「そうだ、海外に住もう」となったきっかけ
50代になって初めて海外生活をしようと思ったきっかけは何か。連載の初回は、会社員を辞めてフリーランスになり、ベトナム、ラオスに住むことにした経緯を紹介する。
まったく新しい仕事をしようと会社員を辞めたのだが…
2017年の夏、僕は31年に及ぶ会社員生活に終わりを告げた。そのキャリアは一貫してビジネス系編集者。最後は世界的なマネジメント誌の日本語版編集長もさせてもらった。独自の特集や連載、優れた若手経営者の選出などを企画し、その過程では日本の知性とも言うべき多くの方々とお会いすることができた。
会社員を終えることは編集長になった時に決めていた。編集長という役割は、いわば編集者としてなんでもできる仕事のはずである。ならば、この仕事を終えて「もうビジネス系編集者は卒業しよう」と。
そして、次にやることを決める前に、まずはこれまでのキャリアをいったん終わらせ、会社員も辞めることにした。そして2017年夏、僕は生まれて初めて「属する組織がない」社会人となったのだ。
これから何をしようか。9月の中旬、小さなノートとペンだけを持って、公園のベンチで考えた。これまでできなかった新しいメディアの構想をまとめてみた。ビジネスとして最初は苦戦するかもしれないが、長く続け認知されることで共感してもらえるメディアになるのではないか。その具体策を書き出してみた。
すると、自分でも驚くほど面白くないことに驚いた。自分がやりたいメディアなのに、なぜこんなに面白くないんだろう? 僕は本当はこんなに面白くない人間だったのだろうか? 偉そうで教条的なのだ。自分が面白いと思えないと、人も誘えないしお金を貸してくださいとお願いする迫力も出ない。自分でつくってみた企画書に愕然としたが、その理由がだんだん分かってきた。
いま必要なのは異質な体験
僕がつくった企画書は、できそうなことを書き連ねたものでしかなかったのだ。どの項目も計算が立つ。いまの自分のスキルで揃えることができるリストでしかなく、実現はできるが、できそうなことを作って何が楽しいのか。「やりたいこと」を書いたつもりが「できること」を書いていたに過ぎない。
そこで思い出したのだ、僕は自分にとって新しいこと、不慣れなことをやりたいと思っていたのだ、と。未知なものに遭遇するとドキドキするが、それはいつもワクワクと隣り合わせで、こわごわと対応するなかで小さな発見が連続する。わからなかったことが分かって来て、少しずつ大胆にやってみて、ちょっと痛い思いをしながらもまた新しい発見を獲得する。
編集の仕事を始めた当初、編集長になった当初、こういう経験の積み重ねが楽しかったし、会社員をやめてもそういう発見や未体験の連続を味わいたいと思っていたのだ。それは挑戦という大袈裟な言葉ではなく、冒険でも言い過ぎ、実験のようなものである。
最初、フリーランスになったのだから、ホームページをつくろうかと文言を揃えてみた。すると、自分の小さな実績をさも大きそうに語るその様に嫌気がさしてきた。しかも過去の実績を語れば語るほど、これまでやってきたような仕事のオファーしか来ないだろう。となれば、まずは自分の「モデルチェンジ」が必要だ。バージョンアップではなく、異質な体験を体中に注入することがよさそうだ。
そんなことを考えていて思い出したのが、海外に住むことであった。僕はグローバル経済などのコンテンツもずっと編集してきたが、これまで海外に住んだことがない。海外出張は何度もあったが、旅行レベルの英語力に過ぎない。
2016年にアメリカでトランプ大統領が誕生した際、拡大する経済格差や雇用不安がポピュリズムを生み出した背景を知った。しかし僕はこの状況を頭で理解したに過ぎなかったのだが、高校時代にアメリカの田舎町に留学していた知人のブログを読んで、彼女はアメリカのポピュリズムを肌感覚で理解しているのを目の当たりにした。
そうだ、20代の頃、体験してみたかった「海外に住む」をやってみるのはどうか? これまでの仕事を通して、知識として知った海外の一端を自分で体験してみる。これは相当にワクワクしそうだ。
この思いつきを少し真面目に考えてみたが、封印するにはもったいない気がしてきた。しかし現実味はあるだろうか。明日からの仕事がほとんど決まっていないのが不安だが、逆に決まっていないからこそチャンスである。
僕はこわごわとこの考えを妻に打ち明けることにしてみた。仕事を辞める際に、もごもごとこれからのことを歯切れ悪く話す僕に対し、「で、福沢諭吉はどうなるの?」と返す妻である。一蹴される覚悟で、「海外に住んでみたいんだけどね」と告げてみたところ、思わぬ言葉が返ってきた。「そりゃあ、私も住みたいよ」
ひょんなことから決まったラオス、ベトナム
こうなったら話は早い。じゃあ欧米にしようか? 仕事で何度も行ったボストンはいいよ! デンマークとかスイスとかはどうだろう? 待てよ、先進国より新興国のほうが、不慣れな経験をたくさん積めるのではないか。そういえば妻もアジアが好きだ。何度か行ったお気に入りのタイがいいじゃん!
大いに盛り上がったのだが、待てよ、よく知った国にいってもしょうがないじゃん。その頃、「タイに住もうかと思って」と知人に話したところ、またまた面白い反応があった。「隣のラオスとかどう?」
ラオス。これまで一度も行ったことがないばかりか、一度も意識したことがない国である。ネットで調べると、東南アジアの中でも経済水準は低いが、近年海外からの投資が増えつつあること、いわば次なるベトナムやタイであることがわかった。人もいいらしい。メコン川の夕日がとても綺麗なようだ。何より、料理が美味しいという。これだけ条件が揃えば言うことない。「そうだ、ラオスに行こう」
こうしてラオス短期移住計画が進んだのだが、肝心のビザは3か月しか下りないことが分かった。今年半年くらい海外に暮らそうと思っていたので、それならばと、ラオスに3か月、お隣りのベトナムに3か月住もうということになったのだ。
ちょうどその頃、ふたつの会社がとても面白そうな仕事をそれぞれ提示してきてくれた。どちらの仕事も僕にとって不慣れな要素が多く、これまでのスキルを活用しながらストレッチも必要で、これは自分の幅を広げてくれる要素がありそうだ。経営者も共感できるし、事業の意義も感じる。
僕はこの仕事をやりたいと思ったが海外に住むこともすでに決めていた。仕事の相談に乗りながら、恐る恐る「実は来年海外に半年くらい住もうと考えているんです」と話してみると、「それでもいいから、やってもらえませんか」と自分でも想定外のオファーとなった。
不思議なもので海外に住むと決めたら、仕事の話も決まるのだ。こうして、僕は2018年、半年をラオス、ベトナムに住みながら、フリーランスとして東京の仕事をすることが決まった。月に一度くらいは東京に戻るが、生活の基盤は海外に置く。いろんな偶然もあったのだが「海外に住む」と決めたことから、異質な環境に身をおいて不慣れな仕事をするという、僕にとって「やりたかった働き方」が実現したのである。
この連載では、ベトナムやラオスで生活しながら感じた、仕事や社会、経済について書こうと思う。どんな生活になるか読めないので連載自体もどういう方向に進むか読めないが、どうぞお付き合いいただければ幸いである。
岩佐文夫(いわさ・ふみお)
1964年大阪府出身。1986年自由学園最高学部卒業後、財団法人日本生産性本部入職(出版部勤務)。2000年ダイヤモンド社入社。2012年4月から2017年3月までDIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集長を務めた。現在はフリーランスの立場で、人を幸せにする経済社会、地方活性化、働き方の未来などの分野に取り組んでいる。(noteアカウント:岩佐文夫)