AI時代の指数関数的な脅威に立ち向かう:『AIファースト・カンパニー』より「序章――衝突する世界」一部公開(1)
本書では、これまでとは異なるタイプの組織の出現によってAI(人工知能)時代を定義する。それは、デジタル・ネットワーク、アナリティクス、AIで形成されたビジネス環境のために構築された組織であり、際立ったオペレーティング・アーキテクチャ(運用構造/体制)が最大の特徴だ。
水平に結びつき、統合型データ基盤を用いて、AI搭載アプリケーションを迅速に展開し、規模(スケール)、範囲(スコープ)、学習(ラーニング)において飛躍的に成長できるように設計されている。
このアーキテクチャは伝統的な縦割り構造の組織とは違う。縦割り構造の場合、成長や反応のスピードが制限され、機敏なコミュニケーションや調整が妨げられ、意思決定はそれぞれ個々の部門で行い、テクノロジーとデータは孤立した場所に閉じ込められていた。
新しい構造では、コンピュータ・サイエンティストが言うところの「弱いAI」(限定的なユースケース用に微調整された既製アルゴリズム)を迅速かつ広範囲に展開し、その企業にとって最も重要な業務タスクの大部分を自動で実行することができる。
本書では、各分野でデジタル企業が従来型構造の企業と衝突するパターンが繰り返されている状況を見ていく。螞蟻金服(アント・フィナンシャル)vs.銀行、ユーチューブやネットフリックスvs.エンタテインメント産業、エアビーアンドビーvs.伝統的なホテル運営会社などがその例だ。
このような衝突を見ると、指数関数的なシステムが飽和状態のシステム、つまり限界に達したシステムと鉢合わせしたときに、どうなるかがわかる。高校の微積分の授業が思い出されるかもしれないが、指数関数のグラフは原点に近い部分では平坦で、その後ぐんぐんと上昇していく。
アント、ユーチューブ、エアビーアンドビーの事例が示すように、デジタル企業が当初提供する価値は限定的だ。既存の競合企業はほとんど気づかないかもしれないし、気づいたとしても、新タイプの競争を軽く見て、理屈を並べて顧みないことが多い。
脅威が高まり続ければ、既存企業はおそらくマーケティング活動で消費者にそのデメリットを伝えたり、規制当局に働きかけたりすることで、減速を図るかもしれない。脅威がさらに拡大すると、一部で業務上の対応を始める企業が出てくる。自社システムをいろいろと変革し、デジタル化を図るのだ。ほとんどの場合、こうした取り組みは遅きに失する。
指数関数型の企業がひとたびクリティカルマス(臨界点)に達すると、その成長率は爆発的に増加し、伝統的なシステムでは手も足も出せなくなる。アンドロイドとノキア、アマゾンとバーンズ&ノーブル、ユーチューブとバイアコム、アント・フィナンシャルと香港上海銀行(HSBC)がどうなったかを考えてみてほしい。
私たちは本書の執筆時点で、このような新タイプの企業の出現は避けられないものだと考えていた。とはいえ、経済が転換するまでには何年もかかる―ほとんどの従来型組織が対応し適応する時間は十分にあるとも思っていた。
本書は2020年1月に出版したが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)がこれほど急速に経済や社会の景観を変えてしまい、あらゆる組織が一夜にして適応とデジタル化を迫られることになるとは見通せなかった。
今回のパンデミックで直ちに明らかになったのは、企業がコロナウイルスのように異質な指数関数型の脅威に立ち向かうためには、今すぐに変革を起こさなければならないということだ。
指数関数的な拡大に立ち向かう
コロナ禍は、指数関数的な成長に突き動かされるシステムが伝統的なシステムと衝突したときに、何が起きるかを端的に示している。パンデミックの初期に、私たちも振り回された。
2020年1月から2月にかけて、私たちは本書のプロモーションのためのブックツアーで欧米を駆け回っていた。ボストン、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ロンドン、ミュンヘン、パリ、ミラノで講演をこなしたが、世界規模で爆発寸前の爆弾の上に自分たちが座っているとは夢にも思わなかった。中国関連の報道が憂慮すべきものになっても、ほとんど気に留めなかった。
ヨーロッパでコロナ禍がクリティカルマスに達したのは、本著の執筆者のイアンシティが飛行機でパリからミラノに移動した日のことだ。離陸時は平穏そのものだった。一部の乗客が携帯電話を心配そうに見つめ、マスクをつけていたのは知っていた。
イアンシティが妻と一緒にミラノに着く頃には、ヴォイスメールにメッセージが殺到していた。ミラノのマルペンサ空港からホテルへ向かう車中でそのメッセージを聞き、大きな危機が広がっていることを理解し始めた。わずか2~3日の間に、新型コロナの感染者が桁違いに増えていたのだ。
ウイルスの勢いは凄まじく、ミラノ近郊の多くの町はすでに閉鎖されていた。私たちは別の車を手配し、チューリッヒまで運転し、数時間仮眠をとった。そしてすぐに、張り詰めた雰囲気の中、飛行機でボストンに舞い戻った。それ以来ずっと同地で、私たち全員がパンデミックに支配される状況を、恐怖におののきながら見守ってきた。
新型コロナウイルスは世界の保健機関や経済機関に大混乱をもたらし、指数関数的な感染拡大によって医療制度、医療品や医療技術企業、食品流通、金融サービス、教育制度などなど、従来型組織が簡単に打ちのめされてしまうことが、有無を言わさぬスピードで証明された。
初期の頃、ほとんどの組織や各国政府はコロナにまったく注意を払っていなかった。コロナ禍を制御下に置くためのテクノロジー、供給品、プロセス、システムに十分に投資してこなかったのだ。これが衝突のメカニズムである。
指数関数型のシステムがクリティカルマスに達するまで無視していれば、大惨事の元凶になる。既存企業とデジタル企業の衝突に見られるように、唯一の救命戦略は、脅威を明確に認識し、直ちに対応し、長期的な変革に向けて入念に計画を策定することだ。十分に早い段階で脅威に気づけば、戦術を練って勢いを緩めることができる。
コロナ禍の場合、広範に及ぶ症状の追跡調査、隔離、ソーシャルディスタンス(社会的距離)などが戦術に当たるだろう。ただし、脅威が襲いかかってくるのを待っている必要はない。従来の防衛策を可能な限り強化することもできるし、そうしなくてはならない。再びコロナ禍の例で言うと、検査への大規模投資、重要物資の在庫確保、病院内のICU(集中治療室)病床確保などがそうだ。
しかし、基本的な準備を超えて、指数関数的な脅威に対処するうえで最も効果的な方法は、いざこうした課題に直面した際に、俊敏かつ指数関数的に対応できるようなオぺレーティング・アーキテクチャ(組織を動かす仕組み)自体を整備することだ。これは、私たちが最も効果的にパンデミックに対応している組織を調べる中で発見したことである。こうした組織は新旧を問わず、ソフトウェア、アナリティクス、AIの助けを借りて、オペレーション上の意思決定を強化するために、充実した統合型のデータ基盤を活用していた。
迅速な変革をこれほど明確に支持する論拠はないだろう。あらゆる組織が今、業務の規模、範囲、学習を加速させるために、プロセス、システム、ケイパビリティ(組織能力)のデジタル化と体系化に乗り出すべきである。もはや待つ理由はない。新しい組織だろうが、古い組織だろうが関係ない。結局のところ、ウイルスにやられなくても、いずれ競合他社にやられてしまうだろう。
(中略)
ウイルスとの衝突
2020年の春先、中国以外の多くの国でコロナウイルスがクリティカルマスに達したことで、事態は急展開を始めた。アメリカでは3月に感染が「べき法則」の段階に入り、私たちは2~3日ごとに患者数と死亡率が倍増するという急拡大に驚かされることとなった。その時点で、人々の仕事も激変した。
2020年3月14日から30日までの2週間で、アメリカは過去10年間で目撃された以上のデジタル変革を経験してきた可能性がある。アメリカ経済の半分以上を占める労働者が在宅勤務を始めた。
私たちが在籍するハーバード・ビジネス・スクール(HBS)では、125人以上の教員と250人以上のスタッフが、約2000人のMBAと博士課程の学生向けに2週間でオンライン教育へと移行するために休むことなく働いた。このような大規模な変革には何十年もかかると信じていた人もいただろう。
仕事がほぼ瞬時に一変するとともに、感染者数が急増してICU病床や医療品の不足が深刻化していく状況を誰もが目の当たりにした。幸いにも、一部の医療機関は数カ月前からコロナ対応の計画を策定し、ウイルスとの衝突が避けられない状況に備えて懸命に変革を進めていた。
マサチューセッツ総合病院(MGH)は210年前に貧しい人々を治療するために設立されたが、そのミッションは今も非常に重く受け止められている。MGHの伝統として深く根付いてきたのが、分析、方法論の厳密さ、創造的だが体系的なイノベーションだ。これらは危機対応と災害管理のケイパビリティの基礎となる、飽くなき患者重視の哲学を後押ししている。
MGHはモデルナよりずっと古く、(多くの点で)伝統的な組織だ。そのITインフラの多くは時代遅れで、規制上の制約や長く続いてきたプロセスによって能力は限定的である。しかし、明白な存亡の危機に直面したとき、賢明なリーダー層に恵まれていたMGHは変革を即断即決し、最も効率的なデジタル企業の特徴である、水平的な統合型情報アーキテクチャをつくった。
MGHがコロナ対応を計画し始めたのは、1月に遡る。中国に続き、イタリアなどあらゆる場所から集まってくるデータは、この疾病の多くの特徴を捉えており、病院がどのようなプレッシャーに直面するかをはっきりと示していた。
MGHは縦割り組織だったが、一元化された情報処理組織を迅速に構築する必要があった。多数の情報源からデータを取り込み、その妥当性を確認したうえで処理し、それを使って、MGH内の様々な複雑な業務システムの負荷を予測できるようにすることで、コロナ患者の急増に対応する。
MGHの対応をリードしたのは、全社的な機能横断型チームだ。ポール・ビディンガー、救命救急チームメンバー、コロナ緊急司令部長となったMGHシニアバイスプレジデント兼緊急準備室長のアン・プレスティピノ、MGHやパートナー組織のデジタル変革プロジェクトを監督しているリー・シュワムなどが参加していた。
MGHはパンデミックに備える計画を立てながら、キャパシティ(収容能力)、対応力、アジリティ(敏捷性)の拡大に絶えず取り組んだ。チームは予測されるコロナ感染者の急増に対応するため、広大な組織全体でデータ、情報、活動を統合し調整する体制をつくって展開させた。この情報アーキテクチャにより、MGHはN95マスクや人工呼吸器、ICU病床の不足など、計画過程で判明したあらゆる問題に取り組み、患者数が急増し始めたときに具体的な対応手順を固めることができた。
MGHの危機対応体制の中核となったのは、情報システムとデータ・プラットフォームだ。情報システムによってデータの一元化と蓄積が可能になり、臨床アウトカム、計画システム、財務データ、キャパシティの負荷に関する情報が、利用データやサプライチェーンの予測と統合される。このすべてにより、MGHチームは部門別ダッシュボードの開発と配備を迅速に進め、予測情報や予測モデルを臨床医に提供して需要変化に合わせて計画を策定できるようになったのだ。
MGHの災害管理組織は、システムや取り組みを結集させて機能横断でデータや情報を共有し、危機に関する重要な業務活動を調整し統合する水平的な組織の役割を果たした。また、運営面のコントロールタワーとなり、MGHの戦略やオペレーティング・アーキテクチャを統一しながら、組織を構成する多数の要素にまたがる変革を推進した。
MGHでパンデミックの最も重要な成果として、遠隔医療の導入と展開が挙げられる。かつては同病院の医療サービスのごく一部でしかなかった遠隔医療プラットフォームが、ほとんどの分野で主要なオペレーション方式へと急成長を遂げた。
現在では、医療従事者と患者間だけでなく、医療従事者間の交流でも、バーチャルなつながりが欠かせなくなっている。みんなが情報共有、コーチング、トレーニング、メンタリングにオンラインコミュニティを活用しているのだ。
MGHの救急医でデジタルヘルス・フェローのケリー・ウィットボルドは、「デジタルヘルスや遠隔医療が医療サービスにイノベーションをもたらすのだと政策立案者や保険金支払い者に納得してもらうために、この先10年は自分のキャリアを捧げなければならないと思っていた。コロナ禍によってそれは数週間で実現された」と語る。
その結果は目覚ましい。MGHはパンデミックの間、治療におけるほぼすべての側面で優れた業績を達成し、数え切れないほど多くの命を救った。ウィットボルドが指摘するように「危機的な状況下で、病院全体が本当に団結した」のだ。MGHのアプローチは多くの点で、第5章で取り上げるデジタル変革の事例の端緒となる。私たちが概説した原則とおおむね一致しているが、思っていたよりも、はるかに速いスピードで実現した。
MGHの対応からわかるのは、必要な時に明確な重点対象、ミッション、適切なケイパビリティがあれば、古い組織であっても、また最新かつ最高の技術システムがない状況下であっても、急旋回できるということだ。アーキテクチャは、複雑な対応を構成する多様な要素を前例のない機敏さで調整し統合する鍵となる。
極めて重要な点として、MGHのパンデミックへの対応から、データ重視の科学的論拠という中核がアナリティクスの展開にどれほど必須かということもわかる。端的に言うと、人命が危険にさらされていれば、フェイクニュース、ねつ造データ、組織政治が入り込む余地はない。
これは、リーダーがデータ重視でアナリティクスを用いた具体的な手法を採用する動機となり、データ重視かつAI重視の組織をつくるうえで極めて重要だ。それがなければ、デジタル・オペレーティング・モデルは絶対にうまくいかない。
MGHの取り組みはまだ完了したわけではない。コロナ禍が沈静化しても、次なる課題は、危機の中でいろいろと学んだ教訓を内部で吸収し、変革を継続させることだ。これはMGHだけの話ではない。コロナ禍は、想定外のことを行い、前例のない変化を受け入れ、古くからの官僚主義を回避するように多くの組織を促してきた。他の産業分野にも目を向けてみよう。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。