『現代の奴隷──身近にひそむ人身取引ビジネスの真実と私たちにできること』訳者による解説的あとがき(山岡万里子)
「現代奴隷」とは何か
「奴隷」という言葉を聞いて、どんな光景を思い描くだろうか。
ぼろをまとい汗と泥にまみれた人々。手かせ足かせ、そして鎖。古代文明における戦争捕虜、ローマのガレー船、あるいはアメリカ大陸に奴隷船で運ばれ、家畜のように働かされた黒人奴隷たち──いずれにせよ、心おどる想像ではないだろう。
歴史の教科書では、たしか南北戦争の頃にリンカーン大統領が奴隷解放宣言を行って、人間はみな平等になったはず──ところが今、世界のニュースで「現代奴隷」という言葉を聞かない日はない。いったい現代奴隷とは何なのか。昔の奴隷とは違うのだろうか?
違うとも言えるし、同じとも言える。違うのは、昔の奴隷は合法だったが今は違法だということ。昔の奴隷は外見からすぐわかったが、現代の奴隷は一見そうとはわからないこと。昔の奴隷は主人の財産だったが、現代の奴隷はたいてい使い捨てであること。
一方同じなのは、昔と同様、現代の奴隷も人間として扱われていないこと。昔も今も奴隷は傷つき、苦しみ、不幸を呪い、なんとか抜け出したいと思っていること。そして昔も今も、金銭欲と支配欲が、そして人権より経済的利益を優先させるこの社会が、さらに世間の無関心が、奴隷を生み出しその状況を放置していること……。まさに本書の原題Slaves Among Us(私たちの間にいる奴隷たち)が示すように、今も社会のあちこちに奴隷にされている人がいて、日々苦しんでいる。
個人的なことで恐縮だが、筆者(訳者)は、2007年に本書第11章に言及のあるノット・フォー・セールのデイヴィッド・バットストーンの著書(団体名と同じNot For Sale)と出合ったことで、現代奴隷・人身取引の問題を知った。そしてその本を翻訳出版した直後の2011年に「ノット・フォー・セール・ジャパン(NFSJ)」として小さなボランティア団体を立ち上げ、情報発信・講演・イベント開催などを通じ、主にこの問題を「知らせる」活動を行ってきた。また団体として「人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)」と「消費から持続可能な社会をつくる市民ネットワーク(SSRC)」に参加しており、さまざまなプロジェクトと対話の機会を通して、政府、企業、消費者などに働きかけている。
本書の翻訳は筆者の個人的活動だが、奇しくも、多くの人にこの問題を知らせたいというNFSJの使命にも合致することとなった。これまでの活動の中で見聞きしてきた情報をもとに、この「訳書あとがき」を記していきたい。
サバイバーへの注目
さて、著者のモニーク・ヴィラは、ここ10年ほど現代奴隷問題に取り組んできたジャーナリストだ。自ら率いるトムソン・ロイター財団主催の「カンファレンス」を軸に、多くの関係者から話を聞き、この本をまとめ上げた。
ヴィラは特に「サバイバー」たちに注目する。過酷な現代奴隷の被害に遭いながらも、強い意志の力で逆境から抜け出し、さまざまな苦難を抱えつつ、自分と同じ境遇にある被害者のために闘い続ける人々だ。作中、彼ら自身の声として語られるジェニファー、ディーペンドラ、マルセーラの物語は、それぞれ場所も形もまるで違うが、現代の奴隷とは何なのか、どんな困難があるのかを、言葉の端々にいたるまで、説得力をもって伝えてくれる。目を背けたくなるほど辛く悲しい場面もあるが、ぜひじっくりと読んでみてほしい。
東京で奴隷だったマルセーラ
なかでもマルセーラの物語は、とてもショックなことに、日本の東京が舞台になっている。20年ほど前の話だが、コロンビアから日本へ売られ、1年半ものあいだ売春を強要された女性がいた。マルセーラはこの壮絶な体験を自らスペイン語で本に著し、数年前には日本語訳も出版されている(『サバイバー──池袋の路上から生還した人身取引被害者』マルセーラ・ロアイサ著、常盤未央子・岩由美子訳、ころから、2016年)。昔の奴隷貿易さながら東から西へと海を越え、売られてきた先が東京なのだ。
世界全体を視野に英語で書かれた本書の中で、ここ日本が、壮絶な搾取の三つの舞台の一つとして描かれたことを、私たち日本人はどう受け止めたらいいのだろう。これは「過去のこと」として無視してよいのだろうか?
たしかに外国人女性に売春を強要する人身取引の件数は、20年前に比べ減っている。ビザ発給要件の厳格化など、当局も目を光らせるようになった。それでもいまだに母国のブローカーに「普通の仕事」だと騙され、着いたとたんに多額の借金を負わされ、パスポートを取り上げられ、酷い時には暴力や脅しにより、また監禁に近い形で、売春やホステス業を強要される外国人女性の例が後を絶たない。暴力団が絡んでいたり、東南アジアの犯罪組織とつながっている場合もある。決して過去の話ではないのだ。
人身取引という罪を犯してまで、わざわざ海外から女性を連れてきて売春させようとする──それは、リスクを上回る、儲かる市場が日本にはあるからだろう。買春需要が大いにあるからこそ成り立つ商売なのだ。これは外国人女性の問題ではない。暴力団だけの問題でもない。買春する多くの日本人男性、そしてそれを許容している日本社会全体の問題だ。
ディーペンドラと技能実習生
さて3人のサバイバーの中で唯一の男性、唯一のアジア人、そして唯一労働搾取を受けた現代奴隷の例として登場するディーペンドラの話も、ぜひ他人事とは思わずに読んでほしい。そう勧めたい理由は二つある。
一つはこれが中東のカタール、つまりちょうど今年(2022年11月)に男子サッカーワールドカップ大会が開かれる、まさにその国で起きた出来事だという点だ。サッカーワールドカップといえば日本中が熱狂する国際スポーツイベントの一つ。今年も代表チームの試合をカタールからの中継で見守る人も多いだろう。
けれども、あの華々しい大イベントが行われるその裏では、スタジアムをはじめ宿泊・飲食その他施設の整備のために大規模な建設事業が行われ、多くの外国人労働者が雇われた。そこで起きていたのが建設現場での奴隷労働なのだ。フェアプレーを掲げるスポーツの現場にも、実は背中合わせにこのような闇が潜んでいる。
そして他人事ではないもう一つの理由は、中東で奴隷労働を生み出す元凶である「カファラ」制度の問題が、昨今日本でも注目が高まっている外国人技能実習制度の問題に酷似していることだ。
カタールでは建設労働の大半を海外からの出稼ぎ労働者が担っている。少子高齢化で人手不足が深刻な日本も似たような状況だ。そこで「国際貢献」「途上国への技術支援」を謳う技能実習制度が、建設のみならず農業、漁業、金属加工、縫製、介護などの人手不足を補うべく機能している。中東では移住労働者を管理するために雇用主が「身元引受人」となり、労働者の面倒を見る代わりに、国内の移動や出国の際に許可証を発行する権限を持つ。労働者をその裁量において支配できるのだ。このカファラの制度は、「特定の技能を得るための実習制度」という名目が存在するばかりに、労働者(実習生)があらかじめ決まった雇用者の下でしか働けない技能実習制度と重なる。実習生はたとえ来日後に転職したいと思っても、制度上、原則的に職場を替わることはできない。
しかも母国ネパールで斡旋業者への多額の支払いのために借金せざるを得なかったディーペンドラと同じで、日本に来る技能実習生も、多くが母国で「送り出し機関」にさまざまな名目での手数料を要求されており、やはり多額の、酷い場合は100万円を超える借金でそれを払い、その上で来日する。職場を自由に移れない束縛と、母国での借金が掛け合わされた構図のために、本書のディーペンドラ、そして日本に来る技能実習生は、非常に脆弱な立場に置かれる。雇い主に対し直接負債があるわけではない。だが雇用者は労働者が母国で債務を抱えていることを知っているし、酷い場合には母国の斡旋業者と通じていて、金を巻き上げている可能性すらある。日本の実習「監理団体」が、ベトナムの送り出し機関に多額の接待をさせていたという事実が明るみに出たこともある。
そして約束と違う仕事内容、劣悪な居住環境、契約と違う労働時間や給料(特に賃金不払い)、パスポートの取り上げ、恫喝や暴力、不当な天引き、危険な作業内容など、ディーペンドラやその同僚たちが体験した搾取・虐待・人権侵害の多くが、日本で報告される技能実習生へのあらゆる搾取・虐待・人権侵害と瓜二つなのだ。日本の技能実習生のうち酷い状況に置かれた人々がなぜ「現代の奴隷」と呼ばれるのか、容易に理解できるだろう。
「タトゥー」に苦しむジェニファーと日本の少女たち
さて本書に登場するもう一人のサバイバー、ジェニファーについては、その壮絶な体験記を読むのはとても辛かったことと思う。訳す側も「この世の地獄」という言葉がしばしば頭をよぎった。ジェニファーのように自国内で恋人によって売られ、奴隷としての搾取を受けるという経験は、愛する家族と引き離され外国に売られるのとはまた違った、孤独と屈辱と絶望をもたらすものだろう。
しかし彼女の経験もまた、日本に似たような事例が多数存在する。ジェニファーが苦しんだ薬物依存症やタトゥー(刺青)の強要は、もしかしたら日本ではさほど一般的ではないかもしれない。けれども、たとえば昨今クローズアップされている日本人の若年女性たちを襲うあらゆる性的搾取が、これに匹敵するのではないだろうか。
たとえば貧困や家族崩壊や虐待などの環境で育ち孤独を抱える少女の前に、優しい言葉をかけ自分を大切にしてくれる魅力的な男性が現れたとしたら? ジェニファーはセイレムから「グルーミング」という一種の洗脳戦術を仕掛けられ、搾取に絡めとられていった。今日本では多くの少女(ときに少年)がSNSで知り合い親しくなった男性(同性や同年代を装っている場合もある)に騙されて性的な画像映像を送ってしまい、そこから脅しと搾取が始まり抜け出せなくなることがある。家庭や学校に問題がなかったとしても、ちょっとした不安や寂しさ、あるいは好奇心につけこまれるので、誰もが被害にあう可能性がある。
また「アダルトビデオ出演被害問題」については2022年春に新たに規制法ができるなど多少状況は改善しているものの、自分の恥ずかしい画像映像が「デジタルタトゥー」としてネット上に出回ることの恐怖は、ジェニファーの体に彫られたタトゥーと同様、あるいはそれ以上に、女性たちを苦しめる。性的な人身取引は被害者に深刻なトラウマをもたらし、それは一生消えない傷となって少女たちにつきまとう。ジェニファーがその苦しみから逃れられず、結局は薬物に戻り死に至ったのと同じで、日本でも多くの被害者が心の傷から回復できず、なかには自死を選ぶ人もいる。場所や状況は多少違うが、ジェニファーの物語を通してもまた、日本にいる被害女性たちのことが浮かび上がってくる。
現代奴隷問題の解決のために何ができるか
ここからは「では、どうしたらいいのか?」という難題にも触れていきたい。
ILOの試算では、現代奴隷(強制労働)による利益は年間1500億ドルだという。もはや政府だけ、あるいはNGOだけで取り組んでいたのでは、解決はとうてい不可能だ。気候危機と同じで、地球上の誰もがこの問題を知り、その立場や能力に応じ、あらゆる方法を用いて、一斉に取り組まなくてはいけない。
そうした意味で、本書第10章と第11章で語られるさまざまな取り組みは、私たちの行動へのヒントと同時に、大いなる希望を与えてくれていると言える。たとえば衛星画像から奴隷労働の現場である煉瓦焼き工場等の位置を特定したり、店舗のクレジットカード決済記録から闇の性産業の存在を暴いたりなどの方法は、人権擁護の目的に科学技術を駆使するという発想を持つことで、それまでは一軒一軒扉を叩いていたような調査の仕方も、一網打尽のスマートな犯罪捜査にシフトできる可能性を秘めている。
研究者が、銀行家が、弁護士が、科学者が、あらゆる職業の人々が、それぞれの立場でのユニークな取り組みを始めている。たとえそれがどんなに小さくても、自分の知識と技術と経験をもって、どのように現代奴隷制との闘いに貢献できるかを一人ひとりが真剣に考え行動に移すことができるならば、問題の解決は夢ではない。
今、「ビジネスと人権」という文脈で現代奴隷問題が語られつつあり、企業がこの問題に果たせる役割の大きさが注目されている。自社製品の製造過程、サプライチェーンのどこかに奴隷労働が潜んでいないかどうかを、企業自らが調べて対処することが求められている。「ESG投資」は企業をそのような基準で捉え直す取り組みであり、消費者もまた企業の「エシカル度」に関心を持ち、商品の選び方を再考する時代が来ている。奴隷労働が行われていないと確認されたフェアトレード認証製品を選ぶことも、小さいけれど誰もができるアクションのひとつだ。
希望の見えないこの時代にも
本書の原著が刊行された2019年以降、世界は二つの巨大な変化に見舞われた。一つは2019年末に始まり今なお続く新型コロナウイルス感染症の蔓延、もう一つは2022年のロシアによる対ウクライナ戦争だ。どちらも、残念ながら現代奴隷の状況をさらに悪化させ、世界における取り組みを大きく後退させることになった。
前者のコロナ蔓延では、人々の健康状態はもちろん、雇用・経済・教育状況が悪化し、奴隷状態で働かざるを得ない人や児童労働の従事者が増えた。学校に通えない子どもが増え、オンラインでの性搾取も増えた。また後者の戦争では、多くの人が国内外に避難する事態となり、搾取のリスクが高まっている。食料輸出の停止でアフリカなどが危機に陥り飢餓が襲い始めている。エネルギー資源や製品の輸出入がストップし、世界の失業者が増え経済的安定も揺らいでいる。これらはすべて、現代奴隷制のリスクを増大させる。
このような状況下、私たちには逆風が吹き荒れているように思える。ただでさえ厳しい世の中で、いったいどうしたら現代奴隷の状況を改善していけるのか、と。
そんなとき、私たちは著者の言うように、サバイバーたちの姿を見、その声を聞くべきだろう。彼らは地獄のような日々を耐え抜き、そこから生還した。希望は、あるのだ。
現代奴隷とは、本当に厳しい難題だ。けれども、私たちはともにサバイバーになり、ともに現代奴隷制を葬り去ることができるはず。この本を手に取ったあなたにはぜひ、そのような希望を、たとえわずかであってもたしかにそこにあるものとして、見出していただければと願ってやまない。