『仮説行動』の「はじめに+第1章」を全文公開します。
はじめに
旅行先でハイキングをしていると、森の中に迷い込んでしまい、スマートフォンの電波もつながらなくなってしまった、という状況を思い浮かべてみてください。登山用のアプリも入っておらず、地図もないため、一体自分がどこにいるのかも分かりません。来た道も分からなくなってしまいました。
そんなとき、周りにあるわずかな手掛かりをもとに、「どちらに進めば脱出できるのか」と必死に考えるでしょう。そして「こちらに進んでみるのがよいのではないか」と思ったとします。
それは、この森から抜け出すための「仮説」です。
より良い仮説を作るためには何をすればよいのでしょうか。たとえば、その場に立ったまま、ぐるぐると周りを見渡して、周囲の情報を集めてみることができます。しかし、この場で手に入る情報だけをもとに、深く考えさえすれば、森を抜けるための完璧な仮説が立てられる、そう思える人はどれだけいるでしょうか。
おそらくほとんどいないはずです。
より良い仮説に辿り着くために、私たちは「こちらに向かうとよいかもしれない」という仮説をもとに、行動を始めます。そして進む中で得られた、獣の足跡や草木の状況などの新たな情報を加味しながら、その都度仮説を作り直して、脱出方法を見つけようとするでしょう。
当然ながら、進むことには危険が伴います。森の奥へと迷い込んでしまうリスクもあるでしょう。怪我をしてしまうかもしれません。
しかし正しい知識(直感的には下山するべく下へ下へと向かうことが正しそうですが、下へ向かうと崖や滝にぶつかり進退窮まってしまうことがあるため、一般的には上へ上へと向かうほうがよいとされます)に基づいた仮説を用いて行動し、そこから得られた新たな情報でさらに仮説を洗練し続ける。そうするほうが最初の場所でじっと座り込んで誰かの助けを待つよりも、脱出できる可能性は高まるはずです。
つまり、思考とともに行動することが正解に至るための手段なのです。
そうして試行錯誤していくうちに、森を抜け、開けた場所に辿り着き、道路や人里を見つけて、無事に家に帰れそうな可能性を感じ始める……と、ここで物語はいったん終わりです。
ビジネスの最前線で起こっていることは、言ってみれば、地図のないジャングルを探索しながら進んでいくようなものです。
持っているわずかな手がかりを用いながら、事業を前へ進めていきます。ときには状況を覆すような予想外の出来事も起こり、対応しなければならないこともあるでしょう。事業の分岐点に差し掛かれば、自らリスクを取ってどちらかを選び、道なき道を切り拓く必要もあります。
ビジネスの世界では、不確実性が高まっていると言われ続けています。森で例えれば、自分たちが進んでいる森自体が時間とともに激しく変わる中で、脱出方法を見つけなければならない、という状況です。そうした状況だからこそ、優れた仮説の考え方と行動方法はこれまで以上に求められるでしょう。
ただ、これまではいわゆる「仮説思考」に注目が集まってきました。しかし、不確実かつ激変する環境の中では、思考だけでは不十分であり、「行動」がこれまで以上に大切になってきているように思います。
筆者はこれまで約十年にわたりスタートアップの支援に携わり、起業家のそばで、彼ら彼女らの動き方や考え方を見てきました。スタートアップは不確実性の高い領域で、普通の人よりも一桁も二桁も大きな成果を上げることを企図します。
そんな彼ら彼女らの仮説の作り方、そして行動の方法は、ビジネスパーソンがこれまでよりも大きな成果を上げるためにも役立つはずだと考えました。
その全体像とエッセンスを伝えるのが本書の目的です。
それではここから、『仮説行動』をお楽しみください。
1 本書の3つの特長
仮説に関する本はすでにたくさんあるため、まずは類書との違いを明確にしておきたいと思います。
本書と類書との違いは以下の3つの点にあります。
思考重視から行動重視への転換を促す(仮説思考から仮説行動へ)
仮説という概念の解像度を上げる
「失敗しないための仮説」と「大きく成功するための仮説」の両方へのヒントを提供する
まず1つ目が、思考重視から行動重視への転換です。言い換えると、「仮説思考から仮説行動へ」とまとめられるでしょう。
これまでの類書では、主に思考の方法が整理されてきました。確かに情報が豊富に手に入る状況(たとえば大企業の既存事業の改善プロジェクトなど)では、すでにある情報をもとに思考や分析の精度を上げていくことで、より良い仮説に至りやすくなるでしょう。
ただ、不確実性の高い状況や不完全な情報しか手に入らない場合、正しい情報を探すことや精緻な思考に労力を使うよりも、その状況で行動してみて、そこから得られた新鮮な情報やフィードバックを活かしながら思考したほうが、より良い仮説に辿り着きやすいのではないでしょうか。
そこで本書では思考だけではなく、行動の方法についても多くのページを割いています。「自分の頭で考える」から「自分の頭と体で考える」へ。これが従来の仮説「思考」との違いです。
2つ目は、仮説という概念の解像度を上げることです。仮説行動を適切に行うためには、そもそもの仮説という概念を解像度高く理解しておく必要があります。
しかしこれまでの類書は、仮説を作るスキルやコツが中心となっていて、仮説自体がどのような要素で成り立っているかなどの概念化はやや弱い傾向がありました。また仮説に至るまでの思考プロセスが曖昧で、肝心の仮説生成の方法が「直感が大事」「とことん考える」といった、分かったような、分からないようなアドバイスだけの場合も多かったように思います。
本書ではそうした状況に対して、仮説という概念を整理し、さらにその思考と行動の方法をより精緻に言語化することで、どう思考や行動をすれば、仮説の生成や洗練ができるのかをより具体的に示したいと思います。
そして3つ目の違いは、「失敗しないための仮説」だけでなく「大きく成功するための仮説」のヒントも紹介していることです。
これまでの仮説思考は、与えられた課題に対して、大きく間違っていない解答を提示することが主な目的だったように思います。たとえばクライアントや社内から与えられたお題がコスト削減であれば、コストを下げられる仮説をどれだけ現実的に作れるのか、そしてそうした仮説をどれだけの速さと正確さで作れるか、が腕の見せ所だったでしょう。
それはいわば、先生に与えられた学校の試験を、速く正確に解くための仮説思考であり、「失敗しない」ための仮説思考です。
もちろん、失敗しないことで昇進できる会社もあるでしょうし、「与えられた枠の中で正解率を上げる」ことが評価される状況もあるので、こうした仮説思考も変わらず必要とされています。
しかし、現在、多くの人が対応に苦慮しているのは、新規事業や起業などの「自分たちで課題を探し、解決するべき課題の枠も選べる」状況です。そうした状況で必要なのは、「大きく成功する」ための仮説思考ではないでしょうか。
この違いを理解していないと、「仮説を作ってほしい」と言われたときに「そこまで間違ってはいないけれど小さな仮説」を作ってしまいがちです。たとえば上司から「君の仮説は小さくまとまっているね」と言われたことがある人もいるのではないでしょうか。
失敗しないことを念頭に置いて仮説を作ってしまうと、そういう反応が返ってきてしまいます。新規事業などで必要とされているのは「成功するための仮説思考」であり、これまで巷で共有されてきた仮説思考とは、同じ部分もあれば少し異なる部分があるように思います。
そこで本書では、仮説の良さを測る評価軸として「確信度」と「影響度」という2つの軸を導入します。これまで解説されてきた「仮説の確からしさの程度」を確信度と呼び、「仮説のインパクトの大きさ」を影響度と呼んで、その両方を伸ばしていく方法を考えます。
特にこれまであまり解説されてこなかった「仮説の影響度」を本書では重視し、仮説の影響度を高めて大きく成功する方法を、最後の章で重点的に考えたいと思います。
本書はこうした観点から、仮説との向き合い方を変えるためのいくつかの考え方を紹介していきます。
なお、本書では、仮説に触れたことのない人のために、基本的な部分についても解説しています。すでに仮説をうまく使えている人が読むと、「当たり前」「得るものがない」「詳細すぎて迂遠だ」と思うかもしれません。
ただ、そうした基礎的な考え方も解説することで、これまで仮説を用いた考え方に触れたことのないような若手のビジネスパーソンにも、仮説の入門書として手渡しできる本にしました。
知っている部分については読み飛ばしていただいても構いません。目次を見て、気になるところだけを読んだり、仮説に慣れ親しんでいない若手に教育目的で渡したりなど、様々な形でご活用いただければと思います。
それでは早速、本論に入っていきましょう。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。