コレクティブ・インパクトの「はじめの一歩」が見つかった感謝の夜:『社会変革のためのシステム思考実践ガイド』出版記念セミナーレポート(竹之下倫志)
一つの組織ではなく、幅広いコラボレーションによって社会全体で問題解決を目指す「コレクティブ・インパクト」という手法がいま注目を集めています。その実践書『社会変革のためのシステム思考実践ガイド』の読者である竹之下倫志さん(英治出版オンライン 編集パートナー)に、セミナーを通して考えたことを綴っていただきました。
社会課題に取り組む人の最大の悩み――とにかく力が足りない!
社会課題に取り組む人と組織が直面しやすい悩みがある。それは自分たちの力量の限界である。
たいていの社会課題は複数の事象が絡み合って発生している。その複数の事象を自分たちのリソースだけで取り組もうとすると、見える範囲、関われる範囲の活動となってしまう。その結果、課題解決にはいたらない。
自分の話で恐縮だが、筆者が解決を目指して活動している「学校におけるいじめ」も複数の社会課題が結びついている。例えば、帰国子女やLGBTに対する差別・不理解と、その背景にある多様性教育の不足だ。マイノリティである彼らは、いじめのターゲットになりやすい。
他にも、解決のキーマンとなる教員の多忙化、生徒たちの日常が保護者から見えづらくなる「学校のブラックボックス化」、長時間労働による親の子育て時間の減少。
これらの課題が「予兆→発生→認知→解決→ケア」という、いじめのプロセスに密接に絡んでいる。マイノリティへの不理解は、いじめの予兆と発生の要因となり、学校のブラックボックス化や親の時間貧困は、いじめの認知、事象の解決を困難にする。
こうした課題を自分たちのリソースだけで解決するのは難しい。であれば、と、レバレッジポイント(小さな力でも大きな変化を起こせる場所)を特定して働きかけようとすると、投資家からはこんな風に言われてしまう。
「やろうとしていることは正しい。だが、ソリューションが足りない。解決力が弱いんだ。本当に解決につながるものでなければ、顧客が金を払うまでにはいかないよ」
そんな中で知った「コレクティブ・インパクト」という概念。
「これは私たちの活動の特効薬になるかもしれない」
「これが実現できれば、課題解決の大きな一歩になる」
そう思っていた矢先、コレクティブ・インパクトの実践書として『社会変革のためのシステム思考実践ガイド』が出版された。
頭では分かった。でも本当にできるのだろうか?
これはやらなくてはいけない、でも難しい。本当にできるのだろうか?――本を読むと真っ先にそう思った。方法論としてはシンプルだ。また、事例も首を垂れる思いがするものが多い。
例えば、悪循環のループだ。いじめを軽微な状態で把握するため、匿名での通報を容易にする、というのが私たちの解決アプローチである。これは、いじめ認知を促すものの、通報が増えることでその対応に追われ教員の多忙化が進み、認知後の事象の解決や対象者のケアが行き届かない。解決のサイクルが回らないのだ。
現実と向き合い、システム分析をまずは進めなくてはいけない、そんな思いを強くした。
しかし、いざ実行、となると難所に突き当たる。本の中で第1ステップに挙げられている「共通の基盤の確立」だ。主要な関係者を、多様性ある形で巻き込み、いま何が起きているのか、うまくいかない本当の要因は何か、そして自分たちは何を目指すのかの合意形成をとる。
はたして、私たちにできるだろうか? 本の事例では100人を集めた、とある。どうやって巻き込めたのだろう? ミーティングでの合意形成もだ。実際の場をうまくまわせるイメージがまだわかなかった。
まず、多様かつ主要な関係者を集めることはできそうだ。教員、教育委員会、保護者、ソーシャルワーカー……。だが彼らは当然それぞれの主張を持っている。信念と言ってもいい。
ある教員は、いじめの有無を本当に判断できるのは個々の担任であり、彼らは生徒の状況をほぼ把握できていると主張する。ある教育委員会の人は、インターネットにまで拡大したいじめは、もはや教員の手には負えないと明言し、ソーシャルワーカーやいじめ監視員のような第三機関の利用を推進する。ある保護者は、学校や教育委員会の取り組みは満足・信頼できず、親による解決を目指そうとする。まさしく三者三様だ。
さらに、彼らは私たちの取り組み(いじめ認知を子どものアクションに委ねる)を全面的には受け入れないだろう。教員は、自分たちが十分事態を把握していて、対応すべきところを見定めて対処していると主張するかもしれない。教育委員会や保護者からは別の意見が出てくるかもしれない。
そのミーティングは喧嘩に近い意見のぶつかり合いか、逆に火がつかないか、そんな光景しか想像がつかない。彼らを巻き込んで合意を得るなんてことが、私たちにできるだろうか?
ましてや、私たちは教育現場における関係者の中で発言力も影響力もない。教育の現場に立っているわけでもなく、いじめにおける当事者団体でもない。私たちは何者でもない。一体どうすれば合意形成できるのか?
そんなモヤモヤを抱えながら、『社会変革のためのシステム思考実践ガイド』の出版記念セミナーに参加した。スピーカーは、ソーシャルイノベーションの専門家として国内外の社会起業家育成・輩出に関わる井上英之氏、システム思考の第一人者である小田理一郎氏、そしてNPOかものはしプロジェクト代表として多様な関係者と共にシステムレベルでの課題解決に取り組んできた本木恵介氏。
コレクティブ・インパクトの「はじめの一歩」を見出したいという一心で彼らのセッションを聞き入った。
好むと好まざるとコレクティブ・インパクトを生んでいる
「みんな、今日は何をしに、何を目的にここに来たの?」という井上氏の問いかけに対する答えを、周囲の参加者と共有しあうワークからセミナーは始まった。
何らかの意図をもって行動する人が集まれば、自然と相互作用が生まれる。そういう意味でこのセッションも一つのシステムであり、冒頭の問いは、システムの中で共通のビジョンを考えるためのものだったのだろう。
井上英之(いのうえ・ひでゆき)
慶應義塾大学 特別招聘准教授、INNO-Lab International 共同代表。ジョージワシントン大学大学院卒(パブリックマネジメント専攻)。ワシントンDC市政府、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)を経て、NPO法人ETIC.に参画。2001年より日本初のソーシャルベンチャー・プランコンテスト「STYLE」を開催するなど、国内外の社会起業家育成・輩出に取り組む。2003年、社会起業向け投資団体ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京を設立。2005年より、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて「社会起業論」などの、実務と理論を合わせた授業群を開発。「マイプロジェクト」と呼ばれるプロジェクト型の学びの手法は、全国の高校から社会人まで広がっている。2009年に世界経済フォーラム「Young Global Leader」に選出。近年は、マインドフルネスとソーシャルイノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。訳書に『世界を変える人たち』(ダイヤモンド社)、監修書にデービッド・ボーンステイン、スーザン・デイヴィス著『社会起業家になりたいと思ったら読む本』、加藤徹生著『辺境から世界を変える』(ダイヤモンド社)。
さて、周りの話を聞くと、どうやら私と同じ目的で参加している人が多いようだ。「異なる団体同士で、どうやって共通のビジョンを見つけるの?」「自分たちも社会課題に取り組んでいるが、うまくいっている団体と自分たちは何が違うのかなって」
そしてセミナーの前半は、システム思考による社会課題解決のレクチャーが中心であった。
「机が乱雑になる→書類を探すのに時間がかかる→片づける時間が無くなる→机が乱雑のまま」という悪循環の完璧なシステムは身近に存在する。書類を収納する、書類を出して作業する、といった机の機能が組み合わさった時に、結果として意図しない相互作用を生む。
この意図しない相互作用によって、ともすれば机の乱雑さのように、だれも望まない結果を生み出してしまうのがシステムの難しいところであり、その望まない何かを、望ましい何かが生まれるように整えていく。これが「システム思考」であるという。
レクチャーを聞く中で強く印象に残ったのが「私たちは好むか好まないかは別にして、コレクティブ・インパクトを作っているんです」という小田氏の言葉だった。何もしない、無関心でいる、目を背ける、自分が果たすべきことに注力する……そういった自分たちの行動が、自分たちの意図しない結果を生む。
そして時間や距離といった差異によるフィードバックの欠落により、私たちはそれに気づかない。自分たちの行動の結果が見えないのだ。
小田理一郎(おだ・りいちろう)
チェンジ・エージェント代表取締役。オレゴン大学経営学修士(MBA)修了。多国籍企業経営を専攻し、米国企業で10年間、製品責任者・経営企画室長として組織横断での業務改革・組織変革に取り組む。2005年チェンジ・エージェント社を設立、人財・組織開発、CSR経営などのコンサルティングに従事し、システム横断で社会課題を解決するプロセスデザインやファシリテーションを展開する。デニス・メドウズ、ピーター・センゲ、アダム・カヘンら第一人者たちの薫陶を受け、組織学習協会(SoL)ジャパン理事長、グローバルSoL理事などを務め、システム思考、ダイアログ、「学習する組織」などの普及推進を図っている。ドネラ・メドウズ著『世界はシステムを動く』の日本語版解説を担当。共著に『なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか』『もっと使いこなす!「システム思考」教本』(東洋経済新報社)など、共訳書にピーター・M・センゲ著『学習する組織』、ビル・トルバート著『行動探求』(以上、英治出版)、ジョン・D・スターマン著『システム思考』(東洋経済新報社)、監訳書にアダム・カヘン著『社会変革のシナリオ・プランニング』『敵とのコラボレーション』(以上、英治出版)。
例えば、となり町の学校でいじめが起きたとして、自分の子どもが通う学校の話ではない場合、その解決に向けて自らアクションを起こす人はそう多くないだろう。
この結果、いじめの被害者の子どもは孤立し、「いじめられている」という感覚が強まり、違う街に引っ越すかもしれない。もしくは、そのいじめが学級崩壊につながり、ゆくゆくは自分の子どもの学校や町内に影響を及ぼすかもしれない。
しかしその結果がわかるのは自分が行動を起こさなかったタイミングよりしばらく後(時差によるフィードバックの欠落)であったり、隣の街の住民の引っ越し(距離による欠落)であったりするのだ。
本に出てくる例であれば、犯罪経験のある方の社会復帰が分かりやすい。犯罪に対して厳罰を望む、犯罪歴のある人をどこか遠ざけるという行動をとったとする。すると、その人は出所後も職が見つからない。もしくは周りの人の反応が疎外感を高めることで、行き詰まって再び犯罪に手を染めるかもしれない。
だが、その結果が見えるのは自分がその人を遠ざけた時よりも暫く後であったり(時間的差異)、全く違う場所であったり(距離的差異)するため、それに気づかない(フィードバックの欠落)。
つまり社会課題そのものがコレクティブ・インパクトの結果である、ということだ。
これには改めてハッとさせられた。学校におけるいじめの構図そのものでもある。発生しているいじめに無関心な傍観者は、被害者の被害意識、孤立感を助長し、いじめの重篤さを増加させていく。そして、それを同様に経験してきたであろう親も、自分の子どもが関わらない限り、いじめに向き合おうとしない。そしてその結果に気づかない…。
当たり前だが、私たちはシステムの中にいて、今も何らかの影響を及ぼしている。そしてそれに無自覚でいる。たとえ無意識・無自覚であっても、何らか影響を与えている。そう気づいた時、背筋が伸びる思いがした。
しかし無自覚、無関心である人をただ単純に責めればいいわけではない、と小田氏は続ける。
「無関心の人がなぜ無関心なのか? 普段どういう情報に、いかに接しているか? そうした構造を見るのがシステム思考です」
無関心を生む構造を理解した上で、自分たちがそれにどう関与し、どんな結果を望むのか。それを、課題に向き合う人々、課題の当事者、課題に直接関わらない人たちが話し合う民主的で学習的なプロセスをとることで、初めて同じビジョンを共有していくことができる。これがその場で紹介された一つの答えだった。
「自分たちにこれができるのか?」
システム思考のレクチャーが終わり、ここまででも大きな学びがあった。しかし、「必要なこと、やるべきことは分かった。でも、自分たちにこれができるのか?」という問いに再び戻ってしまった。
「はじめの一歩」を見出せないまま、セミナーは、NPO法人かものはしプロジェクトの本木氏のケーススタディに移った。
かものはしは「子どもが売られない世界をつくる」をミッションに、だまされて性産業での就労を強いられた子どもや女性の支援と、その発生を抑制する仕組み作りに取り組む団体だ。これまでカンボジアとインドで活動をし、カンボジアでは多くの市民、企業、国際社会、政府が協力し、子どもが売春宿に売られることがない社会を創り上げている。カンボジアでは問題が改善してきたと判断し、撤退したという。
また、その経験を活かして、インドではさらに幅広い関係者を集めたアプローチをとっているという。社会課題に対して、課題が改善し、ほかの地域に活動を広げる。想像もつかない。彼らは何をやっているのか?
本木恵介(もとき・けいすけ)
認定NPO法人かものはしプロジェクト共同代表。 東京大学2年時に現共同代表の村田と出会い、2002年にかものはしプロジェクト設立。「子どもが売られる問題」を解決するため、カンボジアにて「子どもに教育、大人に仕事」をキーワードに最貧困層の女性に仕事とライフスキルを提供する事業を立ち上げる。またカンボジア内務省、UNICEF等とともに、カンボジア警察の支援を行う。2012年からはインド事業に軸足を置き、インドでの「子どもが売られる問題」をなくすために日々活動を行っている。問題に取り組む多くの人たちの連携を促進し、人身売買を許さない仕組みを築き上げることを目指して、事業の戦略立案・実施を行ってきた。一方、カンボジアやインドなどの大きく複雑な社会において優れた仲間と働くことで、自分の無力感に悩むことも多かった。そうしたことから、最近の関心は、異なる価値観・文化を持ち、時に異なる組織やセクターにいる人たちの対話をファシリテーション/コーチングをし、豊かな協働を生み出し、活私豊公(私を活かして公を豊かにする)を促すこと。システムコーチ。2児の父。
インドでは、売春宿からレスキューされた子どもが、最終的には自らの意志で性産業に再び身を投じる、そんな構造になってしまっている。売春宿からレスキューされても、その後の保護施設での長期間の隔離状態や、故郷の住民たちの対応が、その構造を生み出していた。
かものはしプロジェクトは、本で紹介をされているようなシステム的なアプローチをとっているという。様々な地域で、保護施設運営者、被害者を救うレスキューするNGO、行政やサバイバー、弁護士などを集め、対話の場を設定した。なぜそれがうまく機能し、多様な関係者とともに共通のビジョンを描けたのか?
怒りとの向き合い方
「はじめはうまくいかなかった。2つのNPOが喧嘩別れにもなりました」と本木氏は述べる。やはり喧嘩になったのだ。しかし、対立を恐れない場とすることは、非常に重要だったという。「僕らの議論の場は、いわば怒りのスペースのようなもの。価値観と価値観、考えと考えがぶつかる対立は社会の財産であり、その結果として生み出されるものが大事だと気付きました」
このままではいけない、これじゃダメだ、を気付かせるのは「怒り」。被害者の怒り、活動家の怒り。そういったエネルギーこそがそれぞれの無関心を引き戻し、変化へのダイナミクスを生み出す。「そこを避けてはいけない」と、小田氏も重ねる。
怒り、対立。これは向き合うのが難しく、誰しもが避けがちだ。いじめ対応の鉄則にも「当人や保護者同士達を直接対話させるな」というものがある。怒りを直接にぶつけると、こじれるのは当然だ。しかし、かものはしは、怒りと向き合い、有効な場としていくために様々なアプローチをしていた。
「まず、インド人のファシリテーターが入り、そこで自分も怒りの取り扱い方を学びました。相手の怒りをどう受け止めるのか」
「それぞれの立場が異なるため、単純な議論や言葉による対話だけでは分かりあうことが難しい。だから、論理的な議論に偏らず、感情を共有したり、ボディワークや、絵を描くワークなど、違う対話のテクノロジーも使用しました」
「あっち側の場でも、こっち側の場でもなく、私たちがつくるのは間(あいだ)となる場。その空間を作るためにも、まず、自団体内のメンバーだけで価値観が衝突する論点を準備して実験し、やり方と感覚をつかんでいきました」
シンプルな話だった。結局は、できるかどうか、ではなく、やるかやらないか。その上で、やるべきことを、ちゃんと分解して全てやる。自分たちの力量を向上する。対話のテクノロジーを導入する。場を丁寧に設計する。かものはしは、実践しながら、サイクルをまわし、改善しつづけていた。
小さく始めて、システムを育てていく
「その上で、自分たちの力量でできる範囲を見据えていた」と本木氏は続ける。インドで言えば州・県レベルで、顔や名前がわかる範囲に活動を留めたのだ。
これは本に書かれている、「利害関係者を広く招集する」というアプローチとはやや異なる。ここは本木氏も、「システム的アプローチではないのですが」と前置きしていた。しかし、それでいいのだ、と小田氏は述べる。
「システムの相似形を探す、とよく言います。全体のスケール、地区のスケール、最後は個人単位のスケール。重要なのは、多様な価値観を十分に有した、ミクロコスモス的な集団が構成できているかどうか。それが維持できていれば、広げていくのは次のフェーズでいい」
この手法は私にとって馴染みがあるものだった。スタートアップがビジネスを始める際のプロセスと同じなのだ。最低限、しかしプロダクトのコア機能を有するMVPを作り、顧客に渡し、試しながらプロダクトをアップデートしていくというリーンなサイクル。
さらに本木氏はこう語る。
「システムを変える、のではなく、システムを育てる、そんな感覚でいます」
このアプローチは他の重要な点を多く含む、と井上氏も述べる。
「まず、個人単位(Human Scale)の縮図、という話。自分に起きていることは社会の縮図であると人が気づいたとき、どこか遠かった問題が一気に近づきます」「その上で、社会課題に取り組む際に、このHuman Scaleをしっかり含んでいることがシステム的アプローチをする上で重要です。個人単位での視点が抜け、私たちはこうすべき、というWeの視点から始めるのでは、深いシステムからの変化にはつながりません」
個人単位の縮図にまず気づく、気づかせること。その上で、個人単位の価値観を集め、そこを起点として、集団としてそれを理解し、向き合うこと。その中で私たちという主語を作っていく。個人から集団へ、徐々に主語を広げていくステップこそが重要なのだ。
「何者でもない」からこそできること
ようやく「はじめの一歩」が見えてきた。
コレクティブ・インパクトの第一ステップは「共通の基盤の確立」である。私の取り組みであれば、それはいじめに関わった教員・委員、被害者/加害者、親、かかわった経験のない教員や委員、問題に対応する関連NPO、地方議会レベルでの行政、といったところだろうか。
解決力や影響力の大きい組織や人へのアプローチに悩むのではなく、今の自分にとって顔や名前が浮かぶ範囲でまず集めて始めればいい。そして、その中で、対立する対話を許容できるだけの組織力を個人、団体、そしてミクロなシステム内に育てていく。不足している価値観は、現場を動き回って人に会うことで、どんどん補完していけばいいのだ――。
しかし、一つ気になることが残った。それは個人と組織人、という立場の違いである。これまで活動する中で、多くの人にインタビューをして感じたことがある。個人として協力的であっても、組織としての立場を負った瞬間に全く別の態度を見せることが多いのだ。その変わり身は、ともすれば怒りすら感じることもあった。
個人としての本音と、組織としての本音は異なるのではないか。そこをシームレスに繋ぐことは可能なのだろうか。
セッションの中では明確な答えや事例はなかった。しかし本木氏の発言から、考えるにあたってヒントを得ることができた。キーワードは、赦し、だ。
「最近大事にしていることは、一人ひとりの願いと恐れに耳を傾けられるかどうか、そして自分自身がそれを理解できるか。そうした力を育てることで、人と人の対立から、(その人の)立場と(自分の)立場の対立、という感覚に変わります。すると怒りが発生しても、その背景に好奇心を向けられるのです」
「いま学んでおり、今後取り組んでいきたいと思うのは、“加害者・被害者の両面性”ということです。加害者、被害者という構図はどこにでもあります。ここで重要なのは、第三者の関わり方です。被害者だけをレスキューすると、加害者が被害者意識を持ちます。加害者の願い、行為に対する恐れ、被害者の恐れを聞き、理解すること。寄り添って、赦すこと。それにより、その人たちがちゃんと癒されることで、それぞれの本当の願いが出てきて、被害者・加害者がない世界に入っていきます」
「社会問題の当事者は、被害者側はもちろん、加害者側も、社会的弱者であることが多い。必然的に、社会における発言力も弱い。だからこそ、第三者の関心が必要になると思います」
第三者の関わり方。これは私の取り組みでもキーワードだった。いじめは傍観者の子どもがどう行動するかで、その後の展開が大きく変わる。
さらには、第三者である私たちがいかに関わるかも極めて重要だ。言い換えれば、何者でもないからこそ果たせる役割があるということである。
加害者も被害者も被害者性を持たない形で第三者としてアプローチしていくこと。それにより、当事者を緩め、気づきを増やし、個人と立場の境界を消していく――これが「第三者」である私たちならではの役割なのだろう。
一歩目の歩み方
コレクティブ・インパクトに向けた「はじめの一歩」をどう踏み出せばよいか。これが私の問いだった。
セミナーで学んだことは、大きく2つある。
一つは、「はじめの一歩」の歩み方。もう一つは、「第三者としての価値」だ。これらは私の活動に推進力を与えてくれた。
一歩目の歩み方。それは大きな歩みを目指すのではなく、私がまず関われる領域で縮図を作り、その組織を徐々に広げていくというものだ。そして、そのために必要な組織力を培うため、必要な要素や価値観を洗い出し、一つずつ学習しながら拡張していく、そんな実例を知ることができた。
この方法は、一歩目を過度に難しく感じていた私にとって大きな救いだった。完璧なアプローチを目指さなくてもいい、ということ。ともすれば、基盤の確立に向けたアプローチが描けず、「ああ、やっぱり難しいのか」と自分の中でメンタルブロックしてしまっていた。しかし、小さく始めて、不足を洗い出して組織を成長させることで、不足に対するアプローチとして、描けるようになる。
怒りの向き合い方としてのディベートの習得、感情コントロールに向けたアンガーマネジメント、コーチング。課題が明確になれば、必要となることに対してのアプローチは数多く手元に存在する。これらを一つ一つ組織として学んでいくことで、サイクルを回す土壌を作っていける。そんな気づきを得て、一歩目を見定めることができた。
そして、もう一つ学んだのが、第三者としての価値だ。私にとって、社会課題に臨むときのもう一つの隠れた難所は、「自分は何者でもない。当事者でもなく、権力者でもない。そんな自分が何かできるのか?」というメンタルブロックだった。それを、多様な価値観を有する第三者、という新たな役割を見出させてくれた。
セミナーから三か月、少しずつ歩みを進めている。今は当事者たちの怒りの向き合い方に悪戦苦闘しているが、不足している価値観や足りない能力が少しずつ見えてきている。入り込むべき現場、関わりを広げていくべき場所も少しずつ感じられるようになってきた。
この取り組みを、確信をもって続けていくこと。システムと、個々の感情と向き合い、自分と組織を育てていくこと。これを継続することで、少しずつ、景色が変わっていくのだろう。
執筆者プロフィール
竹之下倫志 英治出版オンライン編集パートナー。総合電機メーカー、監査法人での組織・人材開発の経験から、人の才能とその可能性の素晴らしさに関心を持つ。特に子どもの才能を愛し、それを阻害してしまういじめによる重大事態をなくすことを目標に活動、現在団体設立準備中。「周りの善意を感じることのできる社会」の実現を目指す。
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