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本来、働き方の選択肢は、ずっと広いはずである。(岩佐文夫)

連載:ベトナム、ラオス、ときどき東京
「海外に住んでみたい」という願望を50歳を過ぎて実現させた著者。日本と異なる文化に身をおくことで、何を感じ、どんなことを考えるようになるのか。会社員を辞め編集者という仕事も辞めてキャリアのモデルチェンジを図ろうとする著者が、ベトナムやラオスでの生活から、働き方や市場経済のあり方を考える。

そこにはユニークな働き方をしている人たちがいた

3か月のベトナム滞在はあっという間だった。初めての海外生活であり、ハノイでの一つ一つの出来事が刺激的であったが、この3か月間よく考えることになったのは、多様な働き方についてである。

ハノイではGrab(グラブ)というウーバーのような配車サービスがメジャーである。グラブの運転手の大半が兼業しているようで、会社の就業時間後にやっている人や、中にはタクシーの運転手もいるという。日本で解禁されつつある兼業が、ここハノイでは当たり前のように行われている。

ハノイに住む外国人の中にも、とてもユニークな働き方をしている人がいた。

40代のあるアメリカ人女性は、パートナーと一緒にハノイに住んでいるが、仕事は英語のオンライン講師。中国の会社と契約して、主に中国人の子どもたちに英語を教えている。

時差もあるので、仕事は平日の午後の2時くらいから9時くらいまで。昨年まではクロアチアやフランスなど欧州に何か所か拠点を移しながら生活していた。そして将来は、ドイツの大学院に通いたいと考え、お金を貯めるために物価の安いハノイに住んでいるという。

南アフリカ出身のある女性は、50代になってハノイにやってきた。南アフリカでは設計関係の会社を運営していたが、事業を清算してここにやってきた。当初は1年毎に住む国を変えようと考えていたそうだが、ハノイで生活を始めていろんな頼まれごとを引き受けていたら、いつの間にか外国人が集まるカルチャースクールを経営するようになっていた。

「ここにいれば世界各国の人と知り合える」、そしてスクール事業は「仕事をしている気がしない」と彼女は言う。そして、ここに集う人たちを束ね、数々のチャリティ事業やボランティア活動を行うなど、ハノイでのすべての活動を思いっきり楽しんでいる。

自分の意思よりも「会社の意向」が絶対的な存在になっていないか

ハノイで出会った彼らの働き方を見ていると、日本人の働き方の選択肢の幅があまりに狭いことを実感する。日本では、大学を卒業した後は、定年までずっと仕事をするのが当たり前になっている。

いったん就職した後に、大学や大学院に通うことや、一時期「仕事を離れる」ことがまだまだ珍しい選択ではないか。仕事と言ってもフルタイムかパートタイムか、一つの仕事か複数の仕事か、などの選択肢は、特に終身雇用が保証された大企業に勤めていると想定しにくい。

終身雇用という制度は、働く人にとって、定年まで職を保証されるという大きなメリットがある。だがそれに身を委ねてしまうと、自らの働き方の選択肢を狭めることになってしまうのではないか。

この制度の下で無自覚に働くと、入社後は辞令に応じた仕事をし、転勤を命じられたら応じるのが当たり前だ。定年までの「職の保証」と引き換えに、仕事の内容も住む場所も、会社に決定権を譲ってしまうことになる。これは言い過ぎだろうか。

「自分はどんな仕事をやりたいのか」「どういうライフスタイルを志向したいのか」。こういう自分の意思よりも「会社の意向」が絶対的に大きな存在だと認識してしまっている人が多いのではだろうか。

どこへ行っても通用する「武器」は幻想ではないか

自ら仕事を選び、好きな場所で好きな時間に働くという生活を送るには、プロフェッショナルとしての技量が求められる。だが、だからといっても過去に業績を築いた人や高度に差別化されたスキルがある人だけを指しているのではない。

オンラインで英語教師をしているアメリカ人も、カルチャースクールを運営している南アフリカ人も、プロフェッショナルとして盤石な基盤を作ってからハノイにやってきたのではない。自分が望むライフスタイルに仕事を合わせていった結果、いまのような仕事と働き方となったのだ。

彼らが自由な働き方を選択できるのは、どこでも通用するプロとしての武器を持っているからというより、誰かに仕事を保証してもらおうとせず、自ら将来の生活に責任を持とうとする覚悟があるからではないか。いや、「覚悟」という大袈裟な言葉ではなく、自然とそう自覚しているのかもしれない。

僕自身もこれまでは、転職くらいしか働き方の選択肢がなかった。昨年、会社員を辞めてフリーランスとなったが、今年から仕事も働く場所や時間も、すべて自分で決める生活を始めている。

これが持続するかはまだ分からないが、仕事の幅も人生の幅も大きく広がっている実感がある。仕事をしながらベトナムに住むとことも、普通に会社に勤めていたら思いつかなかった。英語力を心配していたが、行けばどうにかなるものだ。

これからのことは決めていないが、自分がその気になれば、もっと異質な働き方ができるかもしれないと思える。僕の発想の幅は確実に広がったのだ。

好きな場所で好きな時間に、 好きな仕事をする

自分の中で広がったのは、人生を楽しむうえでの選択肢である。会社員時代は、物凄く狭い範囲で人生の楽しみ方を模索していた。どういう働き方をしたいかと問う前に、どういう生き方をしたいかを問う。この当たり前のことに気がついた。

企業勤めを辞めることが、絶対的な方法論ではない。他の多くの選択肢があることに気がつくことが大事だ。自分がどこで暮らし、どういう生活を送りたいのか。「働きがい」の前に「生きがい」が問われるように、自分のやりたい「働き方」の前に「生き方」を問うことから始めるべきでないか。

4月から始まったこの連載も、ちょうど折り返し地点に来た。ハノイでの3か月間の生活が終わり、異質な体験から感じた「多様な働き方」について自分の考えを伝え、多くの方の反応や感想を聞いてみたくなった。つたない経験で僕が感じた「働き方」の自由度は、はたして幻想か、どこまで一般化できるのか。

7月22日、東京に一時帰国します。日曜日の真昼間、「好きな場所で好きな時間に、 好きな仕事をする」をテーマに、みなさんと議論する場をつくっていただきました。自分の考えを話し、皆さんとの対話をできる機会を楽しみにしております。

好きな場所で好きな時間に、 好きな仕事をするには」
7/22(日)トークイベント:岩佐文夫×スペシャルゲスト

岩佐文夫(いわさ・ふみお)
1964年大阪府出身。1986年自由学園最高学部卒業後、財団法人日本生産性本部入職(出版部勤務)。2000年ダイヤモンド社入社。2012年4月から2017年3月までDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集長を務めた。現在はフリーランスの立場で、人を幸せにする経済社会、地方活性化、働き方の未来などの分野に取り組んでいる。ソニーコンピュータサイエンス研究所総合プロデューサー、英治出版フェローを兼任。
(noteアカウント:岩佐文夫