変化や成長を願うとき、誰もが支援を必要としている──『成長を支援するということ』1章前半公開
グレッグ・レイキン医師は縫合を終え、今回もいい仕事をしてくれた手術室のスタッフに礼を述べた。グレッグは外科手術用マスクを外し、手術がうまくいったことをうれしく思った。しかし同時に、形成外科医としての仕事が以前ほど喜びをもたらさなくなったことに気がついてもいた。いつ、どのようにして、あの熱意を失ってしまったのだろう?
グレッグはコーチに助けを求めることにした。子どものころから人並み外れた努力家だった彼は、外科医になるまでにも次々と成功を収めてきた。コーチがつくと、グレッグはこう打ち明けた──成功への衝動が強いのは、自分の能力を示さなければ気が済まないところがあるからだ、と。
しかしそうやって過ごすなかで、グレッグは本物の情熱や願望を見失ってしまったのだ。たとえば、以前はもっとバランスの取れた生活を望み、旅行をしたり、ランニングを再開したりする時間がほしいと思っていた。また、子どものころを過ごした南フロリダに帰り、家族や昔の友達のそばで暮らしたいとも思っていた。だが現状では週に70から80時間ほど働かなければならず、仕事以外のやりたいことをする時間はほとんどなかった。
これに気がついたコーチはグレッグに、時間をかけてパーソナルビジョンをじっくり見つめ、詳細まではっきりさせるように──人生において心から望む物事と、やらねばならない物事を切り分けるように──と話した。実際にはっきり分けてみると、明かりが灯ったようだった。本当にやりたいことが見つかり、それが明確になったことでポジティブなエネルギーとモチベーションが生じた。コーチと密接に連携しながら、グレッグはほんの数カ月まえには思いもよらなかった方法で人生を変化させはじめた。
グレッグのケースは2章で詳しく見ていくが、いまはこれだけ言っておこう。グレッグは個人としての人生と医師としての人生の両方に、非常に有意義な変化をもたらすことができた。
誰かを本当に助けるには
グレッグはパーソナルビジョンを深く探索し、積極的にその実現に取り組んだおかげで、最後にはワークライフバランスを取れるようになり、望みどおり家族や友人との親密さを取り戻した。人生の喜びを再発見したのだ。
私たちの研究が示すところでは、誰かをコーチする場合には、その人のパーソナルビジョンを掘り起こし、明確にすることが不可欠である。いま目のまえにある問題を解決したり、規定の目標を達成する──または一定の基準を満たす──手助けをしたりするよりも、その人の望みやビジョンを明らかにするほうが、プラスの感情や本来あるはずのモチベーションを解き放ち、本物の持続的な変化をもたらすのに重要な鍵となる。
しかし、心からの望みを達成するよう相手を導くのは、コーチばかりではない。どこを見ても、学びや変化を望む人々の手助けをしている例は目につくはずだ。実際、人生で一番影響を受けた相手は誰かと尋ねられれば、私たちの多くがまず親や教師やスポーツのコーチなどを思い浮かべるだろう。カイル・シュウォーツもそんな教師の1人だ。
カイルは小学3年生を教えることになったとき、受け持ちの児童について、入学時の記録や標準テストの点数よりほかにもっと知るべきことがあるはずだと思った。本当に子どもの成長に寄与する教師になるために、カイルは児童が考えていることや、児童にとって重要なことを、なんとかして知ろうとした。カイルは子どもたちに、「私が先生に知ってもらいたいのは……」に続く文章を書くように言った。
その結果、カイルは次のようなことを知った。
「私が先生に知ってもらいたいのは、私の読書記録にサインがない理由です。サインがないのはママがいつも家にいないからです」
「私が先生に知ってもらいたいのは、私は動物が大好きで、動物のためならなんでもするということです。将来は動物保護センターで働いて、動物の里親を見つける手助けをしたいです」
「私が先生に知ってもらいたいのは、うちの一家が一時保護施設(シェルター)で暮らしていることです」
リストが続くにつれて、さらに心を揺さぶる吐露が多く見られた。控えめに言っても、児童の言葉はカイルの思いやりの心を掻きたてた。そのうえ、担当の教師として児童を支援するために必要な情報を得ることができた。子どもたちのために何が一番重要かわかった。それは、小学3年生の教室でおこなう毎日の授業のための標準的な指導計画ではなかった。
カイルが児童にした質問はツイッター(現エックス)でまたたく間に広がり、世界中の小学校の教室で導入された。他者を理解し支援する効果的な方法を切実に求めている人は大勢いた。教師も、マネジャーも、同僚も、親も、多種多様なコーチも、目先のタスクや課題にとらわれるあまり、こんなにも当たりまえでありながら多くを明らかにする質問を──支援したいと願う相手について重要な物事を語ってくれる質問を──投げかけるのを忘れていたのだ。
あるいは、もしかしたら質問の答えを聞いてなんらかの問題や感情が表面化するのを怖れているのかもしれない。そういうものを無視、または否定して、他者の状況に鈍感なままでいるほうが、面倒がない場合もあるからだ。ふつうはスケジュールや指導計画の範囲から逸脱するような他者のニーズや願いに左右されることなく物事を進めたいのだから。
しかしグレッグ・レイキン医師の例が示すとおり、そういう「邪魔」は──傷心や悲しみ、未来への夢や心の奥底からの願いといったものは──いずれにせよ残る。そして生徒や、クライアント、患者、部下、同僚、子どもといった人々の真の学びや変化が生じる心の深い層に影響を与える。カイル・シュウォーツのクラスの児童は彼女の質問に答え、悩み事だけでなく、自分の願望や将来の夢についても話した。
こうして、カイルは子どもたちの成長や変化の可能性をとらえた。教師である自分自身や、小学3年生に教える必要のある学習内容に焦点を合わせるのではなく、児童に、つまり学習者側に気持ちを集中した。そのおかげで児童とよりよい、より有意義な関係を築くことができた。お互いに相手の話に耳を傾け、相手を気遣うという、共通の目的のあるコミュニティを築くことができたのである。
いま挙げた2つのケースは、それぞれまったく異なる背景から生じた事例だが、どちらも他者の学び、成長、変化を支援する話であり、本書のテーマを端的に表している。支援を必要としているのは何も小学3年生の子どもたちやキャリアに行きづまった外科医ばかりではない。生活や仕事において重要な変化をとげるために、また、新しい物事を学ぶために、誰もが支援を必要としている。
本書では、まわりの人々を助けるためのより効果的な方法を示していく。
著者の私たちは研究者でも教育者でもあり、もともとコーチングの仕事(エグゼクティブコーチング、キャリアコーチング、ライフコーチング、ピアコーチング)に関心が高いのだが、本書はさまざまな読者を想定している。他者を支援したいと願うすべての人—マネジャー、メンター(指導者)、カウンセラー、セラピスト、聖職者、教師、親、スポーツのコーチ、同僚、友人など—にとって役立つガイドとなるだろう。支援のスキルを伸ばす実践的なエクササイズも多く含まれている。
まわりの人を大いに、継続して支えるものとはなんなのか、私たちの研究の示すところを本書で明かしていく。レイキン医師やシュウォーツ先生が知ったように、周囲の人々が学び、成長し、変化するのを助ける最良の方法は、その相手が理想の自分──理想の未来像、夢と言ってもいい──に近づけるよう手を貸すことである。
思いやりのコーチング
本書は次のような前提にもとづいて書かれている──すべてのコーチングや支援は、効果的におこなわれれば、支援を求めている人々に特定の3つの変化をもたらす。
第1に、人々はパーソナルビジョンを発見、もしくは再確認し、未来像、情熱の対象、パーパス、価値観などを明確にすることができる。
第2に、行動、思考、感情に変化が生じ、それによって理想の実現に近づいていることを実感する。
第3に、彼らはコーチや支援者と──そして理想的には、人生において支えてくれるほかの人々とも──「共鳴する関係」を築き、その関係を維持するようになる。
では、どうしたらそれができるのか? 誰かを助けたいと思う気持ちを、いま挙げた3つの変化に実際に結びつけるにはどうしたらいいのか? つねに直感が正しいとはかぎらないし、つねにわかりやすいプロセスがあるわけでもない。誰かを支援しようと思うとき、私たちはたいてい問題を正すことを重視する。
結局のところ、誰かがよりよい人生を送りたいとか、生産性を上げたいとか、より多くを学びたい場合には、その人がやるべきことを見つけてあげるというのが一般的なやり方だからだ。その人にとって何がよいかはわかっている。あるいは、自分をその人の立場に置き、自分ならどうするか、過去に似た状況だったときどうしたかを当てはめて考える。
もちろん、誰かが問題の解決を求めて相談に来ることもある。私たちは支援者として、人々が症状の緩和を求めるのを聞き、目先の問題を解決しようとしてともに取り組むが、それは人々の抱いている深い願望やニーズを満たすにはほど遠い行為だ。
問題を正そうとするのは間違った方法なのだ。
支援を求めている人に手を貸そうとするとき、私たちの大半は自然と問題中心のアプローチをとり、人々の現状と、あるべき姿、なれるはずの姿とのあいだのギャップに注目し、人々を修正しようとする。これでは持続的な学び、変化、適応をうまく促すことはできない。ときにはその場しのぎの矯正につながってしまう。
それでも人々が修正に応じようとするのはたいてい義務感からであり、自分が本当に望む変化を明示する準備ができていないからだ。あるいは、とにかく何かしら行動する必要があると思っているのかもしれない。たとえそれが持続的な解決につながらなくても。
しかしそこが重要なのだ──この努力は持続可能か? 本当に続くのか? 相手は変化や学びへの努力を続けられるくらい、本気でやっているのか?
もちろん、支援を必要とする人々がどうしても解決しなければならない深刻な問題を抱えている場合もある。しかし私たちの研究が示すところでは、欠点を修正したり、ギャップを埋めたりすることだけが目的であるとき、人は持続的な変化に必要な努力をあまりしない。反対に、長期的な夢やビジョンがあるとき、人はそのビジョンからエネルギーを引きだし、困難があっても変化のための努力を続けることができる。
そういう状況をつくりだせる支援を、私たちは思いやりのコーチングと呼ぶ。心からの気遣いや関心を示し、相手を中心に考え、サポートや励ましを差しだし、相手が自分のビジョンや情熱の対象を自覚、追求できるようにするコーチングである。シュウォーツ先生がやったのもそれだ。手を差しのべ、子どもたちが先生に話したいことを尋ねた。
本書ではこのアプローチを取りあげ、誘導型のコーチング──相手の夢を叶えるのではなく、外から規定された目的を果たすための行動を促すコーチング──と比較して論じていく。現在は、スポーツのコーチから、教育、子育て、医師と患者の関係にいたるまでのさまざまな支援において、誘導型のコーチングが主流である。とりわけビジネスの場におけるコーチング、エグゼクティブコーチングでこれが顕著だ。コーチが雇われ、企業内で特定の成功を収めるためにマネジャーや従業員を教育するのである。
ある一定の状況では、誘導型のコーチングが、あらかじめ決められた特定の目標を達成したい人──何かの役職へ昇進したい人など──の助けになる場合もある。しかし私たちの研究によれば、そうしたコーチングが個人を持続的な変化へと導くことはほとんどなく、ましてや個人の潜在能力をフルに花開かせることはない。
一方、思いやりのコーチングにはまさにそれができる。人々がそれぞれの人生において望ましい成長や変化をとげる方法を見つける手助けをし、そうした変化を起こし、持続させるためのプロセスやサポートを提示する。私たちのところの学生がこんなふうに言っていた。
「私の人生にとって重要な人たちはみんな、私にインスピレーションやアイデアの種を植え、あとはそれを私が自分で最善の方向へ持っていけるように、自由にやらせてくれました。そしてそのあいだずっと、私の選択を励まし、支えてくれました」。これこそ、すばらしいコーチというものだ。
卓越したコーチや、最良の教師、マネジャー、同僚、友人といった人々は、私たちを奮い立たせるような会話に引きこむ。成長や発展や意義深い変化を望むよう導き、そのための行動を助けてくれる。するべきことを従順に果たすだけの人生を送るのではなく、私たちがパーソナルビジョンを実現するために手を貸してくれるのだ。
(注)ウェブ掲載にあたり、可読性向上のため、改行を加えています。