「人新世」に豊かな社会をつくるには?──脱成長とコミュニティ・オーガナイジングの可能性(斎藤幸平さん×鎌田華乃子さん対談)
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「人新世」に豊かな社会をつくるには?──脱成長とコミュニティ・オーガナイジングの可能性(斎藤幸平さん×鎌田華乃子さん対談)

気候変動が深刻化する今日、これまでの資本主義のあり方を見直し、新たな社会のモデルを模索する動きが広がっています。環境危機を乗り越え、持続可能で豊かな未来社会をつくるために、私たちに何ができるのでしょうか? 新たな社会のあり方を示し「新書大賞2021」を受賞するなど大反響を呼んでいる『人新世の「資本論」』(集英社新書)の著者・斎藤幸平さんと、ごく普通の人々による社会変革の手法を示した『コミュニティ・オーガナイジング──ほしい未来をみんなで創る5つのステップ』(英治出版)の著者・鎌田華乃子さんにじっくり語り合っていただきました。

『人新世の「資本論」』で伝えたかったこと

鎌田 今日はよろしくお願いします。

斎藤 よろしくお願いします。経済思想が専門なので、僕の本ってどうしても、19世紀のマルクスとかの話を引っ張ってきて「資本主義そのものを変えないといけない」みたいな大きな話なので、よく読者から「何かアクションを起こしたい、でも何をしていいかもっと具体的に教えて欲しい」と聞かれるんですよね。その時に『コミュニティ・オーガナイジング』のような本が1冊あると非常に心強いし、僕自身も多くを学ばせていただきました。

最近、僕も労働関係のNPOやFridays For Futureの活動に少し関わってるんですが、日本にはオーガナイザーが少ないし、オーガナイジングの文化もないので、アクションを起こしたいと思っている人たちの勉強会でとても役立つのではないでしょうか。仲間から教えてもらってすぐ読みました(笑)。

鎌田 ありがとうございます。そうやって言っていただいて、とてもうれしいです。私が講師をしているエシカル・コンシェルジュの生徒さんが2月ぐらいに、斎藤さんが私の本を薦めてくれてると連絡をくれたんです。

斎藤 そうなんですね。

鎌田 すごくうれしいお知らせで。ちょうどCOJ(コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン)のメンバーが『人新世の「資本論」』を話題にして「これは絶対に読まにゃあかん」みたいな感じで盛り上がってたので。私はアメリカにいたのでKindleで読みました。

私自身、もともと10年ぐらい企業で働いて、7年ぐらいは環境コンサルタントだったんですけれども、SDGsとかCSRのようなものがいまいち根本的な解決になってないなって思ってたんです。根本的な解決をするには、人々が受け身じゃなく自分のことだと思って社会作りに取り組むことがやっぱり必要じゃないかなと。

それでアメリカに留学して出会ったのがコミュニティ・オーガナイジングだったんですけれども、やっぱりアイデアというか、こういうビジョンを目指そう、こういう世界を目指そう、というのが欲しいなと思ってたんです。環境問題について特に。ずっとそう思ってたんですけど、斎藤さんの本を読んで「これじゃん!」って思って。これが私たちが進む世界じゃないかと思ったんです。

斎藤さんが進む世界を示してくださったのなら、それに向かって何をすればいいかという点は私たちみたいな社会活動家やNPOができることだろうなと。それで一度お話ししてみたいと思って。

斎藤 ありがとうございます。たしかに、今の社会について多くの人たちは、なんとなく「このままでいいのかな?」と思っている。働き過ぎで体調崩してしまう、仕事を探してもなかなか非正規の仕事しかない、お金がないので結婚もできない、あるいは結婚できても子どもを持つことができない、老後の不安。コロナ禍もそうだし、環境問題も深刻です。

そうしたなかで、欧米を中心に「資本主義は駄目なんだ」という思想が出てきている。オキュパイ・ウォールストリートから、グレタたちのFridays For Futureまで、これまでのやり方とは違う社会をつくっていこうというシステム・チェンジを求める声があがっていたけれど、日本では全然そういう議論が盛り上がってこなかった。

だから、僕は今回、『人新世の「資本論」』で、資本主義じゃないような、でもみんながもっと豊かになれるような社会がつくれる可能性はあるんだよと示すことで、今の社会に違和感を感じている人たちに、この違和感は正しいんだと感じてもらいたかった。あるいは実際に一つ一つの現場で社会運動の取り組みをしている人たちにも、1つのイシューで終わるんじゃなくてシステムを変えていくんだと思えるような、共通のビジョンみたいなものを出したかった。なので、いま鎌田さんにそう言っていただけて、一つの目標が達成できたかなという気がしています。

鎌田 ほんとにそう思います。

鎌田 斎藤さんが今回の本で提示しているビジョンを、本を読んでない人も分かるようにちょっと説明していただけませんか。

斎藤 はい。今までの社会では、基本的に僕らは経済成長をすることで豊かになることをずっと信じ続けてきたわけですよね。だけれども、資本主義というのはどんどん利益のために膨張していくわけです。その結果、僕たちは豊かな社会で何でもいつでも手に入る、何でも安く手に入る生活をしているけれど、実はその裏では中国やバングラデシュとか、ラテンアメリカとかアフリカとかで非常に劣悪な環境で働かされている多くの人たちもいるし、そうした地域で環境破壊も進行している。

それでいい、そんな遠い人たちの問題も経済成長が解決してくれる、と僕らは信じてきたわけですけれども、気候変動やコロナ禍など無限の経済成長を追い求めることの負の影響が、先進国にいても無視できなくなっている。例えば、世界には安い労働力を切り開いていくようなフロンティアがなくなったので、国内においても非常に劣悪な労働条件で働かされている人が出てきてしまっている。

そうなると、今ではむしろ経済成長だけを求めることのコストのほうが大きくなってきている。多くの人たちは、むしろ経済成長のせいでますます生活が不安定になったり、貧しくなったり、あるいは自然環境破壊の負の影響を受けるようになってきたりしてしまっているんですね。

だとすれば、むしろ経済成長にどこかで歯止めをかけて、GDPの成長では必ずしも計測できなかったものや周辺化されてきたもの、例えば地球環境とか幸福度とか、ジェンダー平等とか、そうしたものに重きを置く社会に転換して、今ある富をシェアするような社会にしていく。そのために労働時間を減らすとか、競争を制約するとか、「コモン」と呼ばれる公共財を増やしていくことをやったほうが、多くの人々の生活は安定するし、豊かなものになっていくし、さらに言うと持続可能な社会に切り替わることができる。長期的には僕らの生活はもっと安定して、世界的に見ても公正な社会になっていくのではないか。そういうことを書いています。

コロナ禍で浮き彫りになった「これまでの世界」のおかしさ

鎌田 この本を出す前、ここまで反響があると思ってましたか?

斎藤 正直、「脱成長」という言葉と「コミュニズム」──僕はマルクスにならって「コモンに基づいた社会」を「コミュニズム」と言ってるんですけれども──そういった言葉は非常に人気がない。「脱成長」は経済成長の恩恵を享受した団塊の世代が無責任に言うことだ、という批判がしばしば就職氷河期世代の人からなされていましたし、ソ連の崩壊後に「コミュニズム」が必要だと公に言う人なんてほとんどいない。この批判されてばかりの概念を二つくっつけて、擁護するんだと決意するまでに、結構時間がかかりました。

鎌田 うん。

斎藤 どこかでもっと持続可能な経済成長が新技術によって可能になって、万人が豊かになっていく可能性を、僕自身も捨てきれていなかった。けれども、この2年ぐらいで気候変動問題が極めて深刻化していることを、いろいろ文献を読んでいく中で痛感しました。あとはグレタ・トゥーンベリたちの主張、訴えに真剣に耳を傾けると、やはり既存のシステムの中での解決策はない、だったらシステムチェンジをしなきゃいけない、と。彼女たちの世代に持続可能で公正な社会を残していこうと考えるなら、技術楽観論や経済成長楽観論みたいなものとはしっかりと決別して、別のビジョンを示さなきゃいけないんだと気付かされました。

それで「脱成長コミュニズム」を打ち出したんですけれども、結果としては、思ったより批判されなかったですね。タイミングも大きかったと思います。コロナでグローバル資本主義の残虐さとか問題点がすごく現れてきたと思うんです。ウイルスもすぐに広がってしまうし、新自由主義で医療保健体制が脆弱になっていて、弱者が困窮していく。その一方でビリオネアたちは資産を増やしていく。そんなグロテスクさが露わになった。

鎌田 そうですね。出版したタイミングが素晴らしかったですね。

斎藤 コロナ禍で、自分自身の生活も大きく見直す機会になって、今では「脱成長コミュニズム」しかないと確信しています。結局、自分は恵まれていてテレワークもできるし、収入も保証されていた。でもテレワークの生活が可能なのは、エッセンシャルワーカーのおかげです。今は、だからこそ、象牙の塔にこもらずに、より積極的に発信していきたいと思っています。

鎌田 そうなんですね。ご自身の振り返りも話してくださり、ありがとうございます。

歴史研究から現代の問題についてのビジョンを見出す

鎌田 気候変動に関心を持ち始めたのはいつ頃だったんですか。

斎藤 僕が大学に入ったのはリーマン・ショックの前ですけれど、日本でも派遣村(注:「年越し派遣村」。2008年の年末に東京都千代田区の日比谷公園に開設された生活困窮者のための避難所)とかができたように、当時から格差や非正規雇用の問題はあったので、格差問題への関心がありました。

けれども、一つの転機となったのは東日本大震災です。福島の原発事故を前にして、技術で問題を解決できるんだという技術楽観論みたいなものを反省するようになりました。原子力というのは、無限の経済成長を追い求める中で膨大なエネルギーを使うようになって出てきた矛盾の一つだと思うんです。

鎌田 うん。

斎藤 そのとき僕はドイツにいたんですけど、マルクスであればどう原発を批判するのかという観点から、山本太郎さんと一緒にDVDを作る仕事をしたりして、限定的ですけれど日本の反原発運動にも関わるようになって。人間と自然の関係性を原子力みたいな凶暴な技術を使って媒介しようとすると矛盾が生まれてくる、という話をマルクスを使って考えようとしたわけです。その延長で、化石燃料を使ってどんどん膨張していく資本主義が、人と自然の関係性をさらにどう歪めていくのかを、気候変動の観点から分析するようになった、という感じですかね。

鎌田 気候変動問題について前からかなり関心をお持ちだったんですね。

斎藤 そうですね。ただ僕の専門はマルクスの草稿研究なので、研究対象は19世紀の文献学的な世界なわけです。前著の『大洪水の前に』では、マルクスが実は環境問題に関心を持っていたという話を草稿やノートを研究して示したんですけど、そういう研究に関心がある人なら興味を示しますけど、一歩外れると、だから何なの? というリアクションですよね。マルクスが環境問題に関心を持っていたのは分かったけど、だから何? それ19世紀の話でしょ? みたいな。

僕はすごく悔しかったんです。だって博士課程の、青春というか20代をかけて研究したのに、それに対するリアクションが「だから何?」って、むかつくじゃないですか(笑)。

鎌田 むかつきますね、それは(笑)。

斎藤 そういう話じゃないんだと。マルクスのエコロジーを理解することで、現代の問題についても一つの解決策というか、大きなビジョンを示すことができるんだ、ということをやりたいなと思って。それで現代の気候変動問題と資本主義を分析したのが『人新世の「資本論」』です。今回は多くの人たちに関心を持ってもらえたので、自分としては一つのリベンジじゃないですけど、良かったかなと。

鎌田 花開きたり。今私は博士論文に取り組んでいるので、すごく共感しますね。

斎藤 分かるでしょう!

鎌田 読んでいて、斎藤さんがものすごく勉強されてるのが伝わってくるんです。原文も読んですごく研究された上で言っていることが分かるので、だから強い説得力があるんだなとひしひしと感じて、私もこのくらい頑張らなきゃと思いながら読んでいました。私は歴史研究じゃないから少し違うとは思うんですけれども、博士課程の先輩として素晴らしいなと思っていました。

社会は「すごいリーダー」が変えるわけじゃない

斎藤 鎌田さん、今博士課程では、どういう研究をされてるんですか。

鎌田 私自身は、今まではコミュニティ・オーガナイジング・ジャパンでの活動や、ジェンダーの平等を目指して「ちゃぶ台返し女子アクション」という団体を立ち上げて、性犯罪の刑法を110年ぶりに変えるといった活動を頑張ってやっていました。

日本は曲がりなりにも民主主義の国なので、効果的に運動すれば効果はあると自分でも動いてみて実感したんです。でも、人々は参加してくれないんですよね。応援も少ない。特に法律とか大きなものを変えるとなると、みんな尻込みするというか、そんなの変えられるわけない、みたいになっちゃって。だから、特に日本において、人がなぜ社会運動と距離を置くのか、それはどうやったら乗り越えられるのか、というのが気になって。実践だけだと限界を感じていたので、一歩引いた形で実践を研究して、実践にも還元ができればと思っています。

今は、2年ぐらい続いていて日本全国に広がっている「フラワーデモ」という性暴力に反対する運動について、それがどうして起きたのかを、参加者の方や日本各地で立ち上がった方、70人ぐらいに話を聞いて分析することをやってます。まだインタビューしてる最中で、これから書き起こして一生懸命分析をするという感じです。

斎藤 僕もアメリカの大学に4年間行ってたんですけれども、コミュニティ・オーガナイジングという言葉自体、アメリカではとても一般的ですよね。

鎌田 ウェズリアン大学に行ってたんですよね。

斎藤 そうです。なので、NGOとか、NPO、労働組合とかもですけど、オーガナイザーがいて、広げていこうという運動がごく普通にある国と、日本のようにそういうものが根付いていない国には大きな差があるなと感じていて。今、欧米とかで盛り上がってるいろんな運動、サンダース旋風もそうだし、コービノミクスとかBlack Lives Matter(BLM)とか、ああいう運動って、日本では、サンダースみたいな誰かすごいリーダーが出てきて社会を変えたように見えちゃうんですよね。

鎌田 うん。

斎藤 僕らはそういう政治のあり方しか知らない。小泉さんや橋下徹さんが出てきて熱狂するみたいなビジョンしかないから、サンダースもそれの左派版みたいなイメージ、山本太郎さんみたいな感じに見えちゃう。

けれども、実はあの下にはオーガナイザーの人たちがいっぱいいて、そのボトムアップの結果なわけですよね。それがないとああいう運動はつくっていけないのに、日本はどうしてもポピュリズムの誘惑から抜け出せない。僕はこれを「政治主義」と呼んで批判してるんですけど、政治だけでひっくり返せるんだというようなビジョンが根強くて。とにかく政治家たちが法律さえ変えてくれれば良くなるんだ、みたいな話になってしまいがちです。

具体的にどうやって変えていくのか、あるいはアメリカとかではどうやっているかが、この鎌田さんの本を読むと日本の人たちにも分かってもらえるのかなと。一見遠回りに見えるけど、まずコミュニティ・オーガナイジングがないと社会は変えられないということが伝わってほしいです。もちろん、日本ではそのハードルが高いわけですが。

鎌田 高いですね。すごく高いですね、ほんとに。

斎藤 これは日本の特殊性なんですかね。僕もよく言われるんです。グレタとかが出てくるのはヨーロッパだからでしょう、みたいに。

鎌田 でも、日本にも田中正造とかいましたよね。ちょっと古いですけど。

斎藤 確かに。

鎌田 最近は高校生が気候変動とかの課題に対しての活動を頑張っていたりもするので、これから出てくるとは思うんですけれども。若い人が声を出しにくい国でもありますよね。この前もファミマの「お母さん食堂」というものに対して、高校生が署名運動を立ち上げたんですよね(注:性的役割分担の固定化を助長するとして名称変更を求めた)。それを「分かってない若者の分際で何を言うんだ」と、大人たちが潰してしまったことがあって。

日本で活動的な若い人が出てこないことを批判するのであれば、社会の主構造をつくってる大人たちがどのぐらい若い人たちの声を尊重してるのかを問いたいなと私は思いますね。アメリカやヨーロッパでは若い人でも発言が尊重されるし、一人の人間として尊重されてるなと思いますし。日本の場合、「女・子どもは半人前」という扱いがあるので、なかなか若者や女性の声が届かないなというのは本当に思いますね。

ハッシュタグだけでは変わらない──BLMは長く地道な活動から生まれた

鎌田 先ほどおっしゃってくれた、コミュニティ・オーガナイジングは一見時間かかるけどそれが大事だというのは、ほんとうにそうです。キング牧師の公民権運動も、10年、20年かけてオーガナイジングしたわけですよね、地道に。

斎藤 そうですね。

鎌田 たまたまキング牧師が若くてスピーチがうまかったから中心的なリーダーになりましたけど、彼の周りにどれだけのオーガナイザーがいたか、どれだけ地道にオーガナイジングしてコツコツみんなを勇気付けてきたか。計り知れない努力があるんですけど、それがなかなか伝わらないなと思いますね。陰には女性のリーダーもたくさんいましたし。

斎藤 そうなんですよね。ローザ・パークスも、ちょっと疲れてて足が痛いから座ったことから運動が始まったみたいに思われちゃうんだけれども、そうじゃなくて実際には何カ月とか1年ぐらいにわたって黒人地位向上協会と計画を練っていったわけですよね。

だから、一見自然発生的に起きたように見える運動で、そこにキング牧師とかローザ・パークス、グレタのように象徴的なリーダーがいたとしても、同時にその運動に向けてすごい勉強をしたり、オーガナイジングをしたり、準備をしたりしている人たちがたくさんいたからこそ、それは起きたんですよね。そういうのなしに、いきなりアクションを起こしても変わらない。

最近、日本でTwitterのハッシュタグデモやオンライン署名が盛り上がってるんです。何もしないよりはいいし、先ほど鎌田さんからご指摘があったように、日本はアクションを起こすことのハードルが異様に高い国なので、まずはTwitterとかを使って自分の意見表明を少しパブリックな場所でするのは重要なんだけれども、それで社会が変わるかというとまた別問題ですよね。

実際に社会を変えていくにはハッシュタグだけでは当然足りないということをしっかり認識しなくてはいけなくて。#blacklivesmatterというハッシュタグだけで社会は動いてるわけじゃない。

特に、ブラック・ライブズ・マターの共同代表であるアリシア・ガーザが書いた『世界を動かす変革の力』を読んで、彼女がいかに今まで幾つものオーガナイジングしてきたか、それを20年近くやってきたこと、社会をどう変えていくかという問題をずっと考えてきたことがわかった。それと時代が合致した瞬間に大きなムーブメントになるし、社会に爪跡を残すような運動になる。

鎌田 そうですね。私もまさに同じ本を読みました。ハッシュタグはムーブメントをつくらない、人がつくる、としきりに言っていて、「そのとおり!」とうなづきながら読みました。

SNSってすごくいい便利なツールだなとは思いますが、コミュニティ・オーガナイジングを研究している人の中で言われているのが、オーガナイジング(organizing)とモビライジング(mobilizing)は違うということです。オーガナイジングは、人とつながりを作ってリーダーを育てていく、組織を広げて育てていくこと。モビライジングはただアクションに動員すること。ハッシュタグやオンラインでの署名、集会に来てくれるとか、デモに来てくれるとかですね。別なんですけど、混同しがちですよね。

オーガナイジングというのは、リーダーを育てて、しかも人とのつながりも育てていかなきゃいけないので、すごい手間も掛かるし、ほんとに大変なんです。

日本で去年、検察庁法の改正に反対するTwitterデモが盛り上がって、一応の成果はあったと思います(注:2020年5月、Twitterで「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグ付きの投稿が数百万件に上り、国会審議が始まっていた同改正案はその後廃案となった)。ただ政府が対応して改正をやめた後に組織が残ったかというと、たぶん残ってないと思うんです。アクションをするためにつながったけれど、将来また同じようなアクションができるかというと、そうではない。

どうしても動員型(の活動)はそこが弱くなる。つながっていく、組織をつくっていく、オーガナイジングしていくという部分がほんとに欠かせないなと常々思いつつ、その大事さをどうやって伝えていくかが、ほんとに難しいなと思ってます。Black Lives Matterもたぶん日本から見るとハッシュタグで盛り上がってる人たちみたいに見える。

斎藤 いろんな所で暴動みたいなのが起きてるイメージになっちゃうわけですよね。自然発生的に、みんながニュースを見て怒り狂って外に出て、警察を解体しろとか声を挙げているように思えてしまうんだけれども。そうではなくて、前回のBlack Lives Matterのときからもずっと継続的な運動がある。運動をどのように持続可能なものにしていくかを考えると、やっぱりオーガナイジングをしていく必要がある。

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必要なのは、小さなリーダーがたくさんいる「リーダーフル」な組織

斎藤 アリシア・ガーザの本が面白いなと僕が思ったのは、このような運動は「リーダーレス」じゃなくて、「リーダーフル」なんだと。つまり、リーダーがいっぱいいるということですね。今までみたいに、例えばマルクス主義ではレーニン、あるいはチェ・ゲバラとか毛沢東みたいな、そういうリーダーは要らないと思うんです。それはあまりにもトップダウンで、抑圧的で、非民主的な問題に直結してしまう可能性が高いわけです。

けれども、その解決策が反対にリーダーが全くいない水平的な組織かというと、それもちょっと違う。日本で主流のイメージはずっとそうだったと思うんです。特に日本ではアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』という本が広く読まれて、「マルチチュード」という概念が、労働者とは違う新しい抵抗の主体として認識されていました。その際、マルチチュードはネットワークみたいなもので、いろいろなところで抵抗して資本主義に亀裂をあけるというイメージです。

でも実際はそうじゃなくて、これからの社会運動は、もっとオーガナイザー的な意味での小さなリーダーがたくさんいる、誰もがリーダーフルな運動になっていかなきゃいけないんだと。だからコミュニティ・オーガナイジングが重要だという話をアリシア・ガーザもしてると思うんですけれども。まさにそういう意味でのリーダーフルな市民みたいなものが、今の日本ではまだまだ少ない。

僕みたいな、特にオーガナイジングとかの活動をせず、ちょっとメディアに出て「この問題はおかしいですよ」といったコメントをするジャーナリストとか、学者みたいな人たちはいる。別にその人たちはその人たちなりの役割があっていいと思うけれども、その人たちの意見だけじゃ社会は変わらなくて。実際にオーガナイジングをして運動をつくっていく社会活動家みたいな人たちを増やしていかない限りは、ジェンダーの話も、気候変動の問題も、格差の問題も、なかなか具体的な変格には結びつかない。

あとは労働組合みたいな旧来の組織も、こうした観点からまだまだアップデートしないといけない。そういう意味でも、労働運動をやってる人たちにも『コミュニティ・オーガナイジング』をぜひ読んで、運動をアップデートしてほしいなと思っています。

鎌田 うん。斎藤さんが学者なのに、コミュニティ・オーガナイジングのことをよく知ってて、しかも社会運動もめちゃめちゃ知ってるので、うれし過ぎて……。

斎藤 なので、『コミュニティ・オーガナイジング』はすごい重要な本だと思います。

鎌田 ありがとうございます。リーダーフルという状態が必要だと思いますし、本の中でも紹介した「スノーフレーク・リーダーシップ」もまさにそのリーダーフルな状態。たくさんのリーダーがいて、その人たちがつながっていくことで運動が広がっていく。

だから、コーチングを大事にしているんですよね。リーダーは指示を与えているだけでは育たないので、質問して自分で考えてもらうことによって育てていこう、ということを大事にしてるんです。けれども日本で私たちがやっていて壁に感じるのが、まず既存のNPOや市民団体にコミュニティ・オーガナイジングのための人を置こうとはならない、人的にも財務的にも資源がないんですよね。

アメリカも全ての組織ではないですが多くのNPOの中にコミュニティ・オーガナイザーというポジションがありますし、コミュニティ・オーガナイジング・ディレクターもいます。ボランティアや会員をオーガナイジングして、アクションできるコミュニティにしていくことを意識的にやっている。日本はその意識がすごく低いので、組織で働く人がコミュニティ・オーガナイジングを学んでも、自分の組織に戻るとできないことが多いんですよね。

だから、コミュニティ・オーガナジングを実践していくのに、どこから手を付けていいのかなって思うことも多くて。比較的うまくいってるのは、何も組織がなくて自分で立ち上げますという人たちですね。ただ最近は、労働組合とか社会福祉協議会などの既存の組織が少しずつ取り入れて、だんだん理解が深まってきているという状況もあるので、日本でもっとコミュニティ・オーガナイジングが広まるといいなと強く感じます。

斎藤 気候変動についても「2050年までに脱炭素化しましょう」というメッセージだと、多くの人たちには、それ何の意味があるの? とか、我慢しろってこと? みたいな話になっちゃうわけですよね。それだけだと運動は広がっていかなくて。このコミュニティ・オーガナイジングの本でも書かれてますけれど、戦略というものを作る、こうしたら変えていけるとか、あなたたちの関心がある問題を解決する話ですよというふうに落としていかないといけない。

さらに、大きな理念だけでは駄目で。例えば、「バスが減っちゃって困ってるのよね」みたいな話から、「公共交通機関を増やしていくほうがマイカーに頼る生活よりも環境にも優しいですよね」みたいな話につなげるとか。そういう形で、人々の日々の小さな不満とか不便さとか、直面している差別とか不平等から出発しつつ大きな話につなげていくということを私たちもしなきゃいけない。

僕が本の中で示した例として、バルセロナは、市民の家賃の問題や、車が多過ぎることでの大気汚染の問題から始めて、もっと公正な社会をつくろう、持続可能な社会に転換していこう、という話に結びつけることで、非常に大胆な気候変動対策もできているし、平等な社会をつくっていくことができている街だなと感じています。でもそれも地域にあるいろんな協同組合とか労働組合、環境運動団体とかが密接に結びついてやってる成果なんですよね。一方で、いきなり国政でやろうとしたポデモス(スペインの左派政党)は失敗した。

そういう認識が日本でも広がらないと、どうしても技術で解決しようって話になったり、政治家だけに大胆なアクションを求める運動で終わっちゃったり、あるいはきれい事を訴える、理念だけで終わってしまう危険性があると思うので。僕の結論はいつも同じです。とにかく今、コミュニティ・オーガナイジングが求められている。

鎌田 ありがとうございます。リーダーというか、今まで社会運動を引っ張ってきた人が、認識を変える必要があります。いつものやり方でやるのではない、人が参加してみたい、と思う方法を考えてみる。そして、参加してくれた人をリクルートし、地道にたくさんのリーダーを育てること、人との繋がりで運動を作っていくことです。

あと、日本では「私なんかが参加しても意味がない、無駄だ」と思ってる人が多いと思うんです。けれども、この本をアクティブ・ブック・ダイアローグ(ABD)という手法で読む読書会をしたとき、参加者の中に「私が(社会運動に)参加しても意味がないと思ってたけど、この本を読んで、参加することに意味があるんだってことが分かりました」と言ってくれた人がいて。すごくうれしいと思ったし、本を出したかった一つの理由がそれだったなと。

1人いるだけで力になる。デモでもミーティングでも、何の場でも、1人そこに人が来てくれるだけで力がすごく増えると思うので。そういう大事さがもっと広く人に伝わってほしいなと思います。

誰かに頼るのではなく、自分たちの力を発揮して変えることが大事

斎藤 もう一つ僕がこの本をいいなと思ったのが、小学生たちが結構ラジカルなんですよね。

鎌田 ラジカルですね(笑)。

斎藤 普通の子どもたちは、アクション起こしましょうというところまでは行けても、どうするかと言ったら、親に言うとか、校長先生に言うとかで終わっちゃう。で、先生が「そうは言っても教頭先生もいろいろ考えてるのよ」と話して終わる。あるいはPTAとかに変えてもらう。そんな感じだと思うんです。

でも、この本で書かれているように、それは結局、別の大人、教頭先生という大人からPTAや校長先生という別の大人におもねるようなやり方ですよね。1人の権力者に抵抗するために校長や親という別の権力者を持ってくる。それは自分たちの良さを生かしてないとか、ある意味で既存の構造を温存してるということが(この本には)書かれている。それで子供たちは気が付いて、じゃあストライキみたいな話、テストをボイコットしようという話になるわけですよね。

これは非常にラジカルだけれども重要で。自分たちが力を持ってるんだということに気が付いて、あるいは自分たちが何かできるというエンパワメントの経験を通じて、実際にアクションを起こして権力関係を変えていくということですよね。

実際、テストという制度があるんだけれども、もしみんなが回答しなかったらテスト自体が成り立たないので制度が崩壊するという意味では、確かに小学生の側に非常に力があるわけで、それを行使して変えていくというのは非常に面白いなと思っていて。というのも、今グレタたちがやってることって、まさに学校ストライキなわけですよ。

鎌田 うん。

斎藤 だけど今、日本では「学校ストライキ」って言葉は使わないんですよね。「気候マーチ」とかいうふうに言葉を変えていて。それはストライキという言葉が持ってるイメージが良くないから。過激なイメージとか、何となく環境問題に関心を持ってる子たちをびびらせちゃうというか、左翼っぽい感じだなと思わせちゃうことに対する懸念で、翻訳の過程でそういうふうになってる。

でも、子どもたちが政治家にかわいくアピールして、小泉大臣が分かった分かったと言って変えてくれる、ということを目指すのでは駄目なわけですよね。もっと自分たちが持っている力をどう使って変えていくかが大事で。それを使うためにラジカルな手段に訴えるというところに、多くの読者はびっくりしたんじゃないかなと思うんですよね。

鎌田 そうですね。そこを気に入ってくださってすごくうれしいです。こだわったところなんですよね。小学生がこんなラジカルなことをする話は反対されるかなと。PTAとかいろんなところからクレームが来るんじゃないかとか、いろいろ心配はあったんですけれども、私は既存の権力構造におもねるようなやり方はちょっと違うし、それは根本的に変えていくことにならないと思ったので、違うようにしたかったんですよね。

ただ、日本で「気候マーチ」になっちゃってるというお話がありましたけれども、日本の文脈・文化の中だと、どうしても(社会運動には)過激なことを想起させるものがあって、まだ塗り替えられてない。1970年代に一部の人が過激化してしまったことが残ってるし、当時生まれていなかった今の若い子でもそういうイメージを持ってますよね。

フラワーデモとかを研究して思ったのは、やってることはすごくラジカルなんですよ。花を持ってみんなで駅前に集まるって、一見ラジカルじゃないですよね。優しく見えるんですけど、事前の調整も何もなく、参加した人が自主的に進み出て、みんなの前で自分が誰にも話してなかった性暴力の体験を言うということをやっているんです。それを参加者がじっと聞いてサポートする。フェミニズムの運動のどこを見ても、それをコンスタントに全国でやってる運動なんておそらくどこにもない。

そういう運動を日本の中で生み出していけばいいんじゃないかなと思っています。一見ちょっとおとなしく見えるけど、すごくラジカル。「クワイエット・ラジカル」と呼ぼうかなと思ってるんですけど。

斎藤 うん。若い子たちは、思ったよりそういうものへの抵抗が、かつての世代よりはなくなってますよね。社会主義とか学生運動の記憶がもうほとんどないし、名前でさえも知らない。学生も、マルクスって誰ですか、ソ連って何ですか、みたいな感覚になってきている。その一方で、もちろんみんなじゃないですけれども、こういう社会は結構しんどいなとか、環境問題さすがにやばいなと感じている子たちもいる。ラジカルな運動や、マルクスを含めて社会自体を変えていこうという発想に、彼らが関心を示す可能性はあると思うんですよね。

ただ、そうは言っても、いきなり非常にラジカルなことをやるのは、行動するコストのほうが勝ってしまう可能性がある。なので、その道をどうやって敷いていくかを、まずオーガナイザーや組織の側が考えてキャンペーンを作っていくことが有効だと思うんですけれども、今の日本だと、政治家にロビイングをして訴えれば変わるとか、選挙で野党が勝てば社会は良くなるというような期待、もはや願望に近いものが支配的になってしまっている。

その中で、いや、そうじゃないんだよと。もっと自分たちの力を発揮して、社会を変えていかなければいけないんだよというメッセージが、僕はこの本の中でほんとに一番いいと思うし、意外にそういうこと言ってる人はいないんじゃないかなと思う。

こういう法律で変わる、こういう制度をつくれば変わるみたいな話は結構あるんですけども、そうじゃなくて、市民の一人ひとりが当事者として動いていくことが一番重要なんだというメッセージは、僕もずっと言ってきたんですけれどもまだまだマイノリティだったので。もちろん、私の言い方も抽象的なところがあったので、こうして具体的にコミュニティ・オーガナイジングの活動をされてる方たちがいたというのは、僕自身も非常に学びが多かったです。

鎌田 ありがとうございます。すごくうれしいです。

大きすぎる問題に対してどう動いていけばいいのか

鎌田 斎藤さんが提示してくれたビジョンに向かっていくために、どんな活動が増えていくといいなと思ってますか。

斎藤 ナオミ・クラインとかもよく批判してますけど、日本の団体に限らず旧来の大きい環境NGOって結局は寄付金集めみたいなことばかりしていて、しかも裏では政治家や石油会社と手を握るようなことをずっとやってきて、言わば彼ら自身が既得権益団体みたいになってしまっている。すぐ寄付を集めるんだけど、そのお金のほとんどはキャンペーンに使われていて、実際に社会を変えるためには使われない。だけどキャンペーンが大きいので、みんなついつい寄付してしまう。

僕はそういうのをアヘンと呼んでるんです。多くの人は、「私は1万円寄付したから、この問題に対して何かをしたんだ」と思う。これは完全に免罪符ですよね。1万円でお札を買ってるのと変わらない。しかもその1万円がまた別のキャンペーンに使われていく。こういう構造は非常に問題です。要するにオーガナイジングが全くないですよね。

そういう運動に対する批判が、いろいろなところで出てきています。環境問題もそうだし、Black Lives Matterもそうだし。大きな団体のリーダーたちがトップダウン型でやっていくのではなくて、むしろそういうのを拒絶して、自分たちで社会を変えていく、一人ひとりが立ち上がっていくという形に運動の在り方が大きく転換しているのが、この10年ぐらいだと思うんです。

日本でももっとそういう形に転換していくことを考えるとき、どこからできるかと言うと、地方自治体かなという気はしています。

鎌田 うん。

斎藤 バルセロナなどの例を見習いながら、自分たちの街でもっと持続可能なまちづくりをしていこうと。地域電力をつくろうとか、もっとカーシェアリングを増やしていこうとか。そうした試みが地方では出てきやすいし、地方自治体の政治家ならそういう問題に耳を傾けてくれる余地もあるし、気候変動という問題を自分たちの生活に直結する形に落としやすいと思うんですよね。

いきなり国の問題として考えるとどうしても話が大きくなり過ぎるので。自分たちの自治体で気候非常事態宣言というものを、言わばボトムアップ型に出していく。鎌田さんの本の中に成人式の事例がありましたけれども、地域で成人式の時期を変えたように、自分たちの街で気候非常事態宣言的なものを出していくような若者たちの運動が出てくるといいんじゃないですかね。

鎌田 そうですね、確かに。気候変動の問題に取り組んでる人たちや環境NGOの人たちにもコミュニティ・オーガナイジングをよく伝えるんですけど、すごく問題が大きいので、どこを目標に設定したらいいか分からないという難しさがあるんですよね。

でも、成果が見えにくいということもある中で、地方自治体レベルから取り組んでいくのは大事だなと。先ほどの、バスが来なくて困ってると言うおばあさんがいるとして、それはマイカーが増えた結果だから、もっとみんなでカーシェアをしたりバスなどの公共交通機関の利用を増やしたりしようという話とかは、取り組みやすいことの例ですよね。

なので、コミュニティ・オーガナイジングの戦略を立てるときには必ず1年か2年ぐらいで達成できるようなゴールを立てましょうと言っています。そうじゃないと疲れてしまいますし、多くの人が参加できなくなってしまうので。そこはすごく大事にしています。

斎藤 2050年あるいは2100年までかけて、経済成長を最優先にしてそのために人間も自然も徹底的に収奪するような社会の在り方から、社会全体の仕組みをもっとスローダウンしていくことで、別の豊かさ、僕は「ラジカルな潤沢さ」と呼んでますけど、それを取り戻すような社会に変わっていこうと。これもすごく長いスパンの話なわけですよね。

大きなビジョンがないと、小さな運動もどこに向かっていいか分からずその場その場で右に行ったり左に行ったりしちゃう。他方で大きな話だけだと、それで何したらいいんだよ、50年後のことなんて俺らには何もできないじゃないか、というような無力感とか疲弊感、徒労感みたいなものにとらわれてしまう。バランスが必要だと思っています。今はとにかく大きな話も小さな話も少な過ぎるんです。大きな話も小さな話も、もっともっと出てきていい。

鎌田 確かに。

社会運動への参加のハードルを下げるには

斎藤 でも、そのさらに前の段階として、まずはやっぱり「今の社会、おかしいよね」と言うことのハードルを下げることも重要だなと思っています。

プロセスとしては数段階あって、最初は「今の社会おかしいよね」と言った人の声が大きくなる。だけど具体的な要求がないとうまくいかないという、ある種の失敗の経験をして、それ踏まえて、要求をつくっていかなきゃいけないんだと気が付く。そうすると、オーガナイジングや勉強会がもっと重要だと思われるようになる。そういうステップ・バイ・ステップだと思うんです。

今はやっと、ハッシュタグとかでNOと言っていいんだという機運が少し出てきている段階。でも、さっき鎌田さんがおっしゃったように、1回出てきても、それだけでは持続しないと思うんですね。日本でもこの10年ぐらい、SEALDsとか、反原発運動とか再稼働反対とか、自衛隊関連の緊急事態法案反対とか、そういうNOは出てきたけれども、シングルイシューで終わってしまったり、持続的な組織化ができてない状況。その反省を踏まえる段階に僕たちはきている。

鎌田 段階があるというのは私もそうだなと思います。フラワーデモの参加者にインタビューをしていても思ったことですが、デモに参加するには政治のことをよく知ってなきゃいけないとか、意見をしっかり持ってないといけないと思ってる人が多いんですよね。アメリカやヨーロッパで、政治のことに詳しくないとデモに参加しちゃいけないと思っている人なんていないと思う。日本でそういうハードルが下がっていくことがまず大事だなと思います。

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あともう一つ、日本特有かは分からないですけど固有の課題としては、今までの左派というか、組織を嫌がってる人たちが多いんですよね。無理やり運動に組み込まれてしまう感じがあるようで。昔のいわゆる「オルグ」のイメージなのかわからないけれども。

斎藤 オルグ。

鎌田 はい。何かよく知らないけど「仲間だよな?」みたいな形で無理やり毎週参加させられるとか、絶対に会費を払わなきゃいけないとか、抜け出せない組織というイメージ。若い人にはあまりいないんですが、40代とか50代にはそういう意識を持ってる人がすごく多いなと。「だから私は組織に入りたくないんです」と明確に言う人も多いと思います。

ただ、組織がないと運動は続いていかないので。緩やかに、柔らかくつながっていける組織というか……1回入ったら抜けられないんじゃなくて、人生のステージによっては子育てが忙しくてできないときもあるし、就職したてで忙しいときもある、だから抜けてもよくて、出入り自由で、ほかの団体に行っても大丈夫、という組織でないと。

斎藤 たいへん興味深いんですけど、コミュニティ・オーガナイジングは「オルグ」ではないんですか。

鎌田 「オルグ」という言葉がすごく偏った意味、例えば何らかの「組織」が無理やり人を巻き込むような意味で使われてることもあるので、気を付けたほうがいいなと思って。

斎藤 どういうイメージで捉えたらいいですかね。もうちょっと緩やかな感じですか。

鎌田 そうですね。コミュニティ・オーガナイジングのやり方は色々とありますけど、一番大事なのは価値観でつながっていくこと。例えば斎藤さんが提示してくれたような、みんなで共有するような、共助するような社会をつくりたいよね、というのが、大きな価値観だと思うんですよね。そういうものをベースにつながっていくことを大事にしている。また、その人の主体性を育むことを大事にしていて、最終的に行動するかかどうかは、その人が選択する。なので、無理やり巻き込む運動の作り方と違います。

あと難しいのは、「運動」と「組織」は違うと思うんですよね、ある意味。一緒なんですけど違うと思うので。そこをどう考えるかが、私もまだそこまで整理できてないですし、やってる側も見えてないところもあるんじゃないかなと思います。

斎藤 なるほど。僕もまさにオルグ的なものへの拒絶感に直面することが多いんですよね。そういうことに対するイメージが非常に悪い。実際に日本のFridays For Futureとかでも、オルグ的な組織ではないですよということを非常に強調するし、そういう代表やリーダーはいませんと言うんです。

ただそれは、オーガナイザーと言われるような人がいないということではないし、ある種の組織化やオルグ的な要素も必要にはなってくるので。オーガナイジングは、Fridays For FutureやSEALDsみたいな団体でも必要なんですよね。

何か分裂しちゃうんですよね。新しい運動には、「労働組合の人は入ってこないでください」というような分断があって。それは一面では正しい。労働組合みたいな人たちが入ってきてもしょうがないので、入ってくるなと言いたい気持ちも分かるんだけども、他方でオーガナイジングというものを否定してしまったら活動自体が長続きしないので。僕は専門じゃないけど、そのあたりの言語化はすごく必要なんだろうなという気はしています。

鎌田 そうですね。私も今、これをどうやって乗り越えていけばいいんだろうと。まさに研究しなきゃなと思っているんですけれども。

斎藤 オルグのイメージがやっぱり悪いですからね。

鎌田 悪いんですよ、ほんとに。でも必要なんですよね、組織をつくっていくのは。

斎藤 そうそう。

ノームを持たないと、既存の構造や力関係が再現されてしまう

鎌田 コミュニティ・オーガナイジングでも言っているのは、「リーダーシップチームを作ろう」ということです。「リーダーを作ろう」とは言ってなくて、リーダーシップチーム。チームとして機能する範囲の人数で、それぞれがリーダーで、それぞれが役割を持っていて、チームとして動いていこうと。さっきのリーダーフルという表現に近いかもしれないですけど。

リーダーシップチームを強調する形を作ったのは、私の師匠でもあるマーシャル・ガンツというハーバードで教えている人です。自分が活動家だったときに、シーザー・チャベスという西海岸ですごく有名な農場労働者のオーガナイザーとコミュニティ・オーガナイジングをして、多くの労働者リーダーを育て、農場の労働条件を改善し大成功したんです。しかし、成功が重なるにつれ、チャベスが1人のカリスマリーダーっぽくなって、組織がだんだんおかしくなっていったらしいんですよね。うまくいってたときは、チャベスだけじゃなくていろんな人たちのリーダーシップがあって、お互いがお互いに責任を持ってやっていたと。

だから、やっぱり誰か1人がリーダーとして突出するんじゃなくて、リーダーシップチームとして機能するのが、持続可能ないい運動になるんじゃないか、ということを伝えたいなと思います。

一方、オキュパイ・ウォールストリートは、組織をつくらない、リーダーレスな運動だと言われてたんですけれども、そこで何が起きるかというと、社会の支配的な構造がそのまま運動の中に持ち込まれちゃうんですよね。論文にも書かれているんですが、例えばオキュパイの会議に行くと、白人男性ばかりが話しているとか。ジェンダー平等のテーマで話す機会だったのに、なぜかパネリストが白人男性ばかりみたいな。差別も横行してた。決まりがないと、非公式の決まりがどんどん決まりを作っていっちゃうんです。

だから、若い人の声を尊重したいとか、女性の声を大事にしたいとか、マイノリティの声を大事にしたいというような運動をつくるうえで、組織はすごく大事なんですよね。みんなで納得できるルールをちゃんと作って、「ノーム」と呼んでるんですけど、それをみんなで守っていく。それが組織の文化をつくっていくので。行動が大事ですね。

斎藤 面白いですね。確かにノームをしっかりと作っていくことですね。それはそうだな。

鎌田 何もないと、要は声の大きい人の意見が通っちゃうわけですよね。日本の田舎とかそうだと思うんですけれども、物理的に一番声が大きい人の声で決まると聞くので。

斎藤 そうか。そういうのをどう作っていくかをしっかりと勉強したりしてやっていくのが、リーダーフルな人たちというイメージですかね。

鎌田 そうですね。水平な関係の組織をつくっていくことは、お互いのことをよく知ってないとできないと思います。人間的なつながりができると上下関係は要らないじゃないですか。同じ想いを持ってるんだと思えば命令関係なんて要らないので。そういう関係をまず作れる力、本では関係構築の章で詳しく説明してるんですけど、そういうスキルがすごく大事だと思います。その前提があった上で、ノームや決まり事を作って、水平に展開できるチームを作っていく。

斎藤 これは自己批判でもありますが、確かに日本ではNPOやNGOでも、男性の、しかも年上の人が決めていっちゃう。まぁ、これはガーザもこの本で、アメリカの運動もそうだと書いてましたけど。いろんなメインの仕事をやってるのは女性なのに、表に立つのは男性だ、という記述があって。日本から見ていると非常に進んでいて、いろんなプログレッシブな価値観や運動があるように見えるアメリカでもそうだということで、普遍的な構造なんですね。

そういうところをしっかりと変えていくような運動にしない限りは、また別の形での分断をつくってしまう。結局(SDGsの考え方とされる)「誰も取り残さない」ということは、徹底した批判なしには無理だということですよね。

革命について、昔は資本家が労働者をいじめてたけど、革命が起きると今度は資本家たちが徹底的にたたかれる、というような、逆転やリベンジみたいなイメージが一般的にあると思うんです。鎌田さんの本の例でいうと、教頭先生のルールを撤回させて、今度は先生のことを無視するような。でもそうじゃなくて。新たに生まれてくる社会は別に教頭先生が奴隷になる社会じゃなくて。むしろ新しいパワーバランスの中で、場合によってはもっと豊かな社会になるかもしれない。教頭先生もそれまではストレスを感じていて小学生たちにきつく当たっていたのが、ストレスから解放されて、子どもたちと気軽に触れ合えるようになったり。小学生の側も、もっと勉強しようと自発的に思うようになったり。

力関係を変えるというのは、ひっくり返すこととはまた違って、新しい豊かさとか、楽しさとか、そういうものをつくり出すきっかけになるんだということが重要で。社会運動の中で僕らが、先ほどの男性性への反省とか、積極的にそういう課題に取り組んでいくのは非常に重要だし、そこから見えてくる新しい可能性はたくさんあるんだと気付けば、むしろそこを反省することは恐れることでもないんじゃないかなと思ってます。

大きな運動をつくっていくために

鎌田 日本では、運動してる人や活動してる人で、何かをぶっつぶしたいと思っている人はそんなにいないというか、そこまで思ってないと思います。アメリカでは、社会運動やNPOに関わっていると、特定の人や団体を指して悪だって言うんですよね。彼らは悪だ、どうやっても善にならない、と。二元論としてはっきりしてると思うんです。キリスト教で神は絶対的な善の存在、それに対して悪がある。

日本がこれから社会運動で世界に貢献できるんじゃないかなと思うのがここなんです。日本の神道では、神様が見守るだけじゃなくて、いたずらや悪さしたり、変化しますよね。状況に応じて神様はあり方を変えるし、私達が神様とちゃんと関係性をつくってないと、おかしくなることがある、という絶対なものがないという考えです。だから例えば、教育委員会からのプレッシャーやストレスで教頭先生がちょっと厳しくなってたというように、状況によって人は変わる。二元論じゃなくて、「絶対的に悪な人はいないんだ」という認識が、結構大事なんじゃないかなと思うんです。

手放すことによって、新しい世界をつくれるようになるんだということも。斎藤さんの言うように、資本主義というのは希少性を大事にしてる。希少性を持ってる人はそれを手放したくないだろうなと思うんですよね。どうやったら手放せるようになるんだろうと考えると、それを手放したところでおかしくならないし、つぶされないし、むしろあなた自身にとっても良くなるんだという世界を示していくことが、すごく大事なんだろうなと、今お話を聞いてて思いました。私も、どうやったら説得できるんだろうと思ってたんですけれども。

斎藤 ええ。

鎌田 今のものをつぶすんじゃなくて、新しい世界をつくっていく、というふうに見せることって大事だなと思いましたね。

斎藤 魅力的なビジョンを出すことで、今の自分の立場とか党派性を超えるような大きな運動をつくっていきたいですよね。

左派リベラルの中でよくあるのが、個々の問題についてどう思うのかを踏み絵のようにして、一つの点でも意見が違ったらバッシングするわけですけれども、そこで分断していると相手の思うがままというか。そうしてる間に共和党とかがどんどんQアノンみたいなのを増やしていく。それだと社会はいい方向にならないので。

やっぱり、99%がみんなでいい社会をつくっていけるように、いろんなイシューを超えたビジョンを出していく必要があって。そこでやっと政治の話になってくると思うんですよね。

僕は『人新世の「資本論」』の中ではほとんど選挙や国の話はしてないですけど、それは重要じゃないということではなくて、重要ですけれども、みんなそこに意識が行き過ぎているから。僕が示したかったのは、オーガナイジングからスタートして、大きな運動をつくって、その結果として選挙で勝つんだということ。だから、選挙で勝つためにも下から始めていかなきゃいけない。ある種の逆説みたいな、一つのジレンマなんですけどね。

気候変動とかでどんどんタイムリミットが迫ってくると思うと、僕たちはトップダウン型のガラガラポンに賭けてしまいがちになる。そういうある種の誘惑を断ち切り、社会を本当にいい方向に変えていくためには、みんなが主体的にアクションを起こすような運動をやっていくしかないんですよね。

鎌田 ほんとそうですね。急がば回れで、時間がないときこそ大事なことをしっかりやることの効果が最後に出てくるので。そこは伝えたいなって思います。先ほど言われたように、組織とか運動が互いにつながっていくこと、例えばジェンダーの問題と環境問題とか労働問題とかがつながっていくのが大事だなと思うんですけど、2つポイントがあるかなと。

1つは、ジェンダーにしても、環境にしても、その団体の人たち自身が、問題に関心を持ってくれた人たちをしっかりオーガナイジングしていくのが大事ですよね。そこが欠けてるとどうにもならない。

2つ目はアメリカではよく市民団体の連合体というものをつくるんです。ある団体の掲げるポリシー全部に合意するから一緒に全部やる、ではなくて、この1つのポリシーやイシューに合意するから、例えば50の団体と一緒に1つのイシューについて連携する。それは日本の社会運動団体も見習うべきだと思うんですよね。

ただ、アメリカでもオーガナイジングに力を入れてない団体も結構多いので。弱い団体がつながって連合体をつくることが起きています。そうするとあまり強くない連合体が出来上がる。それはあまり意味がなくて。各団体がしっかりオーガナイジングして、その人たちがさらにつながっていくのがとても大事。それをもっと伝えられたらなと思いました。

斎藤 各分野の人が、まず環境問題やジェンダーの問題など1個1個についてしっかりオーガナイズしないと、力にならないということですね。

鎌田 そうなんですよね。

斎藤 緩くてもいいから関心のある組織に関わっていく、ということですよね。日本では、まだまだ「そういう運動をするためにどうしたらいいですか」とよく聞かれるのですが、もっと探してみてくださいと。あなたの周りにもそういうことに取り組んでいる組織があるかもしれないし、地元になくても環境団体と環境NGOとかはたくさんある。最近はオンラインでいろんな交流会やイベントもあるから参加してみるのも一つの手だし、時間がなければ寄付から始める手もあるし。いろんな形でアクションを起こしていける可能性があります。

まず一歩を踏み出して、それが合わなければまた別のところに顔を出せばいい。1つ参加したら絶対戻れないというわけじゃないので。とにかく今はハードルが高過ぎるのが問題なので、まず1歩をぜひ踏み出してほしいなと思います。逆に活動をしてる側も、もっと緩く関われるようなオプションを作ることは必要。先ほどおっしゃったオーガナイジングとモビライジングは違うというのは、非常に示唆的な視点かなと思いました。

鎌田 そうですね。ちゃんとオーガナイジングをやっていこうとするボランティア団体は、はしごをつくるんです。参加のはしごと呼んでるんですけど、最初は「寄付する」とか「ニュースレターを講読する」とか、すごく受け身なアクション。その一歩先に「その団体で企画するイベントやアクションに参加してもらう」があり、次は「組織のミーティングに来る」だったりします。次の段階は、そのミーティングやアクションの中で、小さいチームのリーダーになってもらう。だんだんステップアップして、その人を成長させて、リーダーとして育てていく。

リーダーフルにするために、そういう段階を作っていくのがすごく大事なんですけれども、その大事さがなかなか分からないので、目の前のことだけ一生懸命やって、人を育てることがどうしてもおざなりになっちゃうんですよね。時間もかかりますし。だから、もっとその大事さを伝えていく必要があるなと思いつつ、参加のはしごをたくさん作れる団体が出てくると、いろんな方たちが参加しやすくなるだろうなと思います。

斎藤 たくさんやることがありますね。

鎌田 ありますね。

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学校でも職場でも、小さくても「変える経験」が大事

鎌田 少し方向が違う質問をしてもいいですか。

斎藤 はい、もしあれば。

鎌田 日本のアカデミアとNPO、社会運動との関係性をどう見てますか。私自身あまりわかっていないんですけれども。

斎藤 かつてはマルクス研究とかをしている教員の方がかなり多かったので、社会運動とかにコミットしている先生たちも、少なくとも僕が知っている周りではたくさんいたんですよね。ただ、それが団塊の世代なので、みんな今は定年になってしまって。その下の世代は、全共闘とかを経験した世代の人たちに対するある種の反発みたいなものを感じていたところがあると思うんですよね。学問に政治を持ち込み過ぎてるとか、大学をオルグの場所だと勘違いしてるとか。そういうことへの反発とか反省、批判みたいなものがあった。

その下の世代は、ソ連の崩壊とかにも若いころに直面しているので、政治的なことに対するコミットメントより、ジャーナルで発表することのほうが本来の自分たちの仕事だというスタンスの人が多いかなという気はします。特に経済学部とかは。

ただ、業績とか採用の基準がそういう考えになっていくと、社会運動的なものにコミットメントする人たちがポストを得にくくなったり、就職したいならそういう研究テーマは避けてもっと就職しやすいテーマにしようと考える人たちも出てきてしまうので。社会、学問の世界全体が保守化しているという傾向は、なきにしもあらずだと思います。

他方でアメリカを見ていると、ポストコロニアル・スタディーズとかフェミニズムとか、エンバイオメンタル・スタディーズとか、なんとかスタディーズみたいな学問は一つの運動でもあるわけです。学問であるだけでなくて、今まで周辺化されたり見逃されたりしてきたもの、抑圧されてきたもの、言わば抑圧とか搾取みたいなものを暴いていって、既存の学問の背景を揺るがしていく一つの大きなムーブメントなんだという価値観がある。

そういうのは必然的に半分社会運動でもあるので、闘争性を感じますよね。アメリカはそういう気概みたいなものが非常に強い国だなと思います。

鎌田 アメリカもジャーナル文化ではあるんですけれども……。

斎藤 経済学とかはすごくジャーナル文化なのでそういうのはほとんどないですけど、経済学の外に目を向けると、異端派的なアプローチを使って脱成長のことを研究しているような、批判性を持っている人たちがいたりする。それは非常に興味深いし、日本も、かつての世代が失敗したという事情はありますけど、今の日本の状況を考えると、もっともっとアカデミアの人たちも社会運動と連携していく必要があるし、意識的にやっていきたいなと思っています。

鎌田 それを聞けてうれしいです。私も博士課程に行きたいと思った一つの理由が、アカデミアのリソースが社会運動の貴重な資源になると思ったからなんです。問題を社会問題化するとき、アカデミックなリサーチがあると説得力が増すじゃないですか。そのように連携できることがいっぱいあると思いましたし、どうやったら効果的な社会運動ができるかについても、研究が役立てられると思うんです。

一番やりたいことは、日本に戻って日本の大学でコミュニティ・オーガナイジングを教えることです。キャンパスで何か変化を起こすようなアクションを起こしてもらって、若いうちに、自分が変えられた、小さくても何かできた、という経験をすることが大事だなとこの活動をしていて思うので。例えば本でも書きましたけど、私自身も学食の食器をリサイクルできるものに替えたりとか、やりました。そんな小さいことでいいので取り組んでもらえたらいいなと。ただ、大学が政治的なものに距離を置く、政治活動的な匂いがするものは全然取り扱ってくれないという話も聞くので、就職先あるかなと思いつつ。

斎藤 そうなんです。今おっしゃったことは非常に重要で、1回何かを変えられたという経験が今の日本人にはほとんどなくて、そういう伝統もない。逆に、小さな経験であっても、人生の早い段階で何かアクションを起こして変えられたという経験があれば、それがまた別のアクションに向けた経験値になっていくし、どんどん可能性が広がっていくと思います。

日本の教育ってどうしても受け身で、テストの点さえ取っていればいいとなってしまう。ルールを変えることに時間を使うよりも英単語1個覚えたほうがいいと。アメリカでは実際に何かを自分たちで変えていくことを、大学の授業で、ハーバードのようなところでも教えている。それが非常に面白くて。その経験が今のアメリカのダイナミクスにもつながってるというのは非常に重要ですよね。

とにかく経験していくことで新しい可能性が広がってくるから、ほんとに小さなことでも、ぜひそれを皆さんにも体験してほしいなと思いますよね。

鎌田 そう思いますね。小さなことが積もって大きく変わっていったりもするので。

斎藤 それがないと、どうしても、選挙で変えるという発想になっちゃう。私たちが意見を表明できる場が選挙に矮小化されていってしまうんだけれども、民主主義は本来投票だけではないわけで。キャンパスにおける民主主義を追求したっていいし、職場における民主主義も重要です。選挙以外のところのほうが私たちの生活に密着した重要な民主主義の場なんだけれども、その場が失われてしまっているか、みんな気が付かないでいるので、そこに気が付くと大きく変わるかもしれません。

選挙で何か大きなことを期待するよりも、自分たちの職場で民主主義をつくるほうが非常に重要です。例えば日本では、外国人労働者とか技能実習生とかに対する差別的な扱いが、いろんなレベルであるわけですよね。

鎌田 うん。

斎藤 滞在許可のレベルもだけど、職場での仕事の偏った割り当てとか、日本語が分からないからばかにされるとか、賃金差別とか。それに対して、政治レベルでの対策を求めることももちろん必要だけれども、個々の職場でしっかり差別を禁止する、差別をした場合は罰則を与えるというようなルールを作れば、彼らが日常の中で差別的な扱いに接する確率はすごく減るわけですよね。それを作るために必ずしも国のルールは要らない。

逆に政治レベルでいくらヘイトスピーチを禁止するというような条例とかができたところで、職場での差別は全然なくならなかったりするわけです。だから職場での民主主義というか、職場で平等をつくるための、鎌田さんの言葉を使えばノームを作っていくほうが、自分たちが主体となって取り組むこともできるし、実質的な効果も高いルールが作れる。

やっぱり民主主義というものをもっと身近なものとして捉えて、自分たちで変えていくという視点を持つことがほんとに重要だなと思っています。

鎌田 ほんとですね。職場での意思決定に参加できる度合いが高まるとその人の政治参加も高まるということを言っている政治学者がいました。1日の中で一番長い時間を過ごしてる場所が民主的だったら、すごくエンパワメントになりますよね。

斎藤 そうそう。われわれが奴隷状態だから奴隷になりきってるんですけど、そこを変えていくのは重要だし、一番やりやすい場所でもあるんじゃないかなという気はしています。

鎌田 ほんとですね。あと、選挙も、私たちの力で当選させた候補者だったら、候補者も当選させてくれた人の意見を聞かざるを得なくなる。そういう形で当選する人たちをもっと生み出すのは、すごく大事だろうなと思いますね。実際に、保守の方ではそういうことが起きてるわけですよね。日本会議だとかが力を持って自民党議員を当選させて、自分たちのアジェンダを推進させているわけで。逆にリベラルはそういうことがうまくできてない。

斎藤 保守のオーガナイジングのほうがすごいわけです。僕は今大阪にいるんですけど、維新の会は地元に密着していろんなところに顔を出して、不満とか悩みを聞いて、それを汲み上げてアピールするという循環をしているので。そこをやらない限りは、いくらリベラル左派が理念として何かいいことを言っても、なかなか社会は動いていかない。

「リベラルの限界」みたいな話は、理念を言うことの限界だと誤解されるんですけど、そうではなく運動なき理念の限界だと思っていて。理念には別に何の問題もないわけです。ただそれを実際に実現していくためには、社会運動が絶対に必要ということですよね。

鎌田 うん。理念を持っている人たちと連携しながら作っていけるといいなと思います。

資本主義を前提とせずに世界を見ると、10年先が違ってくる

鎌田 もう一つだけ聞いてもいいですか。

斎藤 はい。

鎌田 斎藤さんが大学生の時に、格差に興味を持ったきっかけはどんなことだったんですか。

斎藤 僕自身は東京で育って中高一貫校に行ったので、経済的に苦しかったことはないんですけれども、いろいろ勉強していく中で、日本は豊かだと思っていたけれども非正規雇用の人たちがたくさんいるとか、実は非常に不平等な形で分配されていると知ったし、たまたま自分はラッキーなだけだったんだなと。そういうことに反省したというのもあります。

実体験として大きかったのは、ハリケーン・カトリーナの後でアメリカにボランティアに行ったときのことです。だいぶ時間が経ってたにもかかわらず、まだ家がない人たちが大勢いて、それはだいたいカラーの人たち(有色人種)で。僕らが家を建てるんです。何の技能もない人々が造った家なんて絶対住みたくないと思うんですけど、そういうことに頼らざるを得ない。これはひどい格差だなと思った。

もう一つはウェズリアン大学の地元で、スープキッチンみたいな炊き出しのボランティアをしたことです。大学自体はみんなお金持ちで非常に豊かな大学ですけれども、一歩街に出て炊き出しとかをやると、キャンパスでは見ないような非常に貧しい人たちが大勢いて。彼らは僕を見たらブルース・リーと言ったり、そういう感じの人たちなんですよね。歯がなくて何を言ってるかもよく分からなかったり。

アメリカの大学のキャンパスでいろんな子たちが多様性を語っているような世界と、一歩踏み出して、一歩と言ってもせいぜい1キロぐらい先のメインストリートに行って炊き出しをすると、全く違う世界が広がっているという状況。それはやっぱり明らかにおかしいというか、こういう問題を無視したままマイノリティの権利とか多様性とか言っていても、もちろん理念としては大事なんだけれども、社会の構造を変えていかないといけないんじゃないかと。それで格差問題に強い関心を持つようになったという感じですかね。

鎌田 そうなんですね。アメリカでの体験が結構大きかったですか。

斎藤 そうですね。日本でも非正規雇用とかの人はたくさんいてこれだけ格差が広まっていると勉強したときは結構衝撃を受けたので、前からマルクスに興味はあったんですけれども、アメリカに行ってより大きな格差に触れたことで、しかもアメリカほど豊かな社会で、これはおかしいなと感じるようになったのは間違いないですね。

鎌田 そうですよね。すごい格差を私も日々感じます。

斎藤 そうですよね。また大学の中にもあるわけですよね。先生は白人男性が多くて、逆に清掃とかキッチンで働いている人たちはラティーノとか黒人の人たちが多い。そういう構造もだし、明らかに目に見える形で差別というか、格差というものがあるなと非常に感じましたね。

鎌田 アメリカに行こうと思ったきっかけは何だったんですか。

斎藤 リベラルアーツに行きたいというのはありましたね。僕もともと理系だったんですけど、高校時代にイラク戦争とかを前にして、歴史とか哲学、反戦といった話に興味がわいて。例えばノーム・チョムスキーは元々は言語学者ですけど、政治について積極的に発言をするじゃないですか。そういう知識人の在り方に感銘を受けて、そういうこともやりたいなと思って。そのためにはいろいろ勉強しなきゃいけないので、日本の大学で1年生から経済学部とかを選ぶよりは、アメリカのリベラルアーツの学部でいろいろ学びたいなと。それでアメリカに行きたいと思ったのが高2ぐらいの時ですかね。

鎌田 それで格差に関心を持って。そこからどんな形でマルクスにつながったんですか。

斎藤 格差をやろうと思ったら、資本主義を批判するということでマルクスになった感じかな。もともと哲学とか思想に興味があったので。そうするとマルクスが一番メジャーというか。

鎌田 そうですね、確かに。哲学、思想が好きで、格差を研究するということでマルクス。

斎藤 そうですね。それで、アメリカだとマルクスはあまり勉強できない気がして、ドイツに行ったんですけど。

鎌田 私もアメリカで学んだ人がなぜマルクスに向かったんだろうと気になって。アメリカ人、マルクス嫌いじゃないですか。

斎藤 最初にアメリカに行こうと思ったときはチョムスキーとかに興味があって、あまりマルクスは関係なかった。というか全然なかったんですけど、途中からだんだんマルクスに関心が移ってしまったので、これは来る国を間違えたなと(笑)。

鎌田 それでドイツに変更された。

斎藤 そうです。

鎌田 それはいい方向転換をされたんですね。私も今いるピッツバーグ大学の社会学部は批判を大事にする大学なのでマルクス主義だという人は結構いるんですけど、ハーバードではマルクスは全然出てこなかったですし、アメリカはちょっと大変な国だなと思いますね。隣のカーネギーメロン大学のセミナーに出た子からも、マルクスという名前を出すだけで拒絶反応を示す人たちがいると聞いて、びっくりしましたけど。

斎藤 そうなんですよね。いろんな大学があるので、中にはマルクス教えてる先生がいる大学もあるんですけれど。僕はもうドイツ行けばいいかなと。ただ、ドイツに行ったものの、ドイツも東ドイツと合併した関係でマルクスを研究してる先生はほとんどいなくて。行ってから気が付いたんですけど。

鎌田 そうなんですか。

斎藤 はい。なかなか大変だったんです(笑)。

鎌田 なかなか大変ですね(笑)。

斎藤 マルクスを研究している人は今非常に少なくなっている。でも研究をしないと資本主義というフレームワークそのものがどんどん絶対化していって。資本主義の中で問題を解決しなきゃいけないとなると、企業にインセンティブを与えるとか、今の制度とか枠組みの中での改革にしかならない。最終的には僕たちが本当に必要としているようなアクションを取れなくなるというか。問題解決しようと言ってた人たちが、いつの間にか相手と結託して見せかけの改革をして、同じような構造をまた違った形で再生産することになってしまう。

どこかでこの社会の仕組み、それは資本主義だけではないんですけど、資本主義という一つの構造が本質的にある種の抑圧とか搾取を含んでいることを認識して批判していく必要があるし、そのための重要なノームの一つがマルクスなんじゃないかなと思っています。

鎌田 そうですね。考え方のフレームワークはすごく大事ですよね。それがあるからこそ違うことを考えられる。

斎藤 そうそう。

鎌田 斎藤さんがそれをほんとによく理解して、私たちに分かりやすく提示してくれるのが、すごくありがたいなと思っています。

斎藤 資本主義を前提として世界を見るのと、とにかく資本主義をいったん相対化した上で世界を見るのかで、少なくとも私たちの想像力の幅は全然違ってくる。社会運動もそうだと思うんです。今の制度の中でやっていこうとなると、政府からまず助成金をもらおう、助成金をもらうにはこういうことをやったほうがいいよね、というふうになってしまう。そうではなくて、そもそもこの制度自体が問題なんだから、この制度そのものを変えていく運動をつくるのか。どちらをとるかで、5年後、10年後にたどり着く先が全然違う。

今の制度の中で運動をやったほうが、メディアに取り上げられたり、政府から仕事をもらえたりするかもしれないけれども、それがほんとに解決策になるのかということは、もっと批判的に考えなきゃいけないと思っています。

鎌田 そうですね、ほんとに。社会運動をする人たちに斎藤さんの考えやフレームワークを1回理解してもらえると、自分たちのやってることが既存の枠組みの中でのことなのか、それともその上を行く取り組みなのか、と見られるようになると思います。

斎藤 はい、そういう視点をみんなが持つことが重要なんじゃないかなと思うので。今日はお話できてとても嬉しかったです。

鎌田 はい。ほんとに良かったです。


斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of
Political Economy(邦訳『大洪水の前に』堀之内出版)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって「学術振興会賞」受賞。30万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。

鎌田華乃子(かまた・かのこ)
特定非営利活動法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン理事/共同創設者。神奈川県横浜市生まれ。子どもの頃から社会・環境問題に関心があったが、11年間の会社員生活の中で人々の生活を良くするためには市民社会が重要であることを痛感しハーバード大学ケネディスクールに留学しMaster in Public Administration(行政学修士)のプログラムを修了。卒業後ニューヨークにあるコミュニティ・オーガナイジング(CO)を実践する地域組織にて市民参加のさまざまな形を現場で学んだ後、2013年9月に帰国。特定非営利活動法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)を2014年1月に仲間達と立ち上げ、ワークショップやコーチングを通じて、COの実践を広める活動を全国で行っている。ジェンダー・性暴力防止の運動にも携わる。現在ピッツバーグ大学社会学部博士課程にて社会運動に人々がなぜ参加しないのか、何が参加を促すか研究を行っている。



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