居心地のよさを諦めない【やまなみ工房を訪れて(前編)】
そんなプロジェクトの第一弾となる作品が、やまなみ工房のアーティスト宮下幸士(みやした・ゆきお)さんの「英語」です。
書き連ねられた文字は単なる記号の羅列のようでありながらも、じっと見つめているうちに知っている言葉を見つけハッとさせられます。机に向かって一文字ずつゆっくりアルファベットを書く姿はまるで職人のよう。どんな世界が見えているのか、彼だけが知る世界への好奇心がくすぐられます。
2014年以降、宮下さんの作品は「DISTORTION3」のコレクションにもテキスタイルデザインとして展開されています。パリのファッションウィークでもランウェイを飾ったブランドです。
そんな宮下さんが在籍するのは、やまなみ工房という、滋賀県にある福祉施設です。1986年に障害者福祉施設として設立されたやまなみ工房は、約30年前に施設に通う方々が創作をするアトリエとしての一歩を踏み出しました。今では、90人を超える利用者が在籍し、その多くがそれぞれ思い思いの創作をしています。また、作品は国内外の展覧会で展示され、コレクターからも高い評価を得ています。
宮下さんは、やまなみ工房に通い始めて約25年、作風を変えながら日々作品の創作を続けてきました。
側で寄り添ってきた支援員によると、以前は無口だったのが、創作を始めてから絵をとおして自己表現への自信がつき、自分のことを話すことが多くなったそうです。本人は作品がコレクターから評価されることを目指してはいませんが、絵が服に形を変えたり、それを見て家族が喜んだりするのを見ると嬉しそうにされるのだと言います。
実は今回紹介した彼の作品には、やまなみ工房での生活が現れています。絵をよく見てみると「大阪へ・京都へ」「やまなみ8月23日・26日」という文字があります。これは、仲のよい支援員の手帳から書き写されたものです。
最近は新聞や雑誌の文字や地図を描き映す作品が中心とのこと。書いてある言葉をそのまますべて作品に模写するのではなく、アルファベットを一文字ずつ慎重に選びとる姿からはこだわりが伺えます。
文字記号への強い興味から生まれる衝動、自己表現の喜び、そして、周りの人たちとの温かな関係性。宮下さんにとっての創作は、そんな様々な意味をもつものなのです。
「アート」で注目を集めるやまなみ工房
宮下さんに限らず、工房にいる多くのアーティストが国内外の一流コレクターやキュレーターから注目を集めています。しかし、入所してから創作を始めた人がほとんどで、また、それを支える支援員もアートの知識をもっていません。それでも一人ひとりが才能を発揮できるのはなぜなのでしょうか。
今回私たちは、目録の表紙にするアートを探すなかでやまなみ工房に出会いました。作品を見て「こんなすごい作品が生み出されているのはどんな場所なんだろう」と調べていくうちに、工房の在り方そのものに興味を惹かれていきました。
カタログにアート作品を掲載するだけではなく、工房の人たちや雰囲気をもっと知るために取材をしたいと連絡をすると、施設長の山下完和(やました・まさと)さんから、約90人の利用者全員に会う2日間の取材プランをご提案いただきました。ここからは、2日間、一人ひとりの利用者と支援員の方々に出会うなかで見えてきたものをご紹介します。
居心地のよさを諦めない
やまなみ工房には一つの作品を何年もかけて完成させる人や、何年も同じ粘土彫刻を作り続ける人など、様々な創作スタイルのアーティストがいます。
■ 心地のよい道具を選ぶ
𠮷田ひより(よしだ・ひより)さんは、3ヶ月前に来たばかりの新しい利用者です(取材当時)。筆をもって集中して作業するよりも、遊びの一環として楽しく創作することが好きな彼女。支援員が色々な道具を薦めるなかで、この筒を使ったスタイルを見つけました。カラフルなチューブを絞って直接筒に染料を出し、それを前に転がすことで色彩豊かなアートが浮かびあがってくるのです。
大胆な作風とはうらはらに手が汚れることが気になる彼女ですが、この部屋では一番水道に近い位置に席が配置されています。楽しさと快適さの両方を追求するなかで生まれた開放的な創作スタイルと、そこから生まれる大胆な印象が彼女の作品の魅力です。
■ ペースは速いか遅いかではなく、合っているかが大切
榎本高士(えのもと・たかし)さんは、数分に1回のペースで線を描きます。作品1枚が出来あがるのに3ヶ月もの時間がかかります。線を描くとき以外は「んーーー」と長く声を出したり、周囲の仲間を見回したりして時間をゆっくりと過ごします。そして出し抜けに、画用紙に向かってクレヨンを叩きつけるようにして線を描くのです。その後は再びゆったりとした時間が流れ始めます。
出来あがった作品を見ると線の集合が不思議と立体的に浮かびあがり、まるで残像のように時間の奥行きを感じさせます。作業のペースが明らかに落ちたり、支援員に目配せをするようになったりしたら完成の合図だそうです。
■ 好きなものに身を包み、囲まれて
また別の作業スペースでビビットなピンク色のウィッグを被って創作しているのは井村ももか(いむら・ももか)さんです。鮮やかな色彩が好きなももかさんは、無数に用意されたカラフルなボタンの中から気に入ったものを取って、ニコニコと上機嫌で布に縫いつけていきます。
一見綿が入っているように見えるこちらの球状の作品。布にボタンを縫いつけたものをくるっとまるめたもので、中にもボタンがぎっしり詰まっています。色にこだわった布とボタンから作られたそれぞれの玉には、好きなキャラクターの名前がつけられています。
過去には新潟での展示会に出展したものを、やはり手元に置いておきたいと滋賀から新潟まで向かったこともあるほど、自身の作品への愛着があるももかさん。支援員がカラフルなボタンを収集しているとメディアで発信したところ、応援する人たちからボタンが寄付されるようになりました。こだわりの創作は、彼女の創作への一途な姿勢に魅了された人たちによって支えられています。
■ 創作しているだけが居心地よいとは限らない
山際正己(やまぎわ・まさみ)さんは、約30年前にやまなみ工房に入所しました。20年以上前から手作業で作り続けている「正己地蔵」は、その数が10万体を超えました。やまなみ工房を舞台にしたドキュメンタリー映画『地蔵とリビドー』の名前の由来にもなっています。
しかし、彼は一日の大半を工房の施設整備に使います。朝、工房に着くとたちまち、誰よりも早く送迎バスから降りて古紙回収、部屋掃除をきびきびとこなしていきます。誰にお願いされたでも報告するでもなく、広い敷地内を縦横無尽に駆け巡ります。どこにいるのか把握するのは大変で、この写真も支援員の方々が施設中を探して正己さんを見つけて撮ることができたものでした。
支援員の見よう見まねで自主的に始めた整備活動は、いつの間にか日課になっていました。過去に正己さんが1週間連続でお休みしたときには、施設中のゴミ箱が溜まってしまって大変だったとか。工房での取材中、支援員と利用者の方々が彼とすれ違うときには口を揃えて「正己さんいつもありがとう」と声をかけていたのが印象的でした。また、彼自身も「正己さんよう頑張ったな。日本一やな」と自分に声をかけるのです。
正己さんは、決まってお昼の時間に作業スペースに現れます。お昼休憩で誰もいなくなった時間帯を狙っているのです。おもむろに道具と粘土をもってきて地蔵を作り始めます。その手さばきは職人のように無駄がなく1分半ほどで一体が完成します。そして十数分の創作のあとは、またすぐに施設整備に戻るのです。創作は生活のなかのルーティーンとして存在しています。支援員は、その習慣を壊さないようにお昼の時間には作業スペースを整えておくようにしています。
■ 好きなことをゼロから見つける
やまなみ工房がアートの創作を始めたのは、今からおよそ30年前。その頃は他の福祉施設と同様に軽作業をしていました。しかし、ある日、とある利用者が作業の合間にらくがきをしている姿を山下さんが見たとき、「こんなに嬉しそうに、楽しそうに自分から何かをするのは見たことがない」と思ったことがきっかけで、アトリエとしての活動が始まりました。
山下さんと支援員たちは、利用者自身はどんな時間を過ごしたいのか、彼らの言葉にならない声により注意深く耳を傾けるようになりました。ただ紙とペンを用意するのではなく、どんなものを作りたくて、どんなペースでやりたくて、どんなやり方なら心地よいのかを探る。生活の一部として溶け込むほどに、自然な動作で何かを生み出す。まだ、やまなみ工房がアートコレクターに注目されるまえからずっと貫いてきた姿勢です。「ここ10年で評価されるようになったけど、私たちがやっていることはずっと変わらない」。14年やまなみ工房で働く支援員の棡葉朋子(いずりは・ともこ)さんはそう言います。
また、同じくやまなみ工房で働く比留川洋平(ひるかわ・ようへい)さんは、支援員という仕事についてこんなふうに語ってくれました。
一人ひとりが居心地よく幸せに暮らせることを組織のゴールにする
■ 支援員の働き方も例外にしない
やまなみ工房では、利用者に合わせていくつかの部屋を用意しています。例えば、黙々と机に向かう作業スペースが用意されている部屋や、寝転がったり歩きまわったりできるスペースがある部屋。それぞれ15〜20人の利用者がいて、利用者同士の相性や障害の種類や程度、性格などを考慮し、部屋ごとに担当する支援員がチームになって働いています。
支援員の一人である岡本恵美(おかもと・えみ)さんは、何か新しいことをしたいという思いで8年前に旅行代理店から転職しました。体を動かすことが好きな性格を生かし、普段の活動のなかに運動を取り入れる利用者の部屋の担当をしています。この部屋の利用者は、創作活動に加えて散歩や古紙回収などもします。
創作をするときは、作品を作っているという自覚はあまりないそうで、自分の手が動くままにペンをぐるぐると動かしたり、シールを貼ったりします。岡本さんは、日常のなかで彼らから生まれる自然な仕草を観察し、本人たちが楽しめるやり方を提案します。利用者本人は、何ができるかということよりも創作過程そのものを楽しんでいたり、作品を見て喜ぶ家族を見て嬉しそうにしたりしているようです。岡本さんは「この絵、おもしろいでしょ」「これは、こんなアイデアでやってみたんです」と、担当する利用者の作品を誇らしげに紹介してくれました。
「できない」に目を向けるのではなく、「できる」をベースに考える。支援員のほとんどは福祉の未経験者で、資格をもっている人もあまり多くはいません。また、アートの専門知識をもともともっている人は一人もいません。そんな彼らが生き生きと働いているのは、利用者に接するときと同じように、支援員同士も思いあっているからかもしれません。
山下さんは、支援員も利用者と同じくそれぞれの人が得意なことが活かして、組織としてはみんなが一人前の状態を作ることを目指しているのだと言います。音楽が好きな支援員はこれまでやまなみ工房のギャラリーで23組ものアーティストのコンサートを企画しました。カメラが好きな人は、利用者や利用者の作品を撮り、運転が好きな支援員は利用者の送り迎えを担当しています。その一人ひとりがやまなみ工房で欠けてならない存在で、やまなみ工房という大きな「人」の「臓器」のように役目をまっとうするのだと山下さんは語ります。
■ 大切な居場所としての職場
2日間の取材の最後、支援員の棡葉さんがこんなことを教えてくれました。
やまなみ工房には、私たちが考えていた福祉施設のイメージとは全く違った景色がありました。彼らが特別なのは、創作活動をしているからではなく、利用者と支援員がその垣根を越えて居心地のよい場所と向き合っているからなのかもしれません。またそのプロセスで、支援員は利用者から多くを学び、すべての人が居心地のよい環境を作っていく。そんな美しい循環がやまなみ工房にはありました。
まっすぐにシンプルに「目の前の人の居心地のよさ」を優先順位の一番にして実践するやまなみ工房の人たち。ともに過ごすと、自分も、一緒に働く人も「居心地よく、その人らしくあってほしい」と願いながらも、様々な「こうあるべき」を内面化してしまっている自分たちに気づきます。そこに流れる時間に「こんなことってできるんだ。いや、私たちもできるかもしれない。社会全体がそうなるといいな」と自分の足元から、この社会のあり方について考えるきっかけにもなりました。