『AIファースト・カンパニー』監訳者解説を全文公開!
本書は、Competing in the age of AI : strategy and leadership when algorithms and networks run the world(Marco Iansiti, Karim Lakhani)の全訳である。
AI(人工知能)が我々の社会に広く浸透してきている現在、そしてさらなる発展・拡大が予想される未来において、社会や顧客が求める価値を生みだし、競争力を持って発展できる企業・組織はどのようなものか。
本書は産業革命以降の企業組織の歴史やその経済性の基本原理を踏まえて、何が根底的に変化しているのか、そして企業・組織のリーダーはその変化に対してどのように対応、変革を進めていくべきかを詳述している。
デジタル変革が進まない日本の現状
この本が今、日本の多くのビジネスパーソンや各界のリーダーに届けられることは、とても時宜を得たものだ。デジタル・トランスフォーメーション(DX)が人口に膾炙するようになって久しく、またWeb3、NFT、メタバース、そして大規模言語モデル(LLM)など、新たなデジタル技術やコンセプトが次々と現れ、多くの人々がこうした技術が自分たちのビジネス・仕事・生活にどのように影響するのかを理解しようとし、またいち早く取り入れようと動いている。
結果、多くの企業・組織でDX専門部署をつくる、AIを用いた新事業開発プロジェクトを開始する、デジタル人材育成プログラムを開始するなどの活動が進んでいる。こうした動きは、組織、そして個人が変化に適応し成長しようという努力の顕われであり、それ自体はとてもよいことだ。
しかしながら、デジタル技術が注目され、新しい方法論を取り入れようとする意欲も高い割に、多くの企業・組織における「デジタル変革」の進捗は残念ながら捗々しくない。戦略やビジネスモデルの面では、既存のモデルによる売上・利益が相変わらず大半を占めており、新しいモデルはなかなか規模拡大できないでいる。結果、組織のほとんどの人が既存の事業に関わる活動を、これまでと同じようなやり方で行っている。
デジタル変革が大きな話題になっている割に、日々の仕事の進め方、組織での意思決定の仕方はこれまでのそれと基本的に変わらない。監訳者がグロービス経営大学院でテクノベート・ストラテジーのクラスを担当し、多くのビジネスパーソンの学びを支援する中で、また様々なテクノロジー企業と協働して多くの企業・組織のDXの支援を行う中で目にしている実態が、これだ。
デジタル変革の必要性を理解し、新しい技術や考え方を取り入れようと相応の努力しているのにもかかわらず、なぜ変われないのか?
様々な理由があるだろうが、新しい技術を取り入れ、方法論を学び、仕組みを導入していても、実は基本的な「オペレーティング・モデル(組織が、どのように価値を生みだし、顧客に届けるか、の基本的なやり方・あり方)」が既存のもののままである(私はこうしたDXを「ふりかけ」と呼んでいる)ことが大きな要因だろう。
デジタル革命によって起きている社会・経済・ビジネスの根底的な変化に適応するためには、これまでの企業・組織の基本的あり方、特にオペレーティング・モデルを更新する必要がある。それは我々が慣れ親しみ、当たり前のものとして疑わない「企業・組織とはこのようなものだ」「優れた企業・組織はこのような特徴と備えている」という基本的認識、産業革命以降に長年にわたって発展してきた価値創造の基本構造・基本原理を、再構築する(私はこれを「炊き込みご飯」と呼んでいる)レベルの大きな変化だ。
多くの方々とデジタル変革について対話する中で感じるのは、新しい技術や方法論自体についてはいろいろと知っているものの、デジタル革命で求められる変革がこれまでのオペレーティング・モデルとは根底的に異なるものへの移行であり、それだけ大きな変化であるという認識・理解が希薄であることだ。このため、様々な取り組みを行っているものの、古いイメージを基本にして、そこに新しい技術を追加しようとし、肝心な部分が変わっていないために効果が限定的になり、組織変革の取り組みが中途半端になってしまうケースがとても多い。
(たとえば、多くの製造業がDXを謳っているものの、「製品の販売」をビジネスのゴールとする考え方から変わっておらず、顧客が製品を利用することで生まれる情報を活用して継続的な価値を改善、提供し続けるといった、情報を価値の源泉とするビジネスモデルに移行できていない。「製品の販売時の利益の最大化」を目的としている既存の管理会計などの仕組みが変化を妨げる原因の一つになっている)
実は「オペレーティング・モデル」という概念は日本のビジネス界ではあまり用いられておらず、そのせいもあって、こうしたものの見方・捉え方自体がなされていないことが多い。このため、こうした変化を適切に認識・理解、そして課題としてうまく扱うことができないのだ。(「オペレーション」という概念はよく使われているが、それはオペレーティング・モデルよりは狭い範囲、たとえば生産や物流等活動における具体的方法論などを指すケースが多い)
オペレーティング・モデルは、本書の説明にもあるように、企業の「戦略(どのような領域で何を武器に戦うか)」や「ビジネスモデル(どのような価値を生みだし、またその一部を獲得するか)」といった階層と、「人や組織、そして経営資源等をどのようにマネジメントするか」という階層の間にあり、それらをつなぐ「価値を生みだすために、様々な活動をどのように実行するか」を扱う重要な領域なのだが、その部分が抜け落ちた議論と実行が多いのだ。
(たとえば、デジタル変革に関する議論において、「デジタルによる新事業をどう生み出すか」「デジタル人材をどう育成するか」「既存のIT基盤をどのように近代化するか」等がばらばらと議論されている一方で、それらを繋ぐ「自社の価値創造活動の仕方は、デジタル革命時代にどのようなものに変わるべきか」という重要なオペレーティング・モデルに関する議論がほとんどなされていない)
本書の重要なポイント
本書は、デジタル技術の進化が引き起こす社会、産業、ビジネス、我々の仕事や生活における根底的で不可逆的な変化の本質は何かを明確に示すとともに、この変化をリードしているAIファーストの企業とはどのようなもので、それが既存の企業・組織と本質的に何が違うのかを具体的に示している。
その説明の核になっているのがAIファーストの企業・組織のオペレーティング・モデルだ。ここを正しく理解し、目指すべき姿を具体化、そして現状とのギャップを正しく認識することが真のデジタル変革を進めるための重要な出発点になる。
詳細の議論は本文(特に序章〜第4章)に譲るが、その重要なポイントを、様々な要素の繋がりを意識してまとめてみよう。
AIファクトリーによるオペレーティング・モデルでは、企業・組織の価値を生みだす活動の多くが、AIにより自働化(ここでは、人による作業を単純に機械に置き換える自動化〔Automation〕ではなく、機械に人間が行うような判断力を加える自働化〔Autonomation〕が適切だろう)され、人を介さずに実行される。
それによって活動のスピード、コスト、正確さの成果面でもより効率的な実行が可能になる。AIはその活動の結果をデータとして収集し、データを用いて継続的に学習するため、価値と活動のあり方の改善・最適化が高速かつ自動的に進む。その結果、価値の適切さと価値創造活動の生産性・効率が高まり続ける。
また情報が価値の源泉であるために、追加の資源投入やコストが相対的に小さくても価値が高まり、顧客にとってより魅力的なものになるので、顧客増や販売量増といった結果に繋がり、事業の「規模」が拡大する。規模が拡大することで「ネットワーク外部性」が働きやすくなり、結果としてプラットフォームの価値がさらに高まり、より多くの顧客と価値提供者がそこに惹きつけられる。このサイクルが相乗効果で廻り続けることで、価値と効率の向上は、指数関数的に高まる。
このようにAIファーストの企業では、生産量増加に伴うモノや人の追加資源の投入が最小で、また規模拡大に伴う組織的な複雑性増大による効率の低下がないために、急速な規模拡大が可能になるのだ。同時に、様々な顧客の状況や嗜好に関わる情報を継続的に入手、分析することで、より広い範囲で顧客のニーズを発見する機会が増え、より広い「範囲」で様々な価値を提供することができるようになる。価値提供の「範囲」が拡大することは、より「多様な」情報の獲得に繋がり、このサイクルが廻り続けることで、より一層、顧客のニーズを実現できるようになる。
このサイクル(価値の提供→顧客からの情報のフィードバック→組織としての「学習」の深化→さらなる価値の改善・拡張)を廻し続けることで、顧客に提供される価値はより最適化・個別化され、また新たな顧客のニーズや市場機会が発見され、より総合的な顧客体験を向上させることが可能になる。
ここで重要なのは、このサイクルが廻り、提供価値の規模・範囲が拡大するペースは、その価値の実現に必要な資源・コストの増加ペースよりも大きく、その差は指数関数的に大きくなっていくことだ。結果、このメカニズムを実現する新しいオペレーティング・モデルは「収穫逓増」になり、一定のクリティカルマス(臨界点)を超えると急速に、指数関数的に拡大し価値が高まっていく。そうなると、既存の「収穫逓減」のオペレーティング・モデルで運営されている企業は、もはや対抗することができない。
AIファクトリーでは、実際の価値生産活動は、主にアルゴリズムによって行われる(自働化)
人間は直接的な生産活動に関わるのではなく、主にアルゴリズムを企画・モニター・改善する役割を果たす
こうした継続的なアルゴリズムの企画・モニター・改善の活動は、専門機能別の階層的組織を基本として行われるのではなく、領域横断的で自律的な多数のチームが、顧客に近いところで活動し、顧客に価値を提供する。また顧客の反応やフィードバックをデータとして得て、主にそのデータに基づき(組織上位への承認取得ではなく)判断を行い、価値とアルゴリズムを改善・最適化し続ける
こうした活動を可能にするには、適切な情報インフラ・環境が整備されていることが必要だ。たとえば、データが組織内で統一かつ共有され、自由に利用可能になっていること。価値(製品やサービス)のアーキテクチャが、出来る限り小さなモジュールの標準規格によって組み立て可能な形で疎結合化されており、それぞれが独立して改変可能であること。アルゴリズムの開発・テスト・実装活動を、各チームが他のチームに依頼することなく自律的に行えるように、情報技術基盤が誰でも利用可能になっていること
AIファクトリーで必要とされる能力やマインドセットは、これまでの多くの組織のメンバーが保有しているものとはかなり異なっている。このため、情報技術に対する理解と新しいオペレーティング・モデルでの動き方に習熟した人材やリーダーの獲得・育成・組織文化の変革浸透が必須である
ここで重要なのは、これらの「戦略」「提供価値」「オペレーティング・モデル」「情報技術基盤」「人材・組織」の変革は、相互補完的に結びついているということだ。このため、ある部分だけを取り出して新しいやり方を導入しようとしても十分な効果が出ない。またこのシステム全体を変革するには、長期にわたる強く継続的な努力が求められる(第4章にあるように、かつてアマゾンが行った変革においても、強烈なリーダーシップがあったにもかかわらず、その完成には数年を要した)。これこそが、多くの既存企業が直面しているデジタル変革における最大の難所と言ってよいだろう。
本書の主に前半ではこのように、デジタル革命、その中でもAIの発展と普及が、産業革命以来我々が慣れ親しんだ企業・組織のあり方、そのビジネスモデルとオペレーティング・モデルをどのように根底的に変えるのかを詳述している。
序章から第4章までの議論を踏まえ、第5章では、既存の組織がAIファーストに変わるためにはどうすべきなのか、第6・7章では、既存の戦略論では適切に扱うことができないAIファーストの企業における戦略の考え方と、それが既存の業界に与える劇的な影響について論じている。こうした変化は、甚大な影響を社会・産業・ビジネスにもたらす。それはプラス面も多いが当然にマイナス面も存在する。第8〜10章では、こうした点を踏まえて、これからのリーダーはどのような課題を認識・理解し、どのように取り組んでいく必要があるのかを示している。このように、本書はデジタル革命時代の変化の本質を理解するうえで、また特に変革を志向しているものの足踏みをしている多くの組織のリーダーにとって、何が足りないのか、どうすべきなのかを明確、具体的に理解するための多くの示唆を与えてくれるだろう。
なお本書では、大規模言語モデルのような「強い(汎用の)AI」ではなく、「弱いAI(特定のタスクに特化したAI)」を中心に論じている。それはすでに「弱いAI」は社会の中に深く浸透しており、その活用により新しい価値、ビジネスモデル、オペレーティング・モデルを実現している企業・組織がその影響力を拡大し続けているからだ。
ここまでのAIの進化やその影響の本質を理解することは、「汎用AI」の可能性を理解するうえでも役立つだろう。少なくとも言えることは、AIがビジネス、経済、そして社会全体に対して与える影響は根底的かつ不可逆なものということだ。
そしてGAFAMのようなデジタルネイティブな企業だけでなく、歴史ある企業においても変革が進んでいる。こうした意味で、本書は、すべてのビジネスパーソン、各界のリーダーにとって、「すでに進行しており、今後さらに強まり拡大する根底的な変化の本質」を理解するとともに、その変化がすべての産業・企業・組織、そして我々一人ひとりに及ぶことを具体的に理解するのを助け、変革を進めるうえでの重要なヒントを与えてくれるだろう。
理解を深めるために知っておくべき背景
本書はこうした変化を理論的に、また豊富な具体事例とともに詳述しているので、注意深く読めば、情報技術に詳しくない人でも適切な理解に到達することができる。ただ、本文の中では必ずしも明示的に述べられていないものの、理解を深めるには重要な背景、また日本の文脈を踏まえて特に留意すべき点がいくつかあるため、以下に補足しておきたい。皆さんが本書をよりよく理解する助けになれば幸いである。
価値の源泉の中心が、モノや人の役務から、「情報」になっている
当たり前のようにその恩恵を受けているので、あまり意識していないかもしれないが、情報技術の発展と普及によって、「顧客が享受する価値は、モノ(物理的製品)や人によるサービスの提供から、情報を源泉とするものになってきている」という変化が、この新しいオペレーティング・モデルの有効性が拡大している前提にある。
検索サービスやオンデマンドのエンタテインメントなど完全情報財の増加はもとより、たとえば旅行の場面では、交通手段や宿泊先の利用自体だけでなく、その探索・比較・手配・調整がより簡便かつ合理的にできるようになった。写真撮影など様々な機械の操作・運転も、情報ソフトウェアによって誰でも簡単に高い成果が挙げられるようになっている。
またサービス業では、顧客の詳細情報が適切にサービス提供者に伝えられることで、対応がより的確かつ各自に合った形に最適化・個別化されるなど、様々な場面で「情報が価値の源泉」となるケースが増えている。この傾向が高まれば高まるほど、情報を活用し、アルゴリズムで自働化し、AIがさらに学習することによる価値提供が有効になる領域はますます増えていく。
加えて、価値の源泉の中心が情報になることは、そもそも情報財が限界コスト(生産量を一単位増やした際に、追加でかかるコスト)がほぼゼロであり、同じ情報であっても、様々な情報との組み合わせで何度でも新たな価値を創出することが可能であるという「情報の経済性」の効果が大きく作用する。本書で主に議論されている、アルゴリズムによる自働化が活動のコストや効率を向上させ、組織的な複雑性増大による規模拡大の制約の打破とも相まって、高い経済性と規模拡大の容易化をもたらす。
更に、情報処理にかかるコストや技術的難易度は、半導体の性能の劇的な向上やパブリック・クラウド・サービスの拡大やソフトウェア技術の進化により、「誰もが、低コストで、簡単に、いつでも、高度な情報技術を利用できる」ようになったため、価値の増分とコストの増分の差はますます大きくなっている。これらが変化を加速させているのだ。
一方で、日本においては伝統的に「モノづくり」や「優れた人的なサービス」に高い優位性があったこともあり、有形の製品や直接的な提供サービスを中心にビジネスを考えがちで、情報による価値は、そうした製品・サービスを販売するうえでの副次的なものと捉える傾向が強かった。このため、「情報による価値創出」という考え方そのものがなかなか腹に落ちない。自身のビジネスの文脈で理解するには、相当の学習やかなりの発想の転換が必要だ。
顧客に提供すべき価値が、「個別製品・サービス」から、
より広い「顧客体験価値」全体へシフトする
多くの産業・企業は、それぞれが得意とする個別の製品・サービスを顧客に提供しており、それが自分達のビジネスであると認識している。しかし、情報技術を用いて新たな価値を生みだし、大きく拡大している企業が提供しているのは、個別の製品・サービスの範囲に留まらず、「より幅広い顧客の体験価値全体に対して価値を提供する」ものだ。
たとえば旅行であれば、ホテルなどが個別に提供している「宿泊場所の提供」に留まらず、最適な宿の探索・比較・予約・利用を可能にするサービス、交通手段の予約・利用や目的地への最適経路が分かる地図・経路案内サービス、観光スポットの予約を事前にデジタルで行うことで待ち時間を減らせるなど、最終的に実現したいこと(Jobs to be done)と、それを得るための一連の体験(Customer Journey)を最適化・個別化する様々なサービスが生まれ、拡大している。
「顧客体験価値の最適化・個別化」は、顧客の志向や状況に関する多様かつ即時性の高い情報、また様々な製品やサービスに関する情報がデジタルチャネルを使って探索・アクセス・利用できることによって実現可能になる。こうした傾向が、情報を活用して価値を生みだすオペレーティング・モデルの拡大の背景にある。
日本では、製品やサービス自体の高い機能・品質を強みとしている企業も多く、またそこでの差別化を中心にした戦略をとってきた。結果として、「顧客の理解」は「自社・自業界が提供する製品・サービスに対する顧客の要求の理解」に留まっていることが多く、実は「顧客がその製品・サービスを利用することで、何をどのように実現したいのか」を掴むのがあまり得意ではない(私はこれを「プロダクト・レンズをかけて顧客を観てしまっている」と言っている)。
この狭い視野から脱却し、広く顧客体験価値全体を理解するには、「顧客視点」を更に徹底し、「あえて自社の製品・サービスを脇に置いて、顧客の立場で考える」訓練を積み重ねる必要がある。また自組織の人だけではどうしても限界があるため、オープンイノベーションなど、第三者の視点・発想を取り入れることが効果的だ。
顧客体験価値全体の最適化は、
単独個別の企業ではなく、エコシステムによって行われる
様々な製品・サービスを結びつけ、また情報を利用して顧客体験価値全体を最適化するといった価値提供を、既存の特定業界の特定企業がすべて担うのは現実的ではない。たとえば旅行であれば、ホテル、交通機関、レストラン、観光スポットなど多様な価値提供者が参加する「エコシステム」によって提供される形が自然だ。
エコシステムによる価値提供であれば、企業・組織は価値創造のための手段・資源をすべて自前で保有する必要はなく、自社の「外部」の資産を活用して価値提供ができるようになる。このため規模を拡大する際の制約を受けにくい。
(既存のタクシー会社は自社で車両を保有するため、規模を拡大するためには新たな車両やドライバーへの投資が必要だが、ライドシェア・プラットフォームは外部のドライバーと彼らが保有する車両を利用するため、規模拡大時の追加投資が圧倒的に少ない)
こうした多様な価値提供者と顧客を結びつける際に有効な手段が(デジタル)プラットフォームだ。プラットフォームの価値は、そのプラットフォームに参加している顧客基盤と価値提供者基盤の大きさや質、レコメンデーション・マッチング・キュレーションの質によって決まる。そこに大きな影響を与えるのが「ネットワーク外部性」と「情報の量と幅」だ。
参加者が増えるほどプラットフォームも価値が上がり、それがさらに参加者を惹きつける。参加者が増えることで様々な取引が頻繁に行われると、より多様な情報が集まる。その情報を活用し、また学習することで更にレコメンデーション・マッチング・キュレーションのレベルが上がる。こうして、規模・範囲・学習のサイクルが高速回転し始め、拡大再生産が進む。
プラットフォームを通じた顧客との関係においては、特定の製品の販売やサービスの提供がビジネスの「ゴール」ではない。顧客と長期的な関係を構築し、様々な価値を継続的に提供し、さらなる情報を獲得・蓄積・分析・利用することで情報のフィードバックループを回転させ、それによって規模・範囲・学習のサイクルが拡大していくことがゴールになる。
言い換えると、たとえば耐久消費財の製造業などが、これまでのように単体の製品・サービスを販売・提供することをビジネスのゴールとしているうちは、顧客との接点・頻度が限られ、情報を活用した新しいオペレーティング・モデルの実現は難しくなる。
新しいオペレーティング・モデルへの移行に躊躇する、手間取っている企業を見ると、その多くは低頻度・単体の特定の製品・サービスの提供をゴールとしたビジネスモデル、またすべてを自組織で(もしくは固定的なバリューチェーンを通じて)行うことを重視して、エコシステムの発想や真のプラットフォームによる価値提供を目指していないケースが多い。そうなると、様々なデジタル技術を導入しても集まる情報の量・範囲・頻度が限定されるとともに、情報を活用した新たな価値提供・改善の機会も限定的になり、新しいオペレーティング・モデルへの変革も進まない。
特に日本企業では、長期的な雇用、固定的な企業間関係を通じた、自組織内での知識・能力の蓄積とその活用によって競争力を高めてきた企業が多く、できるだけ自社・自グループですべてを行おうとする「自前主義」「トータルソリューション志向」が強くなりがちだ。その結果、第三者の資源・能力を活用するという発想になかなか転換できない。この壁を破るべく、エコシステムやプラットフォームの本質を深く理解する必要があるのだ。
価値のアーキテクチャが「疎結合化・モジュール化」し、
プログラムや技術は「パーツ化・共有化・オープン化」する
かつてはコンピュータの計算能力や記憶容量、通信速度等の制約が大きく、これらを節約するには極力プログラムを冗長性のないものにする必要があった。このため、大きな単位で様々な機能を緊密にすり合わせて、最も無駄がないプログラムや実行環境を実現することが優先されていた。また、各組織が自前でハード等を保有し、自社の業務内容に合わせたプログラムを開発・構築することが重要であった。
しかし、その後、計算能力やコストは劇的に向上し続け、また通信速度や容量が拡大し、インターネットが普及した。計算能力や記憶容量はクラウドで共有利用され、また自社が実現したい機能を持つプログラムの構築は、すべてを一からカスタマイズしたものを開発せずとも、すでに広く利用可能な、様々な機能モジュールを組み合わせ、API等を通じて組み上げることが可能になってきた(既存のものの組み合わせなので冗長性が高まるが、その冗長性にかかるコストは、開発・運用にかかるコストよりもはるかに小さい)。
近年のITシステムのパラダイムは、過去の様々なシステムのあり方とは根本的に異なっており、AIファクトリーを実現している企業はこうした新たなモデルを採用している。そして情報技術基盤は、多くの組織がより簡単に活用できる形で提供されるようになっている。新しいオペレーティング・モデルが広く実現可能になっている背景にはこうしたIT・ソフトウェアにおける変化・発展がある。
ただし、技術的に新たなモデルが利用可能になっても、多くの既存企業がそのモデルに即座に転換できる訳ではない。特に既存企業においては、長年にわたり開発・構築・運用してきた既存の(古いモデルの)ITシステムが現在も事業活動の根幹を支えており、ここに手を入れて変えることには多くの困難が伴う。しかし既存システムをいつまでも温存していると、これが「技術的負債」となって、新たな技術や方法論の導入を妨げ、変革の障害になってしまう。
また、多くの組織において、情報技術基盤についての高い専門性を持ち、先端的な技術が何を可能にするのか、それが価値創造活動のあり方にどのような影響を与えるのかを正しく理解、判断し、実際に活用できるリーダーや人材は非常に限られている。このため変革に必要な意思決定がなかなか進まず、それがデジタル変革全体のボトルネックになっているケースも多い。特に日本においては、情報システムの開発・運用を外注化しているケースも多く、それが更に変化を難しくしている面がある。
こうした課題を乗り越えるためには、先端的なIT技術自体の理解ももちろん必要であるが、「それがどのような意味で企業・組織のデジタル変革において重要か」をすべてのリーダーが理解する必要がある。そのためにも、本書は大きな助けになるだろう。
汎用的な課題設定、分析、問題解決力を持った
プロダクト・マネジャーの獲得育成が急務となる
こうした変化を促進するためには、組織としてAIをはじめとする情報技術の専門性を高める必要がある。ただ、それ以上に重要なのが、この新しいオペレーティング・モデル上で、企業内外の顧客に提供すべき価値を構想し、仮説に基づいてプロトタイプを構築し、顧客の反応やデータに基づいて仮説の検証・改善・軌道修正を行い続ける、一連の活動をリードできる人材(アジャイルの方法論などにおいて「プロダクト・マネジャー」と呼ばれる)である。
プロダクト・マネジャーは顧客中心主義の価値観、顧客が求める価値に対する洞察力、デジタル技術の可能性と限界に対する一定以上の理解が求められる。さらには、課題を適切に設定し、問題を分析し、解決策を立案し、メンバーに適切にタスクを分解し、実現に向けてサポート・調整が行える、構想力・分析力・システム思考力・リーダーシップ等も求められる。
同時に、様々な価値がソフトウェア・アルゴリズムによって実現・提供される度合いが高まることを考えると、一見すると大きく異なるような価値であっても、その実現に必要とされる能力はデータの獲得、処理、分析、開発といった汎用性の高いものになり、既存の業界や職種に特化した専門性の優先度は下がることが予想される。
こうした状況は、これまで特定の機能をベースに運営されてきた組織の中でキャリアを積んできた人々、そしてそのように人材を育成してきた組織にとって、大きなギャップであると言えるだろう。組織あるいは個人にとって、こうしたプロダクト・マネジャーとしての能力獲得、新たなマインドセットの刷新が急務である。おそらくここが多くの組織にとって、最大の難所になるだろう。
ただ、実は日本企業にも、ソフトウェアのアジャイル開発の経験を持った人材が増えてきており、(いわゆるトヨタ生産方式にルーツを持つ)Lean Managementの知識と能力を持った人材の蓄積もある。こうした汎用的な能力を持った人材の知識と経験を活かしながら、必要な技術的もしくはビジネス的な能力を補完することで、新たなオペレーティング・モデルの核となるプロダクト・マネジャーの量産を真剣に考えるべきだろう。
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本書が、企業・組織の真のデジタル変革を加速し、顧客、社員、パートナー、そして社会全体にとってよき変化を生み出したいと願うすべての方々のお役に立てるとすれば幸いである。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため改行等の調整をしています。
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