「死の文化」に疑問を感じたきっかけ

日本メメント・モリ協会を設立し、医療従事者や宗教者や哲学者とともに生と死を考える場を提供している著者。連載初回は、ある患者さんを看取った経験から「死を見つめ直す」活動をはじめた背景を語る。

治療をやめたことで、静かな死を迎えたAさん

「テレビのチャンネルはこれでいい?」
「うん。いつもありがとね。先生」
「どういたしまして。こちらこそありがとう」

これが、90歳を超えたAさんと最後に交わした言葉でした。いつもと同じようにも感じたのですが、この数時間後に亡くなられたことを考えると、ほんの少しだけ、さらりとした違和感のようなものがあったような気もしています。

しかし、それがはっきりと死の前兆だとわかったとしても、私が何かできたわけでもありませんし、しなかったと思います。そう思えるほど、そのときのAさんは穏やかで満ち足りているように見えました。彼女とはほんの数週間のおつきあいだったのですが、その時のことは何度も思い出します。

私は、1990年に東京慈恵会医科大学を卒業した内科医です。気がつけば、医師免許を取得してから30年近くになります。専門は地域医療。町のお医者さんです。

地域のクリニックでの勤務が長かったので、患者さんと最期の時間をともに過ごした経験はさほど豊富ではありません。正直に申し上げると、その数は50人にも満たないかもしれません。

それでも、私が「死の文化」を変えなければと思ったのは、Aさんと最期の時間を共有できたからに他なりません。その穏やかさに反して、私にとってそれは衝撃的な出来事でした。

Aさんは、末期のすい臓がんと診断された後、しばらくはご自宅で療養されていました。ご長男が献身的に介護をされていたのですが、だんだんと食が細くなり、水分も摂らなくなって元気がなくなり、訪問診察の先生のご紹介で私が勤めている病院に入院されました。脱水を補正することで意識も回復し、はっきりと言葉を交わせるようになりました。

しかし、食欲は戻りません。点滴で水分のみ補給していたのですが、その水分を次第に体が処理できなくなってきました。足がむくみ、肺に水がたまり呼吸が苦しくなってきました。酸素投与が始まり、利尿剤が投与されましたが、むくみが良くなる気配は一向にありません。会話もできなくなってしまいました。

そこで、ご家族や病院のスタッフとも何度も話し合い、ご家族の同意を得て、点滴を中止することになったのです。それはつまり医療から遠ざかり、ただ何もしないで死を待つことを意味していました。

ところが、点滴をやめたことで日に日にむくみが取れ、少しずつ元気になってきました。肺の水が引き、酸素投与も必要なくなり、足のむくみも取れ、以前のような穏やかな時間がまた戻ってきたのです。そして、食事ができるようになるまでには回復しませんでしたが、冒頭のような静かな死を迎えられました。

この経験から、これまで考えてもみなかった疑問が私の中に浮かび上がってきました。いままで必死にしてきた医療行為とはなんだったのか。医療は何のためにあるのか。患者さんを安楽な状況に置くことなのか。ご家族の意向を汲むことなのか。これまでのような感覚に従って医療行為を続けていいのだろうか…。

超高齢多死社会、私たちが向き合うべきことは何か

医療措置をやめた後に、眠るように亡くなったAさん。この事実にしっかりと向き合わないといけないと考えるようになりました。

これから日本は、超高齢多死社会を迎えると言われています。2017年版の高齢社会白書(内閣府)によると、2015年の年間死亡者数は約129万人で、死亡率(人口1000人あたりの死亡数)は10.3。この数値は年々増え続けており、2040年には年間死亡者数は約167万人、死亡率は15.1になると推計されています。

また、2016年版の人口動態統計(厚生労働省)によると、老衰(高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみを指します)による死亡者数は、2015年が84,810人に対して、2016年は92,806人。その増加傾向は2000年頃から続いているようです。

感染症などの病気で亡くなる時代ではなくなり、加齢と老衰による治療のできない状態が終末期を支配していきます。いままでのような、何かを治療するのが当然という感覚で医療行為をしていくことは、患者さんやそのご家族、そして医療従事者にとって本当によいことなのか。いまこそ、死の文化について見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

Aさんの場合は、誰もが納得できる状況であったからこそ点滴を中止することができました。そのAさんの死の1年くらい前に、私は自宅で父を看取りました。人工呼吸器こそつけませんでしたが、それこそできる限りの医療行為をしました。

父は非常に辛そうでした。しかし、Aさんの死を経験しても、父の最期の時間に後悔の念はありません。なぜなら振り返ってみても、どこで医療行為を止めることができたか、私にはわからないからです。一方で、だれかに「もうやめてあげたほうがいいよ」と言われたら、やめることができたかもしれないとも思うのです。

どうするのが正しかったのかは、いまになってもわかりません。でも、「あれは父らしい最期だったのだろうか」という問いは、いまだに私の心に残っています。

こんな経験と思いが重なり、私は2017年に日本メメント・モリ協会を設立しました。メメント・モリ(Memento Mori)とはラテン語で、「死を想え」という意味です。もともとは古代ローマにおいて、たとえ戦いに勝った将軍でも、明日はどうなるかわからないことを一般市民に周知させるための言葉だったと言われています。

「全ての人に平等に訪れる死が、現代社会では日常から遠いものとなってしまっているのではないか」という問題意識から、この協会では医療者、宗教者、哲学者など多分野の人たちとともに「その人らしい最期」を考える場を提供しています。

死を想うことは、いかに生きるかに直結している。さらにそれは、一人ひとりがより豊かに生きることができる社会につながるのではないか。そのような思いは、日を追うごとに強くなっています。

この連載を通じて読者の皆さんと一緒に、「死を想うことで、生が豊かになる」ことについて考えていきたいと思っています。また、こうしたテーマについて皆さんと語り合い、学び合う場を企画中です。そちらもどうぞお楽しみに。

占部まり(うらべ・まり)日本メメント・モリ協会代表理事。東京慈恵会医科大学卒業。米国メイヨークリニックのポストドクトラルフェロー(1992~1994年)などを経て、現在は地域医療の充実を目指し内科医として勤務。宇沢弘文死去に伴い、2014年に宇沢国際学館・取締役に就任。2017年に日本メメント・モリ協会設立。(noteアカウント:占部まり
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占部まり「死を想う」

医療の発達に伴い、多くの人が天寿を全うする時代。誰もが前向きに人生の幕を下ろせるようになるには。「死を想う」をテーマに日本メメント・モリ協会を設立した著者が、その人らしい生き方と最後の時間を考える。
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