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ロンドンパラリンピック出場仲裁申し立て事件簿(松崎英吾)

視覚障がい者と健常者が「当たり前に混ざり合う社会」の実現に向けて、体験授業から企業研修、国際大会主催、代表チーム強化、企業や行政とのパートナーシップ締結まで幅広く活動する著者。10年にわたる試行錯誤から学んだNPO経営の醍醐味と可能性を考える。
連載:サッカーで混ざる――事業型非営利スポーツ組織を10年経営して学んだこと

東京パラリンピック開催まで2年を切りました。ブラインドサッカー日本代表は開催国として、東京パラリンピックに出場します。パラリンピックに参加するのは今回が初。この大きな舞台で日本の選手たちが世界を相手に存分に力を発揮する、そんな姿を想像するだけで胸が高まります。

パラリンピックという障がい者スポーツの頂点に位置する大会に参加することは、本当に様々なインパクトがあります。まず選手や監督やスタッフなど競技に関わる人にとって絶大なモチベーション。また大会参加をきっかけにメディア露出が増えたり、企業や行政との新たなパートナーシップの可能性が生まれたり、これまでブラインドサッカーと縁遠かった人が知る機会にもなります。

今回、悲願がようやく叶うことになるのですが、実は2012年のロンドン大会出場をめぐって、私たちはある事件に遭遇しました。それは、スポーツ仲裁裁判所に仲裁申し立てを行うという、前代未聞の出来事でした。

「え、トルコ?」出場枠がいつの間に別の国に

2011年、日本はロンドン大会への出場権をかけたアジア予選に参加しました。上位2カ国のみが出場権を得られるのですが、結果は惜しくも3位。アジア以外のヨーロッパや南米などの大陸予選も行われ、次々に参加国が決まっていく中で、アフリカからの出場国を決める「アフリカ選手権」が開催されないという異常事態が発生しました。

これで、アフリカの出場枠「1」がなくなります。こういう場合まず想定するのが、すでに実施されていた各大陸予選の次点の国がプレーオフを行い、その勝者が最後の1枠を獲得するという決め方。しかしプレーオフは開催されず、“いつのまにか”ヨーロッパ予選で次点だったトルコに出場枠が付与されたのです。

「ありえない」
「どう考えてもおかしい」

私を含めてブラインドサッカー関係者のだれもが抗議すべきだと思いました。しかし当時の日本は、合宿や遠征費は選手たちの自己負担。プレーオフが実施されたとしても、その遠征費用を用意できるのか? そもそも選手たちは仕事を休んで行けるのか? さまざまな「困難」が頭をよぎりました。

問題も解決策も、前例すら誰も知らない

さらには、今回の一件が「なぜおかしいか」をだれに指摘し、「どう決着をつけるか」もまったく分かりませんでした。

そんななか、国際的なスポーツの問題を解決するために設立された「スポーツ仲裁裁判所」(CAS)の存在を知ります。今回のような出場権を巡るトラブルはどのような競技でも発生しうるもの。しかし通常の裁判での判決を待っていては大会が終了してしまう。そこで考えられた仕組みがCASでした。

「CASに申し立てをすればなんとかなるのではないか?」
「でもどうやって? お金はいくらかかるのか?」

日本の関係機関から情報収集をしても、CASに出場枠を巡る申し立てを行った事例はなく、「国際スポーツ仲裁人」である日本の弁護士の方々にうかがってもわかりませんでした。さらには、当時の私たちはいまより一層に小規模な団体。顧問弁護士も、専門的な視点で親身にアドバイスをしてくださる方もいません。

いまなら、日本サッカー協会やスポーツ庁等、関連する組織や力を持つ人たちの知恵や力をお借りすることもできることでしょう。しかし当時は、「障がい者スポーツが法律上スポーツではなかった時代」。日本サッカー協会も障がい者サッカーの支援に慎重で、頼れるパイプは乏しかったというのが現実でした。

あらゆる手を尽くしても、結局は分からないことだらけ。

それでも、CASへの仲裁申し立てに踏み切りました。それは私たちにとって暗闇に足を踏み入れるようなもの。多くのリスクが伴います。しかし前述の通り、パラリンピック出場は、リスクを取ってでも掴みに行く価値がある存在です。

それだけでなく、トルコの出場を許してしまえば、この先もこの問題が放置されることになり、再び同じような事象が起こることも十分考えられます。当時の国際競技連盟の組織基盤はいまより一層脆弱で、さまざまな決定プロセスが不透明でした。申し立てをすることで、そのあり方に疑義を呈し、未来に向けた再発予防になると考えたのです。

不透明な証拠、玉虫色の結論

私たちがが申し立てた相手は、国際パラリンピック委員会(IPC)と国際視覚障がい者スポーツ連盟(IBSA)。CASの扱う案件でも、障がい者スポーツの出場国枠を巡る申立てとしてはきわめて珍しいものでした(CASのウェブサイトで確認する限り初めてでした)。

「仲裁申し立て」までこぎ着けたのもつかの間、IBSAから「トルコが出場するに値する」証拠が提出されました。その裏付けとなったのは、ブラインドサッカーの世界ランキング。これは予想外の展開です。

私たちの申し立て以前に世界ランキングが公表されたことはなく、そのようなデータが存在すること自体が初耳。ましてや、このランキングがどんなロジックで測定されているかも不明でした。

しかし、そのランキングが「トルコが出場するに値する」ことの証拠として採用されてしまいました。

そして、仲裁申立ての結論が出ました。
「JBFAの主張はもっともだ。しかし、国際競技連盟が悪いとも言えない」

いま考えても納得のいかない結論。でも日本のパラリンピック出場は叶いませんでした。

夢やぶれて、目覚める

この話をすると、「よくそこまでやったね」と言っていただけるのですが、これは決して武勇伝ではありません。仲裁申し立てという選択しかなかった時点で、時すでに遅しなのです。

当時の私たちには、国際競技組織にみずから働きかけたり、人脈を太く築こうとする動きは全くありませんでした。そもそも競技自体が日本で始まって10年に満たない時期でもありましたが、この申し立てから、みずからの力不足が露呈されたのです。

国際的な情報収集力も、リスクが顕在化した際の対応力、国際的な人脈力など、いずれも及第点になかったということでしょう。

でも、悪いことばかりではありませんでした。仲裁申し立てを契機にJBFAでは、国際的な交渉力向上に本格的に乗り出しました。

2013年には被申立人となっていたIBSAのブラインドサッカー担当部門に日本から委員を送り込み、そして4年後の2017年には私がIBSAの理事に就任しました。また並行して、大きな国際大会を日本で実施することで、アジア以外の国々との直接的なパイプも築いていきました。

そうした成果が結実したのが、「ブラインドサッカーワールドグランプリ」の主催です。これは主催者として国際視覚障がい者スポーツ連盟という国際競技連盟が名を連ねる「国際公式試合」。2018年に開催された第1回大会にはアルゼンチンやイングランドなどの強豪国が参加し、2019年、2020年も日本で開催することが合意されています。

国際公式大会を日本が主催する。しかも3年連続。これは極めて異例で、数年前には想像もしなかったこと。小さな組織だからと言って、小さな仕事しかできないわけではない。たとえ小さくても、大きな仕事、グローバルなプロジェクトだって実現できるのです。

松崎英吾(まつざき・えいご)
NPO法人日本ブラインドサッカー協会 事務局長。1979年生まれ、千葉県松戸市出身。国際基督教大学卒。学生時代に偶然出合ったブラインドサッカーに衝撃を受け、深く関わるようになる。大学卒業後、ダイヤモンド社等を経て、2007年から現職。2017年、国際視覚障がい者スポーツ連盟(IBSA)理事に就任。障がい者スポーツの普及活動、障がい者雇用の啓発活動に取り組んでいる。(noteアカウント:eigo.m
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