「医療の本質」を教えてくれた二人の患者さんとの出会い
日本メメント・モリ協会を設立し、「死を想うことで生が豊かになる」ことについて考える場を提供している著者。自身にとって、医療の本質を考えさせられた出会い、そしてその本質を体現する人との出会いを語る。
「何があっても先生について行く」
私がまだ研修医だったころ、いまでも思い出す二人の患者さんとの出会いがありました。そのお二人から私は、医者として絶対に忘れてはいけないこと、いわば「医療の本質」を学びました。
はじめに、Aさん。難治性胃潰瘍で胃の部分切除を受けた、50代の男性でした。良性の病気である胃潰瘍を手術するなど、今では考えられないことです。しかし、胃酸過剰を一時的に抑制するための「制酸剤」が開発される以前は、胃潰瘍で胃に穴が開いてしまって亡くなる方もいたのです。
Aさんは残念なことに、手術の後遺症で腸が癒着してしまい、頻回に腸閉塞を起こして入院していました。腸閉塞の治療は、基本的には、つまり(閉塞)の原因を解除すること。ところがAさんの場合、手術による癒着が原因ですので、もう一度手術をしても原因を取り除くことはできません。手術をしてもまた新たな癒着を作ってしまいます。そのため、入院して、飲まず食わずで腸を休めることが唯一の治療だったのです。
しかし、やはり飲まず食わずではなかなか回復しません。そこで、体の栄養分を補給するために、心臓に近い太い静脈にカテーテルを留置。カテーテルは静脈内に置いたままなので、何回も針を刺す必要はありませんが、その反面、異物が体の中に残るため感染症のリスクが高まります。それでも有益性が上回ると判断し、Aさんはそのカテーテルから栄養分を取りながら、胃腸を休めていました。
すると少しずつ、お腹の痛みなどが落ち着いてきました。しかしある日突然、Aさんが「なんだか目が見えづらいんだ」と体の異常を訴えてきたのです。すぐに眼科で診察したところ、異物が体内に入ったことで血液中にカビの一種である真菌が生えてしまい、それが目の血管に詰まって視力障害を起こしていたのでした。
中心静脈のカテーテルをそのまま体の中に置いておくと、カビが体の中から消えません。やむなくカテーテルを抜去し、抗真菌剤の投与を行い、回復を待ちました。食事はなんとか取れるようになり、退院することになりましたが、視力は回復しませんでした。
そして退院時に、彼が言った言葉がいまも心に強く残っています。
「俺は手術をしてくれた教授のことを全面的に信頼している。
何があってもついて行く。死んでも悔いはないんだ」
がんなどの悪性腫瘍での手術とは異なり、胃潰瘍という良性の病気での合併症。さらにカテーテルの合併症も引き起こして視力が極端に落ちてしまったにもかかわらず、Aさんは、先生について行くと言って退院されたのです。
それは、「医療とはサービスである」という捉え方では決して成立しない信頼関係です。ここで言うサービスとは、経済用語において、売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財のことです。
サービスとして医療を捉えると、“死”や“合併症”は決して満足の行く結果ではありません。しかし、信任をもとに最善を尽くせば、たとえ望まない結果だったとしても納得できる。手術の成功だけでは測ることのできない、人と人の信頼関係こそが医療の本質。そう私はAさんから教えてもらいました。
「先生に言っても、どうせ良くならないのよね」
時を同じくして、もう一つの大切な出会いがありました。末期のすい臓がんで入院されていた60代の女性、Bさんです。
痛みが強く、鎮痛剤がなかなか効かず、ベッドサイドに行くとBさんはいつも辛そうな表情で、「先生、痛いの。この痛み、どうにかなりませんか」と訴えておられました。研修医だった私は、Bさんの訴えを上司の先生に伝言するくらいのことしかできませんでした。
本当に辛そうだったBさんを前にして、私は無力でした。当時、麻薬性鎮痛剤の種類は豊富ではなく、また私自身も、がん性疼痛への鎮痛剤の使用経験は十分ではありませんでした。
なかなか取れない痛みに半ば諦めたようなBさんの表情が目に焼き付いています。「先生に言っても、どうせ良くならないのよね」そう言われているような気さえしていました。
そしてある夜のこと、彼女はトイレの近くで吐血して倒れているのを発見され、そのまま帰らぬ人となりました。おそらく原因は、進行したがん細胞が消化管にも顔を出し、そこからの出血でした。
その当時、私が勤めていた病棟で亡くなる患者さんのほとんどが、私の勤務時間中に亡くなられていました。同僚たちは優しく、「みんな、あなたを信頼していて、看取ってもらいたいと思っているのよ」と言ってくれましたが、Bさんだけは、私が病院にいない時に亡くなられました。偶然とはいえ、彼女とは信頼関係が結べていなかったことを突きつけられたような気がしました。
Bさんは末期がんで入院しており、その退院は死とともにあることは、もちろんわかっていました。それでも、もっと何かできたのではないか、という気持ちを拭うことはできませんでした。痛みを軽減させる手立ては、痛み止めだけではありません。信頼関係を結び、患者さんの信任を受け、最善を尽くすことで、安らかな最期を迎えることだってできる。それが医療の役割なのではないかと、Bさんとの出会いを通して私は深く考えさせられました。
「医療の本質」を体現する、佐々木淳さんとの出会い
医療の本質はサービスではなく信任である。その大切さと難しさを教えてくれた二人の患者さんとの出会いから、もう30年近く経とうとしています。それからというもの、患者との「本当の信頼関係」はどうやったら築けるのかと、試行錯誤の日々が続きました。
そんな中、「医療の本質の体現者」と心から思える素晴らしい方と、昨年お会いする機会に恵まれました。医療法人社団悠翔会・理事長の佐々木淳さんです。
佐々木さんが代表を務める悠翔会は、都内10か所に在宅医療専門のクリニックを持ち、訪問医療を行う在宅患者数は現在約3,500人。その数は年300人のペースで増加。佐々木さんがこの10年で看取った患者さんの数は3,000人にのぼるそうです。
幅広い知識と鋭い洞察力、何よりも患者さんに寄り添う温かい心が、多くの患者さんの在宅での療養生活の拠り所となっています。
住み慣れた環境で最期の時間を過ごしたい。それは多くの方の希望です。しかし実際には病院で亡くなる方が7割を占めます。治療から介護へ、キュアからケアへ。医療の役割が変わりつつある時代、それを下支えとなる信頼関係を構築するには何が必要なのか。医者と患者、それぞれがどんな心持ちで、どんなことを語り合えばいいのでしょうか。
多くの患者さんの最期を看まもるお手伝いをされて来られた佐々木さんと、在宅医療における信任とサービスについて考えてみたいと思います。7/17(火)開催のトークベント、みなさんともお話しできることを楽しみにしてます。
医者と患者が「人生最期の信頼関係」を築くには――佐々木淳×占部まり
7/17(火)トークイベントの詳細・お申し込みはこちらから。
占部まり(うらべ・まり)
日本メメント・モリ協会 代表理事。東京慈恵会医科大学卒業。米国メイヨークリニックのポストドクトラルフェロー(1992~1994年)などを経て、現在は地域医療の充実を目指し内科医として勤務。宇沢弘文死去に伴い、2014年に宇沢国際学館・取締役に就任。2017年に日本メメント・モリ協会設立。(noteアカウント:占部まり)