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「自己検閲」をはずして、書く喜びを取り戻そう──『自分の「声」で書く技術』監訳者まえがき公開

読み手のことを気にしすぎる、評価を恐れすぎる、完璧な文章を目指しすぎる......書ききる前から尚早に編集・修正をしてしまい、途方に暮れ、手が止まる。そんなことを繰り返すうちに、やがて書き始めることすらできなくなっていく──

自分の「声」で書く技術──自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』(ピーター・エルボウ著)は、過剰な「自己検閲」によって書くことが阻まれている方にぜひ届けたい一冊です。

出版を記念して、本書の翻訳出版を提案してくださった岩谷聡徳さんによる「監訳者まえがき」を公開します。岩谷さんご自身が書けなくて苦しみ本書に救われた生々しい体験、本書の構成や特徴、そして本書に備わる大いなる可能性、ぜひご覧ください。

※WEB掲載にあたって、書籍にはない見出しを加えるなど調整しています。



自身の内なる「声」を書こう

自分の気持ちや考えが、自分でもつかめない。言葉にならない。
でも伝えたい、何よりも自分で触って、知ってみたい。

そんなあなたに届いてほしい本書は、万人から100点をもらうための文章を目指すものではありません。あなたが届けたいメッセージをともに探し当て、届けたい相手に届く文章を書くための、力強くあたたかい支えとなる本です。

英語圏における古典的名著でありながら、現在においてもラディカルな本書の目次をご覧ください。ぱらぱらとめくってみるだけでも「実際に使えそう」「わくわくする」と感じられはしないでしょうか。その感覚のとおりの本であることは、長年本書が海外の幅広い読者によって支持され、時の試練を越えてきたことが証明しています。

本書の適用範囲は、狭い意味での作文にとどまりません。学生のレポート、ビジネスパーソンの企画書、趣味の文章や日記、プロの書き手を目指す方まで、文章にまつわる広大な範囲に及びます。

メソッド面においても、自分の文章を減点思考で削除する考え方をゆるめる方法「フリーライティング」から、出てきた文章をどう育て、どう美味しく料理するかにいたるまで、豊富な例とともに示されます。そのプロセスの後押しとなるフィードバックの場「ティーチャーレス・ライティング・クラス(以降、適宜ティーチャーレス・クラスと表記)」も、教師のような立場から採点される「垂直」の関係ではなく、同じ立場の仲間たちとの「水平」な関係ならではの喜びと楽しみに満ちたもの。また、「ビリービング(信じる)・ゲーム」と「ダウティング(疑う)・ゲーム」をプレイすることで、あなたの文章の個性が見出され、洗練されていくことでしょう。

本書は全体として、言葉を書くことや、自身の内なる声がどういうものなのか、そしてそれが他者へどう響くのかに興味を持つ人に向けて開かれています。本書の実践が、言葉を書くことを通じて起こる成長や、新たな感覚への気づきをサポートしてくれるでしょう。


「書けなかった」著者による、50年前からの贈りもの

原書『Writing Without Teachers』は1973年に初版、1998年に「25周年記念版」として第2版がオックスフォード大学出版局から刊行されました。本書は後者の邦訳であり、著者ピーター・エルボウ氏の著作としては本邦初訳となります。

50年前に初版が世に出て以来、教育業界や創作を志す方を含めた幅広い層から支持を得てきました。その後の第2版は、初版へ寄せられた批判や疑問に応えることで、さらに理論的精度を増した内容となっています。これまで英語圏の名門大学のテキストとして採用され、本書の内容を取り入れたさまざまな流派の作文教育の発展に貢献してきました。

そんな本書には、著者が長年かけて構築してきた理論(第5章〜補遺)と、それを実践するための具体的なプロセス(第1章〜第4章)があますことなく書かれており、いま読んでもおおいに通じる普遍的な内容になっています。

著者のピーター・エルボウ氏は、マサチューセッツ大学アマースト校などで教鞭きょうべんを執った教育学者(現在は同校の英語名誉教授)。大学での研究や心理学の知見のみならず、ニューヨークのハーレムでの教育から遠い環境にある人びとと接した経験などを総動員し、本書を書き上げました。

何より、エルボウ氏自身、40歳になるまで博士論文を書き上げることができずに苦労した個人的な背景を持っていました。そんな著者によって、文章が書けない状態にいる人の心理への深い理解と共感を持って生み出された受容的なアプローチが、本書が広く支持されてきた魅力のひとつといえるでしょう。

そして私自身も、本書に助けられ、本書をもっと広めていきたいと思っているひとりです。


論文や小説の執筆だけでなく、多分野の活動に活用できる本

私と本書との出合いは、大学院のクリエイティブ・ライティング系コースに在学中のことでした。修士論文と小説の執筆に困り果て、文章を書けるようになる処方箋を求めて日本語の類書にあたり尽くした末に、本書の原語版にめぐりあったころにさかのぼります。

原書『Writing Without Teachers』

書きたい気持ちはある。なのに書けない。書きたい気持ちがあるのに、まず良い書き出しが思いつかない。気分転換もたくさん試して、頑張って少し書けても、「もっと良い言葉があるはず」とすぐ訂正し、手が止まる。言葉が続かない。自分で自分を責め、期待したぶん失望を味わいました。

何を書いたらいいのかわからず、いま書いている文章がどこに向かっていくのかもつかめずに心細くなる。自分でもよくわからないのに、他者に伝わるだろうか。ましてや、きちんと評価されるだろうか。

しまいには書くことが恐怖に変わりました。自分には何も書けないのではないか。何を書きたかったのかすらわからなくなってしまう。書きたい、と思っていた自分の気持ちはどこにいってしまったんだろう。でも書きたい気持ちは、まだある。だから今度こそは。いや、いつかは書けるようになりたい。

ありありと思い出せます。私や、私の出会った多くの人の気持ちはこういったものでした。ひとりで/会社で/家庭で/学校で、創作を/日記を/レポートを書く際に、自分で自分の言葉を「検閲」してしまう──誰かに見せるのは恥ずかしい、空気を読んでいない文章だと思われないか、こんなことを書いたら非常識だと思われないか。

私はなんとか書けるようになりたいと、書くために役立ちそうな情報には片っ端から飛びつきました。それでも書けず、日本語で読める主だった参考文献も尽きたころに、本書の原書に出合いました。

はじめは象徴的なタイトル(『Writing Without Teachers』)に惹かれて手に取り、目次におどる楽しげなメタファーに期待を抱くと同時に、実践的な内容なのかどうか信じきれない思いが浮かびました。それでもすぐに「わらをもつかむ」気持ちで読み進めて一気に読了すると、「ただ読むだけでなく、実践するあなたに捧ぐ」という扉の献辞が胸に迫ってきました。だから私は、本書のライティング・プロセスを実際に試してみることにしました。そうしてついに創作と論文を提出することができ、大学院の文学研究科を修了することになります。

院を修了して以降は、不登校状態の方の寺子屋の運営や芸術文化財団に携わりながら、記録映像制作や翻訳、福祉とアートの創造的なプロジェクトのリサーチなどによって、社会と文化の幸福な関係を考察してきました。現在は、本書に学んだ「ライティング=自己表現の民主化」というビジョンを活かし、対話やアートをはじめとする多領域を横断した先端知を持ち寄ることで、複雑化した社会課題を解きほぐして新たな選択肢を創造する活動を国内外で実践しています。集合的な対話の持つ肯定的な力や、常識を創造的に疑うアートの知恵を活用して、教育や場作り、福祉や医療や芸術などの複数領域を舞台として、オーダーメイドの処方箋を提案しているのです。その際に、本書に学んだフリーライティングによって自分のビジョンや感情を自己検閲をゆるめて可視化し、ティーチャーレス・クラスを援用しながらチームの有機的な協働を果たせています。


本書の構成

以下に各章の簡単な構成と、それぞれのパートの活用方法を提案していきます。

大まかな構成として、本書の多くは具体的な実践方法の紹介にあてられています。理論的な内容を扱ったパート(補遺)は最後に置かれており、他よりも文字が小さくなっています。その理由は、実践パートよりも控えめな印象を読者に与えることで、理論によって拘束され、実践が妨げられないようにしたいという著者からの気づかいです。

  • 序章(第2版に向けて)
    本書が生まれた経緯や、参考にした先人の考察、そして本書の2つのメッセージ「コントロールからの独立宣言」と「教師による教えからの独立宣言」が述べられています。評判を呼んだ初版へ寄せられた批判に対する応答も見どころです。著者が本書を世に問うことになった必然性や、書けないあなたへの共感的な態度の背景が垣間見えます。すぐに実践に触れたいと感じた方は後から読んでも差し支えないパートではあります。ですが、この章を読むことで補遺の抽象的な議論の理解も深まるでしょう。

  •  第1章:フリーライティングを練習しよう
    →書くスタートラインに立ちたいあなたへ
    書く作業を内側から妨害する「自己検閲」をやり過ごし、言葉が言葉を呼ぶ書き方の方法とコツが語られます。失敗に寛容な著者ならではの、書くことに困難を抱えた読者の怖れに対する共感にあふれており、豊富なメタファーや実例を参考に実践できます。

  • 第2章:ライティングのプロセス①──グローイング
    →書いた素材の育て方や素材の核を見つけたいあなたへ
    書いた素材を育てて磨く4段階のステップが提案されます。ユニークなのは、「編集」には最後まで手を付けず、「混沌や脱線」を積極的に受け入れる点。それによって、素材とあなたの成長のポイントが見えてくるでしょう。

  • 第3章:ライティングのプロセス②──クッキング
    →育てた素材どうしを反応させ、有機的に活かしたいあなたへ
    育てた素材を美味しく料理するステップ。「アイデアどうし」「あなたと言葉」を組み合わせたり、「散文を詩へ」「一人称を三人称」へとジャンルやモードを変えることで、要素どうしを反応させる方法が語られます。反応がうまく起きない場合の考え方についても丁寧に説明されています。

  • 第4章:言葉の響きを確かめよう──ティーチャーレス・ライティング・クラス
    →自分の文章が現実の読み手にどう受け取られるのかを知りたいあなたへ
    素材や料理を対等な立場のメンバーが持ち寄り、互いに虚飾を排したフィードバックを贈り合うクラスの概要が説明されます。それは、採点が存在しない心理的に安全で民主的な場です。さらに、自分の文章が実際に目の前の他者にどう届いたのかを伝え合うフィードバックの贈り方と受け取り方が豊富な例とともに示されます。

  • 第5章:ティーチャーレス・ライティング・クラスをもっと理解する
    →ティーチャーレス・クラスをもっと理解したいあなたへ
    →書くことについて指導・監督する立場のあなたへ

    ティーチャーレス・クラスによって書くことが楽になる/上達する理由と、フィードバックの心構えが説明されます。ライティングにまつわる既存の教育システムでは、「評価すること」を目的化した結果、公正さと客観性が重視され、「読み手の実感」が置き去りにされてきました。しかしティーチャーレス・クラスは逆に、読んだときの主観と書くときの実感を持ち寄るものです。そんなクラスがライティングにもたらす恩恵と気をつけるべき罠について、現場で起こりがちな状況を踏まえて考察されます。

  • 補遺:ダウティング・ゲームとビリービング・ゲーム
    →執筆や表現を後押しする普遍的なメカニズムを考えたいあなたへ
    初版以降に寄せられた批評や疑問への回答も含めて、本書の方法論の根底に流れる理論が語られます。なかでも、目の前の表現物に対して論理的に疑う姿勢を持つ「ダウティング・ゲーム」と、表現物に没入して肯定しようとする「ビリービング・ゲーム」を併用する意義について、つまり、減点方式と加点方式それぞれの強みを相補的に動員することが読むことと書くことに与える影響を考察しています。

以降、著者による補足や、本書のより詳しい情報や応用的な活用法を記した「監訳者解説」へと続いていきます。


従来の「書き方本」との最も大きな違い

本書の特徴として、3 つの点が挙げられます。

  1. ミスや失敗を受容する点
    筆者自身が失敗から学んで開発したメソッドであり、書けない人の心理を熟知しているからでしょう。肯定的な姿勢が読者の背中を押してくれます。

  2. プロセスを重視する点
    何のために書くかという目的自体が、書いていくプロセスによって変容していくという視点です。書き手は書くことで成長していくもの、という思想を反映しています。

  3. 文章の読み手ではなく「書き手」に主導権を委ねる点
    ティーチャーレス・クラスでもらったフィードバックでも、受け入れるかどうかは受け手(=書き手)が決定します。自分が書く文章の目的が明らかになるにつれ、受けたフィードバックが有用か否かは、書き手自身で判断できるようになっていくという視点です。筆者の書き手への信頼が垣間見えます。

以上3 つの要素が互いをサポートし合い、全体として有機的な構成となっています。

従来の「書き方本」との最も大きな違いは、個人ワークとグループワークの相補的な組み合わせにあります。

ひとりでおこなうライティングの盲点として、「自分の本当の声は自分では聞こえない」ということがあります。自分に聞こえる自分の声は、頭蓋骨に反響して変化したものだからです。目の前の他者に自分の声がどう聞こえたのか、その率直なフィードバックを受けることでこそ、実際の自分の声に気づけるのです。本書のメソッドに沿って具体的に見てみましょう。

まずはひとりで、自己検閲をゆるめる「フリーライティング」を使って、あなたの内側に流れるものを止めずに言葉に出してみます。そしてその素材を「グローイング」「クッキング」で育てて磨いてみます。

それを「ティーチャーレス・クラス」に持ち寄り、水平で安全な場だからこそ生まれる「虚飾のない」フィードバックを、他者から贈りものとして受け取ります。

その贈りものをひとりになってからじっくり確かめるなかで、あなたの声が他者にどう聞こえたか/狙った声が実際にはどう届いたのかを知ることができます。

それをもとにふたたび個人ワークで磨き、またクラスでフィードバックを受け取る──こうして「自分と言葉」という垂直な関係と、「自分と他者」という水平な関係の往復を繰り返すことで、自分の実際の声/自分が本当に届けたい声がどんどん明確になっていくのです。このプロセスを通じて、書く目的や意義が進化し、満足度の高い言葉を手繰り寄せられるようになっていくでしょう。

本編の中で紹介されるティーチャーレス・クラスの方法論はかなり厳格に感じるかもしれません。ですが巻末の「付録② ティーチャーレス・ライティング・クラスの際に覚えておくべきこと」にあるように、著者はもう少し柔軟に開催する形式も勧めています。あまり身構えず、ぜひ気軽に取り組んでみてください。


書く喜びを取り戻そう

本書は、人間の本性であり(他者とつながる)バトンともなる「言葉を書くこと/表現すること」の根源的な喜びを読者から引き出して、他者と共有しようではないかと誘います。ですが言葉の届け方を誤れば、対面・オンライン問わずに他者と傷つけ合う状況が訪れます。正解主義の教育のみを頼りとして、怖れずに自分の言葉を他者に届けることはできるでしょうか。そんな現代の私たちにとって、「書くことの喜び」を交換し合うことによって生きやすい共同体を形作っていくための、強力であたたかな支えとなる本でしょう。

本書の内容を実践し始めて以降、文章を書くことに関わる対処法を血肉化することができ、思いやアイデアの言語化に対するバリアーはなくなりました。そして本書は、私に多くの新たな選択肢へとつながる扉を開けてくれました。

恩送りのように、この10年間はかつての私と同じ悩みを持ったさまざまな属性の方たちと本書に基づいた実践をおこなっています。そのなかで、日本語や英語のみならず、非言語でのアウトプットへも応用することで多様な化学反応が起こるさまも目のあたりにし、個人やチームでの活動の幅を広げることができました(詳細は「監訳者解説」にて)。

その対象も、学校教育はもちろんのこと、非言語を含む創作やセーフティネットを志向する場作り、芸術の要素を含んだ福祉分野から、探究学習、国内外の先進的かつ領域横断の協働プロジェクトにまで広がっているのです。単一の正解や先例のない現代社会において、互いの納得感をベースとする協働による新たな選択肢の創出は、分野をまたいだ脚光を浴びています。

監訳者としての願いは、本書が教育や表現にとどまらない多分野にわたる日本の読者に開かれていくことにあります。

そうした分野も背景も多様な現場に立ち会うなかで私が再確認できたこと──それは、本書で提示される「言葉を書くこと=自己の思いや考えを表現/伝達すること」は、自己および他者に対する理解と分かちがたく結びついているという確信でした。

私は、本書の原題である「Writing Without Teachers」とは、教師を含めた誰かから受動的に教えられて書くのではなく、「他者とお互いに学び合いながら、自分の『声』を書いていくこと」という意味に受け取っています。

こうして本書を手に取ったあなたが、本書が導く「ライティング・プロセス」の実践を通じてご自身の声と出合い直し、新たな世界の扉をご自身や他者とともに開いていかれますように。本書はそんな「ただ読むだけでなく、実践するあなた」に捧げられたバトンでもあるのです。


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