きるあなたが「あなた」なのだ。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため改行等の調整をしています。