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考えなくていい。肌感覚でいい。

視覚障がい者と健常者があたりまえに「混ざり合う社会」とは何か。連載初回は、著者にとって人生の転機となった学生時代のあるエピソードを語る。

声をかける? かけない?

杖を地面にたたきながら一人で歩いている人を見かけたら、みなさんは声をかけますか?

日本ブラインドサッカー協会という視覚障がい者スポーツ組織で働き始めて10年。私にとって視覚障がいは身近な存在ですが、街中でこのような場面に遭遇しても、必ず声をかけるわけではありません。

声をかけるかどうかは、自分の直観に従うようにしています。その瞬間に自分が「あ、ちょっと声かけたほうがいいかな」と思ったら声をかける。ちょっと見て、なにも感じなければ、声をかけない。そして、後で「もしかしたら声をかけてあげたほうが良かったかも」とは思い返さないようにしています。

「視覚障がい者のスポーツ組織で働いているのに、それでいいの?」と思われるかもしれません。「そういう時は、必ず声をかけたほうがいいんじゃないか」という考え方もあるでしょう。実は私もこの仕事に就く前は、視覚障がいのある人を見かけたら、声をかけなきゃいけないと思っていました。そして、そう思っていても声をかけられず、後悔ばかりでした。

でも、いまはこう思います。「考えなくていい。肌感覚でいい」。今日は、そう気づかされた、そして私にとって人生の転機となったエピソードをお話しします。

人生最高のパス交換

小学生の頃、私には悩みがありました。1つは「背が小さい」こと。1年生から6年生までのあいだ、体育の授業も朝礼も、私の定位置はいつも先頭。もう1つは、「障がい児学級の同級生と手をつなぐ」こと。なぜか背の順で並んで先頭の生徒が、校外学習のときなどに彼らと手をつなぐことになっていたのです。

障がい児学級の子と手をつなぐことに納得できないまま、6年間同じ子と手をつなぎ続けた私は、結局その子の障がいの理由や症状を聞くことも、ましてや一緒に遊ぶとこともなく卒業。この経験から、私の心には障がい者に対するバリアが張られていきました。杖を地面にたたきながら一人で歩いている人を街で見かけても、声をかけることもなく、むしろなるべく接しないようにする。

そんな学生時代を過ごしていた私に転機が訪れたのは、大学3年生のとき。
「ブラインドサッカーというものがあるらしい」

それを誰から聞いたのか、そして強い苦手意識があった私が、なぜブラインドサッカーを体験しに行こうと思ったのかはよく覚えていません。ただ、駅の待ち合わせ場所に行ってすぐに後悔したことはよく覚えています。周囲の健常者が視覚障がい者と親しく話をしているなか、私だけ誰とも話すことなく、そこに突っ立っていたのです。

待ち合わせ場所から練習場へ移動するときも、「手引き」と言われる視覚障がい者をサポートしながら一緒に歩くこともまったくできず、無力感を感じていました。自分は彼らの役に立てない。私が来る場所ではなかったのだと。

そんな気持ちのまま練習場に着き、もう帰ろうかと思っているうちに練習が始まってしまいました。最初のメニューは視覚障がいの選手とのパス練習。「まずいことになったなあ」とびくびくしていると、その選手からこう言われたのです。「松崎くんも、アイマスクをつけてやってみようよ」

お互いにアイマスクをつけて、選手も私も見えない状態。最初は怖かった。でも選手のアドバイスに従って体を動かしていると、不思議と恐怖心は薄れていきました。ボールに入っている鈴が「ガシャガシャ」と鳴る音。選手の「へい、こっち」という声。その声を頼りに、パスをだす。うまく蹴れたかよくわからないけれど、選手からは「いくよ! どこ??」という声がする。慌てて、「あ、こっちこっち」と声をかける。

お互いが、お互いの声を必要としている。そして、目が見えていたらなんてことのないパス交換が、いまはパスがつながるだけで嬉しくなる。声が伝わり、気持ちがつながるような。そして、気づく。それまで自分が意識していた「障がい者」とか「支えてあげなきゃ」という気持ちが全くなくなっていたことに。

「これでいいのだ」という心持ち

「ピッチの中が障がいを忘れるとき」。これはブラインドサッカー選手たちの言葉ですが、実は私たち「健常者」にとっても同じなのだと思います。選手たちと同じフィールドに立つと、「彼らとどう接したらいいのだろう?」とか「迷惑をかけないかな?」という考えはなくなります。というより、聞く、叫ぶ、蹴る、走るに必死で、夢中で、考える余裕などなくなっていくのです。

するとやがて、「ああ、彼らはこういう感覚なんだ。だったら自分も、自分自身の肌感覚で彼らと接すればいいんだ」そういう気持ちがわいてきます。それは、「やらなきゃ」という義務感でも、「こうあるべき」という世間体でもなく、とても自然体な「これでいいのだ」という心持ちです。

日本ブラインドサッカー協会は、「ブラインドサッカーを通じて、視覚障がい者と健常者が混ざり合う社会を築く」ことをビジョンとして活動しています。「混ざり合う社会」とは何か? まだ探究の途上ですが、一つの手がかりは、視覚障がい者と健常者が自然体で、肌感覚で接し合えることではないかと思っています。

そのために大切なのは、「視覚障がい」の常識や正しさを伝えるのではなく、体験や観戦を通して一人ひとりの肌感覚を養うことではないか。そういう想いで私たちが取り組んでいる事例やアプローチを、この連載でお話ししていきます。

また、「事業型非営利スポーツ組織の経営」という私自身の仕事についても取り上げる予定です。「どうやっておカネを稼いでいるか?」「どんな人が働いているか?」「日本サッカー協会やサッカー界とはどう繋がっているか?」などなど。とてもニッチな話に思えそうですが、他の非営利組織やスポーツ組織、そして事業会社の経営にも役立つヒントをお伝えできればと思っています。

連載コンテンツやトークイベントを通して、「混ざり合う社会って何だろう?」と読者のみなさんと考え、学び合うことを楽しみにしています。

松崎英吾(まつざき・えいご)NPO法人日本ブラインドサッカー協会事務局長。1979年生まれ、千葉県松戸市出身。国際基督教大学卒。学生時代に偶然出合ったブラインドサッカーに衝撃を受け、深く関わるようになる。大学卒業後、ダイヤモンド社等を経て、2007年から現職。2017年、国際視覚障がい者スポーツ連盟(IBSA)理事に就任。障がい者スポーツの普及活動、障がい者雇用の啓発活動に取り組んでいる。(noteアカウント:eigo.m

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