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「一人ひとりが対立を解決する力を持っている。」――『対立の炎にとどまる』訳者まえがき全文公開

長らく絶版になっていたプロセスワークの提唱者アーノルド・ミンデルの名著”Sitting in the Fire”が、完訳復刊版『対立の炎にとどまる――自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ』として12/14に発売開始。
旧ソ連諸国の民族紛争、日本企業におけるジェンダー格差、職場の人間関係……。自分と相手の奥底にある感情に耳を傾け、あらゆる対立の場に変容をもたらす「エルダーシップ」のあり方を説いた実践書です。
本書がいま出版される意味やエルダーシップについて書かれた「訳者まえがき」を全文公開いたします。(※掲載にあたり改行・太字などの編集をしています)


訳者まえがき


本書の原題であるSitting in the fireとは、「炎の中に座す」という意味です。

私たちが暮らす現代社会では、日常的な行き違いから国家どうしの争いにいたるまで、さまざまな問題や対立が生じています。大小かかわらず対立が生じると、その炎を消したくなるのが人間の本能的な反応です。

しかし、著者アーノルド・ミンデルはこの対立の炎こそ、問題を解決するために生じているエネルギーだと考えました。ミンデルが注目したのは、そのエネルギーとどう向き合い、扱うかという点です。従来のような、炎を消そうとしたりあおったりするアプローチとは異なり、彼が提唱したのは「炎の中に座す」、つまり対立の渦中に自ら飛び込んでとどまることでした。

なぜなら、炎の中にとどまることで、新たな「アウェアネス=気づき」を得られるからです。気づきこそが対立に意味をもたらし、人々の関係性が変容し、新しい可能性を共に創造する出発点となる—これは世界中の実践と研究から育まれた知恵であり、その結晶が、本書で紹介されるワールドワークなのです。

ワールドワークのベースとなったのは、ミンデルが提唱したプロセスワークという心理学です。プロセスワークは対人関係だけでなく、個人の内面の探求にも用いられる考え方です。ミンデルはユング心理学をもとに、身体感覚や無意識を扱うプロセスワークを体系化していきました。

それを集団どうしの関係性に応用したアプローチがワールドワークです。本書は紛争解決の専門家やファシリテーターのバイブルとして広く読まれてきており、世界中の政治・ビジネス・社会的リーダーがミンデルやプロセスワーカーのもとを訪れて学んでいます。

世界の問題も身近な問題もつながっている


日本語訳の旧版『紛争の心理学』が抄訳版として出版されたのは、2001年9月のことでした。9.11のアメリカ同時多発テロ事件とその後の対テロ戦争によって、世界的な「分断と対立」が日本でも関心を集めたときでした。

それから20年あまり、私たちを取り巻く問題は依然として残されたままです。経済格差をどう埋めるか、ジェンダー平等やマイノリティのインクルージョン(包摂)をどう実現するか、環境危機をどう食い止めるか。そして本書の出版直前には新型コロナウイルスの感染拡大やロシア・ウクライナ問題の勃発など、世界規模で複雑な問題が次々と生まれています。

本書で扱われる事例には、旧ソ連崩壊後の東欧諸国の対立や、アメリカに根深く残る人種差別、日本企業におけるジェンダー問題など、現代に引き継がれてしまった問題がいくつも取り上げられています。

一方でワールドワークは、上記のような大きな問題だけでなく、家庭内の不和、職場のギスギスした人間関係、コミュニティ内のグループどうしの意見の相違といった、身近なテーマも扱っています。

とくに翻訳者である私たちは、日々のビジネスの現場においてプロセスワーク/ワールドワークへの関心がかつてないほど高まっていることを実感しています。

私たちは組織開発という分野にプロセスワークを応用し、経営層・ミドル層・現場といった階層間で生じる激しい対立のファシリテーションや、エグゼクティブコーチングを通じたリーダーシップ開発、それにともなう関係性改善やチーム開発などを実践し、大きな変化を遂げた組織に出合ってきました。

例えば、ある会社の事業部門では、ハラスメント傾向のあったトップが、自身の痛みに深く降りていくことで大きな変容を遂げ、チームへの向き合い方が変わって、組織が活性化されていきました。また別の会社では、ある事業部のトップが全身全霊をかけた変革プロジェクトに対して、現場の理解を得られずに深い対立構造に陥っていましたが、多様な階層からの参加者を集めたワールドワークを行った結果、事業部全体が再生していく素晴らしい物語に立ち会うことができました。

ミンデルが常に強調しているのは、「世界の問題と目の前の問題はつながっている」ということです。私たちが抱える個人的で身近な問題の中には、世界の大きな問題が含まれていると説いています。

例えば、臓器などの身体の一部が悪くなれば全体にも影響します。私たちの生きる世界を一つの生きたネットワークと見るならば、個人の小さなアクションも世界に何らかのインパクトを残すのです。

一人ひとりが対立を解決する力を持っている


そうした問題を解決していくために、今まさに「新しいリーダーシップのあり方」が求められているのではないでしょうか。これまでリーダーと言えば、本書でいう「パワー」を持っている人、つまり社会的・対人的・心理的に強い影響力を持っている人のことを指していました。しかしプロセスワークでは、パワーを持つとは単に「強い」ことではないと捉えます。

例えば「人々の先頭に立ってビジョンを示す」「決断する」「論理的に考える」男性的なリーダーシップも、「他者の感情に配慮する」「人々やコミュニティをつなぐ」「優しさをもって接する」女性的リーダーシップも、どちらも同じようにすばらしい価値があると考えます。

つまり、私たち一人ひとりが独自のパワーを持っており、その存在を自分も周囲も認知し、自覚的に使われるときにこそ、豊かな世界が現れると考えているのです。

この点について、ミンデルはプロセスワークでは「自然に対する慈愛(benevolence)」こそ最も重要だと語っています。ここでの「自然」とは、「パワーの多様性が肯定されること」を意味しています。

つまり、集団の先頭に立つ人だけでなく、一人ひとりにはどんなパワーが眠っているだろうか、またそれぞれが自分のパワーを発揮するリーダーになるためにはどうすればいいだろうか、という眼差しが求められているのです。

しかし、集団の上に立つリーダーが必然的にパワーを持つことから逃れられないのも、厳然たる事実です。

個人にパワーがあるように、集団・組織・国家もそれぞれ独自の集合的なパワーを持っています。その上に立つリーダーは、自らが属している集合体のパワーを同時に手にしていることになるのです。世界の問題にはそうしたパワーが関わっており、そのダイナミクスを理解することにもプロセスワークが役立ちます。

世界中の紛争に関わってきたミンデルは、世界のリーダーが自らのパワーを自覚的に使えるようになれば90%以上の問題は自然と解消すると言い切っています。

しかし、歴史を振り返っても、人類はまだまだパワーを十分に使いこなせているとは言えないでしょう。パワーの使い方は、今後の最も重要な成長領域と言えるのではないかと考えています。

パワーの使い方


具体的な事例で、パワーの影響力について考えてみましょう。

例えば、上司が部下に対してハラスメントを起こしている企業があるとしましょう。たいてい「加害者」の側は、自分のパワーが他者に与えるインパクトに「気づいていない」ことがほとんどです。問題が生じて初めて、自分のパワーが他者に与えるネガティブな影響に気づき始めます。

一方で周囲の人は上司のパワーが理不尽に使われていることに、最初から気づいています。それに対して我慢の限界に達すると、被害を受けた人が「NO」の声をあげて問題が表面化します。

もちろん、自分は上司と比べてパワーを持っておらず弱い立場にあるため、いつまでも声をあげられないという人もいます。ワールドワークでは、パワーの大きい立場にあるほうを「ランクが高い」、小さい立場を「ランクが低い」と表現します。集団の対話において、ランクが低い人に「NO」と言えるように促すこともファシリテーターの重要な仕事の一つです。

ランクの低い人から声があがった瞬間は、ランクの高い人にとっては、そのパワーの使い方に気づく機会になると捉えることもできます。自分のパワーを自覚して改めることで、問題を解決できるかもしれません。

一方で、過剰な糾弾が逆効果になることもあります。ランクの低い人たちが結託して、ランクの高い人を必要以上に責め立てて、無自覚にも相手を傷つけてしまう状況になってしまうのです。エスカレートすると、それをメディアが取り上げて、SNSによる無関係の他者からの誹謗中傷が殺到し、悲惨な結末を招いてしまう事件も現実に起こっています。

そうした状況下において、責められた人は自分を守るために頑なになったり、反論したりするかもしれません。そうして怒りの炎が燃え上がっていくのです。

問題は、私たちが自分たちの言動が暴力になる可能性に「気づいていない」ことです。パワーへのアウェアネスを持つことで初めて、パワーの使い方を考えられるようになるのです。それは例えば、「ランクの高い人であってもパワーが弱まる状況に追い込まれうる」という気づきかもしれません。

想像してみてください。パワーが平等にではなく、パワーがアウェアネスをともなって自覚的に扱われる世界を。それはどのような世界でしょうか?

私は、限りなく強くて優しい社会や世界が実現されるのではないか、と想像します。その世界でパワーは否定されたり批判されたりする対象ではなく、弱さや不均衡の是正のために積極的に使われるものです。

そして、他者を理不尽に追い込むパワーに対しては、自覚と内省が促されるでしょう。その結果、安心して弱さを見せることができる、助け合える社会が実現するのではないか、と思うのです。

エルダーシップを育む


一人ひとりがパワーへのアウェアネスを促す存在、いわば新しいリーダーシップモデルとして本書で描かれるのが「エルダーシップ」というあり方です。

エルダーとは直訳すれば「長老」ですが、本書では対立の炎を避けることも炎に燃え尽くされることもなく、ただ炎の中に座して自分と人々の気づきを探求するあり方のことを指しています。

極度に張り詰めている状況でも、冷静かつ慈愛を持って、あるいはユーモアを持って場にいてくれる人、そしてその人の存在が他の人たちに安心感や希望を与えてくれるような人を想像してみてください。

そんなエルダーになるためには、何が必要なのでしょうか?

ミンデルは「世界のために仕事をしようとするときは、まず自分のために涙を流す必要がある」と語っています。エルダーとは、他者の痛みを知る人のことです。しかし他者の痛みを感じるためには、まずは自らの抱える傷を癒やすことから始めよと説いているのです。

自分の傷を癒やせないと、多様な立場の人を理解することも困難になります。相手を攻撃者と認識したり、傷んでいる自分の一部を見たくないがゆえに、弱さを露呈する人に辛辣に対応したりしてしまうかもしれません。

自分の痛みや弱さに向き合って乗り越えられた人は、大きく変容し成長できるでしょう。本書では、自分の痛みや怒りと向き合うワークがいくつか紹介されているので、エルダーシップを探求する手がかりになるでしょう。

対立が人間性とコミュニティを育み、平和を創る


対立と向き合い、エルダーシップを育むことを探求していくと、「対立」そのものの捉え方も変わってきます。ここで、ミンデル夫妻が書いているタオイストの物語を紹介したいと思います。

昔々、互いに出会ったことのない四人のタオイストがいました。

それぞれに突然の閃き(タオの導き)が訪れ、
「そうだ! 寺院を建てよう!」と思い立って行動を始めました。
そのうちの一人の女性がゴミで溢れかえるストリートを歩いていると、
「ここは寺院を建てるに素晴らしい場所だ!」と閃きました。
その周囲に喧嘩をしている人たちがいてゴミが飛んできましたが、
彼女はそのゴミを喜んで受け入れるばかりでした。

やがて気づいたときには寺院が完成していました。
実は、喧嘩をしてゴミを投げ合っている人たちも、
寺院を建てようという閃きが訪れた三人のタオイストたちでした。
こうして四人のタオイストによって寺院が建てられたのでした。
三人が対立し、一人がそれを喜んで受け入れたのです。(要約)

The Journal of Process Oriented Psychology, 2001, Vol8. “How to build a Taoist temple” Arnold and Amy Mindell

ミンデルの考えるタオに従う態度、自然を敬う態度の根幹がここには表現されています。自分たちが知らないところでは、憎み合い対立し合う背景にすら、大いなる物語が育まれているということ。そこにまで思いを馳せるという思想がここには現れています。物語を参考にすれば、下記のミンデルの言葉もよく響いてくると思います。

「トラブルに価値を認めよう。自然を受け入れよう。争いで平和を築こう。そうすれば、傷つく人は少なくなるだろう。晴れの日も雨の日も享受しよう。残った仕事は、自然がやってくれる」

プロセスワークでは「ヒューマニティ(人間愛)」という言葉もよく使われます。私たちは時に戦争をするほどに他者と傷つけ合うこともありますが、その根底にはいつも人間であることへの問いが隠れています。

たとえ相手を打ち負かしたいという行動であっても、潜在意識の奥深くには「他者に理解されたい」という叫びが隠されていることがあります。私たちがなぜ「対立」するかと言えば、それは「つながりたい」という激しい衝動があるからではないか、と思うこともあります。

対立に対して表面的に向き合ってしまうと、この深い思いを感じることはできません。ワールドワークを通じて、激しい怒りを扱うとき、その背後にある深い悲しみや、人間の尊厳に触れるように感じられることがあります。

そうした想いは不思議とその場にいる全員の人たちに響くものがあります。そこにいる誰もが、「自分たちは同じ人間である」というヒューマニティの根幹を体験するのです。ある意味では、対立が私たちを、人間性の根源に引き戻してくれると言えるかもしれません。

ヒューマニティが共有されるとき、私たちは一つの共同体であることを発見します。この普段は意識されていない感覚こそが、プロセスワークやワールドワークが常に目指している、「コミュニティ」なのです。

世界が共同体であることを誰もが思い出すことができれば、私たちの住む世界はもっと活力に満ちて面白く、限りなく優しいものになることでしょう。

最後に、本書の構成について概観をお伝えします。プロセスワークがそうであるように、本書はステップ・バイ・ステップで整理されているハウツー本ではなく、ときに行き来しながらエッセンスをちりばめている本なので、一つの見取り図として参考にしていただければと思います。

第1部は、対立のメカニズムを解き明かし、解決のためのヒントを探るパートです。

第1〜3章では、「プロセスワークとワールドワークの基本」が説明されます。重要な用語や考え方が紹介されるので、途中でわかりづらくなったときはここに戻って読み返すと理解を深められるでしょう。

第4〜6章は「個人の被害者性と加害者性」について語られています。パワーやランクがどのように集団のダイナミクスと関わっているかが描かれます。

第7〜10章は「社会がいかに対立を生み出すか」に焦点が当てられます。社会にある制度や文化がどのような問題を生み出しているのか、またそこで暮らす私たちはどう向き合えるのかを論じています。

第2部は、エルダーシップをどう育むかに焦点が当たっています。おおまかに、第11〜13章がエルダーシップの基本編、第14〜16章が実践編となっており、老荘思想とのつながりも語られます。

巻末には、より理解を深めるための補足情報や実践のヒントを記した解説を記載していますので、そちらもぜひご参照ください。

本書は深層心理学のモデルなど意識の深い側面について書かれている内容もあるため、理解しづらい部分もあるでしょう。そのときは感覚にしたがって、ご自身に響く箇所から読んでいただくことをおすすめします。翻訳者である私たちもそうですが、プロセスワークを学んでいる人ですら、理解が追いつくには年数を要する内容もあるためです。

また、国際情勢や人種差別など身近に感じづらい内容もあるかと思います。しかし、人が集まる組織や社会の問題は、その規模の大小にかかわらず通底するものがあるはずです。家族の問題や、職場の人間関係などご自身の経験に照らし合わせながら読み進めてみてください。

読者の皆さんが直面する問題や対立において本書の知恵が活かされることで、対立の「炎」のエネルギーが創造的な方向に転換され、新たな解決策が生まれ、よりよい世界につながっていくことを切に願っています。

[著者]
Arnold Mindell アーノルド・ミンデル
プロセスワーク、ワールドワークの創始者。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程終了(論理物理学)、ユニオン大学院Ph.D.(臨床心理学)。ユング心理学、老荘思想、量子力学、コミュニケーション理論、市民社会運動などの知恵をもとに個人と集団の葛藤・対立を扱うプロセスワークを開発。世界中の社会・政治リーダーやファシリテーターの自己変容を支援している。著作に『対立を歓迎するリーダーシップ』(日本能率協会マネジメントセンター)、『ワールドワーク』(誠信書房)、『プロセス指向のドリームワーク』(春秋社)など多数。

[翻訳]
松村 憲
バランスト・グロース・コンサルティング株式会社取締役、国際コーチング連盟認定PCC、臨床心理士
大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了。米国プロセスワーク研究所にてプロセスワーク修士課程修了(認定プロセスワーカー)。プロセスワーク理論を活用した組織開発コンサルティングやエグゼクティブコーチングを行う。

西田 徹
バランスト・グロース・コンサルティング株式会社取締役、国際コーチング連盟認定PCC
京都大学農学部農芸化学科修士課程修了、ニューヨーク大学経営学修了。リクルート、ボストン コンサルティング グループなどを経て現職。コーチングの基本を順守しながらも、経営戦略と心理学(プロセスワーク)を統合したエグゼクティブコーチングを行う。

[監訳者]
バランスト・グロース・コンサルティング株式会社
「Connect Different for emerging future――単に葛藤がない世界を作るのではなく、夢があるから葛藤がある・譲れないものがあるから対立が起きる、その本物の葛藤を創造の喜びに繋げたい」をパーパスに、プロセスワークなどの知恵を活かした組織開発を行っている。


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