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『コーポレート・エクスプローラー』第1章全文公開

成熟した大企業がイノベーションのジレンマに陥らず、既存事業の深堀りと新規事業の探索を両立するための指針を示した経営理論「両利きの経営」。これまでの議論では主に経営者に焦点が当たっていましたが、『コーポレート・エクスプローラー——新規事業の探索と組織変革をリードし、「両利きの経営」を実現する4つの原則』では、具体的に探索事業を推進するリーダー(コーポレート・エクスプローラー、CE)に着目しています。業界を刷新した成功や巨大企業の失敗など、数多くの事例を分析し、CEに求められる作法や、その活躍を後押しする組織のあり方を紐解きます。その発売に合わせて、本書の「第1章」を公開します。

業界を一変する「破壊的イノベーション」は成熟した企業には適さない、と普通は思われている。完成した事業モデルのもとで利益を上げて成長してきた企業には、慣習に反する驚異的な事業など不可能というわけだ。

目先の利益が最優先だから、どうなるかわからない新規事業を推進するリスクには及び腰になるし、よさそうな案に資金を投じてみた場合も、事業化して採算がとれるまで我慢できないのがほとんどだ。

こうして成熟企業は、「創造的破壊(ディスラプション)」の餌食になる。創造的破壊とは、クレイトン・クリステンセンが命名した概念で、業界の常識が短期間で激変することを指す。

わかりやすいのは、タクシー業界におけるウーバーだ。同社は相乗りサービスで業界に参入すると、世界中から認可を受けたドライバーを一掃した。一世紀もの間、安泰だったタクシー業界の常識が、わずか10年でひっくり返ったのだ。デジタル革命や最近では新型コロナウイルスの影響によって市場変化の勢いは止まらず、創造的破壊も生まれ続けている。

クリステンセンは、名著『イノベーションのジレンマ』(翔泳社、2000年、増補改訂版は2001年)で、スタートアップが反逆者として既存の支配的企業を打破してきたデータを示し、成熟した企業が創造的破壊の戦いに勝つのはまず不可能と結論づけた。長年一つの市場を席巻してきた企業は、別の分野で商品を開発しても利点がなく、既存製品とのカニバライゼーション(共食い)の回避を優先するからだ。

21世紀に入ると、グーグル、アマゾン、アリババなどが巨大デジタル企業へと急成長したことで、20世紀型のテクノロジー、メディア、小売関連の大企業が凋落し、クリステンセンの説が裏付けられた。

その後も、創造的破壊の勢いは増す一方だ。成熟企業をさらに追い詰めたのがデジタル技術である。テクノロジーがあれば、企業の規模にかかわらず革新的な事業モデルを構築できるため、創造的破壊は誰でも起こせるものになった。

今では、創造的破壊はスタートアップの専売特許で、ウーバーやリフト、キャスパー、エアビーアンドビー、ソーファイ、ワービー・パーカー、ブルーム・エナジーなど、世界を一変しうる企業は挙げきれないほどだ。もはや、老舗の成熟企業に出る幕はない。

クリステンセンの説は、一般論としても納得しやすい。年老いて動きの鈍くなった大企業が、新興デジタル企業のスピードや独創性に太刀打ちできなくても仕方ないというわけだ。資金面や技術面の資産は多くても、大企業には新規事業の育成に必要な起業家精神が欠けている。

イノベーションは、ベンチャーキャピタルの後ろ盾を得た起業家同士の戦いなのだ。社内で優れた案を出しても官僚的な承認プロセスを長々と待つだけだから、いっそ起業したほうがいいと助言されるマネジャーも多い。こうして、成熟した企業には斬新なイノベーションなど不可能という常識は、ますます揺るぎないものになる。

たしかに、新しい企業が業界の常識を一変するイノベーションを起こしても、差し迫る脅威に対処できる大企業はほとんどなかった。かつての大企業の多くが、もう存在しないか名前だけの抜け殻である。ある調査によると、スタンダード・アンド・プアーズの格付けリストに現在掲載されている企業の半数が、2030年までに他の企業と置き換わるとされている[1]。

2007年には携帯デジタル端末市場を牽引していたノキアが、2013年に70億ドルでマイクロソフトに買収され、その数年後には償却された。音楽会社のEMIも、SPレコードや、ビートルズの大ヒットアルバム『アビイ・ロード』を収録したLP盤や、磁気テープやCDといった多様な録音媒体によって輝かしい時代を築いた。しかし、デジタル音楽とそれに合わせた事業モデルが登場すると、同社は完全に利益を失い、2012年に消滅した。

同様の事例は、写真・画像業界のコダックやポラロイド、小売業のブロックバスターやディベンハムズなど枚挙にいとまがない。創造的破壊はどこでも起こり得る。どれほど歴史があろうと、どの地域や業界でも、手加減などないのだ。

創造的破壊の戦いを制する

では、本書はなぜ企業内で新規事業を起こすコーポレート・エクスプローラー(CE)を扱うのだろうか。

それは、クリステンセンの著書から25年近くたち、状況が変わってきたからだ。自社の資産を活用して創造的破壊の戦いを制する大企業が増えてきた。

世界最大級の数兆ドルもの時価総額を持つアマゾンでは、新規事業の創造が経営方針の軸だ。現在、同社の業態は「エブリシング・ストア」やマーケットプレイスにとどまらない。アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)は世界有数のクラウドプラットフォームだし、アマゾン・プライムは映画や動画の制作・配信分野でネットフリックスとも渡り合っている。

半導体メーカーのエヌビディアは、従来のパソコン市場が急速なコモディティ化による脅威にさらされつつあると認識した途端、方向転換して人工知能(AI)に投資し、AI企業として見事に再建を果たした。ネットフリックスも、DVD郵送事業で競合のブロックバスターに競り勝ったのち、オンライン配信事業へと舵を切り、今ではコンテンツ制作会社としても大成功を収めている。

過去20年間で、多様な新規事業が大企業から誕生した。創造的破壊を牽引できるのはスタートアップのみという常識が当てはまらなくなってきたのだ。自社の資産を活用できるという社内イノベーションの利点を、企業自身も自覚しはじめたのである。

公平を期すために言えば、ここまで挙げた企業はたしかに歴史が浅いし、起業家精神を備えた「デジタルネイティブ」の創業者が今も経営を担っている。では、そうではない企業も挙げよう。

ソフトウェア界の巨人、マイクロソフトだ。顧客企業内のサーバーやパソコンへのインストール型ソフトウェアが収益の柱という状態が何十年も続いていたが、突然、セールスフォースの顧客関係管理(CRM)ソフトウェアや、ワークデイの人事管理アプリケーションなど、クラウドベースのサービスやソリューションが爆発的に誕生する。「サービスとしてのソフトウェア(SaaS)」時代が始まったのだ。創造的破壊の理論からすれば、マイクロソフトは衰退へと向かうはずだった。

ところが、同社は企業向けメールサービスを刷新し、オンラインサービス「オフィス365」を始める。十分普及していたインストール型ソフトウェアの基盤を自ら壊し、生産性の高いサービスへの切り替えに成功したのだ。

マイクロソフトほどの知名度はない企業にも、同じくらい抜本的な改革に踏み切ったところはある。一例が、オンライン情報プロバイダーのレクシスネクシスだ。20年前の同社は、弁護士や法人向けに法律関連ニュースを配信する事業を軸に、一桁台の安定した収益成長率と高い利益率を維持していた。

にもかかわらず、レクシスネクシスは2001年に数十億ドルを投じて兄弟会社レクシスネクシス・リスクソリューションズを設立する。あるマネジャーが経営陣の後押しで立ち上げ、ビッグデータを駆使して保険会社や政府機関や医療機関などにデータ分析とソリューション提供を行う会社だ。今では、本社を上回る収益を出している。

成功した企業の共通点は、スタートアップにはない自社の利点を認識していたことだ。大企業には、活用できるリソースや組織能力、資金力、スキルを持つ人材、生産力、顧客などの資産がある。資金だけなら引けを取らないスタートアップもあるものの、それ以外の資産では大企業のほうが大幅に有利だ。

マイクロソフトは社内サーバーに同社のメールソフトをインストールしている膨大な顧客企業を抱えていた。オフィス365は、このメールアカウントをクラウドに移すことで顧客企業のコストを削減するとともに、自社にもプラットフォーム革命を起こしたのだ。

レクシスネクシスも、公的記録を活用・整理する仕組み、ブランドとしての知名度、資金力などの資産は最初からあったし、実績のないデータ連携ソフトなどの分野では、外部の力を借りた。

実のところ、この種の資産をむしろ重荷に感じて、失わないようマネジャーをせき立てるばかりの企業も多い。一方で、資産を武器に創造的破壊の戦いに挑む企業もある。両者の差はどこにあるのだろうか。私たちが調査した結果、創造的破壊を起こす企業には、4つの特徴があった。

第一に、経営陣が創造的破壊の機会や脅威に負けないほど壮大な「戦略的抱負」を持ち、行動を変える必要性も理解していた。第二に、グローバルなイノベーション業界が体系化した「イノベーションの原則」を事業推進に取り入れていた。原則を守った企業は、立ちはだかる障害も乗り越えられた。第三に、革新的な新規事業をコア事業から分離する「両利きの組織」が見られ、新規事業は成長に欠かせない裁量権を守りながらコア事業の資産も活用できた。第四に、CEだけでなく、リソースを投じて新規事業を後押しする覚悟のある経営陣のあいだにも、明らかな組織能力として「探索事業のリーダーシップ」が見られた。

本書は、以上の4点を軸に進んでいく。破壊的な新規事業を起こすことができる企業とそうでない企業との差は、4点をどこまで守れるかにかかっている。

戦略的抱負

グーグルやアマゾンなどのデジタルネイティブ企業が急速に世界を支配しつつあった2000年代、老舗企業のCEOも「グーグルやアマゾンやアップルと同じくイノベーションが必要だ」と警鐘を鳴らしはじめていた。新構想をすばやく自在に実現するグーグルや、イノベーションを戦略としているアマゾン、新しい市場を生み出したアップルのような存在を目指したのだ。

どの企業にも、新しいテクノロジーの活かし方を学び、事業手法を刷新する意欲があった。また、小規模で身軽な会社が瞬く間に驚異的な市場価値を生む様子を見て、少しでもそのような勢いを取り入れたいと考えるCEOもいた。

こうして目覚めたCEOたちは、自ら創造的破壊を起こすべく大胆な改革に着手する。その一人であるエヌビディアのジェンスン・フアンも、2007年の時点で、すぐ行動しなければ資産を失う一方だと認識していた。同社は、コンピューターの画面に画像を表示する技術を開発し、デルやヒューレット・パッカード(HP)などのパソコンメーカーに販売する会社だった。

だが、インテルが画像処理機能を、コンピューター本体でソフトウェアを動かす自社の技術に統合しはじめた。市場はCPUのコアと画像処理性能が一体化したコンピューターが席巻し、エヌビディアはシェアの大半を失った。創業から20年間成長し続けて収益100億ドルに達していた同社は、突如存亡の機に直面したのだ。インテルの「ブラックホール」に引き込まれて、身動きすらとれなくなっていた。

逆境の中、フアンは社内を鼓舞すべく方針転換を打ち出す。あえて、創業以来のコア事業から離れた領域を目指したのだ。エヌビディアは、AIと自動運転の新規事業を立ち上げると、2015年には従来のパソコン事業とともに業績を公開しはじめた。

当初は懐疑的だったアナリストたちも、温めてきた事業が軌道に乗り、2017年に業績が跳ね上がると態度を変える。その後5年間で、同社の株価は3500%増加した。エヌビディアは、危機に先立って意図的にデジタル革命の中心に身を投じることで、自力での再建を果たした。

他にも多くの企業が、創造的破壊の戦いに全力で取り組んでいる。マスターカードでは、アジェイ・バンガが中心となり、「現金の世界に革命を」という戦略的抱負のもと幅広いデジタル決済商品を開発した。アナログ・デバイセズ(ADI)のヴィンセント・ロウチは、コア事業以外での躍進を目指して、イノベーション・ラボ「アナログ・ガレージ」と、デジタルヘルスなどの新たな成長分野に注力する事業部を発足した。

小売会社のベスト・バイでは、ユベール・ジョリーが自社を建て直すべく、家電の専門知識を活かして高齢者向け医療サービスを始めた。ドイツの自動車メーカーのアウディも、将来の事業モデルを探索するイノベーション事業部を立ち上げ、コア事業とは分離して運営している。

テクノロジー企業ボッシュは、従来の事業モデルから脱却するために、コア事業以外の分野で画期的な事業モデルを徹底的に検証する「アクセラレーター・プログラム」を取り入れた。

日本にも、創造的破壊の戦いに並々ならぬ力を注ぐ企業がある。大手電機メーカー日本電気株式会社(NEC)には、新規事業分野の成長要因の探索に専念する「ビジネスイノベーションユニット」があり、AGC株式会社も、「M・I・T(マーケティング・インキュベーション・トランスファー)」という手法で次々と新規事業を立ち上げて多角化を実現した。

次章以降で、世界的大手コンサルティング会社のデロイト、情報プロバイダーのレクシスネクシス、欧州の保険会社ユニカなど多くの事例を紹介する。

もちろん、成功だけでなく失敗した企業にも注目すべきだ。総合製造業のゼネラル・エレクトリック(GE)をソフトウェア企業にするというジェフリー・イメルトの試みは失敗に終わり、メルセデスは変革事業を担ってきた「ラボ1886」を売却した。歴史ある企業が新事業モデルを取り入れるのは、やはり容易ではない。

かつては企業イノベーションの代名詞だったグーグルでさえ、コア市場以外の事業の失敗を認めざるを得なかったときがある。クラウドゲームサービス「スタディア」が2021年に撤退したのは、記憶に新しいだろう。

ただ、失敗事例があろうとも、もう流れは止められない。創造的破壊をスタートアップによる脅威ではなくチャンスと捉える企業も増えている。こうした企業は、自社の核となるパーパスやアイデンティティに挑戦するような事業モデルでも躊躇なく試す。そうしなければ創造的破壊の戦いを制するどころか、餌食になるだけだからだ。

2章以降で、多くのCEを紹介する。CEとは、率先して画期的な方法を試して組織変革に取り組む者だ。2章では、保険会社ユニカのハンガリー支店のクリスティアン・クルティスが、保険業界において破壊的新事業を成功に導いた事例を紹介する。3章では、経営陣に明確かつ説得力のある「戦略的抱負」があれば、漸進型ではなく一足飛びのイノベーションを起こしやすくなる理由を説明する。

もちろん、上からの許可などなくても新規事業に着手することはできる。それでも、経営陣が打ち出す戦略的抱負は、CEが新分野を探索する可能性を開いてくれる。戦略的抱負は、単なる指針表明ではない。イノベーションを生み出すことに悪影響を及ぼしそうな考えに異議を唱えやすい組織カルチャーを生む力があるのだ。

イノベーションの原則

戦略的抱負は、企業のイノベーション部門にも変革をもたらした。かつてのイノベーション部門は、専門家やプロセス管理者を集めた場所だった。1990年代までは、科学者や技術者やアクチュアリー〔保険のリスク計算などを担当する専門家〕などが、各自の専門性から決めた顧客のニーズに基づいて解決策を出していた。

しかも、事業案は「ステージゲート法」で管理されていた。この方法はコア商品の効率性向上には役立つものの、事業案のリスクを低減するために、採用可否の厳格な基準を設けている。これでは、採用されるのは漸進的イノベーションのみで、大胆な改革案は生まれない。

だが、ここ20年ほどで、破壊的イノベーションへの理解は大きく進んだ。大勢の学者、ベンチャーキャピタリスト、起業家やコンサルタントのおかげだ。このグローバルなイノベーション業界から、デザイン思考〔ユーザーの視点から課題を見つけて解決策を考える手法〕やリーンスタートアップ〔最低限の機能を持つ試作品を作り、顧客の反応に基づいて改良を重ねる手法〕、ビジネスモデルキャンバス〔事業モデルを9要素に分類して書き出すフレームワーク〕などの手法やツールが生まれた。

どれも指針にはなるが、すべてを理解する必要はない。CEが知っておくべきなのは、着想育成量産化のイノベーション原則だけだ。成功するには、必ずこの原則を守って事業を進めなければならない。

着想では、斬新かつ自社の戦略的抱負と一貫した事業案を出す。優れた案が出る可能性が上がるよう、案の数を増やすのも大切だが、何より肝心なのは、専門家が出す解決策ありきの「インサイド・アウト」方式ではなく、顧客の悩みを重視する「アウトサイド・イン」方式を習得することだ。

アマゾンには、誰でも提案できるよう企画書の形式を固めた「PR/FAQ(プレスリリース&よくある質問とその回答)」手法がある。提案条件は、一ページのプレスリリース(新商品発表)の形で、顧客にとって真に価値がある理由について、顧客自身の声が盛り込まれた企画書を作る点だけだ。

他にも、デザイン思考などの手法を通じて、創造性は顧客への深い共感から生まれると学んだマネジャーや[2]、シリコンバレーやベルリンやハイファなど最先端のベンチャー拠点の起業家の協力でアウトサイド・イン方式を実現した企業も存在する。案さえ出せばいいのではなく、企業の戦略的抱負と合致した案であることが求められる。検証も必要だ。

育成という原則では、優れた構想を検討し、立証済みの事業として提案するか、中止または方向転換するかを決める。かつては、CEOのお気に入りというだけで、事業化を急かされた時代もあった。インテル伝説のCEOだったアンディ・グローブは、1990年代に自社開発のテレビ会議用システム(プロシェア)が市場の圧倒的覇者になれると確信していた。

ところが、5年かけて7億5000万ドル投じた末に、事業は頓挫する。グローブはのちに、「技術的に可能というだけで大きな需要があると思い込んだ(中略)のは間違いだった」と振り返った。資金投入を続ける価値があるか否かは、直感ではなく証拠で示す(せめて直感を証拠で補う)必要がある[3]。

育成はまず、顧客や市場やニーズに合った解決案かどうかの仮説を立ててから、仮説を低予算で検証し、結果に基づいて改良した構想を再提案する流れを繰り返す。

IBMで大成功を収めた「新規事業創出(EBO)」プログラムでは、「私たちが解決しようとしている顧客の課題は何か?」など六種類の質問から仮説を立てる「事業デザイン」を採用している。アマゾンでは、PR/FAQ段階を通過した社員は、事業案を検証する「ピザ二枚チーム」(ピザ二枚で事足りる規模のチーム)を結成する。どちらも、目指す事業から逆算した取り組みで、売りたい商品や技術を起点にはしていない。

検証は、顧客(需要はあるか?)と市場化への提案(利益は出るか?)の理解につながる手法だが、実験を繰り返して徹底的に検証しない限り意味はない。まずは最低限の機能だけを盛り込んだ不完全なソリューションで試し、顧客の反応を分析し、結果に基づいて改良を重ねる。すなわちリーンスタートアップだ。

もともとは起業家向けの手法だったが[4]、今では世界中の大企業が熱心に導入している。GE、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)、インテュイット、米国家安全保障局でも採用された手法だ。徹底的な検証によって、本物の顧客のデータやインサイトに裏打ちされた事業案になる。必ずうまくいく保証はないものの、成功の確率は上がる。インテルのプロシェアほどの大損害を出す可能性は低いだろう。

量産化は、育成で立証された事業モデルを持続性の高い事業として市場化するための原則だ。育成で得た学びに基づき、資産を集めていく。新規事業には、顧客(ブランド、顧客との関係、営業力、販路、代理店など)、組織能力(テクノロジー、商品、サービス、オペレーションなど)、経営資源(製造、海外拠点など)が必要だ。

一方で、新規事業には裁量権も求められるため、半独立組織としてコア事業から分離する必要もある。つまり、裁量権はCEが自社の事業慣習に縛られずに量産化に取り組むためのもので、コア事業の資産は、大企業の利点を活かした事業の成功に欠かせないということだ。

破壊的イノベーションの原則の中で、おそらく最も重要なのが量産化だ。アイデアを育成したところで、量産化しない限り市場への影響はなく、収益も生まれない。量産化しなくても、イノベーション自体に価値があるのもたしかだ。企業は新しい技術や能力を学べるし、スタートアップや競合他社の社員だったかもしれない人材を採用できるし、顧客の話題にもなる。ただ、破壊的イノベーションで市場を席巻するのが本書のテーマである以上、やはり量産化は避けて通れない。

ところが、最も重要な原則にもかかわらず、量産化は最もないがしろにされている。量産化を扱う本は数えるほどだし、量産化専門のコンサルティング会社はほとんどなく、一般向けの研修プログラムに至っては皆無だ。デザイン思考やリーンスタートアップとは大違いである。

例えば、GEは6万人を超える社員にリーンスタートアップの研修を実施したと言われる。しかし、着想と育成にしか目が向いていなければ、結局は痛い目を見るだろう。これらの手法を駆使すれば大量の事業案は出るだろうが、量産化まで資金投入が続くものはほぼないからだ。

グローバルなイノベーション業界におけるこれらの原則は、着想と育成を重視した企業の慣行を変えつつある。しかし、起業家の真似をしたり、スタートアップの生態系に参画したからといって、必ず成功するわけではない。社内の新規事業は、立ち上げには成功しても、親会社の近視眼的な方針のせいで身動きがとれなくなって頓挫するものが大半だ。

4~6章では、CEがイノベーションの原則を使って新規事業を軌道に乗せるまでの流れを説明する。

4章の「着想」で扱うのは、顧客の課題の解決案を出す具体的な方法だ。CEはアイデア先行になりがちだが、対象ユーザーや顧客にとっても価値のある事業だと確証しない限り、決して成功はできない。

5章の「育成」では、着想した案を検証して市場化提案まで持っていく流れを取り上げる。育成に必要なのは科学的手法だ。立てた仮説を検証して、顧客の問題を解決できたか、顧客が価値を感じて購入しようと思えるか、そして本当に自社で実現可能かまで立証する。エビデンス重視の進め方に抵抗を感じる企業も多いが、リスク回避の慣習を克服する重要な方法だ。

6章ではいよいよ核心の「量産化」に入る。量産化には、既存顧客や組織能力や経営資源などが欠かせない。コア事業の資産の一部を新規事業に回すか、買収や戦略的提携などの方法が考えられる。目標達成までの手順を考えるのに役立つ「量産化への道」も紹介する。

両利きの組織

ビジネスの世界では、「企業が創造的破壊の食いものにされるのは、イノベーションの到来を見過ごしていたせいだ」と常識のように言われる。だが実際には、食いものにされた企業にもイノベーションの到来は見えていたし、戦えるだけの技術的資産もあった。例えば、ポラロイドは1990年代に世界で初めて百万画素のデジタルカメラを市場化した。ノキアにも、スマートフォン時代に勝ち残る資産はすべて揃っていた。

どちらも創造的破壊の到来は認識していたが、コア事業から目先の成果ばかり求められたため、新規事業が育たなかったのである。なぜそうなるのだろうか。それは、コア事業が成果の最大化を目指し、競合企業に競り勝てる漸進型イノベーションを進め、できるだけ多くの収益を出すための独自の運営リズムを持っているからだ。

だが、探索事業のやり方は正反対だ。不確実性の高い世界でうまくいく事業モデルを求め、試行錯誤しながら学んでいく。前者は複雑だとしても立証済みの環境に、後者は極めて複雑かつ不確実な環境にいる。どちらにも妥当性はあるが、決して相容れることはない。火花を散らして反発し合うのも当然だろう。

コア事業の原動力は業績予想に到達することで、求められるのも短期的な成果だ。同じやり方を押しつけられれば、探索事業は学ぶ時間などなくなり、一刻も早く進めざるを得ない。着実な市場化への圧力が強い企業では特に、経営陣も革新的な事業機会を逃しがちだ。こうして、新規事業の業績は振るわなくなり、コア事業側はますます「新規事業にはリスクがある」と確信していく。

成熟度の異なる複数の事業を管理するのは難しい。この難題を解決する方法の一つが「両利きの組織」だ。様々な段階の事業を同時に運営することで、新規事業で実験しながら、成熟事業から利益を出せる。

ポイントは、事業の成熟度に合った戦略を推進できるように、探索事業をコア事業から分離することだ。そうすれば、戦略的抱負は共有しながらも、お互いが自分のやり方で進められる。探索事業はCEOなど経営幹部の直属組織となり、コア事業体制の外で活動する裁量権を持つ。

IBMが2000年に始めたEBOプログラムも、両利きの組織の考え方に基づいている。EBOから生まれた事業を取締役会の直属戦略部門にしたところ、2006六年には、新規事業の収益は150億ドル以上(全社収益の24%)、投資収益率(ROI)も買収部門の2倍に達した。成功の秘訣は、EBO事業を経営構造から分離した点にある。新規事業が成長に必要な裁量権を持ちながら、自社の資産を活用できる仕組みだった[5]。

探索事業に裁量権を与えつつもコア事業の資産を活用できるという両利きの組織は、前述したレクシスネクシスのほか、アナログ・デバイセズ、アマゾン、マイクロソフト、NEC、AGCなど多くの企業が採用している。七章以降で、各社の事例を紹介したい。

7章では、単一の新規事業や複数の新規事業を支える「探索事業部」のあり方を解説する。8章で扱う「探索事業システム」は、計測・管理システムなどソフト面の要素だ。9章では、新規事業でリスクと報酬の釣り合いをとる方法を考察する。CEは起業家とは違い、事業を売却したり株式公開したりしたところで人生が変わるほどの富を得るわけではないし、失敗しても自分の財産を失うリスクはない。そんなCEのモチベーションを高めるために各社がとっている工夫を紹介する。

探索事業のリーダーシップ

私たちがCEという存在に初めて出会ったのは、2000年のIBMだ。新たな成長事業に資金投入して成長へと導く「EBOプログラム」が始まった年でもある。EBOでは7個の新規事業が生まれ(のちに20個以上になる)、めざましい成果を上げた。新規事業の収益が、買収部門をはるかに上回った四半期もあるほどだ[6]。

特に大きな成功を収めたのが、キャロル・コバックの率いたライフサイエンス部門である。この部門には、めまぐるしく動く新しい市場に適した画期的なソリューションが求められた。そこでコバックが目指したのは、1990年代のゲノム解析から生まれたライフサイエンス革命の中心にIBMを据えることだ。

この目標のもと、豊富な科学的知見を持つ何百ものスタートアップと業務提携をした。成熟市場の大企業だけを重視する既存部門から見れば常識外れとも言える行為だが、ライフサイエンス部門は「3年以内に収益10億ドル」という目標を掲げ、5年後には30億ドル以上の収益を上げた。コバックが成功したのは、他部門の反発をものともせず、通例を破って自らのビジョンへと邁進し続けたからだ。

CEには、自分が壊そうとしている事業モデルに固執する社員との友好関係は保てない。落としどころなどないのだ。コバックたちは、従来のIBMにはない仕事のやり方を示す必要があったため、コア事業とはまったく異なる分野(計算化学、遺伝学、製薬事業など)の学位や実績を持つ専門家を採用した。堅苦しい経営幹部とは服装や言動からして異質な人々だ。

真に有能なCEが覆すのは既存市場だけではない。今までにない業務手法を取り入れて、自社の常識もひっくり返すのだ。組織再建の機会を貪欲に求め、説得力のある論拠で経営陣の注意を引き、新規事業の成功に力を注ぐ。一方で、周囲との同調は求めず、ビジョン実現のためならルールを破ることをいとわない。それが有能なCEなのである。

CEの行動は、成熟した大企業から見れば非常識だ。10章では、破壊的イノベーションが呼び起こす多くの「サイレントキラー」を取り上げる[7]。製造分野で一世紀以上の歴史を持つ巨大企業GEは、自社の将来像を先取りする新組織「GEデジタル」の責任者にビル・ルーを登用した。しかし、ジェフリー・イメルトCEOの積極的な後押しにもかかわらず、ルーの事業は頓挫する。

その要因が「コア事業システム」だ。コア事業システムは企業の事業慣習や日常業務・手順などであり、過去の成功の土台でもある。現在の事業モデルの深掘りには心強い存在だが、新規事業に対してはサイレントキラーとして立ちはだかる。CEは、イノベーションを起こすだけでなく、組織カルチャーも変革しなければならないのだ。11章では組織変革とイノベーションを両立する「二重らせん」を取り上げ、CEを後押しする組織内での味方の作り方や、事業の評判を管理する方法を扱う。

組織のトップに果敢な戦略的抱負があり、それに呼応するCEがいて、新規事業が着想・育成・量産化の原則通りに進む。これだけでも、十分に創造的破壊の世界で戦える。

とはいえ、新規事業の真の成功には、経営陣の覚悟も欠かせない。必要なのは、CEの味方であり続け、量産化の時期が来たら躊躇なく資本投入を決断する人物だ。世の中には、育てた構想をついに収益性ある事業にできるチャンスが訪れたのに、踏み出せないリーダーもいる。崖っぷちに立っていても、経営資源を投入する準備ができていても、まだ動けないのだ。

12章「実行する覚悟」では、こうした困難の要因を説明してから、対処法を考察したい。CEがよく悩むのが、量産化のタイミングを見極める方法だ。経験上、量産化の時期は事業の立ち上げ時に検討し、仮にでも答えを出したほうがいい。のちほど経営陣にどんなリソースを求めるべきかわかるからだ。

CEは起業家ではない

本書はCEに関するものだが、現役のCEだけに向けて書いたわけではない。CEになりたい人や、CEをサポートする人にも読んでほしい本だ。CEは起業家予備軍だと思われがちだが、そんなことはない。

CEと起業家には共通する面も多いものの、資産や制約などの点では別物だ。本書の主役を「起業家」から派生した「イントラプレナー」や「コーポレート・アントレプレナー」などではなく、まったく異なる「コーポレート・エクスプローラー」と名付けた理由もここにある。

本書はぜひ、CEやCE志望者に手に取ってほしい。あなたが本書の後押しで成功することが、著者一同の願いなのだ。新規事業に力を入れる企業が増え、多様な立場から取り組む人が現れてほしい。CEの道を選ぶマネジャーや、戦略・財務・組織面でCEを支援する経営陣が増えるよう願っている。「CEが成功するにはどうすればいいか?」という問いが、本書を書き進める原動力なのだから。

本書の内容は、過去に出会った多くのCEからの学びに基づいている。私たちのコンサルティング会社「チェンジ・ロジック」のクライアント、ハーバード経営大学院とスタンフォード経営大学院の講義を受けた経営幹部、IBM在籍時代の同僚などだ。様々な事例を通して、組織内でCEがチームを変革に駆り立てたり、組織に変化を起こしたり、障害を乗り越えたりしながら新規事業を成長させるまでの流れを伝えたい。

本書と同様の例は、規模や業種にかかわらず世界中で起きている。エヌビディアのジェンスン・フアンのような目を引く成功もあれば、あまり知られておらず、まだ道半ばという事例もある。

のちほど、世界的な大手コンサルティング会社デロイトで進められたオープンイノベーションプラットフォーム「ピクセル」の事例を紹介する。長い歴史を持つ大企業において新規事業の意思決定がどのように行われるかを明らかにする。別の章では、レクシスネクシスがビッグデータ事業のために立ち上げた別会社が、20年後に本社を上回る収益を出すまでの経緯も取り上げたい。

どの事例からも、新規事業を育てる手法やフレームワークを学べるだろう。また、CEが実務の中で直面した壁に対し、それらの手法をどう活かしたかももわかるはずだ。本書を読めば、事業を成功させる唯一の万能薬はないと気づくだろう。置かれた文脈が異なるのだから、破壊的イノベーションを生み出すのに画一的な方法を用いてもうまくいかないのだ。

本書の手法は非常に有効なものばかりだが、創造的破壊の勝敗を分けるのはどの手法を採用するかではない。CEが成功するか否かは、属する組織や組織の人的体制の中で、どう変革を進めるかにかかっている。CEは優れたイノベーターであると同時に、組織変革もリードしなければならない。

(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、漢数字を英数字に変更する、改行を加える、などの修正を加えています。

原注

  1. Charles O’Reilly and Michael Tushman, Lead and Disrupt (Stanford University Press, 2021)[『両利きの経営(増補改訂版)——「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン著、入山章栄監訳、渡部典子訳、東洋経済新報社、2022年]

  2. Tom Kelley and David Kelley, Creative Confidence: Unleashing the Creative Potenaial within Us All (Crown Business, 2013)[『クリエイティブ・マインドセット——想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法』トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、日経BP社、2014年]

  3. Robert A. Burgelman, Strategy Is Destiny (New York: Free Press, 2002), 269[『インテルの戦略——企業変貌を実現した戦略形成プロセス』ロバート・A・バーゲルマン著、石橋善一郎・宇田理監訳、ダイヤモンド社、2006年]

  4. Steve Blank and Bob Dorf, The Startup Owner’s Manual: The Step-by-Step Guide for Building a Great Company (Wiley, 2020)[『スタートアップ・マニュアル——ベンチャー創業から大企業の新事業立ち上げまで』スティーブン・G・ブランク、ボブ・ドーフ著、堤孝志・飯野将人訳、翔泳社、2012年]

  5. O’Reilly and Tushman, Lead and Disrupt[『両利きの経営(増補改訂版)——「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン著]残念ながら、二〇一〇年にCEOが替わると、IBMはEBOプログラムを中止した。その後の一〇年間は、変革に割ける労力の減少によって苦戦している。

  6. 同上。

  7. Michael Beer and Russell Eisenstat, “The Silent Killers of Strategy Implementation and Learning,” MIT Sloan Management Review 41, no. 4 (2000).



【著者プロフィール】
アンドリュー・J・M・ビンズ Andrew J. M. Binns
ボストンを拠点とするコンサルティング会社チェンジ・ロジックの共同創業者。マッキンゼーやIBMなどで25年にわたりコンサルタントとして活躍。企業やビジネススクールなどでの講演も多数。

チャールズ・A・オライリー Charles A. O’Reilly
スタンフォード大学経営大学院教授(The Frank E. Buck Professor of Management)。チェンジ・ロジックの共同創業者。主な著書に『両利きの経営』(東洋経済新報社)、『両利きの組織をつくる』(共著、英治出版)
などがある。論文も数多く執筆し、『カリフォルニア・マネジメント・レビュー』誌の年間最優秀論文に三度選ばれた。

マイケル・L・タッシュマン Michael L. Tushman
ハーバード・ビジネススクール教授(Baker Foundation Professorなど)。チェンジ・ロジックの共同創業者。主な著書に『両利きの経営』などがある。コロンビア大学経営大学院、マサチューセッツ工科大学(MIT)、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)などで教鞭をとってきた。

【解説者プロフィール】
加藤雅則 Masanori Kato
(株)アクション・デザイン代表取締役、IESE(イエセ)客員教授。経営者に対するエグゼクティブ・コーチングを提供する傍ら、日本におけるオライリー教授の共同研究者であり、チェンジ・ロジック社の東京駐在を兼務。主な著書として、『両利きの組織をつくる』(チャールズ・A・オライリー、ウリケ・シェーデとの共著)『組織は変われるか』(ともに英治出版)がある。

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