初めて尊敬する人に出会えた──施設長と利用者の関係から見えたもの【やまなみ工房を訪れて(後編)】
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「障害のある方の抽象的な絵ですね」
利用者の三井啓吾(みつい・けいご)さんがこの絵を描いたときのことです。
この絵を見たある見学者が「障害のある方の抽象的な絵ですね」と言ったそうです。この言葉に違和感をもった山下さん。三井さんはもしかしたら本当の鳥を見たことがないのかもしれない。そう思った山下さんは、三井さんと京都のお寺に行き鳩の餌を買い込んで、一緒に餌やりをしました。三井さんは鳩と楽しそうにたわむれていたそうです。
お寺から帰って三井さんが描いたのは二本足の写実的な鳥の絵でした。抽象的な絵は「障害者だから」ではなく、生きている鳥の姿を見たことがなかったからだったのです。
動物園に行ったり街なかのベンチで鳩を見たりする。私たちにとっては何でもないそんな経験をしたことがなかったという障害者の方は多くいるとのこと。「道行く人々に迷惑をかけたらどうしよう」「社会からの好奇の目にさらされないだろうか」そんな懸念から、外出することをためらう家庭が多いのだそうです。
前編でご紹介した、今は正己地蔵作りや施設内の仕事で生き生きと活躍している正己さんにも、こんなエピソードがありました。山下さんが「イカの絵を描いてみて」と言ったとき、冷凍イカの絵を描きました。生きているイカを知らなかったのです。その後、やまなみ工房の人とともに水族館や動物園に行くようになり、少しずつ作るものの種類や表現が豊かになっていきました。
見せていいものなのかもわからなかった
2014年にやまなみ工房のアーティストの写真集を作ったときのことです。初め山下さんは利用者自身を写すのではなく作品集を作ろうと考えていました。しかし、制作プロデューサーの勧めでアーティスト自身を写した写真集を撮ることになりました。
福祉職員の一人として、そして、一番近くで障害者と接する人の一人として、彼らの魅力を社会にどのように発信することができるかを考えている山下さん。余計なイメージを着せるのではなく、ありのままの彼らの姿を見せることこそが、彼らの魅力を最大限伝えることになると信じています。
初めて尊敬できる人に出会った
山下さんは、高校を卒業してから長らくバーテンダーやトラック運転手を生業として日々をつないでいました。やまなみ工房で働く友人の忘れ物を届けに来たことをきっかけに、この施設と利用者の存在を知ります。初めに来たとき抱いたのは「居心地がいい」という感覚。障害のことも、福祉のことも知らないのに、歓迎してくれるスタッフと利用者の人間性が山下さんの心を溶かしていきました。
山下さんを突き動かすのは、やまなみ工房の利用者への尊敬の心です。彼らに「誰かと誰かを比べないところ」「嘘をつかないところ」「物を大切にするところ」を教わったという山下さんは、利用者のことを「初めて会った尊敬できる人」と言います。彼らのあり方や、日々の行動を尊敬し、自分にはあんな風にできないと言いながら、私たちに作品を紹介してくれました。そんな彼らの魅力を伝えるため、山下さんは今日も全国を講演や展覧会で飛び回ります。
胃潰瘍の人の展示はないでしょう
やまなみ工房のアーティストの作品は、全国各地で開催されている展覧会に一年をとおして出展されています。そこで利用者の作品を展示するときに山下さんが絶対に守っているのは、「障害者なのにこんな絵が描けるんですよ」という展示の仕方はしないということです。
やまなみ工房は利用者が、「可哀想な障害者」として評価されるのではなく、一人の才能ある人間として評価される世界を望みます。実際に、私たちが取材をしていた2日間、支援員が利用者を障害の種類や程度や特性で紹介することは一度もありませんでした。
年間3,000人もの見学を受け入れるわけ
私たち取材チームは、やまなみ工房を訪れる前は、街なかで大きな声を出したり急に激しく動いたりする障害者の方に会うと、静かに距離をとることがありました。普段の仕事や生活で日常的に障害者の方々に会うことはなく、たまに記事やテレビ番組で見るくらい。どんな生活をしているか思いを巡らせることはありませんでした。
それが今回直接会いに行き、ともに時間を過ごすことで彼らのことをぐっと近くに感じました。言葉でご本人から説明をされたわけではないし、人によっては発語をほとんどしない場合もあるけれど、この人はどんな人なのかな、今どんなこと考えているのかな、何が好きなのかなと思いを馳せていました。
一日中ベンチに座って外を眺める人、駐車場で施設に来た車両をオーバーアクションで誘導する人、冷たい床に寝転ぶのが好きな人。それぞれの居心地のよさを見つけ過ごす人たちのことを今でも思い出します。
10年、20年後に何かあればいい
2022年9月から2023年3月までの期間、やまなみ工房は見学や展覧会に来る人を待つだけではなく、自分たちから会いに行くプロジェクトである「ふれるとプロジェクト」を行いました。
工房のスタッフと利用者が地元滋賀県甲賀市のすべての小中学校を訪れ、利用者と彼らの作品を紹介する予定です。山下さんはこの計画について「すぐに効果が出るものではない。10年、20年経って何かあればいい」と言います。このプロジェクトによってやまなみ工房と甲賀市の子どもたちがどんな未来を作っていくのか、これからの変化が楽しみです。
ほんの少し歩み寄れば、乗り越えられる壁がある
やまなみ工房が以前運営していたカフェでは、耳が聞こえなく声での会話が難しい方が働いていました。他の利用者同様、彼女がどんな障害をもっているかは明記していませんでした。彼女は、お客さんが来ると、挨拶や自己紹介を手にゆっくり字を書きました。そうすると、そこにいた人たちもそれを真似て、いつの間にか手に字を書くのが共通言語になったのです。
お互いが少しずつ歩み寄れば乗り越えられる壁はあるのかもしれません。
最後に、そしてこれから
これまで前編・後編を読んでくださり、本当にありがとうございます。取材を通して、私が見たものは居心地のよさをあきらめないやまなみ工房の姿、障害のある・なし関係ない人と人との心のつながりでした。その根底にあったのは何だったのか。それは、本当の意味での「障害」のない世界だったのではないかと思います。
山下さんは、障害は人と人の間にあるものだと言います。
私はときに、自分と異なる意見をもつ人を避けたり、蔑んだりしたりしてしまうことがあります。特に、コロナ禍での人々の行動や発言は、考えの違いを如実に表面化しました。自分と違う考えをもつ人に対して、「言葉が通じないのではないか」と恐怖感を抱きました。
やまなみ工房に訪れてからわかったのは、大切なことは言葉が通じるか・通じないかではないということです。彼らは、たとえ言葉が交わせないとしても、仲間のことを注意深く観察します。相手をできないことではなく、得意なこと、自分にはないところで尊敬します。そこに「障害」はないのです。私は、やまなみ工房を訪れて、本来人と人をつなぐ存在であるべき言葉を「通じない」ものとして障害にしていたと気づきました。
取材と記事の執筆を終えるにあたり、障害者と共生する未来のために自分は何ができるかを考えていました。医療やIT技術の問題、街の問題、社会構造の問題、論点は数え切れないほどあります。そして、その分野で私ができることは現状ほとんどありません。
しかし、いくらそれらの問題が解決したとしても、人と人との対等で敬意ある関係性が忘れられてしまっていたら、どうなるでしょうか。いざ自分とは違う境遇の人を目の当たりにしたとき、本当に「障害」を作らないことは難しいことなのかもしれません。ちょうど私が意見の対立する相手との間でそうしてしまったように。
私はまず、身近な人と接する中で意識することから始めます。自分と異なる人を恐れず、相手の境遇を想像し、互いの居心地のよさのためにとどまる勇気をもつのです。
滋賀県はやまなみ工房。人間の共鳴を体現する彼らの姿が、今でも脳裏に浮かび私を励まします。大切なことを忘れそうになったとき、彼らはきっと同じように迎えてくれるでしょう。