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「海外に住む」と決めたものの、何から始めるか?

初めての海外生活は半年。場所はラオスとベトナムのハノイと決めたのが昨年末。出発の3月19日に向け、年明けから準備に大忙し。当初はラオス→ベトナムの順に滞在する予定だったが、下見をしてベトナム→ラオスに変更することにした。

「ラオス→ベトナム」から「ベトナム→ラオス」へ

ラオスとベトナムに住むと決めたのが2017年の秋。とはいえ海外に住むのは初めてなので、何から初めていいのかわからない。ベトナムは一度だけ行ったことがあるが、住むのはハノイと決めていた。ホーチミンとハノイに行ったことがある妻が、断然ハノイがよかったし、人込みが得意でない僕にもハノイの方が合うと思うと断言していたからだ。

一方のラオスについては、僕も行ったこともないし、何のイメージもない。ちょうどこの頃、知人に「ラオスに住んでみようと思っている」と話してみると、ラオスに住んでいた人たちを紹介してもらった。技術協力で行かれていた方、留学していた方など、それぞれだが皆、ラオスでの生活を楽しそうに語られる。そして現在ラオスにいる日本人も紹介してもらうことになった。

あとは実際に見に行こうと、1月中旬、ラオスとベトナムへ下見旅行をすることになった。最初に訪れたのはラオスの首都ビエンチャン。ラオスの人口が700万人に対しビエンチャンは80万人。驚いたのは空港からクルマで15分ほどで市内に到着したことだ。

ビエンチャンには公共の交通機関がほとんどなく、バスがかろうじてあるが、タクシーもまばら、もっぱらトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーが中心である。町は舗装されていない道も多く、砂埃が舞う。敬虔な仏教国であり、市内のいたるところにお寺がでんと構え、オレンジ色の袈裟をまとったお坊さんが目立つ。

現地でサッカースクールの運営をしている日本人のSSさんが僕らの不動産屋さん回りに付き合ってくれた。SSさんは、一年ほど前にラオス語がまったくできないままここに来て、いまでは子どもたちにラオス語でサッカーのコーチもしている。大相撲の世界そのままのように、ラオス語を覚えた方だ。

数軒お付き合いいただき、立地も間取りも気に入ったアパートメント が見つかった。ただし、空き室はない。あとは祈るばかりだ。また、ラオス人の不動産屋さんもいくつか紹介していただいた。彼は大阪の大学に留学していた経験があり、日本語がとても堪能だ。

紹介してもらった物件の中に魅力的なものもあったが、こちらも空く可能性は低そう。彼は「今度来られた際には、きっといい部屋を見つけますので安心してください」と語ってくれた。どうにか目途が立ちそうなので、次はハノイへ。

はじめて降り立ったハノイは想像以上に活気溢れる町だった。その日が金曜日ということもあったのか、旧市街は大勢の若い人で盛り上がっている。この活気、東京とは明らかに違う。ネットで調べてみると、ベトナムの平均年齢は30歳で、日本はなんと46歳。つまり、若い人が圧倒的に多く、彼らがこの国のマジョリティであり、主役として思う存分、いまの時代の謳歌しているのだ。

仕事においても彼らが主役であろうし、消費面でも若い人がリーダーとなってこの国を引っ張っている。それはかつての高度成長期の日本ではないか。調べてみると、日本も1970年の平均年齢が30歳であった。グローバル経済の一員となりつつあるベトナムは、まさに高度成長期の最中なのである。

地理的にも文化的にも近いラオスとベトナムがこれだけ違うのは正直予想外であった。そしてハノイの活気に触れて、僕はラオス→ベトナムではなく、ベトナム→ラオスの順に住もうと決めた。いまのベトナムと日本を比較できたら面白そうだし、ラオスを日本だけではなくベトナムとも比較してみてみたいと思ったのだ。

ハノイはアジア独特の喧噪の魅力がある。道路には無数のバイクが縦横無尽に走りまわり、3人乗り4人乗りも当たり前。普通だったら軽トラックに積むであろう机を後部座席にくくり付けて走るバイクも珍しくない。バイクの騒音とクラクション、そして行きかう人の声などやたら賑やかだ。ただし住むにはもう少し落ち着いたところがいい。

市街からクルマで15分くらいのところに、西湖という1周約17キロの大きな湖がある。勧められてこの湖の周辺を散策しに行ったら、その落ち着いた雰囲気がとても気に入った。たまたま見つけたアパートメントの部屋を見せてもらうと、窓からは湖が一望できる。値段を聞くと、僕らの予算の倍以上もしたので諦めたが、他にもたくさんのアパートメントがあるとのことで、物件は見つけられなかったもののエリアは決めることができた。ひとまず安心である。

はじめての海外生活「準備」

こうして下見はなんとか終了した。2か月後に控えた海外生活に備え、東京で済ませておくべき仕事に取りかかった。しばらくの間、仕事のコミュニケーションはメールやスカイプなどの電話会議が中心となる。顔を合わせることができるいまこそやるべきこと、決めるべきことに集中した。

ミーティングも多めに設定してもらい、会うべき人に会っておく。今後の仕事の進め方を整理しておく。次回の帰国時までの確認、などなど。一緒にプロジェクトに取り組んでいる人たちは、実に協力的に仕事を進めてくれた。

それから予防注射。海外赴任者専用に予防注射を打ってくれるクリニックが品川にあることを知り、早々に処方してもらうが、思った以上に高かった。ベトナム大使館ではビザの取得に行った。それから国際免許の更新も。

持っていく荷物は、二人でスーツケース3つ。幸い暑い国に行くので、衣類は小さくまとまりそうである。本は数冊のみ持参し、あとはkindle。その他、郵便物を一定期間止めること、スポーツジムの解約など。

出発の数日前から冷蔵庫にある食材をひたすら食べる。餃子、玉子焼き、厚揚げと人参炒めなどという、文脈のない食事が続く。そして実家に挨拶しに帰った。一年に2~3回しか顔を合わさないのだが、息子が半年日本からいなくなるのが、年老いた両親にとっては少しばかり寂しいようだ。「何かあったらすぐ帰るから」と。

3月19日、いよいよ出発の日である。フライトは夕方であり、午前中に2件の打ち合わせを済ませた。そして羽田空港に着いた頃、ようやく「これから半年の海外生活か」という実感が湧いてきた。

「家に着くまでが遠足」と言うが、海外生活は「準備の段階から始まる」と言っても過言ではない。準備万端かどうかわからないが、すでに未知なる作業を随分こなした。気持ちが高ぶってきたが、いまやるべきこともないし、新たな決意をするにも時すでに遅し。あとは現地に行って生活するのみである。

岩佐文夫(いわさ・ふみお)
1964年大阪府出身。1986年自由学園最高学部卒業後、財団法人日本生産性本部入職(出版部勤務)。2000年ダイヤモンド社入社。2012年4月から2017年3月までDIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集長を務めた。現在はフリーランスの立場で、人を幸せにする経済社会、地方活性化、働き方の未来などの分野に取り組んでいる。(noteアカウント:岩佐文夫