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『場から未来を描き出す』の日本語版序文を全文公開します。

9月9日発売の『場から未来を描き出す──対話を育む「スクライビング」5つの実践 』。言葉で問うのではなく、「描く」ことで、対話を深める実践について説いた本です。発売を前に、監訳者で一般社団法人グラフィックファシリテーション協会・代表、英治出版オンラインの連載「“言葉にできない”自分の本音に気づこう」著者でもある山田夏子さんによる日本語版序文を公開します。

仕事を行う中で、今のままの状態で良いとは思っていない。
何かを変えていく必要があるのはわかっているが、何をどう変えていけばいいのか。 

どうすれば組織や社会の格差や分断を超えて、ばらばらの人々が共感し、つながりあい、心の底から深く納得して前に進めるだろうか。

この本のテーマである「生成的なスクライビング」は、こうした問いにこたえる一つの方法です。

スクライビングとは、人々が話をしている間に、リアルタイムに絵や言葉を使ってその話を見える化する手法です。最近は会議やイベントの場で、グラフィックを描いている人を見たことがある方も多いのではないでしょうか。「グラフィック・レコーディング」や「グラフィック・ファシリテーション」という言葉を、聞いたことがある方もいるかもしれません。それらもスクライビングの形の一つです。

場が楽しげな雰囲気になる、話したことが記録されてわかりやすい、あとで見返したり共有したりしやすい、といったメリットとともに紹介されているのをよく目にします。人々が話している言語を要約して綺麗な絵と共に構成して描く。これもスクライビングができることの一つです。

ただし、この本で紹介される「生成的なスクライビング」の目的は、要約や綺麗な絵を描くことではありません。場にいる人々をつなぎ、新たな洞察やビジョンを生み出す後押しをすることです。そのために、人々の意識にまだ上がってきていない、言葉になっていない、目にも見えない「何か」のトーンや質感を捕まえて描きます。場にいる人達の「声なき声」 、まだ言語化されていないけれど、そこに在るエネルギーを感じ取り、表現することで、その場にいる人達と共有するのです。そのグラフィックを眺めることで、人々は無意識に感じていたことを目の当たりすることになります。そして、人々の中に深い問いや気づきが生まれ、新たな洞察やビジョンが紡がれていくのです。

「見られたがっている」けれども「まだ見えていなかった未来」が、場から生まれると言ってもいいかもしれません。生成的なスクライビングは、いわばそんな「未来」という赤ちゃんをとりあげる「お産婆さん」のような役割です。この本は、この「まだ見えていないものを描く」という一見魔法のようなことを、紐解いています。

著者のケルビー・バードは、アーティストであり、数々のビジネスや社会変革の現場での経験を持つ世界的なスクライビングの実践者です。プレゼンシング・インスティチュートの共同創設者として、『U理論』の著者であるC・オットー・シャーマーと共に、U理論を探究してきた一人でもあります(『U理論[第二版]』の冒頭に掲載されているのも、彼女のグラフィッ
クです)。

本書は、ケルビー自身が、描くときの自分の意識や在り方を繊細に観察し、具体的にどのように行っているのかを丁寧に捉えたうえで、表現されています。読んでみると、実際の行為としてのスクライビングは、聴き取って描くまでの数秒間の中で起きていることなのですが、この数秒間に、ケルビーの経験や描くことの意味や哲学がふんだんに盛り込まれていることがわかります。だからこそ、表すことのできる新たな世界があるのだということも。

彼女は、この数秒間の間に行われる行為を、「在る」「融合する」 「捉える」 「知る」 「描く」という5つの要素からなる、実践モデルとしてまとめました。このモデルは、手順に沿えばできるという単なる手法ではありません。場の未来を切り開くために、自分自身の在り方を整えることから、この本では解説されています。「茶道」や「華道」や「書道」など、日本に古くから受け継がれている「道」のような深さと奥行きを感じます。

私は、ここ数年に渡り、粘土やグラフィックを使って、日本企業のチームビルディングやビジョン策定などの組織開発を行ってきました。私がやってきたことも、この本でいう生成的なスクライビングの一つの形だったのかなと感じています。

企業でグラフィックを描くと、はじめのうちは、「そんなお遊びみたいなことをしたって、何も変わらないよ!」と懐疑的な参加者の方もいます。それでも、話をする人の声のトーンや場の雰囲気を感じ取って、絵や色で表現していくと、皆がただ沈黙してグラフィックを眺める時間が生まれます。参加者がグラフィックを見つめながら声を発するようになり、絵を指差しながら話す人もでてきます。懐疑的だった人も、だんだんと普段の仕事では話さないような本音を口にするようになります。グラフィックを描いているうちに、組織の中で当たり前すぎて暗黙知になっていたことや、言葉になっていなかった思いや願いが、見えてくるのです。

そして、それを参加者の方々が目にして自覚すると、最初には思いもよらなかった問いが話されるようになります。なぜ自分は、この仕事をしたいのか? この企業はなぜこの世の中で存在しているのか? 自分達の事業が社会的にどんな存在意義があるのか? そうした問いが生き生きと脈打ちはじめ、それをまた描いていくと、新たな洞察やビジョンが浮かび上がってくるのです。組織が息を吹き返すかのように動き出すのを感じる瞬間です。

こうして現場でスクライビングの力を感じる一方で、場で起こっていることを伝える難しさも感じてきました。生成的に描くことができる人が増え、共に未来を生み出すような対話が起きる場が増えてほしい。そんな願いから、私はスクライビングの講座も開催しているのですが、講座に参加する皆さんによく聞かれるのは、「どうやったら綺麗に描けるのか?」といった、やり方やスキルについてです。もちろんそれも重要なことです。

しかし更に重要なのは、描くときの在り方です。そもそも何のために描くのか? なぜ自分はこの線を引きたいのか? なぜ描き、場に居留まるのか? この理由を自分と向き合って深めていくことが、必要なのです。
ただ在り方を説明するのは、とても難しいことです。目に見えないですし、部分的なコツを伝えてそれをなぞってもできるようになるものではありません。ケルビーは、この在り方を絶妙なバランスで、自身の体験をもとにモデル化しています。私が、講座のなかで「実践を通して掴むしかないよ」と言っていた部分に、見事に居留まって、具体的な実践モデルへと表現しているのです。

今は、大変不確かで不安定な世の中です。その中で未来を切り開いていくには、勇気を持って未知の領域に踏み込む必要があります。残念ながら、私たちは、曖昧さにとどまることが苦手です。わかりやすいアウトプットや手段を求めます。何かをクリアにさせると、わかった気になりスッキリします。これは、「役割を果たす」「これまでどおりの枠に収める」「間違ってはならない」という文化的傾向の強い日本では、なおさらかもしれません。この本は、この領域に踏み込む勇気を「スクライビング」という表現をもとに奮いたたせてくれます。

そして、アーティストでありながら、さまざまなビジネスや社会変革の現場で活躍している著者だからこそ、本書は彼女自身の仕事である「描く」ことに軸足を置きながらも「言葉にならないものに目を向ける、在り方とは?」「そこから個人や社会の未来を、生成的に見出すとはどういうことか?」といった問いを持って場づくりに関わる方々にとっても、示唆に富む内容になっています。

私は、本来人は皆、生まれながらにして「アーティスト」なのだと思っています。アーティストとして、何かをこの世に生み出すために生まれてきたのだと。ケルビーはこの本をとおして、「組織や社会の未来を、一人ひとりがアーティストとして生み出そうよ!」と声をかけてくれているように感じます。人が何かを生み出すということをちゃんと信じていたら、必ずしも絵ではなくても、音楽やダンス、企画立案やプレゼンテーションでも、それは人の持つオリジナルの表現として、みんなで未来を作っていくための活動になる。そういった一人一人の表現を、どう社会の未来につなげるのか? 本書は、現代社会の様式や状態に寄り添いながら、見事にそのやり方を、実践を通じて形にしています。

監訳・訳をした、私、牧原さん、北見さん、そして、編集してくださった安村さんも、ケルビーが驚くほど繊細に丁寧に表現してくれた、この「道」を一文字一文字、文章のニュアンスの一つ一つを自分達の中でイメージし、味わいながら、緻密に日本語に置き換えていきました。私自身にとっては、この体験こそが、自分自身の描写を進化させてくれる大変豊かな機会でした。

そして、あらためてこれだけ細やかに具体的に、この数秒間の魔法を言語化してくれたことの大変さ、そしてケルビーの優しさを感じ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
愛情いっぱいのケルビーの想いが皆さんに届きますように。

著者写真

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。

『場から未来を描き出す──対話を育む「スクライビング」5つの実践』
ケルビー・バード[著]/山田夏子[監訳]/牧原ゆりえ、北見あかり[訳]

言葉で問うのではなく、「描く」ことで、対話を深める──
一人ひとりの感情、人と人との関係性、場のエネルギー。「言葉になっていない」ものを、グラフィックで可視化することで、人々の内省や当事者意識が促され、新しい洞察やビジョンが生み出されていくー。
U理論深化の一翼を担った著者が説く、新しい場づくりの実践。

【目次】
日本語版序文(山田夏子)
序文(C・オットー・シャーマー/『U理論』著者)
はじめに
この本について
1 実践モデル
2 在る
3 融合する
4 捉える
5 知る
6 描く
付録(カラーページ/著者のスクライビング)

【著者】ケルビー・バード
アーティストであり、世界的に認められているスクライビングの実践者。Fortune500企業や世界経済フォーラムはじめ、企業や行政、教育機関で、描くことによる場づくりをしてきた。またプレゼンシング・インスティチュートの共同創設者として、グローバルコミュニティに数々の貢献をしてきた。最近では、エデックス〔マサチューセッツ工科大学とハーバード大学によって創立された無料のオンライン講義のプラットフォーム〕でのオンライン講座「Uラボ:出現する未来から学習する」でスクライビングをしている。社会的な理解を促進するためのスクライビングを専門とする会社「デピクト」の共同設立創設者でもある。2016 年には、『Drawn Together through Visual Practice(未邦訳)』と題する視覚化実践者による文集を共同編集している。米国マサチューセッツ州サマービル在住。


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山田夏子(やまだ・なつこ)
株式会社しごと総合研究所代表取締役、一般社団法人グラフィックファシリテーション協会代表理事、システムコーチ/クリエイティブ・ファシリテーター。
株式会社バンタンでアーティスト、デザイナーをめざす学生指導や講師マネジメント、バンタンデザイン研究所ヘア&メイクスクール館長、人事部教育責任者を経て、2008年株式会社しごと総合研究所設立。
企業において、会議や話し合いの風土を変えるためグラフィックファシリテーションの講座を実施するほか、「ビジョン策定」や「仕事の自分ごと化」など社員のパーパスと企業のパーパスを橋渡しする対話会やワークショップをグラフィックファシリテーションによって紡いでいる。
NHK総合「週刊ニュース深読み」「クローズアップ現代+」などのTV番組で、グラフィックファシリテーションをすることも。