『現代の奴隷──身近にひそむ人身取引ビジネスの真実と私たちにできること』一部公開: 序文──なぜ?
マンハッタンにあるレストラン《ボンド45》で、ロイターの同僚でもある友人セイダと夕食をともにしていたときのこと。パリが憧れだと言う相手に向かって、私は、母方が先祖代々パリ在住で、自分は生粋のパリっ子なのだと話していた。「ラッキーね」と友人は言った。「私なんて、自分の家族がどこの出身かまったく知らない。奴隷の家系だから。アメリカに来る前、先祖がどこに住んでいたのかわからないのよ」
それは私にとって、奴隷制を現実として認識した初めての出来事だった。12年も前の話だが、今でも当時のことをはっきり思い出せる。この同僚のおかげで、おそらく黒人の友人たちのほとんどがセイダと同じ状況であろうことに、私はすぐに思い至った。10代前まで遡れるパリっ子にとり、それは衝撃だった。
アメリカで奴隷制度が廃止され150年を経た今もなお、皮膚の奥にはまだ深い傷が残っているという、驚くべき事実を私は知った。セイダは言うなれば、自分が何者なのかをいまだに探し続けている。
2008年11月4日、私は再び彼女と一緒にいた。このときはハーレム地区で、歓喜に満ちた、真に歴史的な夜を分かち合っていた──アメリカ合衆国初の黒人大統領となるバラク・オバマが、奴隷の子孫である妻ミシェルとともに選挙に勝利したのだ。当時の私はすでに現代の奴隷制に関心を抱き始めていた。奴隷制は実際に世界中に存在していた。異なる外面によってカモフラージュされていただけだ。
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それは私がトムソン・ロイター財団のCEOに指名された直後だった。同年の初め、ロイターはトムソンに吸収合併された。私はCEOのトム・グローサーから、ロイター財団の指揮を執って、より大規模なトムソン・ロイター財団に再編し、新会社に対して強い影響を与えて文化の薫りを吹き込むようにと命じられた。トムは後に私をこの職に就けた理由をこう語った。「大規模な会社と、比較的小規模な財団を持っている場合、なにか規格外のものが欲しくなるだろう? CEOの部屋に飛び込んできて、『われわれはこれをやらなきゃダメです!』と言うような、誰かがね」。私は一も二もなくその仕事を引き受けていた。
その職務は挑戦のしがいがあり、最大限のインパクトを発揮するにはどこでどうすればいいかを私は考え始めた。最大の課題は、会社の技術をどのように使えば、声なき人々、忘れられた人々のために社会進化を推し進めることができるか、だった。私は自分の直感を信じ、とてつもないアクション──それも集団でのアクション──の可能性を見つけた。それは現代奴隷制の残忍さと、どうすればその悪の世界に変化をもたらすことができるか、を考えることだった。
子どもの頃から私を突き動かしていたのは、権力の座にある者がその裏に何を隠し持っているのかを知りたいという欲求と好奇心だった。だからこそ私はジャーナリストの道を選び、ローマ、ロンドン、パリへと移り住み、政治から外交危機、果てはチャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚に至るまで、多くの話題を追いかけることになった。
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常に自らの直感を信じるようになったのは、22歳で死にかけた時からだ。特に激しい喘息の発作が起きて、3日間深い昏睡状態に陥り、挿管器具につながれた。パリのラエンネック病院の蘇生室で目が覚めた私は、二つのことが自分の人生を変えてしまったことに気づいた。
第一に、自分が何ひとつ良いことをなしえないまま死ぬところだったことに、絶望した。このとき身に沁み込んだ切迫感は、その後一度も拭えたことがない。ほんのわずかでも良いことをしたかったら、急がなくては──人生はとても短いかもしれないのだから。
第二に、神は存在しない、とほぼ確信するに至ったことだ。当時は読書が生き甲斐だった。『戦争と平和』は何度も読んだし『山猫』も再読した。どちらの作品でも主人公が死ぬ。死の直前、両者とも自己の生涯が走馬灯のように蘇り、光があふれ平安へと導かれる。私にとりそれは、神の姿を垣間見ることの喩えに思えた。
しかし苦しい喘息の発作中、私には光も神もなにも見えず、ただただ必死に呼吸を求めて喘ぐだけだった。息ができない私にとり、死は解放であり、息苦しさの終わりであり、疲弊した肉体の最後の平安だったろう。けれども私は生き返り、人生ただでは終わらせないという怒りをもって、誰になんと言われようとも自分がしたいことを選ぶ自由を、固く信じるようになっていた。
自由──。それによって私は、新たに任された財団で、自由を完全に奪われた人々を助けなくてはいけない、と信じるに至った。そして、まるで偶然のように、人身取引や現代奴隷制との闘いに深く献身する人々との出会いが始まった。
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10年前の当時、私は、21世紀に奴隷であるということの意味を、ほとんど理解していなかった。ましてや人間をモノ扱いするということは、私の理解を超えていた。子どもが男性が女性が、搾取され、殴られ、拷問され、売られ、転売され、完全に服従させられる──そして利用価値がなくなれば捨てられる──という観念自体、あまりにおぞましすぎた。奴隷たちがどんなふうに脱出するのか、救出作戦の裏の複雑な詳細など、知る由もなかった。
私がこの未知の世界への旅を始めたのは、深い好奇心からだった──それは何年も昔、私をジャーナリズムの世界にいざなったのと同じ好奇心だ。事実、その手法は瓜二つだったと言える。知識を持っている人の話を聴いて、学ぶ。第一線で奴隷制と闘うNGO、被害者が何年分もの未払い賃金を回収できるようプロボノで支援する弁護士たち、この分野で国際的に研究する学者たち、いくつかの国の政府の役人、警察、検察、そして私の母語を話す調査ジャーナリストたちに、私は話を聴きに行った。
けれども地球規模のこの犯罪が、いかに特殊性を帯び広範囲に及んでいるかを心底理解できたのは、サバイバー〔訳注:被害状態から救出され、または自ら抜け出した人。「元被害者」だが、いつまでも弱い立場ではないことを示し、また苦境を克服したことに敬意を表して、こう呼ぶことが多い〕たちを通してだった。本書はそうした私にとっての英雄である彼らの物語を伝え、その勇気を示すものにしたい。それは、知識を得ることで行動が生まれる、という確信があるからだ。
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この本を通して、より多くの人に、現代の奴隷制に気づいてほしい。見えない犯罪ではあるが、ひとたび指摘されれば、気づくのは難しくない。そしてひとたび気づいたら、正しい知識をもって行動することができる。たとえば消費者として、私たちには選択肢と声がある。少なくとも、強制労働によって汚染された製品の購入を避けることができる。アインシュタインが言ったように、「知る権利を得た者には、行動する義務がある」はずだ。
現代奴隷制という悪を終わらせるために私が貢献できるとしたら、それは点と点を結ぶことではないかと思っている。さまざまな専門家、議員、弁護士、CEO、そして今あなたが本書を読んでいる間も苦しんでいる何百万もの人々に真の変化をもたらすため、現場で行動し続けている人々を、結ぶことだ。私はなるべく多くの人を集めて、別々に働いているその仕切りを崩していこうと思う。私たちは、ともに行動する。サバイバーたちが、誰よりも強くすばらしい人間として、敬意を払われていると実感できるようにしたい。サバイバーたちは奴隷制との闘いの中心だ。彼らは必要な知識や経験を持つだけでなく、彼らの声にこそ、脆弱な立場にある人々が耳を傾けるからだ。
そして私たちのほとんどが、助けになることができる──もし、あえて見ることを選ぶなら。過去5年間でいくつもの良い兆候が表れ、数多くの異なる種類の解決方法が生まれている。私たちは一人ひとり、この闘いにおいて役割を果たすことができる──消費者として、市民として、一人の人間として。本書はその方法を探る機会を提供するものだ。
奴隷制は人類の歴史の最初から存在してきたが、だからといって、それが不可避というわけではない。もし私たちが集団で行動を起こせば、歴史の流れを変え、奴隷制に終止符を打てるかもしれない。
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私が最初に個人として目に見えるアクションを行った記憶は、「トラスト・ウィメン・カンファレンス」(現在の「トラスト・カンファレンス」)と結びついている。現代奴隷問題に光を当て、法の支配を女性の権利の後ろ盾とするために、私自身が生みの親として2012年に始めたイベントだ。
それは2013年12月のある寒い日、ロンドン市内で開かれた第2回カンファレンスでの出来事だった。ネパール人男性ディーペンドラが、聴衆を前に、カタールでの事務職の約束を通して、自身がいかに奴隷状態へと引きずり込まれたかを話し終えたところだった。ドーハに着くやいなやパスポートを取り上げられたディーペンドラは、劣悪な条件下での労働を強いられ、逃げる自由も奪われていた。それでも彼は運が良かった──2年半後に脱出することができたのだから。
私が出会ったときのディーペンドラは、まだ、中東のある首長国で働いていた。すでに奴隷ではなかったが、借金返済のために低賃金の仕事に就いていた。カタールでの“仕事”を紹介したリクルーターへの支払いと、カトマンズからの航空運賃のために借りたローンを返済し終えるまで、いったいあとどれぐらいかかるのか見当すらついていなかった。ローンの利率は60%。これはいわゆる「債務労働」もしくは「債務奴隷」だ。強制労働、性奴隷のどちらの場合でも起きており、世界中で何百万もの人々が債務労働のせいで自由を奪われている。生まれながらに債務労働を受け継ぐ人さえいる。親が借金を返せないからだ。
ディーペンドラが登壇したパネルディスカッションの終了直後、その場にいた見知らぬ女性が──口調が柔らかく丁寧で優雅な、60代初めの背の高いご婦人が──私のところに来て、彼の借金を肩代わりしたいと申し出た。「彼はそんな申し出を受けてくれるでしょうか?」女性は匿名を希望しているので、ここでは仮にMさんと呼ぶことにする。
ディーペンドラに話してみると、もちろん喜んでお会いしたいと言う。私たちは小部屋に入った。そこで私はいまだかつて見たことのない寛大な行為を目撃した。見ず知らずの他人が、別の人間の人生、そしてその家族全体の人生を変えてしまったのだ。
Mさんは訊ねた。「あなたの借金はいくらですか?」
「4000ドルです」とディーペンドラは答えた。彼にとってそれは、特に利息が常に累積していくことを考えれば、返済に何年もかかるほどの大金だった。けれどもカンファレンスの参加者のほとんどにとり4000ドルはさほどの金額ではなく、おそらく多くが彼の返済を支援できただろう。
「あなたに1万ドル差し上げますから、それで家族の元に帰って、ネパールでご自分の事業を始めたらいいでしょう」とMさんは言った。
ディーペンドラは歓喜にあふれ、他のネパール人の男性や女性が人身取引業者の餌食にならないように、慈善団体を立ち上げるのが夢だったんですと語った。
私は初めて、この最も恐ろしい人道犯罪の被害者の生活向上に貢献できたことを実感した。寛大なMさんのおかげで、ディーペンドラの人生を根本から変えることができたのが心から嬉しかった。私はすぐに彼の帰りの便を変更した。2日後、彼はカトマンズの妻と娘たちのもとに、自由の身となって戻っていった。
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何年もの活動を経てますます私に突き刺さってきた事実は、人身取引の加害者は、奴隷にする相手のことを、あえて、人ではなくモノ、あるいは動物として見るようにしているということだ。そうすれば良心の呵責を感じずに拷問できる。
反人身取引の活動とは、この非人間化を頑として拒むことだ。奴隷にされた人々も私たちと変わらぬ人間であり、同じものを必要とし、同じように恐れ、同じように希望を抱く。本書の中で私は、奴隷生活から生還したすばらしい人々の物語を伝えていく。ジェニファー・ケンプトン、ディーペンドラ・ジリ、マルセーラ・ロアイサの3人だ。3人は、人が最も脆弱なとき、なにが起こりうるのかを示してくれる。3人とも奴隷状態から抜け出せたが、加害者のうち、起訴されたり収監されたりした者はただの一人もいない。
「女ども3人を助けてやっただけさ」本書に登場するある人身取引加害者は言う。3人の女性たちを支配し、痛めつけ、人間からモノにした。だが、彼は決して、女性たちを助けてなどいない。