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『想いはこうして紡がれる』刊行に寄せて──「あとがき 後からやってくるあなたへ」全文公開

福島県いわき市。このまちは、いま「古着を燃やさないまち」と呼ばれているのをご存じでしょうか。回収した古着の約9割が、何らかの形でリサイクルされているのです。

まちぐるみの「すごい変容」を導いたのが、1990年、“主婦”たちで結成したボランティアサークルでした。のちに法人格を取得し、ザ・ピープルと名付けられる団体の2代目理事長が、本書『想いはこうして紡がれる』の著者、吉田恵美子さん。震災も超えて30年以上、住民主体のまちづくりを主導してきた方です。

ただ、吉田さんがすごいのはこれだけではありません。3.11で津波・地震の自然災害に加えて、原発事故という人災を同時に経験したいわきは、耕作放棄地の増加に加え、コミュニティの分断──被災者と、原発事故からの避難民のあいだで──という事態に陥ります。しかし、それを打開したヒントもまた、ザ・ピープルが長く関わってきた「衣」にありました。人が口にしないコットンならば、耕作放棄地でつくれる。それも、みんなで一緒に──。ともに畑をつくるなか、やがてしがらみは解け、分断は解消されていきます。

「衣」の起点と終点に取り組み、人も物も自然も混ざり合う循環をつくった吉田さん。このたび英治出版では、人の、地域の、社会の「当たり前」を変えていくためのメッセージを詰め込んだ、吉田さんのご著書想いはこうして紡がれる──「古着を燃やさないまち」を実現した33年の市民活動を通して伝えたいことを、12月14日に発売します。

    *    *    *

吉田さんは、本書の完成を間近に控えた11月のある日、逝去されました。謹んで哀悼の意を表するとともに、ご家族のご意向もあり、吉田さんから受け取った想いを次に紡いでいくために、本書の刊行を発表させていただきます。

そして、「今なにか違和感に気づいてしまった人、これからどうやって一歩を踏み出したらいいのか悩む人に届けたい」と吉田さんが綴った「あとがき 後からやってくるあなたへ」を、ご家族のご了解のもと、全文公開させていただきます。

後からやってくるあなたへ

 この原稿を書いていた2023年のある日、看護師の若い友人から、ある相談を受けました。

「下の子どもが今小学3年生。その子どもの友人たちが休日になると朝からやってきて我が家は大賑わいです。夜勤明けの私としては、ゆっくり休みたいのだけれど、それは難しい。この子たちは休日行く場所がないんだと気づいたら、子ども食堂のような居場所をつくってあげられないかと思い立ちました。吉田さんたちは、どうやって活動を始めて、どうやって活動を続けてきたのですか? 仲間はどんなふうに集まったのですか? 活動を長年継続してこられた裏には、どんな想いがあったのですか? NPO法人格はどうやったら取得できるのですか? 市民活動って私なんかでもできることなのですか?……」

 彼女からの矢継ぎ早の質問に答えるうちに、私のなかでこの原稿を通して伝えたいことの本質が見えたような気がしてきました。
 後からやってくる彼女のような人たちが、ためらうことなく前に進むために背中を押してあげられたら……。
 そんな想いで、メッセージを書き加えようと思いました。

後からやってくるあなたへ

 あなたが、市民活動という形で動き出せるか迷っていると聞きました。

 市民活動とは、「政治的または社会的な問題の解決を目指して、市民団体の構成員が特定の共通目的を達成しようとする政治運動、あるいは社会運動」(ウィキペディア)だそうです。その活動分野は広範で、市民活動と一括りに言っても、目指しているところも取り組みにあたっての手法もそれぞれまちまちで、自分がどこを目指していこうとしているのか迷う部分が多いと思います。

 でも、市民活動は特別に問題意識の高い人間がすることでも、特別に犠牲的精神に満ち溢れた人間が取り組むことでもないはずです。自分が立っている場所で見つけてしまった課題。その課題解決のために何か策があるとしたら、そしてその策に自分なりにアプローチできると思い立ったなら、誰にでもそれぞれ市民活動のフィールドはあり、誰にでもそれなりの形でのチャレンジをすることはできると思うのです。気づいてしまった人間が、その気づきをもとに一歩動き出す。そのことの積み重ねこそが住民の手による地域づくりであり、国づくりであり、地球づくりであると思うのです。

 あなたが目指す市民活動の在り方はあなた自身のなかにあるもので、誰からも強要されるものではないのです。もし、私たちの活動の形が望ましいものに見えたとしても、地域が違い、時代が違えばまったく違った形態を採るよう求められることも考えられます。あなた自身の気づきにこそ向き合ってください。

 市民活動を進めるにあたって、私が特別に秀でた人間ではなかったことは、ここまで読み進めたら十分理解いただけたと思います。ただ、ひとつ特記することがあるとしたら、現状を「よし」としてしまうことなく、何かもっとよくできる方策があるのではないか、課題を解決する術があるのではないかという意識を持っていたということだと思います。そして、そうした想いを共有する仲間との出会いに恵まれたということだと思うのです。

 30年以上前。今とはまったく異なる社会情勢のなかで、仲間たちとの出会いをきっかけとして動き出したとき、私のなかには自分ひとりでは決してできないことにチャレンジしようとしているワクワク感がありました。これは私にとって金銭的な対価とはまったく異なる次元での宝物という感覚でした。

 そして、市民活動という地道な動きを継続していくための原動力となったもの。それは、想いを共有できているという仲間の存在と、活動を通して自分たちの想いを次の世代につないでいるという手応えにほかなりませんでした。

 たしかに、長い市民活動の期間中、常に心強い仲間に囲まれていたという訳ではありませんでした。それぞれの想いがぶつかり合っていさかいを生むこともありました。しかし、それでも市民活動を継続したいという部分で想いを共有する仲間が皆無になるということはありませんでした。最低限「この活動をなかったことにするのはもったいない」という想いでつながることができる人の存在に助けられてきたのでした。

 そして、次世代につなぐという面では、たとえば、10年以上前に私たちの活動現場で古着の仕分け体験をした中学生が、中学校の教員として生徒たちに教える立場になって、生徒たちを古着リサイクルの現場に連れてきてくれるというようなことが起きました。インターネットで私たちの活動を見つけてわざわざ現場を見たいとやってきてくれた大学生が、「こんな活動をやりたいと思っていたんです」と興奮気味に感想を語ってくれるというようなことも起こりました。震災の後、小学校3年生のときにオーガニックコットンを育てていた子が、大学生になって今度はコットン栽培を手伝ってくれるという場面にも遭遇しました。そして、今回病を得て偶然訪れた調剤薬局で対応にあたった若い薬剤師の男性が、「よく知っている人にとても似ているのですが、ボランティア活動に関わりはありませんか?」と言葉を掛けてくれたのです。「ザ・ピープルという団体の代表です」と名乗ると、「学生のボランティア育成事業でお世話になりました。あの体験がなかったら僕はこの仕事を選択してなかったと思います」と語ってくれました。そんな体験の一つひとつが、何にも代えがたい宝物になっているのです。

 自分たちの想いで進めてきた活動に対して、世代を超えたところで共感が生まれ、何らかの形でつながりたい、応援したいという仲間の輪を広げていることが実感できるとき、非常に大きなやりがいを感じます。それは、動き出さなければ決して得られなかったものだと思います。

 環境問題に取り組む市民活動に絞ったお話をしましょう。思い返してみると、私たちの走り出した当時、豊かな自然環境の恩恵を受けることはある種、当たり前のものであり、その分野に特化した活動への支援は決して手厚くありませんでした。たとえば福祉部門のための活動を継続するための助成金はあっても、環境に対して動いたからといって、「それはあなたたちが好きでやってるんでしょう」というふうにあしらわれてしまうことがほとんどでした。そうした社会状況のなか、活動の必要性を伝えつつ、心を萎えさせることなく活動を継続していくことは、ある種メンタルの部分の強さがないとできないことだったのかもしれません。だからこそ、そういう活動に共感してくれる仲間をつくっていくことが大事で、そのためには自分たちの想いを伝えることが重要だと思ってきました。課題に気づいた人間は課題を伝える語り部でもあらねばならなかったのです。

 でも、今は環境に対する課題が明確になっているだけに、社会のさまざまなファクターがともに協力して課題解決のために動かなければならないという意識は強まっています。環境に関してこれだけ課題が目に見える形になってきている時期。ここから10年、20年、30年の間にこの地域を、日本を、地球をどうするのか。この地球環境をどうするのか、喉元にナイフをつきつけられている状況であることは間違いありません。だからこそ、環境に対してきちんと課題意識を持っている人たちの存在は大切で、その一人ひとりがつながっていくことが求められていると思うのです。

 33年前、いわき市内でも古着を燃やすことは当たり前のことでした。しかし、今いわき市では、古着をピープルのリサイクルボックスに投入することのほうが当たり前になっています。繊維製品の「お墓の番人」として長年活動してきた活動の成果がここにあります。そして、オーガニックコットンの栽培を通して国内で生まれる繊維製品のゆりかごを生み出したことで、地域のなかで繊維製品の循環の輪が閉じられるようになる日を私たちの手で引き寄せられると信じて疑いません。新しい「当たり前」をここから生み出していくのです。道は長いかもしれないけれど、決して諦めなければ、決して投げ出さなければ、成果を生み出す日は間違いなく迎えられると信じているのです。

 後からやってくるあなたにとって、私たちの体験が少しでも力になれたら嬉しいです。がんばってください。応援しています。

 2023年12月1日

吉田恵美子

【目次】
はじめに 社会の変化は、ひとりの市民から始まる
第1章 一人ひとりの「気づき」を社会につなぐ
    いわきはなぜ「古着を燃やさないまち」を実現できたのか?
第2章 一人ひとりの「葛藤」を尊重し、対話でつなぐ
     震災、そしてその後の分断をいかに乗り越えたか
第3章 一人ひとりの「想い」を紡ぎ、仲間とともに変える
    「復興後」の未来を、オーガニックコットンに見た理由
第4章 一人ひとりの「ビジョン」が受け継がれ、まちは変わる
    地域課題に、終わりはない
第5章 一人ひとりの「私」から未来は変わる
    自分自身の声を聞く
おわりに 後からやってくるあなたへ

【著者】
吉田恵美子(よしだ・えみこ)
特定非営利活動法人ザ・ピープル 前理事長
いわきおてんとSUN 企業組合 前代表理事
一般社団法人ふくしまオーガニックコットンプロジェクト 代表理事
福島県いわき市にて、地域のなかで「住民主体のまちづくり」の取り組みを33年間行っている。主たる活動は「古着を燃やさない社会づくり」と、東日本大震災後の地域課題と向き合うなかでスタートさせた「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」。
1990年創設の「ザ・ピープル」に参画し、ごみ問題への関心から古着のリサイクル事業を市民活動で実践。2000年から理事長を務め、いわき市を「古着を燃やさないまち」へと変容させる立役者のひとりとなった。
東日本大震災後、いわきの被災者と原発事故からの避難者とのあいだのすれ違いからコミュニティの分断を危惧し、耕作放棄地でのオーガニックコットン栽培を媒介にコミュニティ活性化を実現、地域課題の解決への筋道をつけた(2021年、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトとして一般社団法人化)。
2023年自身の健康上の問題(膵臓がんの発病)から「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」の取り組みを残して、他の活動現場からは身を引くこととなった。2024年11月、逝去。
*ザ・ピープル
https://thepeople.jp/
*ふくしまオーガニックコットンプロジェクト
https://www.fukushima.organic/